第二話 甦る伝説
ヴァールネスト編の続きです。
なんかキャラがにょきにょき生えた…
宴の中頃、芳太郎は広場にある木のテーブルを高座代わりにして正座していた。座布団はヴァラクの家から借りた。周囲をヴァールネストの住人が取り囲んで、丁度寄席のような形を取った。
芳太郎は声高らかにマクラを述べる。
「さてさて、世の中には『怖いもの』というのが色々とございやすね。誰だってこれが苦手だの、あれが怖ぇなんてもんがあるもんでして。例えば高い所が怖い。空中にも家があるヴァールネストでは珍しいかも知れやせんが。暗い所がどうにもダメだ! とか、中にはおばけが怖いなんて可愛い事を仰る人もいやすね。でも、人によってはとっても変わったものが怖いなんてこともあるんでやんす。聞いた話ですがね、『面白い話が怖い』なんて人もいるらしい。そりゃあね、あたくしたちゃあそれが生業な訳だからウケなかったら怖いでしょうけどね!」
聴衆は芳太郎の話に耳を傾けている。
「人間誰でも怖ぇもんってぇのがあるんだ。そりゃ何でかってぇと、生まれた時に胞衣を埋めるだろう。その場所の上を最初に横切ったもんがあると、それがそいつの怖ぇもんになるんだよ。
何だい、そのエナってのは?
お前が生まれてきた時にくっつけてきたへその緒よ。そんで、八ちゃんは何が怖ぇ?
おれは毛虫は怖ぇ。
じゃ、お前の胞衣を埋めた上を最初に毛虫が横切ったんだよ。半ちゃんは何が怖ぇ?」
聴衆は芳太郎の噺に時折頷いたりする。
「ところで正ちゃん、お前さっきから黙ってるけどさ、お前の怖ぇもんは何だい。
怖ぇもん? そんなもんはこの俺様にゃあ無ぇ! 人間はなぁ、万物の霊長ってくれぇのもんだ。動物の中で一番偉ぇんだ。その人間様に怖ぇもんがあってたまるかい。俺にゃあ怖ぇもんも嫌ぇなもんも断じて無ぇ。
癪に障る野郎だねぇ、嫌ぇなもんがひとっつも無ぇなんてよぉ。何かあるだろうよ! 例えば蛇なんてどうでい。
へび? 蛇なんか怖くねぇ。蛇なんか、俺ぁ頭の痛い時にゃあ頭に巻いて寝るんだ。あいつぁ向こうで締め付けてくれるからとっても気持ちが良いんだぃ」
芳太郎が噺を続けると、聴衆から少しずつ笑い声が漏れ出す。
「本当に癪に障る奴だな。じゃ、いいよ。虫なんかじゃなくてもいいから嫌ぇなもんは無いかい?
そうかい、それまで聞いとくれるかい? それなら言うよ。俺ぁねぇ、鹿肉の燻製が怖ぇんだ! 特にタレンディアの燻製が怖い。
なに、鹿肉の燻製? 鹿肉の燻製ってあれかい。あすこで作ってる燻製肉か?
そうなんだ。俺ぁ本当はねぇ、情けねぇ人間なんだ。みんなが好きな鹿肉の燻製が怖くて、見ただけでも心の臓が震え出すんだよ。そのままいるときっと死んじまうと思うんだ。だから、燻製器の前を通る時なんて足が竦んじまって歩けなくなるから、どんなに遠回りでもそこを避けて歩いてるんだよ。ああ、こうしてタレンディアの燻製の事を思い出したら、もうだめだ、立ってらんねぇ。そこへ寝かしとくれよ」
芳太郎がその場でくらりと倒れ込む仕草をしてみせると、聴衆から少しの悲鳴が上がって、ざわついた。そして、場面はタレンディアの燻製肉を大量に枕元へ置いておいてやろうと相談するところに移る。たとえ死んだとしても燻製肉のせいであって、自分たちのせいではない、というくだりだ。
「おい、大変だ! 野郎泣きながら燻製肉食ってるぞ! タレンディアの燻製が怖ぇってのは嘘じゃあねぇかい?
おい正ちゃんよぉ! お前、俺たちにタレンディアの燻製肉が怖ぇって嘘ついたな。太ぇ野郎だ。本当は何が怖いんだい?
ごめんごめん。今、燻製肉が喉に閊ぇて苦しいんだ。本当は俺ぁ『一杯のソルヴェインエール』が怖ぇんだ。
ヴァールネスト風『まんじゅうこわい』、『くんせいこわい』でございやした」
宴会場にどっと笑いが巻き起こった。芳太郎が三つ指をついて頭を下げると、睦と京也が率先して拍手を送る。それに続くようにヴァールネストの人々が拍手した。
「面白かったぞ!」
「オルドネールには無い芸だな!」
「怖いのは燻製肉じゃなくて自分の欲だろ!」
歓声も湧いた。
「いやぁ、一か八かだったけど、案外ユーモアってのはどこでも通じるもんだねぇ」
芳太郎は額に浮かぶ汗を拭った。
「ユズリハは吟遊詩人なの? リュートも使わないし唄も歌わないで演るなんて変わってるね!」と言ったのはミューだ。
「吟遊詩人たぁ違いますね。今みたいな話を落語と言って、あたくしみたいに落語を演る者を落語家と言うんでさぁ」
芳太郎がそう説明すると、ミューは首を傾げながらも興味深そうに頷いた。
京也はそんな様子を見ながら、
「芳ちゃんって、どこでも堂々としてるよな」
と感心した。睦は腕を組んで頷きつつも、
「でも、あの様子だと内心は結構緊張してたんでないかい」
と口の端を上げた。
「もっと聞かせてくれよ!」
周囲の獣人の内一人が声を上げると、他の獣人たちも囃し立てる。芳太郎はその反応に、嬉しさと照れくささが入り混じった笑みを浮かべた。
「これだけ盛り上がっちまったら、断る訳にゃあいきやせんねぇ」
芳太郎はひとつ息をつくと、場の空気をしっかりと掴むように姿勢を正し、次の噺を始めた。
「名前ってぇのは親が子に贈る一世一代のプレゼントと言いやして、実に大事なものでございやす。名前というのは、その人の一生を背負うものなんて言われやすが、皆さんもご自分の名前に何か由来があるんじゃあないでしょうか。
昔はね、親が子供に名前をつける時、これでもかというくらいに縁起を担いだものです。やれ長生きしてほしいだの、健康でいてほしいだの、賢くなってほしいだの、まあ親の願いをこれでもかと詰め込むんですね」
芳太郎が軽妙な語り口でマクラから入る。何の噺か分かった睦と京也は、ふふ、と笑いを零す。獣人たちは、ふむふむ、と耳を傾けていた。
その後も芳太郎は軽快に本題を語っていく。芳太郎の愉快な、それでいて迫真の演技に笑いが起こる。
「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃーん! 狩りに行こう!
おやまぁ、タケちゃんたちは朝が早いねぇ。うちの寿限無寿限無五劫の擦り切れ……」
宴会場に爆笑の渦が巻き起こる。腹を抱えて笑ったり、肩を震わせたり、涙を拭ったり、笑い方は様々だ。噺は続く。
「何ぃ? 狩猟解禁日から寝坊たぁ、どういう了見でい! とんでもねぇ野郎だ。おうっ、寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助! 起きやがれ!
おじちゃん! もう冬になっちゃったよ!
ヴァールネスト風『寿限無』でございやした」
聴衆から万雷の拍手が送られ、
「おい、誰か自分の子供にあの名前つけるか?」
「そんな名前覚えられるか!」
「ジュゲムジュゲム!」
と再び歓声が湧き起こった。
「酋長さん、これで勘弁していただけやせんか」
芳太郎はふうー、と大きく息を吐いて、玉のように浮かんだ汗を拭った。こちらの世界は夏なのに冬服を着ているせいでもあったし、緊張のせいでも汗をかいていた。
「うむ、皆も満足したようじゃしな。儂も満足じゃ。ご苦労じゃった」
酋長・ヴァラクの言葉を受け芳太郎は、再び深々と頭を下げると高座代わりにしていたテーブルから下りた。
「芳ちゃん、お疲れ〜」
「お疲れ。ああ笑った、よくアレンジしたね」
京也と睦が芳太郎を労った。
「でも、」睦は言う。「芳ちゃんの十八番は『時そば』だったしょ? なして演らなかったんだい?」
それはね、と芳太郎が訳を話す。
「ありゃあ代金を誤魔化すくだりがあったろう、ひょっとしたらウケが悪いんじゃあねぇかと思って演らなかったんだよ。それに、『時そば』よりも笑いどころが分かりやすい噺はあるからね」
ああ、と京也は手を叩く。
「それで『まんじゅうこわい』と『寿限無』だったのか」
「そういう事。『まんじゅうこわい』は大学の落研の頃から演ってたな。懐かしいねぇ」
芳太郎が、「ほら、これが『こわい』んだろ」と住人たちが取り分けてくれたタレンディアの燻製肉を齧りながら、ソルヴェインエールで喉の渇きを潤していると、近付く人影があった。
「ユズリハさん、さっきは楽しい話をありがとう」
リナだった、狐と犬の間の子のような子供と手を繋ぎ、傍らには狼の獣人が立っていた。
「ああ、リナさん。そちらの二人は?」
芳太郎は食事の手を止め、応じた。すると、リナは子供に向かって「ほら、自己紹介」と囁いた。
「ボクはノア! ユズリハの話、面白かったよ。かーちゃんとは森で会ったんでしょ?」
「うん、そうだぞ坊主。うん? かーちゃん?」
芳太郎はノアと名乗った子供の頭を撫でながら、頭に疑問符を浮かべる。
「どうも、俺はリナの夫のジンです。息子のノアはすっかりユズリハさんを気に入ったようで」
雪のように白い、秋田犬のような風体のジンは軽く挨拶した。
「えぇ⁉︎ リナさんって人妻ぁ⁉︎」
芳太郎は目を剥いて仰天した。
「ミューさんが言ってたよ。聞いてなかったのかい?」
睦が冷ややかな視線を芳太郎に向ける。彼はいい加減なところがあるので、森での話を一部聞いていなかったのだ。
「うふふ。ただ家族で挨拶に来た訳じゃありませんのよ」
芳太郎はリナを食えない人物だと思った。
「こら、リナ。君はまた思わせぶりな態度を取って……。っと、酋長から頼まれてユズリハさんたち三人に、紹介したい人がいるんです」ジンは一歩下がった。
「三人は明日、読み書きや計算を勉強するそうですね。こちらが集落の先生、」
ジンの言葉を遮るように、ずいとずんぐりむっくりな身体をしたフクロウの鳥人が一歩進み出た。
「ワタシが集落で教師をしている、グリモである。ホッホ」
猛禽類のぎょろりとした目が、眼鏡越しに三人を的確に捉える。
「キミがムツミ君で」グリモは顔を近付けて睦の顔をじっと見た。「キミがユズリハ君」今度は芳太郎の顔を。「それでキミがキョーヤ君」最後に京也の顔を見た。
「ホッホ。教えるのは、読み書きと計算だけで構わないかね?」
グリモの問いに、三人は顔を見合わせる。生涯この世界で暮らすでもなし、それで良いだろうという結論を出した。
「ええ、それで。頼んますぜ、グリモ先生」
睦だけはもっと深くこの地について知りたいと思っていたが、「それは追々で良いら?」と京也に説得されて諦めた。芳太郎が脇で飄々と返事しているのを見て、地団駄を踏みたかった。
夜も深まり、三人の歓迎会もお開きとなって、ヴァールネストの住人は三々五々に自分たちの家へと帰っていった。ヴァールネストに宿屋は無く、三人はカイの家へ招かれて、ヴァールネストで過ごす間はそこで寝泊まりすることになった。
*
これは、三人が疲れて寝てしまってからヴァラクの家に招かれた集落の大人たちの会話である。
「酋長、新たな勇者が現れる時は近いという預言は本当なのでしょうか」
「では、あの三人が新たな勇者……?」
「とても勇者らしくは見えなかったぞ」
それぞれが思い思いの事を口走り、ヴァラクの家の中はざわついた。
「静まれ」
ヴァラクの威厳ある、低い唸り声にも似た声を聞いて住人は口を噤んだ。
「儂が占った結果、大いなるアリシエラ様と偉大なるタマ様から神託を受けたという話はしたな」
住人たちは一斉に頷く。
「それが『新たな勇者が現れる時は近い』というものでしたよね」
「左様。おそらくその預言は、今日成就した。あの者らが新たな勇者じゃろう」
集まった住人たちがどよめいた。
「ホッホ。酋長が彼らの教育を急ぐのも、タマの神殿へ向かわせるのも、彼らが新たな勇者だから。ですかな?」
「左様」
たったひとことのみの返事であったが、却ってそれが説得力を増した。
「今夜はもう遅い」ヴァラクが再び口を開く。「皆、各々の家へ帰り、眠るが良い」
住人たちは、それぞれにお辞儀をしてぞろぞろとヴァラクの家から出て行き、彼らの家へ帰った。
一人窓から小望月となった赤い月を見つめ、ヴァラクは呟く。
「ユズリハ、ムツミ、キョーヤ……。今、世界がどのような災厄に見舞われているのか、これから見舞われようとしているのか、儂には分からぬが……この世界を、オルドネールを頼んだぞい」
*
翌日、朝食を終えると早速勉強が待ち受けていた。流通の関係で紙が貴重なヴァールネストでは、紙とペンの代わりに石板と木炭を使って勉強が行われた。目の前の黒板代わりの大きな石板には「ルメノ文字」の一覧と例文と計算式が並んでいる。ルメノ文字は、いわゆるアルファベットと似ているが、漢字や平仮名、片仮名らしいバランスやパーツを保ちながら装飾的な曲線や独特な書き順が加わっているため、正確に再現するには一苦労だった。
京也は木炭を握りしめ、石板に書かれた文字を写している。文字の形状と組み合わせそのものはローマ字と同じで読める部分もあるが、微妙な角度や細かな点の配置に苦戦していた。ぱっと見の形が日本語らしいのが余計に習得を困難にさせた。何度も消しては書き直しながら、「自分の名前くらいは書けるように」と集中していた。
睦は手元の石板にルメノ文字を書き写すと、文字を指でなぞりながら一音ずつ発音して読み方を確認していた。綴りがローマ字と概ね同じである分、音の響きは日本語とほぼ同じだが、装飾的な部分に戸惑いを示した。初めてルメノ文字を見た時に、ローマ字と同じだと看破した彼だったが、改めてルメノ文字と向き合いじっくりと文字を記憶し、単語を組み立てていた。
芳太郎は「形はアラビア数字っぽいけど、なんでいこの余計な装飾は!」というような表情を浮かべつつ、ルメノ文字の数字を順番に書き写そうとするが、直線を正確に再現するのに苦戦している。何度も消しては書き直し、ようやく形を整えた。オルドネールも十進法の世界であり、加減乗除の方法も日本の方法と大体同じだった。数字自体もアラビア数字と形が似ているものの、4や8などに独特の曲線が加わっており、一瞬の判断を迷わせた。
オルドネールの通過単位はリーヴと言い、グリモは黒板代わりの石板に
銅貨一○○=銀貨 1
銀貨一○=金貨 1
と記した。
読み書きの訓練が一段落つくと、昼食を摂り、計算と買い物の訓練へと移った。
三人は手元に配られた硬貨代わりの木の札を使いながら、それぞれ計算を試みていた。札には「1」や「一○」、「一○○」といった数字が刻まれ、数え間違えないよう慎重に並べ替えたりしていく。ちなみに、銅貨は細かな取引や労働賃金に使われ、銀貨は日常の買い物などに使う標準通貨、金貨は貴族や大商人の高額取引などに使用する。
芳太郎は「リーヴって日本円だと幾らくらいの価値なんだろうな」と言いながら木の札を指で弾く。睦は表情を引き締め頭の中で計算を進め、京也は木炭で自分なりの計算式を石板に書きながら「ああ、これならいける」と独りごちた。京也が書き表した計算式とは、通過の基本レートの単純化だ。銅貨→銀貨→金貨という階層構造を見て、銅貨千枚=金貨一枚という単純な比率を導き出し、
銅貨÷一○○=銀貨
銀貨÷一○=金貨
銅貨÷一、○○○=金貨
と考えたのだ。これを見れば、換算の手順を飛ばして直接銀貨や金貨の価値を導き出せるという訳だ。数学が得意な京也らしい考え方である。
黒板に書かれた例題には、銅貨237枚を銀貨に変えると幾らになるか、といった内容が記されていた。
京也が単純化した表を基に先に答えを出し、睦がそれに続く。芳太郎は語呂合わせで解こうとしていて「ちょいと待ちな、頭がこんがらがっちまう」と嘆きながらも答えに辿り着いた。
答えは銀貨二枚と銅貨三十七枚である。
石板と木炭を使った勉強は手間が掛かったが、三人は何とか課題をこなした。日が暮れる頃には、三人ともルメノ文字と貨幣レート、計算をマスターしていた。
グリモは
「ホッホ。三人とも飲み込みが早い。これなら生活には困らないであろう。ホッホ」
と、三人の学習スピードを評価した。
「ルメノ文字覚えたで、日本語忘れそうだわ……」
京也が机に突っ伏して溜息と共に吐き出す。理系の彼に〝国語〟のような授業は負担が大きかった。
「グリモ先生、今日はありがとうございました。お陰で当分は困らなさそうです」
睦は知識欲に目を輝かせながら言う。まだまだ学習意欲があるようだ。
「先生、今日はお世話さまでした」
芳太郎は無難に礼を言う。三人の中では睦の次に成績が良かったのが彼だ。次いで京也だ。
「そういやぁ、暦が分からないと不便ですね。昨日、リナさんから大結印暦一二六五年の七月だと聞いたんですが」
芳太郎がふとした疑問を口にすると、グリモが羽の手で顎をさする。どこが顎なのかはよく分からない。
「ホッホ。確かに暦は必要であろう。簡単に説明する。ホッホ。一年は十二ヶ月。次に一ヶ月は三十日。つまり一年は三百六十日。一週間は七日間である。即ち今日は大結印暦一二六五年、七月十五日の星火日である。ホッホ。赤い月が満月になる日が毎月十五日である。青い月・シエラが満月になるのは五十日周期であり、次に満月になるのは八月の中頃である。ホッホ。四季があるのもオルドネールの特徴である。今は夏である。ホッホ。大結印暦という暦の数え方は神話時代にまで遡るのだがね……」
「大体分かった! あんがとよ!」
長話の気配を察した芳太郎は、半ば強制的に話を切り上げる。せっかちな彼に長話は合わないのだ。
「ホッホ。しかし、ムツミ君はまだ学習意欲があるようだ。どうだ、キミたち。今夜はワタシの家で食事など。ホッホ」
「よろしいんですか」
グリモからの思わぬ提案に睦は食い付いた。暦が神話時代にまで遡ると聞いて、睦は神話の話に興味を示している旨などを話した。
すると、少女の声がした。
「勇者さまたち、おべんきょしてたのー? 今日、急に学校休みになってラッキーだったの」
声の主は兎の少女だった。アナウサギのような茶色の毛並みに、ピンと立った長い耳、ふわふわの尻尾が可愛らしい。
「勇者様?」京也は少女に顔を向けた。
「あたくしたちが、かい?」芳太郎も訊ねる。
「うん、勇者さま。酋長さまが、かみさまからお話聞いたの。勇者さま、オルドネールに来たの。ユズリハ、ムツミ、キョーヤ、世界を救うの。だから昨日、かんげーされたの」
少女の言葉に三人は沈黙する。
「それは、大人の人に聞いたのかい?」
睦は椅子に座ったまま姿勢を落とし、少女と視線を合わせて、怖がらせないよう努めて穏やかに訊ねた。
「もうその話でもちきりなの、ユズリハとムツミとキョーヤが世界を救うって。いちばん信じてるのは、酋長さま」
少女と言葉を交わしているとヴァラクが広場にのそりと現れ、兎の少女はヴァラクの背後に隠れて三人を窺った。人見知りなようだ。
「酋長さん、この子は?」
芳太郎はヴァラクへ気さくに話し掛けた。
「この子はエマじゃ。みなしごでな、集落の皆で育ている子じゃよ」
「酋長、この子が言った事は本当なんですか。自分たちの事を『勇者様』と言っていましたが……」
睦の言にヴァラクは少し表情を曇らせた。
「エマ、少し向こうで遊びなされ」と言い渡し、「実は……」と話し始めた。
「隠すつもりは無かったのじゃが、儂は占いによって神託を受けながらお主らが伝承の勇者なのか半信半疑じゃった。じゃが、カイからお主らが『異世界から来た』と聞き、実際にお主らの姿を見た時、神託は真じゃと確信した」
「はあ……」睦は曖昧に返事した。
「オルドネールには、古代からこのような伝承がある、『世界が危機に瀕した時、異世界から勇者が現れ世界が救う』……と」
「まんまファンタジーのテンプレだな……」京也が小さく呟き、「具体的に、どんな危機が迫ってるんすか」とストレートに疑問をぶつけた。
「それが……儂程度の占いでは分からぬのじゃ」
「……つまり、自分たちが勇者かどうかも、まだ分からない?」
睦の言葉に、ヴァラクは厳しい表情で頷いた。
「左様。ただ、神託が示したことは確かじゃ。お主らは『導かれた』のじゃ」
その時、エマと呼ばれた兎の少女がふらふらとした足取りでヴァラクの傍まで戻って来て、譫言のように
「古代の魔法書……封印……危険……」
エマの目がぼんやりと遠くを見つめる。まるで、この場にいない何かが彼女を通じて語っているようだった。ヴァラクは首を傾げて、彼女に何が起きているのか分からないようだった。
「……」睦はエマの様子を注意深く観察する。
「どしたん、むっちゃん」
京也もヴァラクと同じように首を傾げている。
「この子、シャーマンかも知れない」睦はエマの前に跪くと「それがどのような意味を持つのか、教えてください」と神妙な面持ちで訊ねた。
「封印……解かれそう、危険……」
焦点の合わない目で呟くエマに、睦は更に訊ねた。
「我々がすべき事はありますか」
「ムツミは何をしておるのじゃ?」
ヴァラクの問い掛けに睦以外の全員が「さあ?」と肩を竦めた。
「タマの神殿……勇者たち……行く……」
刹那、エマはハッと我に返り目をぱちくりさせた。
「今のは……?」ヴァラクは不思議そうに言った。
睦は自信が無いながらも慎重に言葉を紡ぐ。
「彼女は恐らく、神や霊魂など高次の存在から言葉を預かれる子……自分たちの言葉では『シャーマン』と言ったりするのですが」
「……神託を、受けている?」ヴァラクが呟く。
睦は頷くと、エマに質問をする。
「エマちゃん、前にも変な夢見たり、意識がふわっとしちゃったこと無いかい?」
「エマのおとーさん、おかーさんが死ぬ前、ヘンな夢見たの。フェンさまが怒ってる夢。エマのせいでおとーさん、おかーさん、死んじゃったの」
エマはヴァラクにしがみついて言う。
「確かに、エマの父母は火災で亡くなっておるな。その前に高熱を出して『雷』と言って魘されておったわい」
ヴァラクは何かを考え込む。
「エマ知ってるよ。エマがヘンな夢見たり、ヘンな事言うから、みんなエマと遊んでくれないの。エマ、いつもひとり」
「エマちゃん……」
京也はエマの前にしゃがみ込んで、慈しむように彼女の頭を撫でた。
「火災……雷……。もしかして、落雷による森林火災ですか」
ヴァラクの言葉から、睦は過去、セプターの森で何が起こったかを繙く。
「何故それを⁉︎」と驚いたのはグリモだ。
「なるほどね」京也が頷く。「四季があるって事は、セプターの森って時々乾燥するだら? 落雷が原因の森林火災は雷が熱源、木が可燃物、環境として乾燥が機能するんだわ。雷が落ちた所に火がついて、木は可燃物じゃん。乾燥した木は燃えやすい。それで森林火災になるってワケ」
「実際、乾燥する時期はあんのかい?」
芳太郎が話を促してやると、グリモが
「冬から春先までは乾燥するのである。ホッホ」と答えた。
「では火災が起きたのは?」
「確かに春先じゃった……。五、六年前の事じゃ。その日は珍しく空の調子が悪く、ずっと雷鳴がしておった。一際大きな雷鳴が聞こえると、森に火が……」
ヴァラクはエマの方に視線を呉れる。
「勇者さまたちになら、話してもいいの」
エマの言葉にヴァラクはゆっくり頷く。
「エマの父母は、森の動物を守るために動いたのじゃ。結果として多くの動物たちは助かったが、エマの父母は炎に巻かれ……」
「なーんだ!」
不意に京也が大声を出した。両手を腰に当て、漢字の「大」の形に胸を張った。
「エマちゃんのお父さんとお母さんが亡くなったのは、エマちゃんのせいじゃないじゃん! そんなに自分を責めちゃあいかん!」
エマは京也の発言にぽかんとする。
「そだねー。エマちゃんが夢を見たから亡くなったんでないよ。自分以外のものの為に命を張れる人がすっごく貴重なのは分かるしょ? エマちゃんは集落の人の為に死ねるかい?」
エマは睦にううん、と首を振り「死ぬのはこわいの」と言った。
「つまり、エマのおとっつぁんもおっかさんも、森を救ったスーパーヒーローってこった!」
エマは目を丸くして三人を見ると、目に涙をいっぱいに溜めてやがて泣き出してしまった。三人は泣き出したエマにあたふたしながらも、目一杯撫でてやった。
「一人でよく頑張ったな!」
「抱え込まなくて良いんだよ」
「あたくしたちで良けりゃあ、話聞いてやっから」
毛並みがぐしゃぐしゃになるまで撫でられたエマは泣きながら
「キョーヤ、ムツミ、ユズリハ、ありがとなの。エマがヘンな事言っても、ヘンな夢見ても、キライにならない?」
三人は「嫌いになる筈が無い」と答え、睦が
「エマちゃんはきっと、集落の中でも特別な子なんだよ。神様が時々、エマちゃんの身体を借りるの。変な夢を見てる時はエマちゃんに神様が降りてるんだよ」
と言ってひしとハグをした。
睦はエマの身体から離れると
「酋長は占いをされますよね。彼女──エマちゃんを補佐に付けてはどうですか」
「ううむ……」ヴァラクは困ったように眉を寄せ、苦笑しながら口を開いた。「確かに、儂の占いは村全体やオルドネール全土に関わる大きな動きについてぼんやりとした兆しが分かる程度じゃ。例えば、『異世界から勇者が現れる』くらいの話じゃな」
彼は首を振りながら続けた。
「じゃが、それがいつ、どこで、どのように起こるかまでは掴めん。具体的な事は儂には分からぬのじゃ。お主らにタマの神殿に向かうよう言ったのも、勇者が現れた時はそうせよといった慣わしに従っただけじゃからな」
睦はヴァラクに向き直り、言葉を選びながら話す。
「先ほど少し口にしましたが、自分たちの世界でも『シャーマン』と呼ばれる人々がいました。彼らは人々を導き、時には災厄を予見する力を持つと言われています」
少し間を置き、エマを見つめながら続ける。
「エマちゃんの場合も同じかも知れません。これまで彼女が語った事が現実になった事例が幾つかあるなら、きっと彼女は『特別な感覚』を持っているのでしょう。それはきっと、神様が与えた才能です」
ヴァラクはハッとした顔で「そういえば」と語る。
「この子は一昨年、森が水不足に陥った際に雨乞いの方法について言っておった。集落の皆はいつも通り村の隅にある祭祀場で雨乞いをしておったのじゃが、一向に効果は無く……。この子が『大きな木の側』と呟き、そこでこの子が雨乞いをしたら成功したことがあったのう」
ヴァラクはエマの頭をぽんぽん、と愛おしそうに叩いた。
「エマの言葉は儂のぼんやりとした占いと違って、具体的じゃ。思えば『雷』や『大きな木の側』と言った時のエマはまるで神そのものが語っているようじゃった。これほど具体的な神託を伝えられる者は、儂が生きてきた中でもおらんかったわい。エマは本当に選ばれた子なのじゃろう。ムツミ、お主の言う通りエマに占いを手伝ってもらうとするかの」
ヴァラクの決断に、エマは不安そうに顔を上げた。彼女の耳がぴくりと動き、視線は睦に向けられる。
睦は静かに微笑みながら優しく言った。エマの存在がどれほど重要で、集落の人々の希望になるかを。それを聞いたエマは、ぱあっと顔を明るくすると「占いのお手伝いするの!」と意気込んだ。
「さて、夕餉の時じゃな」
ヴァラクのごつごつした手が、エマの毛並みを整えるように撫でた。
「グリモの家で食べるのじゃったか」
「ホッホ。酋長もご一緒しますかな? これから夕食を摂りながら、ムツミ君たちにオルドネールの暦と神話について教えようと思っていたのである。神話については酋長の方がお詳しいでしょう? ホッホ」
「エマもいっしょ?」
エマは耳を垂れさせて遠慮がちに訊く。三人は顔を見合わせ、エマへ笑顔を向けた。
「一緒に食べるべや」
睦がそう言うと、エマはヴァラクの陰から飛び出して睦に抱き付いた。
ここまでご閲読ありがとうございます!
次話、第三話にてヴァールネスト編は終わりとなります。どうか次回もお楽しみに。