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第一話 荒野を抜けて

本編、始まります。

ここから第3話までが『ヴァールネスト』編となります。

「芳ちゃん!」

「やっと追い付いた……」

 (むつみ)京也(きょうや)が肩で息をしながら芳太郎(ほうたろう)に声を掛けた。百足(むかで)の魔物・スケイルワームの一群からは何とか逃げ切った。しつこい個体だけが京也の服のだぶついた部分に噛み付いてぶら下がっている。

「おい、しつこいぞお前!」

 京也がスケイルワームの頭を叩くが、びくともしない。

「懐かれたんでない?」

 睦が冗談めかして言うが、その顔は引き()っている。大きな虫全般が苦手なのだ。

「違う! 感触が無い!」

 何度叩いても手応えがない。

「……これ、まさか」

 芳太郎も試しに拳を振るが、全くダメージが通らない。

「え、ゲームだったら魔物倒せば経験値入るのに。で、レベルアップって寸法」

 京也がぼやくが、睦は溜息をついた。

「ゲームじゃないしょ。ほっぺつねろうか?」

「それにしても、どこだここ? 夏みてぇなとこを冬服で走ったからあちーな」

 芳太郎はコートを脱いで腕に掛け、袖を(まく)った。

「え、何? やっぱ、これって夢? 酔い潰れて寝ちゃったんかやぁ?」

 そう言いながらコートを脱ぐ京也の頬を、睦が思い切りつねる。

「いでで、むっちゃん何すんの!」

「うん、夢でないみたいだな」

 睦は冷静に状況を分析し、自らもコートを脱いだ。

ちみくる(つねる)なら自分のほっぺにしりん!」

「え、嫌だよ。痛いべさ」

 軽く口論になる二人を(なだ)めるように、芳太郎が口を開く。

「まあまあ、お前さん方。ここで小競り合いしてたってしょうがないだろう。ここぁ一体(いってぇ)どこなんだろうねぇ」

 京也がウルフカットの襟足を手首につけたヘアゴムで()わきつつ、むくれて言う。

「そんな事言われても……芳ちゃん、一目散に逃げたじゃん。オレたち誰もここがどこか分からんよ?」

 睦も腕で汗を(ぬぐ)った。

「ペリュスの荒野だっけ。なまら暑いな……」

 三人は「焦っても何も状況は好転しない」という結論に至り、落ち着いて行動することにした。全員で辺りを見回すと、茂みが点々とあり、所どころに木陰があることが分かった。森が近いのかも知れない、と三人は木陰で休むことにした。

「喉渇いたー……」京也はげんなりした様子でへたり込む。

「うーん、果汁のある木の実とか()ってないのかな」

 睦は余計な体力を使わない為にその場に留まったまま、きょろきょろと辺りを見てみたり地面を探ったりしている。

 その時、三人の背後からがさり、という音がした。茂みが揺れたようだ。

「何だ?」

 三人が振り返ると、そこには淡い緑色をしたスライム状の魔物が(たたず)んでいた。

「なあ……コイツ倒したら、水分補給出来るんじゃねぇか……?」

 芳太郎がごくりと喉を鳴らした。

「レベルアップもするかも……」

 京也はじわじわと魔物との距離を詰めていく。

「ちょっと⁉︎ それ食べるの⁉︎」

 睦の顔が蒼くなる。ここで得体の知れない何かを食べたら、人間としてのプライドが傷付きそうな気がした。睦の声を背に京也は「チェストー!」とか言いながら果敢(かかん)に魔物へ立ち向かう。

 しばらくして。

「貴様……」

 緑色のスライムは依然としてそこに佇む。

何故(なぜ)生きとるー⁉︎」

 京也の絶叫が辺りに響いた。

「そりゃ討ち取ったと思ってた強敵と再相対(さいあいたい)した時の台詞だよ」

「バトル漫画あるあるかな?」

 芳太郎と睦は、ひ弱そうな魔物一匹倒せない京也を茶化した。

「いや二人とも、マジだで! どえらい歯が立たんの!」

 京也は必死に訴える。本当に攻撃が通らないのだ。

「京ちゃん、よく見てみなよ、真ん中に(コア)みないなのがあるべ? あれを壊せば倒せるんでないかい?」

 睦はそう言うと、んー、と声を漏らし

「投げ技や絞め技効きそうな相手には見えないから……殴ってみるべか」

 スライムに向かって正拳突きを繰り出した。

「あれ?」

 睦の拳はスライムの核に届くことは無く、ぷにぷにとした柔らかい外皮に弾かれた。

「全然効かないんだけど!」

「ほいだで言ったじゃん、歯が立たんって」

 スライムはこちらに敵意は無いようで、ただ佇んでいる。

「こりゃあ……遭難したかもねぇ……」

 芳太郎は遠い目をした。

「そだねー……」

 睦もどこか遠くを見た。

「何しとるん、二人とも! こういう時はちゃっと(急いで)助けを呼ばにゃ! 誰かー! 助けとくれましょー!」

「いたぞ! 人だ!」

 矢が飛んできて、スライムの核を射抜いた。核を壊されたスライムはその場にどろりと溶けた。

「今度は何⁉︎」

 茂みの奥から現れたのは……巨大な影。最初に姿を現したのは、焦げ茶色の毛並みを持つ巨大なヒグマの獣人。 獣耳、鋭い爪、肩幅の広さ。まるで森の守護者のようだった。

 続いて、虎の獣人が現れる。引き締まった身体付きと無数の傷痕。

 最後に、赤茶色の狐の獣人。ふわりと揺れる尻尾が、得も言われぬ神秘性を(かも)し出す。

「おーい! 大丈夫、君たち⁉︎」

 三人の獣人はそれぞれの種族特有の動きで三人を囲むように立ち、まるで獲物を観察するように静かに視線を交わしていた。しかし、その目付きに敵意は無く、むしろどこか警戒心を解こうとする柔らかさが含まれていた。

 芳太郎と京也は「とりあえず助かった!」と喜んだが、睦は「ヒグマの獣人」に気付くや否や顔面蒼白になり、腰を抜かしてしまった。

「ああ、可哀想に。こんなに怯えて……」

 圧倒的な体格を誇るヒグマの獣人が(あわ)れむように言った。

「むっちゃん? オレたち助かったじゃん」

 京也が呼び掛けても睦は譫言(うわごと)のように「食べないで……美味しくないから……」と繰り返すばかりだった。獣人たちは一様に首を傾げている。

「ちょいと失礼しやすね」

 睦の隣にいた芳太郎が、スパァン! と睦の頭を()(ぱた)いた。一同は呆気(あっけ)に取られる。

「落ち着け。相手は言葉が通じんだ、怯えなさんな」

「え? でもヒグマっしょ? え?」

 芳太郎と睦の二、三の遣り取りを見て事態を理解した京也は、獣人たちに事情を説明した。

「あー……彼の出身地には、アンタくらいかそれ以上の人喰いグマが出るので、パニクったんだと思います……」

 それを聞いたヒグマの獣人は、太く(たくま)しい爪を器用に使って申し訳無さそうに頭をぽりぽり()いて

「すまない、私が怖がらせていたとは知らず……」と詫びた。

 とりあえず救助されたという状況を飲み込めた睦は早速

「言葉、通じるんですね。自分たち、オルドネールの人間じゃないのに」

 言語の壁について(たず)ねていた。この群れを率いていると(おぼ)しきヒグマの獣人は答える。

「オルドネールの人間ではない? あなた方は私たちと同じ『オルディール語』を話しているじゃないですか」

 虎の獣人が言った。

「でも、そうなんじゃない? 見たこと無い服装してるよ」

 今度は狐の獣人が口を出す。

「あなたたち、季節外れの格好ね。今がいつだか分かるかしら?」

 三人は何から答えたら良いか分からなくなり、しばし黙った。睦が口火を切る。

「こちらの言語はオルディール語というのですか。どんな文字を書きますか」

「え、今は西暦二○二五年の一月じゃないのかい」

 芳太郎は(こよみ)について訊ねた。狐の獣人は「あら、いやね」と言うと

「今は大結印暦(だいけついんれき)一二六五年の七月よ」

 と、それが当たり前であるように答えた。

「え、文字? 知らないの?」

 虎の獣人が手頃な棒切れを近くの地面から拾って来て土の上に文字を書いた。

「オルディール語が分かるなら『ルメノ文字』も読めるんじゃないの?」

 虎の獣人は、えっへんと胸を張る。「ルメノ文字」と呼ばれた文字は、異世界の暗号めいていた。

「よ、読めない……。でも、見覚えはある」

 京也が額に皺を寄せる(かたわ)らで、睦の目に光が宿る。

「これ、ローマ字だ」

「どこが⁉︎」

 睦の分析に京也は驚きの声を上げた。すると横で芳太郎も「言われてみりゃあ」と言う。

「京太郎、先入観捨てて頭柔らかくして読んでみろ」

「下に対比で普通のローマ字書いてあげるから」

 睦は虎の獣人から木の棒を受け取って、ルメノ文字と対比になるようにローマ字を書いた。睦が書いたのは、

KONNICHIWA(こんにちは)

「『日本人にだけ読めないフォント』前に話題になったの、覚えてるかい? そのフォントがこのルメノ文字って訳。見覚えの正体は多分それだべな。ほら、片仮名のケに見えるのがKで、ロに見えるのがO……」

 睦が京也へ丁寧にルメノ文字とアルファベットの相似点を教えると、やがて京也お何となく理解した。

「あなた方はオルドネールの人間ではないと言いますが、そのローマ字? とか言うのがあなた方の使う文字なんですか?」

 ヒグマの獣人が睦に訊ねる。

「うーん……部分的にそう、という答えになりますね……」

 獣人たちは三人に背を向けると、何か話し合い始めた。何を話しているかは聞き取れなかったが、何か真面目な話をしているようだ。

「そういやぁ、」芳太郎が話題を変える。「熊の旦那、さっきはどうしようも無いとこを助けてくれてあんがとよ!」

「え、ええ」熊の旦那と呼ばれたヒグマの獣人は少し戸惑った。「あなた方は『プラントスライム』相手に何をそんなに手こずっていたんですか」

「プラントスライムってぇと……さっき旦那が射抜いてくだすった、これ?」

 芳太郎が足元を指すと獣人たちは頷いた。

「こんな雑魚一匹も倒せないなんて、君たち無職なんじゃないのー?」

 虎の獣人がからかい半分で言う。

「無職?」

 芳太郎、睦、京也の三人はそんな筈が無いと鸚鵡返(おうむがえ)しに訊き返してしまう。

「あたくしは落語家でさぁ。なあ?」

 と芳太郎が。

「うん。自分は一応、考古学者で……」

 続いて睦が。

「ほいでオレが物理学者みたいなもん」

 最後に京也が。

「本当かなぁ〜?」

 虎の獣人が(いぶか)っていると狐の獣人が話し掛けてきた。

「貴方たち、ステータスの開き方は分かる? そこに職業(ジョブ)が書いてあるのだけれど」

「いえ……分からないです」

 睦がきょとんとした顔でそう言って、京也と芳太郎は「そもそもステータスとは何だ」との旨を口にした。三人は、いよいよゲームじみてきたと感じる。

「では、私が手本を見せますので三人は私に続いてください。ステータス・オープン」

 ヒグマの獣人が自身の〝ステータス〟を開く。

「ステータス・オープン」

 三人も続いて唱える。

「HPやMPなど、項目が色々ありますが、今はそれらを無視して名前を年齢のすぐ下辺りを見てください。そこがジョブの欄です」

 三人は言われた通りにステータス画面を見ていく。ご丁寧にオルディール語から日本語にローカライズされた画面に記された職業は……。

「……え?」

 三人は絶句した。

 そこには「無職」の二文字。

「えっ……何? えっ⁉︎」

 京也が画面を二度見する。

「いや、何かの間違いだら⁉︎」

 芳太郎と睦も画面を覗き込むが、彼らの職業欄も同じく「無職」。

「あちゃあ」と虎の獣人が溜息をついた。

「あのう、無職だとどうなるんです?」

 芳太郎は背中に(いや)な汗をかいている。

「魔物に太刀打ち出来ませんね」

「戦っても意味無いよー?」

「そもそもダメージが通らないですもの」

 三人は異世界で「最弱の存在」であることを知るのだった。

「オレ、元の世界に帰りたいんだけど」

 京也は意気消沈して項垂(うなだ)れる。

「帰るっつったって、どうやって」

 芳太郎は困り顔で、自分も途方に暮れていることを表した。睦はというと、

「自分たち、オルディール語? は話せているんですよね。だったらルメノ文字を教えてください! あと、この世界の大まかな地図、地形、それから数の数え方と、あるなら助数詞も教えてください! 只でとは言いません。自分たちがいた世界の事が知りたければ教えますし」

 この通り、未知の文明に首ったけだ。

「一人だけあんな調子だし」

「ホントにねぇ。住むんじゃないんだから」

 京也と芳太郎は、さっきまで獣人に怯えていた睦が積極的に輪の中に入っていくのを遠巻きに見ていた。

「あ、労働力が必要であれば力をお貸しします。何たって三人いるので!」

「あたくしもかい⁉︎」

「オレもかよ⁉︎」

 笑いが巻き起こると、ヒグマの獣人は言う。

「いえ、あなた方はお疲れでしょうから集落に案内しますよ。酋長(しゅうちょう)もきっと客人を喜ばれる」

「異世界からの客人だからねー」

 虎の獣人は能天気に言った。

「自己紹介がまだでしたね」ヒグマの獣人は(うやうや)しく名乗る。「私はカイ。集落の狩人で、こんな(いか)つい(なり)ですがジョブも狩人です」

「お勉強とかは、明日になってからでも大丈夫でしょ。あたしはミュー。ジョブは戦士! 力比べなら負けないからねー」

 虎の獣人、ミューがお気楽に頭の後ろで手を組む。

「わたくしはリナ。集落の狩人ですが、ジョブは盗賊(ローグ)ですの」

 狐の獣人、リナは(しと)やかな口調で言う。

「自分は、」睦から自己紹介をする。「四月朔日(わたぬき)睦と言います」

「ワタヌキムツミ? 随分長い名前だね」

 ミューが指を折って音数を数える。

「あ、すみません。癖でフルネームを……。名前は睦と言います」

「ムツミさんって(おっしゃ)るのね。素敵なお名前」

 リナは睦の非常に良く整った顔を見てロックオンした様子だ。リナの距離が近くて、睦はどぎまぎしてしまう。

「この世界では、その、フルネームを名乗る習慣は無いんですか」

 睦の声が上擦る様子を見て、芳太郎は笑いを堪えるのに必死だ。

「ええ、少なくともわたくしたちの集落には無いわ。そういうのは町で暮らしている人か、お貴族さまの習慣ね」

 リナの身体が更に睦に密着しようとする……ところで芳太郎が割って入った。

「するってぇと、リナさんや。お前さんとこの集落では分かりやすい名前を名乗った方が良いのかい」

 そう言ってリナの肩を抱き寄せ、それとなく睦から離してやる。睦は口パクで「ありがとう」と言った。芳太郎はウィンクで応える。リナは芳太郎の美しい顔にも見惚(みと)れ、その胸板を借りて「ええ、そうね」と答えた。

「そんじゃあ、あたくしの事は(ゆずりは)と呼んでくだせぇ。名前じゃなくて苗字なんだけど、『芳太郎』より馴染みが良いだろ?」

「そう、ユズリハさんね」

 芳太郎がリナに笑い掛け、リナが頬を染めた……様に感じる。

「あの二人、今晩にでも寝そう」

「心配要らないって」

 京也が、芳太郎は女なら何でも良いのかと胸焼けしそうになって独りごちると、ミューがその心配は要らないとフォローした。

「そうなん? あ、まだ名乗ってなかったな。オレ、京也」

「キョーヤね! うん、リナはああ見えて旦那さんと子供がいるからね」

 ミューは京也にとって不思議な事を言う。

「うん? 旦那と子供がおることがどう関係するんだ? 不倫出来るら」

 リナから解放された睦も加わって、そうだそうだと|頷《》く。

「ダメだよそんな事したら!」

 ミューがいやに慌てた口調になる。

「不倫すると、どうなるんですか」

 睦は何が起こるか薄々勘付きながらも、一応訊ねる。

「集落の掟で男は()()を切り落とされて、女は生きたまま火で焼かれる」

 ミューは戦士のくせにグロテスクな話は苦手なのか、かたかたと震えていた。毛皮の下は蒼褪(あおざ)めているのだろう。

「やっぱり、姦通罪(かんつうざい)があるんですね。男性と女性で刑罰の重さが違うのは、サウジアラビアに近いのかな。いや、でも最近はそんなに……」

「あ、でも!」ミューは付言(ふげん)する。「結婚する前は、何人の異性とお付き合いしても良いんだよ。最初から一人に決めちゃってたら、結婚してみて実は相性サイアクでしたーってなりかねないからね」

「面白い風習ですね」睦の表情が和らいだ。

「かんつうざい、って?」

 京也が睦に質問をぶつける。

「ん、ああ。不貞行為に対する罪状の事。日本にも昭和初期頃まであってね、江戸時代には不貞行為をはたらいた両方死罪になったらしいよ」

「へえ、むっちゃん物知り〜」

「史学科卒舐めんな」


    *


 荒野を離れ、点在する茂みの更に奥へ進むと、鬱蒼(うっそう)とした木々が立ち並んでいた。カイが言うには、ここは「セプターの森」というそうだ。彼らが暮らす集落は、森の中腹にあるらしい。

「森を越えれば、薬師(くすし)の里・フロリヴェールです」

「フロリヴェール?」

 睦が訊ねるとリナが答えた。

「森を抜けた先にある里よ。わたくしたちの集落と同じでヴェルディエ公国の一部なのだけれど、薬草が豊富に採れる場所で、エルフたちの里でもあるの。エルフは気難しいから外の人はあまり寄り付かないのだけれどね」

「ヴェルディエ……?」

 地理が苦手な京也は、次々と出てくる地名に頭が混乱して口から煙が出て来そうになっている。

「リナ! 一度に言われたって分かんないよ。キョーヤが固まっちゃった!」

 リナやミュー、カイにとって当たり前の知識が、睦、京也、芳太郎の三人にとって新鮮だ。

「つまりなんだ、この森が薬師の里と荒野を隔てる壁って訳かい」

 芳太郎が木々を見上げながら言う。日光が木洩(こも)れ日となって差し込み、森の中に独特の静寂と神秘的な空気を漂わせていた。日陰だし、風も吹き込んで、荒野よりは涼しい。

「そういう事です」カイが答えた。

 森の中にはほとんど魔物の気配が無かった。時々小さなスライムは出現するが、カイたちが威嚇すれば逃げて行った。

「と言っても、この森も時々スケイルワームくらいは荒野から迷い込むことがあるからね。気は抜かないで。特に無職の三人は!」

 ミューは時折後ろを振り返りながら、三人に注意を(うなが)した。「無職」という言葉が耳に痛い。

 更に森の奥に進むと、次第に空気が(ひら)けてきた。湿った土の香りと共にかすかに焚き火の煙が漂ってくる。

 開けた空間に、獣人たちの集落が広がっていた。森の木々を巧みに利用して作られた住居が、地面から空中まで立体的に配置されている。木の上には足場や小さな橋が架けられ、住人たちが行き交っていた。狩ったばかりの獲物が吊るされ、一部は燻製(くんせい)にする準備が進められているようだ。

「着きました。ここが私たちの集落です。ようこそ、『ヴァールネスト』へ」

 控えめにカイが言う。

「凄い……まるで、森と一体化してるみたいですね」

 睦が感嘆(かんたん)の声を漏らし、芳太郎も頷いた。

「粋な暮らししてるねぇ」

 いつの間にやら芳太郎と組んでいた腕を解いたリナは、

「歓迎するわ、疲れたなら座って。飲み物が要るわね」

 と言って近くの広場に案内する。そこには木製の簡易的な椅子やテーブルが置かれ、住人が穏やかに談笑していた。住人は興味深そうに三人を眺めながら一言二言互いに言葉を交わすと、親しげに声を掛けてきた。

「外の人間なんて珍しいな!」

「ゆっくりしていけよ」

 その友好的な態度に、京也は緊張が解けたように胸を撫で下ろした。

「むっちゃん、芳ちゃん。思ったより平和そうな世界で良かったな」

「そだねー。少し休んだら勉強するべか」

 睦の目は期待に輝いている。

「勉強って?」

「そりゃあ、この世界について!」

 京也と芳太郎はずっ()けた。

「ユズリハさん、ムツミさん、キョーヤさん。酋長がお呼びです。こちらへ」

 カイは三人を酋長の住まいへ案内する。

 セプターの森の緑に包まれたヴァールネストの中央奥には威厳を放つ酋長の住まいがあった。石と木を上手く組み合わせたその住まいは、森の自然と完全に調和していた。入り口にはトカゲの彫刻が施されたトーテムが立ち、そこに描かれた目は鋭く、訪れる者を見定めるようだった。

 家の中に入ると、湿った空気に森の香りが混ざり、どこか落ち着く感覚を呼び起こされる。中央の火鉢からは香草の焚かれる香りが漂い、その煙が柔らかく天井へと昇っていく。壁には古代の地図や獣人たちの歴史を記したであろう絵が並び、集落の歴史を物語っていることが(うかが)えた。

 火鉢の向こう、部屋の奥には酋長らしき背中が見えた。彼の身体は灰色と黒の(まだら)模様の鱗に覆われ、巨大な尾を持った、大きなトカゲのようだった。腰は曲がり、長い年月を生きたことを表していた。

「酋長、お連れしました」

 酋長と呼ばれたトカゲの獣人は、全盛期の自分の背丈ほどの長い杖を握り、ゆっくりと三人の方へ振り返った。

「よく来た……旅の者よ」

 低く響く声が部屋に満ちる。金色の目が鋭く光り、場の空気が引き締まるようだった。

「お主らが、異世界より来た者か……」

 三人は息を呑んだ。

(わし)はヴァラク。ヴァールネストの酋長じゃ」

 カイが飲み物の支度をし、三人の前に出す。

「お招きいただき、感謝致します。自分は睦と申す者です。右手におりますのが京也、左手におりますのが楪と申します。代表してご挨拶申し上げます」

 睦が三つ指をついて深々と頭を下げ真面目に挨拶している最中(さなか)、京也と芳太郎はゆったりと腰を下ろして物珍しそうに酋長の家の中を見ていた。睦はこうなることを見越して黙って代表を買って出たのだ。

「ほっほ。そう固くなるでない。……ムツミと申したか。(おもて)を上げよ。カイ、下がって良いぞ」

 ヴァラクは年輪のように刻まれた顔の皺をくしゃりとさせて笑った。カイは「失礼します」と告げてヴァラクの家を出た。

「有難く存じます」

 睦は顔を上げた。ヴァラクが口を開く。

「カイから大方(おおかた)話は聞いた。お主らはオルドネールの人間でないとか……」

「あ、そうなんすよ。元の世界に帰りたくても、帰る方法が無いって言うか」

「酋長さんほどの方なら、その辺りの事についてお知恵を貸していただけるかも……と思いやして」

 それぞれ好き勝手な事を言う京也と芳太郎に、睦が鉄拳制裁を加えたのは言うまでも無い。

「痛いじゃん!」京也は殴られた箇所をさする。

「相応の振る舞いがあるしょや?」

「すいやせんね。あたくしたち、いっつもこんな調子で」芳太郎が調子良く軽口を叩いた。

「良い、良い。お主らは仲が良いのじゃな」ヴァラクは楽しそうな顔を作ると「して、元の世界に帰る方法じゃったかの」と話を本題に戻した。

 朗らかだったヴァラクの顔が途端に険しくなった。額を杖に当て何かを考え込んだかと思えば

「新たな勇者が現れる日は近い……」

 と、三人が聞こえないほど小さな声で呟いた。

如何(いかが)なさいましたか、酋長」

 睦が声を掛けると、ヴァラクは金色の目を大きく(みひら)いた。

「ムツミ、キョーヤ、ユズリハ。そなたらは明後日(みょうごにち)の朝、『タマの神殿』へ向かいなされ」

「え? そうするとオレたち、元の世界に帰れるんですか」

 京也がお気楽な感じで訊ねる。

「伝説が今再び……嗚呼、大いなるアリシエラ様、彼らをお(まも)りください。タマ様、彼らにお導きを」

 ヴァラクは手を合わせ、恰度(ちょうど)祈りを捧げたような格好になった。

「酋長、お話が見えないのですが」

 睦がヴァラクの様子を窺いつつ話し掛ける。

「明後日、タマの神殿に行けばお主らの使命は明らかになろうぞ」

「使命?」京也は怪訝(けげん)な顔をした。

左様(さよう)。お主らがここ、オルドネールに来たのは大いなる神・アリシエラ様の(おぼ)()しに違いない」ヴァラクはしみじみ言う。

「神様の思し召しってんなら、今日にでも出発した方が良いんじゃあないですかい?」

 芳太郎の(げん)に、睦も京也もそうだそうだと頷いた。

「何故、明後日なのですか」

 睦が率直に訊ねると、ヴァラクはやや難しい顔になる。

「今日はもう日が沈む。夜は魔物の時間。昼間は穏やかなセプターの森も、物騒になる。明日(あす)は明日で赤い月・エルセールが満ちる。赤い月(エルセール)が満ちる日は魔物たちの動きが活発になるのじゃ。無職のお主らを送り出すのは危険すぎる。それに……」

「それに?」睦は話の続きを促す。

「お主らはルメノ文字も読めんし、計算も分からんときた。明日は基本的な勉強じゃ!」

「うへぇ……」

 京也の身体から力が抜けた。

「そんな、只で教育を受ける訳には……」

 遠慮する睦にヴァラクは

「ヴァールネストは今、娯楽に飢えていての。何か面白い話が聞きたいのじゃが……」

 と曲がった腰をさする。睦と京也は、自然と芳太郎の方を見た。

「はいはい、あたくしの出番って訳ね。そうだねぇ……」芳太郎は二人の意図を汲む。「酋長さんや。ヴァールネストで(きれ)ぇな奴ぁいねぇ、って食いもんは何でございやしょう」

「うん? 燻製肉じゃろうなあ。鹿の燻製は美味いぞ。タレンディアは毎年よく()れる」

 ヴァラクは、芳太郎の質問の意図がよく分からないまま答える。

「それじゃあ、タレンディアの燻製に良く合う飲み物は何でございやしょう」

 芳太郎の質問から、彼が何をしたいのか悟った睦と京也の顔に笑みが(こぼ)れる。

「何じゃ? 食文化にでも興味があるのかの? タレンディアの燻製といえば、ソルヴェインエールじゃよ。老若男女問わず人気じゃ。勿論(もちろん)、儂も好きじゃぞ」

 ヴァラクは嬉しそうに語った。

「タレンディアの鹿肉燻製に、ソルヴェインエールでございやすか、ははあ。しかと覚えやした。あたくしがひとつ、(はなし)をしてご覧に入れやしょう。一席(あつら)えてくださいやせんか」

 芳太郎が得意満面になってウィンクした。

「芳ちゃん、稽古も付けないで平気?」

「あたぼうよ、睦! あたくしを誰だと心得る。天下の噺家・笑福亭(しょうふくてい)弥次郎(やじろう)たぁ、あたくしの事よ!」

 そう言って芳太郎は普段の猫背を直して胸をドンと叩く。

「ふむ、一席。面白い話をしてくれるのかの? 良かろう、今宵は歓迎会じゃ! 皆の者、宴の支度をせよ!」

 こうして三人は、初めての異世界の温かな歓迎を受けることになった。

ここまでご閲読ありがとうございます。ヴァールネストは構想の段階では無かったのですが、オルドネールの地図を描いていたらなんとなく出来ました。割と行き当たりばったりで書いています。設定は生えるものなので……。

次回もよろしければ楽しみにしていてください。

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