確証
自我がはっきりした時期がいつだったかは覚えていない。だからきっと、元の自我と前世の人間としての自我が混ざっているのだろう。ただ、今の感覚に落ち着いてから、この世界がとある恋愛RPGゲームの内容であることに気づくまではかなりの時間を要したことだけは良く覚えている。それに気づいたのは、自身の家名を知ったときだ。
おさらいがてら、身の上話を少し。
自分はリューゲ・ノルデン。エーヴィヒ王国の辺境に領地を持つ、いわゆる〝辺境伯〟の地位についているノルデン家の息子――次男だ。
兄は昨年より、王都にある唯一の学園であるソルセルリー学園に通っている。そのため、兄は叔父が管理している王都側の屋敷で生活している。学園では領地学を学んでいる。どうやら、将来は実家を継いで領地の発展に寄与するらしい。随分と殊勝な心がけだと、子供心ながらに思ったことがある。性格は優しく、もっと正確に言うならば、博愛主義者という言葉がぴったりだろう。十も年の離れた弟が勉強の邪魔をしたところで怒ったり煙たがったりしない、素晴らしい兄だ。それでいて成績上位者だとメイドが噂していたので、信憑性はともかくとして、素直に感嘆の意を示さざるを得ない。
父は言わずもがな、辺境伯の名をほしいままにしている。領地の発展を第一に考え、朝起きてから夜寝るまで(自分が見た中では)一日中書斎に籠もりきっている。領地に尽くす、素晴らしい人格者だ。――というのが世間一般の評価。自分から見た父は、家のことをおざなりにするただの野心家である。領地を発展させようとするのは評価されるためで、家のことより領地のことを第一に考えたほうがより良い評価につながると言う合理的、打算的な考えのもと、優先順位をつけて仕事を行っている。恐らく、単に権力が欲しいだけではなさそうなので、利己主義者という言葉が当てはまるだろう。
ともかく、そんな優秀な兄と父を持っているのだが、残念ながら、俺はそんなノルデン家の出涸らしのようだ。魔術、剣術、座学、どれを取っても評価は『それなり』でしかない。当然、ノルデン家での居心地は最悪に近しい。父は兄にも同じ態度だったし、兄は誰にでも優しかったからさほど変わらないが、問題は侍女執事だ。権力を笠に着るつもりは毛頭ないにしても、仕えている立場のヤツらが兄と自分で態度を変えるのは至極気に入らない。それに、出涸らしだとしても貴族の末席に加わっていることに変わりはないのに、果たしてそのことに気づいているのだろうか。我が家が一世代のみの子爵家というわけでもあるまいし。自分が告発すれば、恐らく不敬罪に当てはまることだろう。それほどまでに、貴族の権力というのは強い。無闇矢鱈に振り回すのは、元日本人の道徳心的にしたいとも思わないけれど。
いずれはこの家を出て行く身だ。騎士団に所属したいとも思わないし、貴族社会など庶民にとっては荷が重すぎる。多少苦労をするにしても、平民として生涯を終えたほうがマシである。
以上が自分の身の上話、もとい、ノルデン家の家族構成及び自身の紹介だ。
とはいえ、今話した内容はゲームに直接的な影響を及ぼすものではない。問題は、学園に入った後のことだ。
ソルセルリー学園は、学園外での身分を反映しない、という決まりがあるものの、実際はそんなルールは形骸化している、ということが前提である。学園は貴族子女が多く集まるため、貴族社会が学園内で形成されるのは当然とも言えよう。
話は変わってゲームの話。ゲーム内でも勢力が別れているのは同様で、第一王子が味方側、第二王子が悪役側として描かれていた。そして、第一王子は攻略対象の一人である。ノルデン家を含む一割ほどの貴族が第二王子側についている。残りはすべて第一王子側だ。こうも勢力差があからさまに偏っていると、王座を奪おうなんて気力すら起きないのだろうが、さすがは乙女ゲームの世界なだけある。第二王子は執拗に狙ってきて、最後は呆気なく散る。
それがプレイヤーから見た概要。他にも何人か主要人物はいるが、それは割愛するとして。
ゲーム内における自分の役割はただの取り巻き。それが第一王子、シュリヒト・ツェントルムであれば今のように憂うこともなかったのだろうけれど、ノルデン家は第二王子派閥。必然的に、取り巻く相手は第二王子であるアオフリヒ・ツェントルムとなる。さらにタチの悪いことに、俺――『リューゲ・ノルデン』は積極的に加担するタイプだった。彼は、俺たち取り巻きに乗せられて、国家転覆を目論むのだ。自分たち取り巻きに乗せられたアオフリヒは、散るその瞬間にとあるセリフを言う。どうしてこんな事を? と尋ねたシュリヒトに、アオフリヒは『俺はただ、褒められたかった。それだけでよかった』と言うのだ。同情と共感を呼ぶそのセリフは、多方面の人間へと突き刺さった。もちろん、二次創作も盛り上がった。
と、かなり話がそれてしまった。そのことから分かるように、ゲーム内での第二王子は、完全悪というわけではない。だから、彼さえ乗せなければ、自分が生きながらえる道はあるということ。とは言え、彼の言動を矯正している間に不敬罪で殺されたり、間に合わずに処刑されたりしなければ、の話だが。
もう一つ、成功すれば確実に生きながらえる方法はある。簡単な話だ。第一王子側に付けば何の心配もいらない。だが、ノルデン家が第二王子派閥である限り、それは難しいだろう。いくら口では第一王子派閥に行きたいのだと言ったところで、能天気王子はともかく、他の貴族にはスパイだと思われて終いだ。日本と違って、この世界ではあまりにも家名の持つ意味が重すぎる。
「おわった……」
頭を抱え、ベッドの上でのたうち回る。現在時刻朝の七時。通常であれば訝しげに見てくるのであろう侍女は一人もいない。執事もいない。代わりにあるのは、今後死ぬ未来である。死ぬ未来とと部屋付きの有無を逆にしてほしい。まぁ、日本男児の心境的には、どこへでもついて回られるような人がいるよりは、いないほうがマシだけれど。
今まで通りであれば、侍女が部屋へと来るのは昼過ぎ。その間に朝の支度諸々を終わらせて、書庫で本を読む。どうやら父には、出涸らしに払ってまで家庭教師をつけるお金もその気もないようだ。最低限、世間への体裁のためにソルセルリー学園には通わせるつもりのようだが。この世界の常識を知らない自分が入学できるとも思えないが、入学試験に落ちても裏口入学させるつもりなのだろう。体裁が悪いから。夜会に参加していない時点で外聞が悪いような気もするが、十歳上の兄は学園に所属しているため容易には参加できず、弟である自分は齢五歳。数え年で六歳になる。これ幸いと父も夜会には出席せず。一応事情があると言えば貫き通せる時期だ。社交界でどう思われているのかも気になるが、とりあえず、将来的に入学することを考えると、このままでは学力が心もとない。裏口で入るくらいなら家出するのだが。そのために書庫で本を読もうと思う。
現在五歳。今の体躯はあまりにも小さくて不便だが、文句を言っている暇もない。体躯はガキ――子どもらしくとも、精神年齢はそれなりにある。多少なら、難しい本も理解できる……と思う。こういう転生モノは、大抵その国の政治と宗教を調べればだいたいわかる。もちろん、それぞれの風土というのはあるだろうが、宗教と政治は同じ国内でそう変わるものでもない。……はずだ。確かに、皇帝が変われば方針も変わるだろうけれど、それについては考えないものとする。変な動きをして怪しまれないと良い、とは思うが、大体の側付きは側についていないので、その点については問題ないだろう。普通は問題大有りだけど。
「とっとと着替えなきゃ」
服はクローゼットにあらかたある。すべて似たようなものだが。扉を開き、服を物色する。自分の体格にちょうど合うものはなく、少し大きめのズボンと、後五歳は上の人間が着るような大きさの、襟が丸く、装飾が一切ない服を着る。丈夫さはどう考えても劣っているが、ほぼ前世の服と見た目が変わらないため、正直ありがたい。ゴテゴテの服だと、着るのに時間がかかる。クローゼットから引き出した服を着用し、最後にズボンの裾を折る。見てくれはマシになったのではないだろうか。
「書庫行くかぁ」
自室から書庫までの長い廊下を歩く。どうやって部屋を出たかって? 簡単だ、椅子を引っ張って踏み台にしただけである。どうやら、見た目によらず、それなりに強い力を出せるようだ。
書庫に行くまでに、何を探すか見当をつけようと思う。欲しいのは政治経済、それから宗教。歴史は後回しでよくて、そのうち知っておきたいのは魔術と呼ばれるもの。入学前、兄上が覚えるために一時期だけ自分へ解説していた。その知識によると、魔術には二つの区分があり、魔術を利用することを魔術実践、研究することを魔術理論という。自分の解釈になるが、数学で例えるなら、お金を計算したり払ったりすることが実践で、学校で因数分解や微積などを学ぶのは理論に当てはまるのだろう。
魔術については、やはり異世界に来たのだし、知りたいところだ。だが、独学で行って成功する人間は少ない。それどころか、入学前に変なクセがついてしまうと矯正に時間がかかるなど、良いことなどなさそうだし、おとなしく兄上と学校に教わろうと思う。
「リューゲ坊がおいでなさったか」
「しょこのじいちゃん!」
書庫へと入ると、よっこいしょ、と重い腰を上げるように立ち上がり、一人の老人がこちらに寄る。あからさまなあどけなさを見せつつ、彼に駆け寄って笑顔を浮かべてみせた。
老人の名前はリーヴル。苗字はなく、ただリーヴルとだけ。現在は動きも緩慢で、ただの優しいじいちゃんにしか見えないが、どうやら執事筆頭だったらしい。現在の執事筆頭の父親で、書庫番は彼のお父上から引き継いだものだそうだ。彼が言うに、この書庫番は、執事筆頭が引退したときに際して新たに配属される先であり、執事は先祖代々彼の一族が仕えている。したがって、執事筆頭と書庫番は世襲制のようになっている。
「今日は何を読みたいのですかな?」
「きのうのつづき!」
「もう取ってありますとも」
優しげな笑みを浮かべ、じいちゃんはとある本を差し出した。さすが、元執事筆頭なだけあって仕事が早い。他の侍女たちと比べて、こちらを侮る素振りもなく、一人の人間として対応してみせてくれるのが好感触だ。彼も腹の底では自分の事を出涸らしだと思っているのかもしれないが、そんな内心を一切見せないような言葉遣い、柔らかな態度。さすがとしか言いようがない。
じいちゃんがあらかじめ取っておいてくれたのは、この国の歴史について書かれている本だ。できるだけ怪しまれないように、知能が高いと勘違いもされないようにと挿絵の多いものを選んだつもりだ。あくまでも、その挿絵を楽しんでいると思ってもらわなければ。あくまで絵本として読んでいると思われたい。読み方はじいちゃんが教えてくれたので、書くことはともかく、読むことはできる。表音記号の組み合わせで言語を表す。基本文型は主語、動詞、修飾語の順である。修飾語のところには形容詞や形容動詞が入る。それぞれの修飾は直前に置く。他に難しいことはない。私、走った、早く、昨日。なんていう順番である。ここの育ちでもあるためか、日本語や英語を覚えるよりよっぽど簡単だ。思いだそうとすれば日本語もかけるのだろうが、この世界の言語で書いたほうが簡単に書けるような気がしているのは、肉体がこの世界のものだからだろう。
昨日読んでいたことを思い出すと、この国を建国するきっかけになったのはとある部落抗争だ。とある、と言っても、古い時代にはよくあることで、自分の領地を広げ、また侵入されないようにするために隣り合う部落同士の戦争が始まるのだ。この土地を含む広大な国家の範囲は二つの部落で二分されていた。元来、数十の小さな集落が存在していたのだが、二大勢力である2つの集落に攻め入られ、取り込まれていく内に、二分する大きさに発展した。もはや集落という小さな単位でまとめられるはずもなく、部落と言って差し支えないまでの大きさになったが、その力はほぼ互角。しかしあるとき、ちょっとした隙をつかれ、形成は一気に傾いた。もちろん、度重なる抗争は互いを満身創痍にさせた。だから、有利なうちにと手を取り、一つの国家になるよう交渉を始めた。そうして建国されたのが『永遠』の意味を冠するこの国、エーヴィヒ王国である。
「今日は……建国歴五十年前期、第一次革命勃発」
第六代目国王が愚王だったようで、第二王子率いる数名の革命軍によって、たった一夜にして愚王が引き下ろされ、入れ替わるように第二王子が国王に即位した事件。当時の皇帝は鮮血王子と呼ばれていたそうだ。その名の由来は、皇帝派であり、行く手を阻んでいた物を斬り殺して回ったために被った返り血で、美しい銀髪が鮮血にまみれたからだとか、その瞳が鮮血のように紅かったからだとかと言われている。どうやら彼は誰かを娶ることもなく、国を建て直したあとは、すぐに年の離れた弟へと帝位を譲ったそうだ。一説には、身分の釣り合わない愛人と過ごすために隠居したという噂があったそうだ。過去の人間の色恋など、雀の涙ほどの興味すら抱かないが。
「建国歴百二十年後期、第二次革命――」
昨日今日と、それぞれ半日ずつかければ、さほど難しいものでもない歴史書は一通り読み終わってしまった。椅子から苦労して降り、両手で本を抱えてじいちゃんの元へと向かう。
「じいちゃん、今って何年?」
「今は……建国歴二百五十年ちょうどですな」
じいちゃんへ本を手渡しながら、読んでいて気になったことを尋ねる。独立したはずの公国が再び属国化したのが百九十年後期だから、五十年少し。その後大きな事件はなく、他国との戦争もないことを考えると、それなりに平和になってから時間が経っているようだ。やはり他のところでも政権争いはあったそうだが、血で血を洗うようなものはなく、作中でも戦争の描写はなかったことから、屋敷でおとなしくしていることが可能らしい。
「そろそろおへやにもどるね」
「また明日、来てくだされ」
じいちゃんへと手を振りながら書庫をあとにする。この時間帯ならば、父親は市井へと足を運んでいるはずだ。世話役は自室でのんびりしているか、掃除中の侍女と談笑でもしている頃ではないだろうか。自身の動向を気にする人間はおらず、それが返って行動しやすい。通常ならば、放置気味の子どもなど捻くれてしかるべきなのだろうが、残念ながら、一度大人を経験した自分からしてみれば好都合。そのまま日々の生活を任せてくれても良いのだが、そうは問屋が卸さないのだろう。丸一日世話をしないとさすがにバレると思っているのか、午後は仕事をしてくれる。
「ほっといてくれて良いんだけど」
深くため息を吐き、自室へと入った。