58 春の訪れ
まだ少し肌寒さは残るが暦の上では春になった。
そして今日は非常に珍しくサイラス様がいない。私がこの部屋にいてサイラス様が不在なのは初めてなんじゃないだろうか。
サイラス様は王太子の結婚式に参列するため大聖堂に行っているので、今ここにいるのは私とエルディたち三匹とポールさんだ。サイラス様の仕事の書類とかを分類しているのか、手際の良い感じで仕分けしている。仕分けが終わったのか手を止めて話しかけてきてくれた。
「旦那様も早く帰れるようなら帰ってきたいとおっしゃってたんですが。退屈をさせてしまっていたら申し訳ありません」
「いえ、全然そんなことは」
終わってない裁縫もあるし、疲れたらエルディたちと戯れられるし、サイラス様がいないのは寂しいが普段から行動としてはこんな感じだ。
「前から思っていたんですけど、ポールさんてちょっと特別ですよね。サイラス様からの信頼が厚いというか」
せっかく話しかけてきてくれたので普段思っていたことを口に出してみる。
「そうですかね? 旦那様が特別に思っている人間はこの世界でマリエラ様一人だと思いますよ。私が他の使用人と立場が違うように見えたなら、昔、旦那様の家庭教師をさせていただいていたせいかもしれませんね」
「えっ!? ポールさん、サイラス様の先生だったんですか?」
意外な関係にびっくりする。執事一筋かと思っていた。
「ほんの一時期ですよ。あの方には教師は腐る程おりましたのでそのうちの一人にすぎませんし」
「でも先生からなんで執事さんに?」
「こちらのお邸に勤めていた前任の執事が横領で解雇されまして。当時の奥様、旦那様のお母様が後任として生家で勤めておりました私を呼んでくださったんです。旦那様の家庭教師は引き継ぎ前に少し奥様から依頼されてしていただけですので、元々本業はこちらなんですよ」
「サイラス様のお母様にも信頼されてたんですね」
「取り立ててはいただきましたね。ありがたいことに」
「あの、小さい頃のサイラス様ってどんな感じでした?」
純粋に気になるので聞いてみる。
「難しい環境におられましたね。旦那様は非常に優秀な方でしたので、お母様の期待や求められる水準も生半可なものではなくて、あまり人間的な生活をしておられるようには見えませんでしたから。なんでもできるようになっていく反面、何かが欠けてしまいそうな方でした」
本人もあまり幸せではなかったみたいなことを言ってたから興味本位でこれ以上聞くのも悪いな。
「ヴァルゴがいなかったら旦那様も今のような人間性豊かな方にはなっていなかったと思いますが、ヴァルゴがいたからこそ別の苦しみもあったみたいですし」
毛皮事件は聞いただけでひどい話だったからサイラス様も苦しかっただろうな。
「ただこれまでの旦那様はさておき、今の旦那様は幸せだと思いますよ」
たしかに今のサイラス様は間違っても不幸には見えないと思う。
「おや、いけない。マリエラ様がいらっしゃって旦那様がいないなんていうことはほとんどないので、ついおしゃべりに興じてしまいました。若者を捕まえて無駄話をするのは老人の悪いクセですね」
「いえ、ポールさんとお話しできて良かったです。今幸せなのが大事ですよね」
それから日が暮れて、辺りが暗くなってからサイラス様が帰って来た。
「マリー! こんな時間までいてくれたんですか? 急いで帰って来ましたが、今日はもう会えないと思ってました」
「毎日サイラス様に会うのが習慣になっているせいか、お顔を見ないとなんとなく落ち着かなくて」
そう言うとサイラス様がとろけそうな笑顔を見せてくれた。
こんなに幸せそうに笑える人は見たことないってくらいの、向かい合っている私まですごく幸せになるみたいな、そんな笑顔だと思う。




