五話 侵入者はこそこそと昼間に堂々と
――おかしい。
宝石箱の中身を確認したローレンは首を傾げた。
「絶対になにも入ってなかったはずなのに」
昨日、大神官に渡されたものは差出人不明の贈り物だった。大神官曰く、なんらかの魔道具だそうだ。
――正体は魔法使い? でも、魔法使いの知り合いなんて……それどころか、出会ったことすらないのに。
仮に差出人が魔法使いだとしてもおかしい。神聖力と魔力は反発する。ときには死に至らしめるほどにぶつかることもあるのだとか。
そのせいで魔法使いは幼くして亡くなることが多いと聞いた。自分が魔法使いだという自覚があるにしてもないにしても、無意識のうちに祈る対象が神であることがほとんどだからだ。
人は誰しも、僅かながらに神聖力を有している。神聖力とは信仰心と同義。つまり、神に祈ればどんなものであろうと神聖力が己の内に生まれる。
「だから、魔法使いは神には祈らない」
生まれたときから魔力を保有する魔法使いにとって、信仰心は毒だ。そんな人物が神殿を頼ることなど、あるのだろうか。
「いったい誰が、なんの目的で?」
贈り物は空っぽの宝石箱だった。だというのに、一夜明けたら小さな宝石がころんと一つ、入っていた。
眠っているところに無断で部屋へと入り、私物に触るなど王城に勤めるものがするとは考えにくい。
『ログインボーナス! ビスケットボックスから宝石を入手しました。表示を非表示に変更しますか? はい・いいえ』
「わっ!?」
視界一面に枠が表示され、ローレンは文字通り跳ねる。驚きのあまり、宝石箱もといビスケットボックスとやらを放り投げてしまった。
「相変わらず意味のわからないことを……っ」
半ば八つ当たりのつもりで声を荒げる。
そうこうしているうちに枠は消えていて、また選択することができなかった。大したことは書いていなかったから、問題はないと思いたい。
むしろ消えてくれるのならありがたいくらいだ。
「はあ……」
朝の支度を済ませ、ローレンは王選をどのように勝ち抜くか考えながら散歩することにした。
――平民の心を掴むことが、一番重要ね。
社交界を生き抜くうえでは後ろ盾となりうる貴族を味方につけることが最優先だ。しかし、国民が投票権を持つ王選では、平民の意見を無視できない。
なぜなら、貴族よりも平民のほうが圧倒的に多いからだ。
「お母さまのせいで苦しんだものたちへの救済。単にお金をばらまくだけではだめ」
一度の給付では求心力も一過性のものだろう。下手をすれば、なぜもっとくれないのかと恨まれる可能性もある。
『突発クエスト【侵入者はこそこそと昼間に堂々と】が解放されます。受注しますか? はい・いいえ』
目の前に現れた白い枠に思考が奪われる。
――侵入者!?
堂々としているのかこそこそしているのか、つっこみどころはあるが、侵入者という言葉は聞き捨てならない。
まさか、王選を聞きつけた誰かがもう動き出したのだろうか。
――そういえばまだ一度も、選択したことがない。
ぱっと指を伸ばし、『はい』を選択した。いつものごとく枠は消える。けれど、初めて自分の意思で決断をし、選択が通った瞬間だった。
――それで、侵入者はどこにいるのかしら。暗殺者じゃないといいけど。
庭園へと出ていたローレンは周囲を注意深く見渡す。見晴らしのいいここでは不審な人物を見つけることはそう難しくないだろう。
庭園は庭師やメイドたちが数人、行き来している。
母は使用人たちには高圧的に接し、恐怖を与えていた。そのせいで気の弱いものたちはローレンにも恐れを抱くようになってしまった。
――もうお母さまはいないのだから、近いうちに心象回復もしなくちゃいけない。私はお母さまとは違って、民に寄り添うよき王になるの。
「……待って」
洗濯かごや掃除道具を持つメイドの一人に目がいった。
王城の仕事は山積みだが、小走りになるほど過密なスケジュールではない。
「あのメイド」
やけに表情を引き締め、足早に庭園を進んでいくメイドがいた。服装はほかのメイドと同じ、けれど腕にはバスケットを提げていた。
「追いかけてみよう」
ローレンは踵を返し、一定の距離を保ってメイドを追った。
だんだんとひと気が少なくなるが、メイドはこれ幸いとばかりに歩幅を大きくし、足を速める。
「――にいますから」
ふいに、頭の中に声が響いた。
――なにか、思い出せそうで、思い出せない。ああ、もう。今はそれどころじゃないのに!
メイドが曲がり角の向こうに消え、ローレンはばれないようにこっそりと覗き込む。
「は?」
ローレンはばっと後ろを向き、窓の外も確認する。
――まさか、ここは。でも、なんで!?
メイドが向かおうとしていた場所は、比較的身分の高いものが収監される地下牢だった。
ほんの数日前までは母が、過去にはローレンも閉じ込められていた牢が、あの扉の向こうにある。おぞましい記憶が蘇り、ローレンの体に震えが走った。
「止まりなさい!」
しかし、ここで引き返すわけにはいかなかった。
「ひいっ!?」
制止の声に驚いたメイドは肩を跳ねさせ、手にしていたバスケットを落とした。
「ここでなにをしているの? まさか、牢で昼食をとるつもりなんて、言わないでしょうね?」
「姫さま!」
顔面蒼白になったメイドは膝をつき、床に額をこすりつけた。
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
小さくなった体を小刻みに揺らし、メイドは謝罪を口にする。
「私はここでなにをしているのか聞いたのよ。質問に答えなさい。二度目はないわ」
「お、お食事を運ばなくては、ならないのです。お、おそらく、もう三日はなにも、口にしていない、でしょうから」
――お母さまがいたのだから、いくらなんでも別の罪人を一緒に入れていたとは思えない。
「いったい、誰がいると」
必ず、とまた声が頭の中に響いた。
「じょ、女王陛下が懇意にしておられた、あの方が……」
「あの方? 誰がいるというの?」
「わた、私が、助けて差し上げなければ、死んでしまいます! 彼を、死なせたくありません! どうか姫さま、ご容赦を……っ」
嘘をついているようには感じられない。
「言ったはずよ」
ローレンは歩みを進め、床に突っ伏するメイドの首元に手を滑り込ませて顎下を掴んだ。無理矢理に上を向かされたメイドが苦しそうな息をこぼす。
「二度目はないと」
「まっ、魔法使いです! 名前、名前は知りません」
メイドは大粒の涙を流しながら訴える。
ローレンはすっと顔を上げ、地下牢へと続く扉を見つめる。
「あなた、お母さまの処刑とともに暇を出されたのね」
処刑に伴い、女王に関わっていた使用人の大半が解雇されていた。
――侵入者とはつまり、そういうことね。
このメイドにはもう、王城へ立ち入る権限はない。
「私はどうなっても構いません! ですが女王陛下がいなくなった今、彼の存在を知るものは私しかいないのです! お願いです、姫さま。彼を、彼を……失いたく、ありません」
『王城に潜り込んだ侵入者を処刑しますか? はい・いいえ』
物騒なことが書かれた枠にローレンは目を見張る。
――は!? いいえ、いいえに決まっているでしょ!
ローレンは床に転がったパンを拾うふりをして『いいえ』を選択した。
「姫、さま……?」
「この食事は私が届ける。だからあなたはすべてを忘れて、今すぐここから去りなさい」
「それは……」
「あなたはもう王城とは関係のない人間。お母さまに指示されたことも、この扉の向こうにいる魔法使いのことも、忘れなさい。忘れられないのなら口外せず、墓場まで持っていくの」
――それが、私があなたを生かしてあげられる唯一の道よ。
しばらく呆然としていたメイドは一つ、また一つと首を縦に振った。
「ありがとう、ございます……っ」
ばたばたとメイドは一目散に走り去っていく。その背中が見えなくなるまで待ち、ローレンは地下牢へと続く扉に手をかけた。