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終話 恋に落ちている

「姫さま、姫さまー!」

「そんなに急いで、どうしたの?」

「学校が完成したとの知らせを受けました!」

「やっと……やっとね」


 ローレンは口角を上げる。


 世論が大きく動いた建国祭の日から、実に、五年もの年月が経過していた。


 十五歳になったローレンは、誰もが目を奪われるような美しい女性へと成長した。容姿は母親そっくりだが、今では悪政で国民を追いつめた暴君をローレンに重ねるものはいない。


「馬車を準備して。今すぐ向かうわ」

「すでに準備しております」


 胸の高鳴りを抑え、ローレンは馬車に揺られる。


 五年の間に、エタンセルは緩やかに変化を遂げた。ローレンが利権を手にしたダイヤモンド鉱山は国庫を潤わし、多くの国民に雇用の機会を与えている。


 王選候補者の間には目立った動きもなく、そのおかげで王都から伝播した噂はローレンを支持するものを格段に増やしていた。


「サンチェス家は毅然とした態度を貫いているけれど、火消しに時間がかかっていたから仕方ない」


 五年前の誘拐事件はどこで尾ひれがついたのか、ジェシカ率いるサンチェス家は王女暗殺を企てたという話にまで発展したそうだ。


 貴族はその話を鵜呑みにせず、立ち回りは派閥に左右されていたが、平民は違う。どこにも属さない平民は噂を信じ、広め、口々に意見を交わした。


 そのせいで一時はサンチェス家の評判は失墜したのだが、月に一度の配給を続けているおかげで印象も回復しつつあるという。


 なにより、ジェシカが神託の子どもということもあり、口を大にして糾弾できないのだ。


 ――大っぴらに叩いて、ジェシカが王になったら笑えないもの。


 そして、王室騎士団の見習いとなったアレクシスは二年前に、正式に騎士団の一員として復帰した。


 それでなにが変わるというわけでもないが、耳に入ってこないということは、アレクシスは元気にやっているだろう。


「今後、ジラール家が王権を取りにくることもないでしょうね」


 アレクシスは神託により、勝手に祭り上げられているだけ。ジラール公爵としても騎士として生き、騎士として死ぬことを本望としている。


 結局のところ、心の底から王になることを望んでいるのは、ローレンだけなのだ。


「到着いたしました」


 ローレンは馬車を降り、正門の前に立った。


「姫さま、お待ちしておりました」

「マシュー卿はもう中を見たの?」

「いえ。一番に足を踏み入れるのは、姫さまでなければ」


 ローレンは正門前で待っていたナタンと合流し、大きなアーチをくぐった。錆びつき、力づくでしか開かなかった門の面影はもうない。


 横に伸びる柵に囲まれた庭は芝生になり、一角には花壇もある。今はまだなにも植えられていないが、季節によって美しい花々が芽吹くだろう。


「中にはもう入れるのかしら?」

「家具は設置しておりませんが、入ることは可能です」


 校舎の壁は明るく、穏やかで温かみのある木造建築だ。教室自体は広々としており、窓からもほどよく日差しが差し込むようになっている。


 一階には食堂や図書室など、ゆくゆくは稼働していくつもりだ。


「いかがでしょうか?」

「とても素敵ね。机や椅子はどうなっているかしら?」

「すでに製造され、あとは納品を受け入れるだけです」

「そう。それじゃあ、手配しておいて」


 ローレンは一室の窓際に立ち、外の景色を眺める。庭は広く、幼い子どもたちも息抜きに退屈しなさそうだ。


「それじゃあ、もっとも重要なことを始めないとね」

「もっとも重要、ですか?」


 きょとんとするナタンに、ローレンはこくりと頷く。


「教師の募集よ」


 はっと目が見開かれる。


「大人数を相手に怯むことなく教鞭をとり、けれど相手が誰であろうと分け隔てなく接する人材でなければならないわ。身分だけで選んではだめよ」

「これを機に、姫さまの目に留まろうとするものもいるでしょう」

「ええ。それだけの人は決して採用しない」

「早急に面接官を――」


 言葉の途中で、ローレンは首を横に振る。


「まずは書類選考をして、それを抜けたものだけが面接の機会を得るの」

「では、面接には誰を起用なさいますか?」

「私よ」

「はい?」


 ナタンは眉間にしわを寄せた。


「応募者全員を選考し、面接もするわ」

「おそらく、膨大な数になりますよ」

「承知のうえよ。エタンセルがよりよい未来を進むなら、どうってことないわ」

「校長も決めねばなりません」

「目星はつけているわ。今から向かいましょう」


 ローレンはナタンを連れ、広場近くの通りへ馬車を走らせた。窓を流れる景色から、ナタンもどこへ向かっているのか察しがついたようだ。


「もう、そんな顔をしないでよ」

「いやはや。よもや魔法使いが、こうも堂々と日の目を歩けるようになるとは……予想だにしていなかったものですから。本当に姫さまは、偉大なお方です」


 この五年、学校建設と並行し、ローレンはダイヤモンドの採掘に注力した。そうして宝石へと加工したダイヤモンドを、各地の神殿へ配る準備も進めている。


 ローレンが魔法使いへの支援を進めているという話は王国中に知れ渡り、その地位は向上したと聞く。


「でも、まだまだよ。彼らはまだ、ようやく人並みの扱いを受けられるようになっただけ」

「それだけでも充分に、驚くべきことなのですが……」


 ローレンはナタンのエスコートを受け、馬車から降りた。


「いらっしゃいませ、『アルカンシエル』へ、ようこそ」


 鈴の音を鳴らし、扉が開かれる。ローブを着た魔法使いらしき人が出迎えてくれた。


 移転前は名前もついていなかった店だが、大きな通りに進出を機に、名前を付けたようだ。


「オーレリアンはいるかしら?」

「オーレリアンなら……」

「ここにいる」


 ずい、と魔法使いの後ろからオーレリアンが現れる。


「来るなら来ると先に教えておいてほしかったんですがね」

「今日の朝に予定が決まったものだから。ごめんなさいね」

「心のこもっていない謝罪をどうも。それで? 今日はなんの用で?」

「まさか、姫さまをこんな場所に立たせたまま、話を聞くおつもりですか」


 オーレリアンとナタンの間で小さな火花が散る。ローレンは二人にも仲よくなってほしいのだが、互いに相いれない質のようだ。


 店内にいた魔法使いにこそっと声をかけてから、オーレリアンは渋々といった様子で応接室へと通してくれた。


「単刀直入に言うわね」

「どうぞ」

「私が建てた学校の、校長になってほしいの」

「断る」

「驚かないのね?」


 オーレリアンは形のいい眉をひそめる。


「驚いていますよ。でも、俺にはここがあるんでね」

「両方とも運営すればいいじゃない」

「あのなぁ……」


 オーレリアンは腕を組み、ふんぞり返った。その態度にナタンは鋭い視線を向けるが、本人はなんのそのである。


「バルドの字を教えたのは、オーレリアンだと聞いたわ」

「だから、ほかのやつにも字を教えろってことですか? 何人かの魔法使いの面倒は見てやりましたが、縁も義理もねえやつに教えてやるほど、俺の腕は多くないです」

「最初はそう思ったのよ。でも、校長だから字を教えなくていいの。私が求めていることは、そのリーダーシップよ」


 オーレリアンは口をへの字に曲げる。


「魔法使いをまとめ上げるリーダーシップ、魔道具を売り捌く手腕、表に出る決断力……あなたほど適任な人を、私は知らない」

「知らないだけで、そこら辺にいますよ」

「私が、オーレリアンがいいのよ。ちゃんと見返りもあるから」

「見返りって?」

「私が用意できて、与えられるもの」


 オーレリアンは「はっ」と息をこぼした。


「考えておいてちょうだいね」

「もう帰るのか?」

「今日は口説きにきただけ。返事は後日でいいわ。それとも、まだいてほしいのかしら?」

「さっさと帰れ」


 しっしっ、と虫を払うような仕草をした。


 鋭い剣幕のナタンの背中を押し、ローレンはアルカンシエルを出る。


「姫さま!」


 ナタンを馬車に押し込んだとき、後ろから声がかかった。


「バルド」


 自然と、ローレンの顔に笑みが乗る。


 バルドもすっかり、少年から青年へと成長した。髪型もオーレリアンを少しだけ意識しているのか、うなじで結んだ白銀色を背中に流している。


「姫さまに見せたい、魔道具を考案しました」

「本当? 楽しみだわ」

「また、王城へ足を運ばせていただきますね」

「ええ。バルドならいつでも大歓迎よ。待っているわね」


 ローレンはすっと手を差し出す。


「――」


 そうしたら必ず、バルドは恥ずかしがりながらも手の甲に口づけをしてくれる。そうして、はにかんでくれるのだ。


 ――この距離感が、心地いい。


 互いに、多忙な日々を過ごしている。頻繁に会えることはなく、たまにバルドが考え、魔法使いが作った魔道具を店にきてくれるときくらいしか機会がない。


「オープン、セーブ」


 だから、ローレンはちょっとしたいたずらを覚えてしまった。


「バルド、大好きよ」

「っ!?」


 ばん、と馬車の窓を叩いて、今に飛び出してきそうなナタンを無視して、ローレンは真っ赤になったバルドをころころと笑う。


「好き、大好き。バルドに会えたことが、私の人生においてもっとも幸運なことよ」

「ひ、ひめっ……姫さま」


 口をぱくぱくとさせ、動揺を隠せないバルドに愛を告げる。


「私はバルドに、恋に落ちているの!」


 耐えきれなくなったナタンが馬車を降りてきて、バルドはすっかり固まってしまっている。


「ロード!」

「なっ……ずる、ずるいです、姫さまっ」

「あははっ!」


 目を見開き、魂胆を察したバルドが手を伸ばす。


『ロードしますか? はい・いいえ』


 ローレンの指先が、『はい』へと触れる。


 ――こうでもしなくちゃ、伝えられないもの。


 視界が歪む直前、羞恥心に駆られるバルドは勢いあまって抱きつきそうになり――その感覚がいつか、得られる日が来ることを願いながら、ローレンの視界は暗転した。

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[一言] かなり面白かった ただそれだけに、終盤が駆け足だったのがもったいない
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