三十九話 殺伐とした恋バナ
「姫さま、ジェシーはもう歩けません。足が痛いです」
「どこか怪我をしたの?」
「疲れました」
――命がかかっているというのに。
呆れてしまうが、ジェシカの泣き言もわからないわけではない。いきなり命を天秤にかけられても、実感はわかないだろう。
「どうして遠回りをするんですか? さっき、あっちのほうに王城が見えました」
ジェシカは北のほうを指さした。ローレンたちは今、北東に向かっている。
「私にも見えていたわ」
「だったら、どうして」
「私たちは王都を南に運ばれていたの。北へ向かう私たちと、南へ向かう誘拐犯の仲間。鉢合わせてしまう可能性は高いわ」
「可能性の話ばかりして!」
繋いでいた腕を大きく振り、払うようにジェシカは手を離した。
「大きな声を出さないで」
「ジェシーはもう疲れたの! そんな歩きたいなら一人で――」
「おい! こっちから声がしたぞ!」
ローレンは慌ててジェシカを引き寄せ、壁が崩れた空き家に転がり込んだ。
声の主が敵か味方かわからない以上、迂闊に姿を見せるわけにはいかない。念のためジェシカの口を塞ぎ、ローレンも息を潜める。
ジェシカはぶるぶると体を震わせ、わがままを言わなくなった。
「近くにいるはずだ!」
「お嬢ちゃんたち、怖くないから出ておいでー」
――いったい、何人いるの?
こつこつと不穏な足音が近くを通っていく。
――よほど私を消したいらしい。
誘拐犯を差し向けたのがサンチェス家の陣営ならば、ジェシカが誘拐される道理はない。
――騎士道を重んじるジラール家とは思いたくない。
誘拐犯の一人は標的が「金髪の子ども」としか教えられていなかったようだが、王選候補者の容姿について詳しくないということだろうか。
地方の貴族か、他国からの攻撃か。エタンセルの現状は他国にも伝わっていることだろう。その穴を狙い、しかけにきた可能性もなくはない。
――でもそれなら、建国祭に乗じてまとめて処理してしまえばいいだけのこと。
「んん、んぐ」
「あら、ごめんなさい。考えごとをしていたわ」
ローレンはジェシカの口からぱっと手を離す。
「足音はとっくに聞こえなくなっていましたよ!」
ようやく危機感を持ち始めたのか、ジェシカは小声で抗議する。
「少しは休めたかしら?」
「これでは、休んだうちに入りません」
「だったらここで休み続けて、回復したらまっすぐ北へ行ったらいいんじゃない?」
「お、置いていくつもりですか!?」
一足先に立ち上がり、ドレスの汚れを払うローレンにジェシカが目を丸くする。
「誘拐犯がいつ戻ってくるかわからないもの」
「っ……ジェシーも行きます!」
握れと言わんばかりに、すっと手が差し出される。
――いつも、これくらい可愛げがあったらいいのに。
今度はローレンが手を重ねた。
それからも、何度も警備隊の制服を着た人たちを目撃した。全員が全員、敵ではないだろうが、味方と信じて助けを求め、実は敵だったとなれば笑えない。
――騎士たちの姿が見えないのは、紛れ込んだ誘拐犯に妨害されているのかしら? それとも、ただ運がないだけ?
ローレンはちらりとジェシカの横顔を一瞥する。
俯いていて表情は確認できないが、疲弊していることは間違いない。
「姫さまは」
ぽつり、とジェシカが口を開いた。しかし、言葉が続けられることはなく、ジェシカは黙ってしまった。
――相当まいっているのね。無理もないわ。
「……姫さま」
「どうしたの?」
次はしっかりと顔を向ける。けれど、ジェシカは顔を伏せたままだ。
「アレクさまをお慕いしているんですか」
「は?」
とてもではないが、この状況で話すことではないと思う。意図が理解できず、ローレンは眉をひそめた。
「答えてください。ジェシーは、真剣です」
握っている手も、絞り出された声も、震えていた。
「そうだと言ったら、あなたはどうするの?」
――攻略すると決めたんだから……それがなくても、アレクシスのことは嫌いではないし。
どちらかといえば好意的だ。人柄もあるが、なにより自分を好いていてくれているから、与えられる好意を返しているにすぎない。
「ジェシーは……」
きゅ、と唇を噛んだのがわかった。
「じゃあ逆に聞くけれど、あなたはどうしてアレクシスが好きなの?」
「……そんなの、優しくて、格好いいからに決まっているじゃないですか。それにアレクさまは公爵家ですから、家格も釣り合います」
性格や容姿はともかく、家格が釣り合う家は他にもあるだろう。それこそ、アレクシスのほうが少ない。
「アレクシスは私にも優しいし、王女と公子だから侯爵家よりも条件がいいわ」
「アレクさまはジェシーに微笑んでくれます!」
「私にも、誰にだって微笑んでくれると思うけれど」
顔を上げたジェシカの顔はむっとしていた。まるで、自分のおもちゃを弟妹に譲るように言われたときのように。
「結局は、アレクシスが公爵家の出だからでしょう? アレクシスと結ばれたら公爵夫人だものね」
「アレクさまが王になれば、ジェシーを王妃にしてくれます!」
熱が入ったジェシカは、言い切ってから顔を歪めた。
――また、それを言うのね。
場所は異なるが、同じような台詞を聞くはめになるとは。
ローレンは表情をなくす。さすがのジェシカも、まずいことを口走ったことを自覚しているようだ。
顔を青くし、違う意味で震え始めた。
「オープン、アイテム」
急速に心が冷えていくのを感じながら、静かに呟く。
『【正直者のブローチ】を使用しますか? はい・いいえ』
ローレンは袋からブローチを取り出し、『はい』を選択する。それから、ジェシカに視線をやった。
「それは、誰が言っていたの?」
「お父さまが言っていました。ジェシーが王になれなくても、アレクさまに好きになってもらって、公爵夫人じゃなくて王妃さまにしてもらいなさいって」
――ずっと、ずっとそう言い聞かせてきたのね。
手の中で、魔法石が割れた。
きょとんとするジェシカは、「あれ?」と首を傾げている。
――少なくとも、一方的なものね。
誠実であることに安堵する。
これでジラール公爵家も手を組んでいたとなれば、信頼は地の底に落ちていただろう。
しかし、世間ではローレンの株は上がっている。それに焦りを覚えるサンチェス家がジラール家を巻き込んでさらなる手を打つ可能性もあるのだ。
――マイヤー伯爵を、うまく使えるといいのだけれど。
「いたぞ!」
背後から響いてきた声に、ローレンとジェシカは同時に振り返った。
「走って!」
人通りのある場所までもうすぐだ。
「誰か、誰か助けて!」
「姫さま!?」
あれほど静かにしろと言っていたローレンが突然、大きな声で助けを呼んだことにジェシカは驚く。
――誰にも知られず捕まるくらいなら、一縷の望みにかける!
「祭りの明かりはもう見えているの! 私たちの声が、届くかもしれない!」
「っ……助けて、アレクさま! 助けてー!」
ジェシカも叫んだ。
しかし無情にも、二人と追手の距離は、狭まっていく一方であった。




