三十五話 演劇
「姫さまにご挨拶申し上げます。予定をずらしていただき、ありがとうございます」
「公爵が呼び出したのなら、よほど大事なことだったのでしょう」
翌日、アレクシスと建国祭を回るのは午後からとなった。時間は特に決めていなかったのだが、アレクシスは父であるジラール公爵に呼び出されたと連絡が入ったのだ。
それならと予定を午後からにした。
ローレンは建国祭に出かける前にそれとなくナタンに探りを入れ、誘拐事件が起きていないことを確認した。
――広場に到着してから、すべてが始まるのよ。
ローレンは三日にわたって開催された祭りの最終日だからと警備を強化するよう事前に騎士団へと持ちかけていた。
それは快く受け入れられ、警備隊との連携も強化している手筈である。
――三日目ともなれば、さすがに新鮮味がなくなってしまうわね。
いつもの広場、いつもの場所で停止した馬車からローレンは立ち尽くす。
ローレンの行動範囲は屋台が多く並ぶ広場が中心なこともあり、バルドとの見物でほとんど見てまわってしまった。
「アレクシスは、行きたいところはないかしら?」
「姫さまと一緒なら、どこへでも」
胸に手を添え、アレクシスは微笑む。
「してみたいこととか、ない?」
アレクシスはふいと顔を逸らし、周囲にぐるりと視線をやった。
だが、答えをもらう前に無表情から察してしまう。
「――花火」
「え?」
予想した反応と異なり、ローレンは目を見張る。
――てっきり、私とならなんでもいいと言われるのかと思ったけれど。
「建国祭では必ず、花火が上がっておりました。例年通りなら今年も……姫さまと花火を、一緒に見たいです」
アレクシスはやけに気合いの入った顔をしている。まるで、一世一代の告白かのような。
『追加クエスト【二人で花火を見よう!】が解放されます。受注しますか? はい・いいえ』
枠の出現とともに、ローレンはちかちかと点滅するハートを一瞥する。
――このまま放置しても受注できるけれど、どうせなら。
「ひ、姫さま?」
ローレンは胸元から行き場を失っているアレクシスの手をそっと掴んで寄せる。その途中で指先が『はい』を通過し、選択がなされた。
「アレクシスが誘ってくれたんだから、好きに行動していいのよ」
みるみるうちにアレクシスの顔が赤くなった。
「でも、花火まで時間があるわね。その間、なにをしましょうか?」
ローレンはこてんと首を傾げる。
しばらく点滅していたハートが「七十六」を示した。最後に確認したときよりも「四」も上昇していた。
「でしたら、姫さまと歩きたいです」
「歩くだけでいいの?」
「……本当に、僕がしたいことをしてよろしいのですか?」
アレクシスの飴色の目に僅かな不安が滲んだ。
「私にできることならね」
アレクシスは口を開き、閉じて、また開いた。
「……僕も、姫さまと手を繋ぎたいです」
差し出された手は震えていた。ローレンは笑みをこぼし、手のひらを重ねた。
「まさか、断られるとでも思っていたの?」
「いえ……光栄に存じます」
なんだか濁された気がする。
――ちょっと待って、『僕も』……『も』?
ローレンは隣を歩くアレクシスの横顔をちらりと見る。
――私、アレクシスの前で誰かと手を繋いだかしら?
「アレクシスは、昨日の騒動を知っているかしら?」
「サーカスのことですか? 祭りにかこつけて悪事を働いたものたちの罪を、姫さまが暴いたと先輩から聞き及んでおります。ちょうど僕がパレードに加わった時間ですので……姫さまの勇姿を拝見できなかったことが残念です」
「勇姿と呼べるほどのことでもないと思うわよ」
――私がバルドと手を繋いだのは、あのときよね? ピエロが、怖くて。ほかの人と手を重ねた覚えはないから……。
いったい、アレクシスはいつのことを言っているのだろうか。密かに記憶を辿るが、まったく思い出せない。
「それじゃあ、行きましょうか」
二人は広場の周辺をふらりと歩くことにした。屋台の売り物は見慣れてしまったが、隣を歩く人が変われば流れる景色が変わる。
「あそこに人だかりができていますね」
「本当ね。昨日は、あそこにはなにもなかったと思うけれど」
「演劇でしょうか?」
人だかりの中心から、やけに演技がかった声が響いてくる。ちょうど演目が終わったのか、拍手とともに人がはけていった。
何度も頭を下げたり手を振ったりする演者を中心に木の長椅子が置かれている。
「演劇みたいね」
「観覧していきますか?」
「アレクシスはどうなの?」
ローレンに尋ねてばかりで、少し辟易してしまう。一度くらい、願望を述べてくれてもいいのにと思う。
「騎士団の訓練に明け暮れていますのでこういったものに足を運ぶ機会がなく、少し興味があります」
「それなら観劇していきましょう。きっといい思い出になるわ」
アレクシスの腕を引き、最前列の右端に席をとる。
演目は一国の王子と平民の少女との恋模様を描いたものだった。
王子がお忍びで城下町へ出かけたとき、立ち寄った花屋の店員である少女に一目惚れするというのが物語の始まりだ。
二人は身分の壁に阻まれながらもなんとか結ばれようと奮闘するが、少女に差し向けられる暗殺の魔の手や店への嫌がらせにより、結局は破局してしまう手に汗握る展開である。
ラストシーンでは、二人が出会った日に毎年、差出人不明の花が贈られるという描写をもって演劇は終了した。
――ハッピーエンドではないのね。
ローレンがアレクシスの横顔をちらりと見れば、なにやら神妙な顔をしていた。
「どうだった?」
「不思議な話でした」
場所を移し、歩きながらアレクシスの話を聞く。
「まず、暗殺者を送り出した家門のものはどうなったのでしょうか?」
「さ、さあ?」
「それに関係を断とうと、暗殺の手が止まるとは思えません」
そこまで深い設定があったとして、恋愛の話では出てこないのではなかろうか。ホールを使った演劇ならあるかもしれないが、道端で演じるようなことでもない。
「仮に物語が終わったあとで少女が暗殺されてしまったとするでしょう?」
「はい」
「アレクシスはそれを見たいと思う?」
「見たくありませんね」
「物語を楽しんでもらうのにそれは不必要なことだから、詳細には演じないのよ」
アレクシスはローレンの説明に納得いったようだった。
「アレクさま……? こんなところで会えるなんて!」
「ジェシー? 奇遇ですね」
「姫さまにご挨拶申し上げます」
「ええ、ごきげんよう」
アレクシスが目に入っていたのなら、ローレンの存在に気づかないわけがない。
――挨拶を後回しだなんて、いいご身分じゃない。
「こんなに人が多い場所で出会えたのも縁ですから、よければ一緒に回りませんか? アレクさまも、初日の少しの時間しか見物できなかったでしょう?」
アレクシスがこちらに顔を向ける。
「どうしますか、姫さま」
「どうして私に聞くのよ?」
「え?」
ローレンは腕を組む。
「私を誘ったのはアレクシスじゃない。だからアレクシスが決めて」
何度も、何度も何度も顔色を窺うように聞かれるのには腹が立った。
アレクシスはおろおろとするが、ローレンが助け舟を出すことはない。ちかちかと点滅するハートが、数字を減らしたとしてもだ。
「姫さまがよろしければ……」
「聞こえなかった? 私の意見を聞く必要はないの」
「っ……でしたら、ジェシーも一緒に回りましょう。人は多いほうが賑やかですから」
「嬉しいです!」
――受けるのね。でも、好都合だわ。
ジェシカが傍にいれば、事件を未然に防ぐことができるかもしれない。
ローレンは「七十五」を見つめながら、感情をぶつけてしまったことを反省した。




