三十二話 圧
「そ、そんな……こんなこと、あっていいわけが……」
ピエロはぶつぶつと口の中で繰り返している。元々白塗りだが、その下の面も顔面蒼白になっていることだろう。
『追加クエスト【ダイヤモンド鉱山を手に入れよう!】 クリア(報酬・ダイヤモンド鉱山の利権書)』
最初こそ不可能だと思っていたが、蓋を開けてみればローレンとバルドにはおあつらえ向きの試練であった。
――クリアされない前提で金貨一枚を徴収し、ぼろ儲けするつもりだったようね。
ローレンはわなわなと震えるピエロを、腕を組んで見やる。
「それでは、ダイヤモンド鉱山の利権書の原本をお渡し願えますか?」
バルドが、それは整った笑みを浮かべた。
「お、おかしい! ふせ、不正があったんだ!」
ぐわ、とピエロが唾を飛ばす。
「そうでなければ、こんなことありえない。ありえてはならない!」
――呆れた。
「ありえないのなら、どうして私たちに挑戦させたの? それって詐欺じゃないかしら」
冷静なローレンの返しに、野次馬たちがざわざわと騒ぐ。
「だ、だから……っ、君たちがなにか、不正をしたんじゃないか!」
バルドが「はっ」と息をこぼすように笑う。
「不正とは? 場所も道具も、内容から条件に至るまで、用意したのはすべてあなたたちでは? そんな環境下で、いったい俺たちがどんな不正をしたのか……教えていただけますか?」
明らかに不利な状況なのに、それでもピエロは食い下がった。条件を達成するものたちが現れるなど、微塵も思っていなかっただろう。
過去に戻れるローレンとバルドだから達成できたが、二人以外にそれは知る由もない。
――ときには、お母さまのような圧も必要ってことね。
ローレンは一歩前に出て、ごねるピエロの前に立つ。
「あなた、言ったわよね」
「な、なにを」
「あなたの提示する条件を達成したらダイヤモンド鉱山がもらえると。それが嘘ではないと、あなたは大勢の前で宣言もしていたじゃない」
周りの人たちが「そうだ」と声を大きくする。
「言っていたじゃないか!」
「往生際が悪いぞー!」
「まさか、本当に詐欺なのか!?」
写しは本物だ。でなければあのように精巧に作る必要はないし、陥れるつもりでもなければ実在する人物の名前を書く必要もない。
「そのまま言い逃れをしようという気概なら、私は別に構わないわ」
ピエロはほっとしたような、けれど疑うように、曖昧に顔を歪めた。
「あなたは王族を欺いた罪で投獄されることになるのだもの。逃げられる自信があるのなら、どうぞお逃げになって?」
ローレンは頬に手を当て、目を細めた。
「お、王族……?」
護衛騎士たちがすっと出てきて、剣先を向ける。
ローレンを頭のてっぺんから足の先までじろじろと視線を動かしたピエロは衝撃に染まった。
主催がエタンセルの貴族でも、サーカス自体はよそからやってきたのだろう。初日にいなかった彼らが、目の前の少女が王族であると知らなくても不思議ではない。
「罪を重ねる前に利権書を渡したほうが利口かと」
「ぐ……ぅ」
ピエロは強く唇を噛んだ。
――クリアできる人がいないと決め込んで、原本を用意していないのね。写しを持っているのは、景品に嘘はないと思い込ませるため。
埒が明かないとローレンは小さく息を吐く。
――猶予は充分に与えてあげたのに。
「捕らえなさい」
「ま、待て! いやっ……待って、ください! 俺たちは指示されただけで……っ」
地面に頭をこすりつけるピエロを、ローレンは静かに見下ろす。その様子をちらりと見たピエロの顔が絶望に満ちていく。
「こよ、雇用主に! 連絡をします!」
「雇用主って?」
「ディーノ・マイヤー伯爵です!」
野次馬たちにその名を刻ませ、ローレンは続ける。
「今、あなたに与えられている選択肢は王族を欺いた罪で投獄されるか、利権書を渡すか。この二つよ」
ピエロは何度も頷き、連絡をしにいった。もちろん、逃亡を図らせないために騎士たちは同行させる。
戻ってきたピエロは騎士にどちらの腕も捕まれ、半ば引きずられていた。
「ち、近いうちに、連絡を出すそうです」
「近いうちに、ね」
「本当です!」
「ああ、あなたを疑っているわけじゃないのよ。人を騙すようなことをしておいて、最優先に対処しないことに失望しただけなの」
ローレンの笑顔にピエロは言葉を詰まらせる。
「それじゃあ、連れていってちょうだい」
「は!? り、利権書を渡したら、許してくれるって……!」
「私は利権書をもらったかしら? 仮にもらっていたとしても、あなたは投獄を免れないわ。あなたたちには詐欺の容疑がかけられているもの。前科がつくかどうかわからないけれど……そうならないことを祈っているわ」
ピエロを拘束する騎士に目配せをすると、頷きで返される。喚くピエロはずるずると連れていかれた。
「せっかくの建国祭なのに、騒ぎを起こしてしまって申し訳ないことをしたわね」
「姫さまが謝罪されるようなことではありません!」
「そうです! 姫さまも危うく騙されるところだったのですから」
「私たちよりも前に挑戦し、すでに騙されたものが多くいるでしょう。マイヤー伯爵が罪を認め、償ってくれるよう私も尽力することを約束するわ」
興奮冷めやらない野次馬たちを軽くなだめ、ローレンはバルドと一緒にその場を離れた。
天幕は丘の上に設置されている。それが幸いし、騒ぎは外に漏れていないようだった。だが、噂が広まるのも時間の問題だろう。
「そろそろ騎士団のパレードが広場に来るんじゃないかしら?」
騎士団は王城から西に出発し、一日かけて王都をぐるりと行進する。
「人が集まってくるでしょうから、はぐれないように気をつけないといけませんね」
「少し離れたところから観覧するのがよさそうね」
「間近でご覧にならなくてよろしいのですか?」
「どうして? 私は騎士団とはいつでも顔を合わせられるもの。バルドが近くで見たいなら場所を用意してもらうこともできると思うけれど」
「……いえ、大丈夫です」
――パレードにも興味がないのかしら?
一糸乱れぬ歩みを披露する騎士団は壮観なものだが。
「ところで、バルドに聞きたいことがあるわ」
「なんでしょうか?」
「ほら、最初の……バルドが一人でナイフ投げに挑戦したとき。あのピエロになにか言われていなかった?」
バルドは一瞬だけ思考を巡らせたあと、ぱっと顔を逸らした。
「たいしたことは言われておりません」
「そうなの? かなり驚いているみたいだったけれど」
「挑発されただけです」
「挑発?」
バルドはほんのり顔を赤らめた。
「聞かないでください。姫さまに聞かれたら、なんでも答えたくなってしまいますので」
それからこほんと咳払いをし、「ところで」とバルドは話題を変えた。
「どうしてあんなに鉱山を欲していたのですか?」
「それは……」
ダイヤモンド鉱山は今後、主要な財源となる。国庫を潤わすこともできるし、鉱業で雇用を増やすことも可能だろう。
「魔法使いには宝石が必要でしょう?」
「――」
「今回、たくさんの魔法使いにブローチを作ってもらったとオーレリアンに教えてもらったの。金貨一枚じゃ到底、採算なんて取れないじゃない。でも私が鉱山を手に入れたら、これからは安価で提供できるかもしれないでしょう?」
「それじゃあ」
バルドの灰色の目がゆっくりと見開かれていく。
「オーレリアンさんたちの、ために……?」
――そこにはまるで、自分が含まれていないかのようね。
ほんの少しの寂しさを飲み込む。
それから、ローレンはふわりとした微笑みを、返答とした。




