二十二話 偉い人
建国祭は一ヶ月を目前に迫っている。
――それまでには建設地を決めておきたいわ。
ナタンが用意してくれた学校建設予定地と地図とを比べ、候補を絞っていく。
場所は王都の南郊外の平民たちが多く住む区画を考えている。貴族は文字を習うだけの学校に通う必要はないため、そちらのほうが住みわけもできて都合がいいだろう。
「南西、南、南東……今日中に回れるといいけれど」
護衛はすでにアレクシスに頼み、快諾してもらっている。
外出用で、華美ではないドレスに着替えてから正面の馬車で落ち合い、そのまま出発した。
「今回も護衛を頼まれてくれてありがとう」
「姫さまをお守りする任をいただき、光栄です」
ちかちかと点滅したハートは「七十二」を表示した。
「まずは王都の南西に向かわれるのですよね?」
「ええ。マシュー卿の話によると、南西は王都でもかなり治安が悪くなっていると聞いているわ」
警備隊を配置しているものの、スリや喧嘩が横行しているという。
「危険ですから、僕から離れないようにお願いします」
「アレクシスが守ってくれるなら安心よ」
足を運んでおきたいところは、全部で四ヶ所だ。南西と南東に一ヶ所ずつ、南に二ヶ所である。
「学校を建設されるのですよね」
「そうよ。文字を習う機会がないものたちのための学校を建てるの」
「姫さまの民を想うお心には感服いたします。僕も微力ながら協力させてください」
しばらく馬車を走らせると、雰囲気ががらりと変わった。心なしか薄暗く感じるのは、廃屋が多いからだろうか。
「ローブはよろしいのですか?」
前回の反省を踏まえ、アレクシスはローブを用意していたようだ。
「今回は身分を隠す必要はないわ」
せっかく用意してもらったところ悪いが、王選のために民たちには自分の存在を印象づけておく必要がある。
多少、危険な目に合う可能性が上がろうと、必要なことだ。
「一ヶ所目がこちらです」
立派な白いひげを生やした御者が建物を見上げた。
「速やかな案内ができるよう宰相閣下から場所を聞き、把握しております」
なぜ知っているのかというローレンの疑問を先んじて教えてくれた。
「少し狭いわね」
所狭しと民家が並ぶ一角にそれはある。
なにがあったのかはわからないが、屋根の半分は崩れ、壁も一部崩壊していた。
「奥行きはあるようです」
アレクシスが様々な角度から建物を覗き込む。
「ここは……あまり前向きにはなれないわね」
「でしたら、早急に移動しましょう」
ちら、と御者が路地裏に視線をやる。暗闇の中から男が数人、こちらの様子を窺っていた。
「アレクシス」
行きましょう、と声をかけようとしたローレンがぴたりと止まる。誰かにドレスの後ろを掴まれた感覚があったからだ。
「お金」
「え?」
「お金、ありませんか」
舌足らずな幼い声だった。
くるりと振り返れば、五歳前後の男の子がドレスの裾をがっしりと掴んでいた。
「姫さま!」
すかさずアレクシスが男の子を抱え、距離を取らせた。
「姫……?」
「姫さまってことは、そんなまさか。王女さまがこんなところにいるわけないよ」
「でもあの騎士さまの服は、王を守る騎士団のものだ」
陰から遠巻きにしていたものたちがざわざわと騒がしくなる。
だが、注目を集めたおかげでよからぬことを企んでいそうだった男たちは姿を消していた。
「偉い人?」
「ばか、やめろ!」
「偉い人だよ! この国で一番!」
アレクシスの腕の中で首を傾げる男の子に、遠くから声が飛んでくる。
――若い……というより、子どもばかりね。
すでに姿を消した、暗闇からこちらを窺っていた男たちも未成年のように見えた。
「親はどこにいるの?」
「おうち」
「ひいっ!」
「おうちでなにをしているの?」
「寝てる」
「ああっ!」
男の子と問答をするたび、どこからか絶望的な悲鳴が聞こえてくる。声の主のほうを向き、目が合うと飛び上がり、一目散に逃げていってしまった。
「ママ、足がいたいんだって」
「怪我をしているのね」
「わかんない。でも、歩けないんだって」
「姫さま、そろそろ……」
御者が耳打ちをする。予想よりも多くの人が集まってきていた。
「アレクシス、その子を離してちょうだい」
「承知しました」
解放された男の子はとてとてとローレンに近寄ると、すっと手を差し出した。
「お金」
「――」
「答えたから、お金」
ローレンはきょとんとしてしまう。いろんな場所から、ここ一番の悲鳴の合唱が起こる。
「殺される! 殺されちまう!」
「あれほど貴族に関わるなって教えてやったのに!」
――怖いもの知らずで、商魂たくましい子ね。
「申し訳ないけれどあなたに渡せるお金は今、持ち合わせていないの」
「そっかぁ」
しゅんとする男の子は、「もう用はない」と言わんばかりに背を向けた。なんと素直で現金な子だろうか。
「けれど、明日に人を寄こすわ」
「え?」
「明日、ここに馬車を手配する。それに乗れば神殿へ連れていってくれるから、怪我や病気をしている人を乗せなさい」
ローレンは周りにも聞こえるように声を大きくする。
「ママ、治る?」
「怪我の具合によるから治るとは言えないけれど、医者に診てもらえば快方へ向かうかもしれないわ」
「かいほう?」
「よくなるかもしれないってことよ」
男の子はぱっと目を輝かせ、「ママに教えてあげなくちゃ、ありがとう」と叫びながら走っていった。
「姫さまって悪い人じゃなかったの?」
「神殿に連れていってくれるって本当かな?」
「嘘だよ。あいつが邪魔でどっかにやりたかったから、適当なこと言っただけだよ!」
「でも、本当に馬車が来たら?」
口々に思いを交わす子どもたちを背に、ローレンは次の候補へと向かう。
男の子にお金をたかられるのは想定の範囲外だったが、ローレンの印象を強く与えるには充分な演出になりえた。あの豪胆さには感謝しなくてはならない。
「明日もあちらへ行かれるのですか?」
アレクシスは不安そうな顔をしている。
「どうして?」
「明日は同行できないからです」
――まるで、自分が選ばれることが確定しているような口ぶりね。
じっとこちらを見据える飴色の目には、「行くな」とでも言いたげな力強さがあった。
「王室騎士団から何人かを派遣しようと思っているわ。姿を見せるだけでも抑止力にもなるから」
常に目を光らせている。犯罪者たちはそう警告を受け取るだろう。
ローレンの返答にアレクシスはほっとしたような顔を浮かべていた。
「それにしても、子どもばかりだったわ。大人は隠れていたのかしら?」
「南西は神殿からも離れており、治安の悪化も重なった結果、人の往来が少なくなりました。そのため、家を追われた子どもや日陰に生きるものたちの住処となっているようです」
「孤児院では受け入れられないの?」
「あの男児は孤児ではありませんから。同じような境遇の子どもが集まっているのでしょう」
「考えものね」
怪我や病気により親は働けず、幼い子どもにも働き口はない。八方塞がりの状態だ。
「孤児院も、すべての孤児を受け入れることは不可能です」
――やらなければならないことが山積みで、頭が痛くなる。
本当に、先代女王はなんということをしでかしてくれたのだろうか。
たった数年で国を傾けるなど、一種の才能だ。とても褒められたものではない類だが。
――過去にも構想は持っていた。でも、力のない私では夢を見るだけで終わってしまった。今なら、今回なら、できるんじゃないかしら?
「姫さま、どうか気に病まれないでください」
「え?」
「すべては先代女王の過ちのためです。姫さまが責任を感じ、心を痛める必要はございません」
――だから、放っておけと?
ローレンはすべてを飲み込んだ。
これはアレクシスの気遣いで、必要以上に追いつめられないようかけてくれた優しい言葉にすぎない。
だから、ローレンは笑みを浮かべる。
「ありがとう、アレクシス。あなたがいてくれて、救われた気持ちだわ」
彼が喜ぶ言葉も、並べたてて。




