二十一話 表明
去り際の様子が頭から離れず、ローレンはバルドを追いかけた。しかし、急いで外に出たときはもう、馬車は出発していた。
「懸念点がございますか?」
「え?」
「学校建設の予算が通ったというのに、浮かない顔をしているではありませんか」
ナタンは書類に不手際があったかと視線を落とした。
「あ……それは喜ばしいことよ。反対するものも少なかったんでしょう?」
「ええ。反対していたものはサンチェス家に従う家門の人間くらいでしたね」
真っ先に王位を狙いにいったサンチェス家としてはほかの候補者の評判が上がることは好ましくないだろう。
「ジラール家に忠誠を誓う家のものは?」
「そちらは積極的に支援をするべきだと後押しをしてくださいました」
ナタンは周囲を見回し、人がいないことを確認する。
「ここだけの話、ジラール家は王位を狙っておりません。むしろ辞退したいとすら考えているでしょう。王位継承争いへ祭り上げられた理由が神託ですので、参加を表明し続けるのはやむを得ずといった形です」
だからこれまで、ジラール家には一切の動きがない。
「ですが、だからこそ不思議なのです」
「なにが?」
「ジラール家はサンチェス家に肩入れするとばかり、私は思っておりましたので」
政略結婚の歴史を顧みてのことだろう。
「ジラール家の人たちはみんな王室騎士団に所属し、王家に忠誠を誓うもの。王族である私を立ててくれたんじゃない?」
ナタンは納得していない。ほかに理由があるのではないかと疑っているようだ。
「それじゃあ、サンチェス家について調べてみるわ。できたらジラール家も」
「姫さまがですか?」
「直接はできないから、信頼できる人に頼んでみるつもりよ」
「例の魔法使いですか」
ローレンはこくりと頷き、首にかけていたペンダントを取り出した。ナタンになら見せてもいいだろう。
「それは?」
「魔道具よ。詳しくは秘密だけれど、身を守ってくれるの」
赤く輝くペンダントトップが美しく、何度も見惚れてしまう。
「そんなもので身を守れると?」
「実際の効力は確認していないけれど、このペンダントはすごく有用なんだから」
「……騙されてはいないでしょうね?」
ナタンが怪訝な顔をし、ペンダントとローレンを交互に見やる。
ローレンはアイテムでその効果を確認できるが、ナタンにはただのペンダントにしか思えないだろう。
「騙されてなんかいないわ。私は彼のことを信じているもの」
「信じることと騙されないことは同義ではありませんよ」
ナタンはますます、得体のしれない魔法使いに言いくるめられてしまったのではないかと危惧するようになってしまった。
「別に、そうして疑っていても構わないよ。せっかく、マシュー卿だから見せてあげたのに」
するりとペンダントをドレスの下に隠す。
「ぐ……」
「マシュー卿は、私が詐欺師の口車に乗せられて、まんまと騙されるような人だと思っているってことよね?」
ローレンは口を尖らせる。
「姫さまはまだ子どもではありませんか。私は、姫さまのことが心配なのです。不遇な幼少期を過ごし、ただでさえ立場も危うくなっているというのに……」
「私の立場が安定していたことなんて、あったかしら」
ナタンが奥歯を噛む。
「ここ最近……それこそ、王選を開始した日から。姫さまはときどき、大人と遜色ない言動をなされるようになりましたね」
どきりと心臓が跳ねる。
「私が目の前にしているのは本当に、まだ年端もいかない十歳の幼子とは思えないほど」
なにか言わなければいけない。だが、言葉が喉につかえて出てこなかった。
「僭越ながら私は、姫さまを娘のように思っております」
――あ……不審がっているのではなく、親心のようなもの、なの?
そう気づいた瞬間、強張っていた体から力がふっと抜けるのを感じた。
「無理をして、大人になろうとしなくてよいのです。王選の期間は十年もあるではありませんか」
「でも」
「サンチェス家は今もなお月に一度、貧民へ食糧の提供をしております」
話が飛び、ローレンは反論をやめ、聞く姿勢になる。
「しかしそれも、王都と自領だけの話。他領でそのようなことをすれば領主から反感を買いかねませんから」
「なにが言いたいの?」
「十年。王選の期間を続けたとしましょう。そうしてサンチェス家が玉座に腰を据えたとしましょう」
ナタンは丁寧に話を進めていく。ローレンにはそれがとてもじれったく感じた。
「王になったあかつき、続けると思いますか?」
――思わないわ。
心の中で即答するにとどめ、ローレンはゆるりと首を横に振った。
「それに、月に一度満腹になったところでどうしようもありません。毎日、満たされなければ……結局は変わりません」
だからこそ、とナタンは口元に笑みを乗せた。
「是が非でも姫さまには学校を建てていただき、少しでも多くの民の雇用機会を増やし、生活水準を上げてもらいたいのです」
学校さえ建ててしまえば、あとは誰が王になろうと継続できる。マシュー公爵家に準ずる貴族に託せば、それこそ立案者がいなくともなんとかなる。
「そのためにも、大人を……私を頼ってください」
宰相の顔だったり、父のような顔だったり。
「だって、マシュー卿は……エタンセルの、宰相で」
「ええ、宰相です。宰相が、姫さまの後見となりましょう。総じて、マシュー公爵領とそれに準ずる貴族たちは姫さまの支持を表明します」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
「でも、中立でいなければならないんじゃないの?」
「そのようなこと、いったい誰が決められるというのです。領地運営をする弟に連絡を入れていたため、表明が遅くなったことを謝罪いたします」
過去ではこんなことはなかった。漠然とローレンに肩入れをしている事実だけがあり、正式な発表は行われていなかった。
表明があるのとないのとでは、今後の展開は大きく異なるに違いない。
マシュー公爵家が味方につくのなら。そういった考えでローレンに天秤を傾ける貴族は増えるだろう。
「血筋にあぐらをかかず、民を支え、国を想う姫さまの努力に敬意を表します」
つん、と鼻の奥が痛む。
――マシュー卿はいつだって、私の味方をしてくれていたわね。
「先日での騎士団の騒動により、ジラール家も姫さまの施策に舵を切ったのやもしれませんね」
『騎士団の忠誠』を獲得したことにより、ローレンの名声は確実に上がっている。
――あとは、ジェシカの勢力を削がないと。十年? そんな長い時間、待っていられないわ。
できるだけ早く、サンチェス家の企みを潰さなければならない。
――建国祭では絶対に、ジェシカが誘拐されることを阻止しなくちゃ。
ついにローレンにも強力な後ろ盾ができ、追い風が吹いていた。このチャンスを逃すまいと、ローレンは建国祭で畳みかけることを決意した。




