二話 チュートリアル
「殺せ! 殺せ!」
「暴君を許すなー!」
耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が鼓膜を打ち、あやふやだったローレンの意識が覚醒する。
「……あ、れ?」
ローレンの認識ではさっきまで薄暗い牢屋で一人、いや、ジェシカと相対していたはずだ。だというのに頭上に広がるのは焼けるように赤い夕暮れ。
肩と肩が、腹と背中が、背中と腹が密着し、ぎゅうぎゅうと押される。前へ前へと流れようとする各人の意思は集団の総意となっているようだ。
『データを同期中』
ぱっと目の前に白い枠が現れ、ローレンは目を見張る。驚きに上げた声や身じろぎは群衆の熱狂に飲まれてしまった。
隣を見ても、後ろを見ても、誰もこの不可思議な白い枠に疑問を抱いていない。それどころか、ごった返しになる人の群れは顔を上げた先に用意された舞台に熱視線を注いでいる。
「――ぁ」
柱の間に刃が吊るされた、処刑台。それを見た瞬間に全身から血の気が引いた。
――あれは、私の……?
そうだ。自分はジェシカの策略にまんまとはまり、王選の舞台から突き落とされた。そうして用意された、頭と胴を切り離し、負け犬に死という罰をもたらすための新しい舞台。
死は覚悟していた。しかし、いざ目の前にすると本物を知らない決意は簡単に揺らいでしまう。すぐさまこの場から離れようとするも、群衆に阻まれて一歩も動くことができない。
「出てきたぞ!」
「この悪魔! お前のせいで、息子が死んだんだ!」
「家族を返して!」
びりびりと体の芯が震えるほどの大きな音となって、悲痛な訴えが響き渡った。
「……違う」
ぼろ衣一枚をまとい、布で口を塞がれ、紐で両手を拘束された女がふらりと姿を現した。
陶器のように滑らかで綺麗だった肌には無数の赤黒い線があり、黄金のごとく輝いていた金髪は輝きを失している。
膝をつかされ、うつぶせ状態にさせられているというのに、虚ろな金の双眸は見物に集まった群衆を見下ろしていた。
――お母さま。
ぐ、とローレンは唇を噛む。
『チュートリアル【女王の処刑を見届けろ】』
目の前に白い枠が現れ、五秒ほど経って消えた。
「っ……見たことのない文字なのに、なぜか読める。半分は意味がわからないけれど」
国王の死後、王位に着いた母は女王となった。元々、浪費癖はあったが、絶対的な権力を得てからはひどくなる一方で。
わがままで高慢ちき、不必要な税収に苦しめられる民たちが反旗を翻すのは必然とも言える結果だろう。
このままでは国が傾くと判断した宰相を筆頭に、女王の処刑が決行された。
そう、決行されたはずなのだ。十年前、ローレンがまだ十歳のときに。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい? このままじゃ潰されちまうよ」
「え? わっ!?」
ひょいっと誰かに抱えあげられた。
「せっかくここまで見にきたんだ。よーく目に焼きつけときな。あれがあたしらを苦しめた暴君の成れの果てさ」
ふくよかな金髪の女性、見物に足を運んだ一人なのだろう。女王の娘だとばれたのかと焦ったが、ただ気を遣ってくれただけらしい。
「手が」
視界に映った自分の手が記憶よりも小さい。健康的な手のひらは幼い子どものそれだ。
「ねえ、おばさま」
「ん? なんか言ったかい?」
「私は、何歳くらいに見える?」
「そうだねえ。十歳くらいかね? なんだい、あんた。まさか子どもが見ちゃいけないもんだってお母さんに言われたのかい? 大丈夫さ。あれは死んで当然の女だからね。むしろ見ておいたほうがいい」
欲望のままに生きる人間がどうなるのかをね、と女性は軽蔑に瞳を揺らしていた。
「っ」
揺れる瞳に映る姿は、それこそ十歳の姿である。ローレンは自分の頬をぺたりと触った。張りのある肌に押し返され、事実を少しずつ咀嚼し、飲み込んでいく。
「地獄に落ちろー!」
「どれほど愚かか、思い知れ!」
到底、信じることなどできない。ありえないと心が叫んでいる。けれどこれが走馬灯ではないのなら、ローレンは過去に戻ってきている。
母の処刑の日に、神託を授かる前日に。
「殺せ! 殺せ!」
時間になり、処刑人が罪人の傍らに立つ。
群衆は声を一つにし、贅沢の限りを尽くした女の死を望み続ける。
「――」
ローレンも母の死を見届けようと顔を前に向けたとき、途中で視線が止まった。
――ジェシカ、アレクシス。
二人は身を寄せあい――というより、ジェシカがアレクシスに縋るようにして抱きついていた。優しいアレクシスはジェシカの背中に手を添えて、目を伏せる彼女を思いやっている。
本当に過去に戻り、人生をやり直すチャンスを得たというのなら。
――次は、あなたの思い通りにはさせない。今度は私があなたを蹴落として、邪魔をしてあげる。
「これより処刑を始める!」
処刑人が高らかに宣言し、群衆の勢いは最高潮に達する。
「最期に、謝罪の機会を与えよう」
口布を外された女は呼吸をし、右へ左へと目線を動かした。
あの日も、命を絶たれるというのに母はああやって己に服従するものを探し、見下した目をしていた。
そうして、今日も日常の一端であるかのように、いつも通りに言ったのだ。
「――お腹がすいたわ。早くステーキを持ってきなさい」
刃が落ちる。
「お嬢ちゃん、今なんて」
「おばさま、下ろして。もう充分よ」
鈍い音を何度も、何度も聞きながらローレンは踵を返し、処刑場をあとにした。
『チュートリアル【女王の処刑を見届けろ】 クリア(報酬・システム機能開放)』