十六話 追加クエスト
苦しそうに首をかくアレクシスに思考が止まり、呆然としてしまう。
「アレク!」
「毒か!?」
アレクシスの皮膚が赤くなり、ぽつぽつと湿疹も出ている。
――毒じゃない、これは……アレルギー!?
厨房のメイドは王城勤めのもののアレルギーを把握している。騎士団に所属するアレクシスも例外ではなく、たとえ本人がいなくとも騎士団に桃を出すことは決してない。
「すぐ吐かせないと!」
「無理に吐かせてはだめよ!」
アレクシスを吐かせようとする騎士を引きはがし、やめさせる。
「宮廷医師を呼んできて! アレクシスがアナフィラキシーショックを起こしたと伝えて!」
「あ、ぼ、僕が!」
「あなたはだめよ! 騎士団でもっとも足の速い人が行きなさい!」
果物を切りわけた少年を居残らせると、ローレンの指示に一人がぱっと走り出す。
――過去にこんなことはなかったはず。アレクシスがアナフィラキシーショックを起こしたのは、私が処刑される原因となった事件だけ!
「どうして吐かせないんですか、姫さま!? アレクさまはこんなに苦しんでいるんですよ!」
ジェシカが声高に叫ぶ。
ローレンはアレクシスの口の中を確認しながら答えた。
「無理に吐かせて誤嚥してはもっと危ないからよ」
アレクシスの意識はかろうじてあるが、朦朧としている。
「アレクシスを仰向けに寝かせて、足を高くさせて」
「はい!」
間もなくして宮廷医師が飛んできて、アレクシスに薬を飲ませた。それから救護室へと担架で運ばれていった。
ジェシカもそれについていき、訓練場は緊迫した空気に包まれている。
『追加クエスト【犯人を追いつめろ!】が解放されます。受注しますか? はい・いいえ』
――アレクシスのアレルギーは桃だけ。それは騎士団にも周知されている。
ローレンは枠を見ながら考える。
「ジェシカにも話を聞きたいところだったけれど、私はそこの二人に話が聞きたいわね」
厨房から果物を持ってきた二人の騎士を指さすふりをして、『はい』を選択する。
少年と壮年の騎士の態度は真逆と言っていいほど異なる。少年騎士は今にも泣きだしそうで、壮年騎士は落ち着き払っていた。
「これは騎士団内での問題ですから、姫さまもアレクの付き添いをされてはいかがでしょう?」
「王城内で起きた問題でもあるわ。騎士団内での問題ということは、あなたたち二人のどちらかが、あるいは両名とも関わっていることは明白のようね」
ローレンは記憶の母をまね、挑発的な笑みを浮かべる。
壮年騎士は僅かに眉をしかめ、奥歯を噛んだ。
「姫さまのおっしゃる通り、二人は厨房でのことを詳しく話してもらおう」
「副団長の命令とあらば」
――私には従わないということね。いい度胸じゃない。
ローレンは腕を組み、発言を待った。
「果物を受け取ったのはお前だったよな?」
「は、はい。僕で、間違いありません」
壮年騎士の問いかけに、少年騎士はこくり、こくりと何度も頷いた。
「厨房を取り仕切るメイドから直接、籠に一つずつ入れてもらいました。アレクシスさんのアレルギーもありますから、注意していました」
「だったら、そのメイドもつれてきてもらえる?」
「わざわざメイドを呼ぶんですか?」
「なにか不都合なことがあるのかしら?」
壮年騎士はあからさまにいやそうな顔をした。
「姫さまのおっしゃる通りに。厨房も調べてこい。行け」
副団長が指示を飛ばし、数人を向かわせる。
「切りわけたナイフを渡して」
「へ?」
「ナイフよ。果物を切っていたナイフを副団長に渡しなさい」
少年騎士は震えた手でポケットを探る。ハンカチに包まれたそれをそのまま手渡した。
「不自然なところはありません」
「桃の果汁はハンカチで拭ってしまったものね。そうでしょう?」
「はい……はい!?」
少年騎士が目を丸くした。図星だと語っているようなものだ。
「連れてまいりました」
初老のメイドが騎士の後ろでぺこりと礼をした。
「そこの騎士二人に果物を渡したのは、あなたで間違いないわね?」
「間違いありません」
メイドは頭を下げたまま答える。
「顔を上げてちょうだい。事情は伝わっているだろうから、当時のことを詳しく教えてもらえるかしら」
「承知いたしました」
さすがは母の時代を生き抜いた優秀なメイドである。貴族に動じず、己の仕事に誇りを持ち、堂々としている姿は称賛に値する。
「十五分ほど前のことです。そちらの方々が、本日は試合形式で訓練をする特別な日であるため、褒美に果物をくれないかと相談に来られました。最初は断りましたが、どうしてもとお願いされましたので振る舞うことにしました」
副団長に睨まれ、壮年騎士はばつが悪そうに、少年騎士は顔を真っ青にさせた。
「あなたが籠に果物を入れてくれたと聞いたわ」
「さようでございます」
「では、あなたたち二人がそうしている間、あの騎士はどうしていたのかしら?」
ローレンは壮年の騎士を指さす。
「姫さま。まさか私を疑っておられるのですか?」
「ええ、もちろん」
少しは謙遜するとでも思っていたのだろう。しかし、正直に疑心を打ち明けられた壮年騎士は面を食らった顔をした。
「続けて」
「はい。許可もなく、厨房内を歩き回っていました」
「許可? 許可だって? 平民になぜ、私が許可を取らなければならない」
「やめろ、ばかものが!」
副団長の叱責に壮年騎士は顔を逸らした。
――平民を見下し、あろうことか差別的に接する典型的な貴族ね。
誰のおかげで毎日おいしい食事を食べられていると思っているのか。
「話が進まないわ。その騎士を拘束し、膝をつかせなさい」
「なっ」
壮年騎士はかっと目を見開き、声を荒げる。
「いくら疑われていようと、なぜ私がそのような仕打ちを!? こんなこと許されるはずがない!」
「あら?」
仲間に腕を掴まれ、膝をつかされた男に笑いかける。
「一介の貴族になぜ、私が許されなければならないの?」
壮年騎士は顔を真っ赤にさせた。今しがた吐いた暴言を、十歳の少女に返されるのはどんな気分だろうか。
仲間の騎士にもくすくすと笑われ、さぞ屈辱に違いない。
「桃は厨房にあったの?」
「はい。今日はお客さまがたくさんいらっしゃっておりますので、すべての果物を保存室から出しておりました」
「彼が桃に触れることはできた?」
「はい。可能だと思います」
壮年騎士に向けられる視線が厳しくなる。
「私は触れておりません! それに、ナイフを持っていたのも、実際に切ったのも、全部あいつがやったことです!」
少年騎士はがたがたと体を震わせた。
「ぼく、は……っ」
「お前がやったんだろ!? 目にかけてやった私がこのような仕打ちを受けて、心が痛まないのか!?」
「……っ」
少年騎士は目じりに涙を溜め、けれどこぼさないように必死になっている。
――分が悪くなったら、すべてあの騎士に罪をなすりつけるつもりだったのね。変に落ち着いていたのも、あの騎士に嘘の自白をさせる算段をつけていたから。
「もうっ、もうしわけ、ありませんっ」
少年騎士は両の手を組み、どさっと膝をついた。
「謝っても許されることじゃないよなあ!?」
副団長に目をやれば、向こうもこちらを窺っていた。
「申し訳ありません! 僕は、アレクシスさんになんてことを……っ」
「本当に、なんてことしてくれたんだ!」
――どうしてあなたがそう得意げになれるのよ。見苦しい。
「先輩に逆らえなくて、桃を切ったナイフで果物を切りました……!」
ぎゅっと目を瞑り、少年騎士の大粒の涙が地面を濡らした。
誰もが少年騎士が罪をかぶり、自白するのだろうと不憫に思っていた。だが、震えながらも少年騎士の指先は、壮年騎士へと向いていた。




