内緒の友達
勢いよく塀に上った慣性で、マリーナはそのままエドアルドの上に落ちた。
「うわぁ!」
「きゃぁ!」
二人は重なり合って倒れる。
「いたた……大丈夫かい?」
運悪くマリーナの下敷きになってしまったのに、すぐに相手を気遣うのは、さすがエドアルドだ。
一方でマリーナは自分の下にあるエドアルドの顔を見て、さっと血の気が引いた。
『そうだ! ここはエドアルドが、辛い時によく王宮を抜け出してきていた場所で、主人公にその思い出を語った場所じゃないか!』
鉢合う可能性を考えてなかったのは、本当に迂闊だったとしか言えない。
「君、どうしたの? どこか痛い?」
エドアルドはマリーナの下から出て身を起こし、心配そうに声をかけた。
『どうしよう!? 婚約前に出会ってしまった!!』
マリーナが動揺して黙り込んでいると、遠くのほうから声が聞こえた。
「……んか~~! えど……か~~!」
「いけない! こっち来て!」
エドアルドはマリーナの手を取って走り出す。
マリーナは引っ張られるままに彼について言った。
泉の横の茂みの裏に入って、エドアルドはふぅとため息をついた。
「あ、ごめん! 急に引っ張っちゃって……」
エドアルドは、巻き込んでしまったマリーナに謝った。
「君は、どこかの屋敷の子? それとも、下の町から来たのかな? あっ大丈夫。誰にも言ったりしないよ!」
確かに屋敷の使用人の子か、平民の子が貴族街を一人でウロウロしていたことがバレたら、かなりまずいだろう。怒られるだけで済むならいいが、場合によっては罪に問われるかもしれない。
黙り込んだマリーナはそのことを恐れていると勘違いしたのか、エドアルドは安心させるように笑みを浮かべた。
「僕は……エド。ただのエドだよ。君は?」
エドアルドは、わざと自身の名前を短く紹介した。王子だと気がつかれたら、マリーナが緊張すると思ったのか、それとも身の安全を守るために偽名を使ったのかもしれない。
『そうだ。偽名だ』
マリーナは閃いた。ここで偽名を名乗れば、マリーナとエドアルドは出会ったことにならない。
「オ、オレは……マルコ」
マリーナは声を低くしてそう答えた。
ここにいるのは、女の子のマリーナじゃなくて、男の子のマルコだ。
「マルコ! 君と会えて嬉しい。ねぇ、君今時間あるかな?」
「え、う、うん……」
「じゃあ、こっち! 見せたいものがあるんだ!」
エドアルドはマリーナの手をひっぱり走り出した。
茂みから少し離れた小さな林に着くと、ほら、と上を指さす。
見上げれば、そこには鳥の巣があった。ちょうど親鳥が帰ってくると、小さな幼鳥が我先にと顔を出す。
「かわいい!」
「ツバメのヒナ。さっき見つけたんだ」
目を輝かせたマリーナを見て、エドアルドは満足そうに言った。
それから、エドアルドは泉の周りをいろいろと案内してくれた。
野イチゴがなるところ、蜜の吸える花の咲くところ、クローバーの群生地。
自分のひみつ基地に、ようやく現れたお客様を招待でき、とても楽しそうだった。
そして二人で泉のほとりに座り、他愛もない話をした。エドアルドは、少し迷ったそぶりをした後、意を決したように言った。
「あの、マルコ。よかったら、また僕と遊んでくれるかい?」
「え……?」
「来週は……無理だけど、来月の同じ週の同じ曜日とか……ここで」
「えっと……」
マリーナは逡巡した。自分がマリーナとバレないためには、もう二度と会うべきではない。けれど、真剣なエドアルドの顔を見ていると、断る言葉が喉で詰まった。
「ダメかな……?」
ダメだと言わなきゃいけない。もう二度とここには来ないと。
けれど、マリーナは言葉が出てこないまま、エドアルドと見つめ合った。
その時だった。
「こんなところにいたんですか。エドアルド殿下?」
二人で振り返ると、背後に鋼色の髪で長身の少年が腕を組んで立っていた。
「アルベルト……」
エドアルドは少年を見て、悲しそうに顔をゆがめた。
「今日はなんか戻りが遅いと思ったら、誰です? このガキは?」
少年は、マリーナを指さしてそう言った。
「彼は……さっき友達になって……」
「友達ぃ? 殿下とこのガキがですか?」
銀髪の少年は「はぁ……」とため息をついて、マリーナに向き直った。
「おいお前、この方が誰か知ってるのか?」
「アルベルト!」
エドアルドが制止するより先に、少年は言葉を紡ぐ。
「この方は、エドアルド殿下。この国の王太子だ。お前なんかが友達になれる相手じゃねーんだよ」
その言葉で、少年の後ろにいたエドアルドは、みるみる顔を曇らせた。
ほとんど泣きそうなまでなっているその様子を見たら、マリーナはとっさに言ってしまった。
「エド! また来月な!!」
「は!? お前何言ってんだよ!」
マリーナの言葉に少年は声を荒げたが、エドアルドは頭を跳ね上げる。
そして花が咲くように顔をほころばせた。
「うん! また!」
エドアルドの声を背に、マリーナはその場を走り去る。
どうしても『もう会えない』とは言えなかった。
マリーナは王子としての彼の孤独を、よく理解していたからだった。
結果的にだが、マルコとして王子と会ったのは、片手で数え切れるほどの回数だった。
最後は色々とあって、面と向かってお別れはできなかったけど、サヨナラを告げる手紙を書くときは、無性に寂しくてボロボロと泣いてしまった。そして、エドアルドからの返事をもらって、マルコの出番は終了した。
――はずだった。
マリーナが十四歳になり、エドアルドとの婚約が決まり、挨拶の食事会が催された時だった。
十六になったエドアルドは、少しあどけなさを残しつつも、精悍な顔つきになっており、ゲームのマリーナが一目惚れやむなしの美少年になっていた。
その時の私は、じょじょに自分の『役割』について頭を悩ませ始めており、婚約イベントのあとに自分に待ち受ける、略奪令嬢の称号や黒い石のことの思って日々げんなりとしていた。それでもハレの日の御馳走は目の前で輝いており、食べないのはもったいないので、ちょっとずつ口に運んでいると、隣に座っているエドアルドが、そっとマリーナに囁いた。
「君、もしかして……マルコ?」
「ぐっ!? なっ! なんで……!?」
口に入れたものをのどに詰まらせそうになりながら、マリーナはエドアルドを見ると、彼は不思議そうな顔をしながらもこう言った。
「だって右耳の裏、同じところにホクロがある」
「ホント!?」
マリーナは髪がハーフアップされてあらわになっている自身の右耳を抑えた。
「うん。それに、今『なんで』って言ったし……」
「あっ……!!」
マリーナは次に自身の口を両手で抑えた。
『バカ! 最初に誤魔化して置けばよかったのに……!!』
そのマリーナの態度を見て、エドアルドは嬉しそうに、再度問いかけた。
「ね、君はマルコなんだよね?」
マリーナは顔から血の気を引かせながら、懸命に考えた。
今、ここで、自分は何と言うべきか。
そして、考えあぐねた結果。
「し、知りません……。私は……マルコでは……ない……デス……」
無理やり誤魔化した。
「えっ?」
エドアルドは、予想外の返事にきょとんとして首を傾げた。
どう考えても苦しい誤魔化しで、エドアルドがそれを信じるとは思えなかった。
けれど、では、どうすればいいというのか!?
認めてしまえば、マリーナとエドアルドはこの場が初対面では無くなってしまう。
果たして、それでいいのだろうか?
目の前が真っ暗になるような、何とも言えない恐怖が襲い、マリーナは息をのんだ。
バレバレの誤魔化しでも、シラをし切ったほうが安心できる気がした。
『なんとか、この場限りでも誤魔化し切ろう!』
エドアルドからの追及に身構えながら、マリーナはそう決心した。
エドアルドは、自身の膝頭をにらみ唇をかみしめているマリーナを見て、ゆっくりと口を開いた。
「そっか……。僕の勘違いだったみたいだ」
「へ……?」
やけにあっさりと疑問を翻したエドアルドに、マリーナはぽかんとした。
「変なことを言ってごめんね」
エドアルドは机に向き直り、自身の食事を再開した。
『なんかよくわかんないけど、誤魔化せた……?』
マリーナは訳がわかないながらも、とにかく窮地を脱せたようで、ほっと息をついた。
とりあえずマリーナも食事を再開し、小さく切ったお肉を口に運んだその時だった。
エドアルドが身をかがめ、素早くマリーナの耳元へ囁く。
「でも、また会えて嬉しい」
マリーナはその瞬間、火が出そうなほど顔が熱くなった。