愛に飢えた少女
『なーんて、意気込んでいたんだけどなぁ……』
マリーナは床に置いていた扇子を広げて、ため息をついた。
心を決めてから、やれることは全部やった。
ゲーム中でマリーナがしていたようにふるまい、口調も変えた。慣れない略奪も試み、『略奪令嬢』の称号も手に入れた。
しかしやっぱり断罪イベントも怖いので、自分の罪が軽くなることを期待して、匿名で「災厄に注意するように」と国に手紙を送ったり、秘密裏にユリアの名前で魔物被害者救済基金を作り、そこに自分が買った物や貢ぎ物などを売ったお金を匿名で寄付をして、災厄時の被害者を減らそうとしたりもした。
すごく、すごーーーーく頑張ったのだ。
頑張ったのに!
『まさか、黒龍復活のキーアイテムだった“黒い石”が手に入らないなんて……』
想定外の出来事だった。
ゲームではいつの間にかマリーナの元にあり、なぜかそれに強く惹かれた彼女は肌身離さず持ち歩いた。そして『あることをきっかけ』にマリーナが『世界を壊したい』と願い、それに共鳴して黒い石は割れ、黒龍が復活するシナリオだった。
マリーナの外伝小説や設定資料を読み込んだ記憶を辿れば、マリーナが十七になったころにはもう所持していたので、十七を半年以上過ぎた今の自分は持っているはずだった。買い物依存症だったマリーナが手当たり次第に買い求めた装飾品たちの中に紛れていたと描写にあったから、商人を呼び寄せほとんど毎日買い物をしているのだが、それらしいものは見当たらなかった。
『もう少し待っていれば、手に入るのだろうか』
しかし、ゲームの中で災厄が起こる日まで、あと三ヶ月ほどだ。
ただ待っていてもいいのだろうか?
災厄の日にちが変われば、ゲームのシナリオ通りにならないのかもしれない。
どうすればよいのか。
『確かマリーナの寂しさや悲しさが、石を呼び寄せたとか書いてあった気がするけど……』
マリーナは閉じた扇子で額をコツコツと叩いた。
ゲームの中の彼女を思い返す。
ゲームの中のマリーナは愛に飢えた少女だった。
その生い立ちはさっき思い返したとおり、眠りの神子ユリアとともに生まれ、不幸な事故で両親を亡くし、ヴィスコンティ家にマルツィオの落とし子として引き取られる。
マルツィオがユリアだけでなく、妹まで引き取ったのは、髪の色は違えど『眠り神子に顔立ちがそっくりの同い年の娘』に利用価値を見出したからだった。そこに愛情などなく、あくまで『神子のおまけ』だった。同じ日に誕生日を迎えているはずなのに、ユリアが年を重ねたことは盛大に祝うが、マリーナにはおめでとうの一言も、口にしたことはなかった。姉の生誕祭で従順な妹として花を手向ける役割を終えた後、自室で侍女が運んでくるユリアのために作られたケーキの一切れを一人で食べるのが、通例だった。下民の腹から生まれた落とし子の双子、眠りの神子であるユリアはともかく、ただの子であるマリーナに対して、選民意識の強いヴィスコンティ家は、夫人は当然として他の兄弟、使用人までも冷たかった。「余り物のマリーナ」「どうでもいいほうの娘」と聞こえるように陰口を叩かれたこともある。
そうして、愛情に恵まれなったマリーナをさらなる悲劇が襲う。
それはマリーナが九歳になるころだった。
新しく入ってきた侍女の一人が、とてもマリーナに優しかったのだ。
はつらつとした声と態度で、顔を上げるように言いながらうつむきがちなマリーナの背を叩く。普通の子供のように扱い、きれいな髪色だと、頭をなでる。
マリーナにとってそれは生まれて初めて経験することだった。
すぐに彼女が大好きになった。
姉や母のように慕うマリーナに、彼女はあるお願いをした。
『故郷に病気の母がいて、その回復を願うために眠りに神子に会いたい』
マリーナにはその言葉を疑うことも、拒否することもできなかった。
やっと手に入れた信頼できる相手を失いたくないマリーナは、衛兵を誤魔化し、侍女を限られた人間しか入れない神殿の最奥に案内する。祭壇に歩み寄り、ユリアの顔を見た彼女は思いもよらない行動をとった。
懐の中のナイフを、ユリアの胸に突き立てようとしたのだ。
神殿の中には侍女とマリーナ以外、人はいなかった。
しかし神殿内に施された空間魔法の紋様がすぐに発動し、素早く伸びた細長い影がその侍女を縛った。
影は侍女の殺意を感知し、その殺意を返すように彼女の首をギリギリと締め上げる。
『なんで……どうして……?』
あまりの光景にその場で座りこんでしまったマリーナは茫然とつぶやく。
首を絞められながら侍女は怒鳴り散らした。
『最初からこれが目的だったに決まってるだろう! でなきゃなんでお前なんかにっ――』
言葉の途中で侍女の首はボキリと折れ、その体がマリーナの隣に倒れこんだ。役目を終えた影はシュルシュルと紋様に戻って行く。
全てを悟ったマリーナは床に伏せ、激しく慟哭した。
その声を聞きつけた衛兵がその惨状を確認し、緊急事態を告げに詰め所に走った。
後の捜査にて、その侍女はヴィスコンティ家の出世を憎んだ他貴族の刺客だということが分かった。
マリーナ自身も姉に害意があったのではと疑われたが、紋様の魔法がマリーナには反応しなかったことと、何よりマルツィオが娘の利用価値が下がることを嫌ったため、『騙されただけ』と結論付けられた。
ただこの事件以降、同じ轍を踏むことが無いよう、マリーナと使用人が親しくならないように徹底的に管理されるようになり、彼女の孤独と人間不信はますます深まることになる。
ゲームのシナリオとしての知識や、現代日本で両親に愛情を持って育てられた記憶のある今のマリーナでも、この当時のマリーナの記憶を思い出すと、胸がズキリと痛む。
今のマリーナはマルツィオが実の父じゃないことを知っている。それだけではなく、実の両親が本当にマリーナとユリアを二人とも愛していて、その愛情を込められてつけた名前を変えないことが、祖母の口止めの条件であり、貧しさから二人を育てられないことを惜しみながら、心から二人の幸せを願ってヴィスコンティ家に預けていたことも、知っている。けれど、当時のマリーナはそれも知らない。使用人たちが、母親は金で娘を売ったらしいと噂をしているのを聞いたくらいだ。
心に深い傷を負ったマリーナは、それからはほぼ自室に引きこもるように過ごした。
誰とも親しくならず、生きる目的もなく、ただ人形のように生きていた。
十四歳の時、そんな彼女に人生最大の転機が訪れる。
それは――。
「やぁ、やっぱりここにいたんだね。マリーナ」
背後から声を掛けられ、マリーナは立ち上がり振り返った。
そこには黄金色の髪に、深いサファイヤのような瞳、形のいい唇に、彫りの深い目鼻、絶世の美男子と表現しても過言ではない青年が、朝日を浴びて、まるで自身が輝いているように立っていた。
彼の名前はエドアルド・ヴィットリオ・コンクドラコ。
このモンテドラコニア王国国王の第一王子であり、第一王位継承者だ。
――そして、マリーナの婚約者である。