あの時の私と今の私
『いや、「プレイした記憶がある」なんて言葉は過少表現かも……』
心の中で誰に向けたでもない独白をして、マリーナは一人ため息をついた。
オタク、マニア、熱狂的なファン……あの時の自分にはどんな言葉がふさわしいのか。
マリーナは今や遠い昔のことになってしまった、前世の自分を思い返した。
中学生だったころの、“私”があのゲームと出会う前の周囲の評価は例外なく『真面目な優等生』だったと思う。
勉強はそもそも得意だったし、両親や教師たちにも従順で、役員などの雑務もそつなくこなしていた。特に何か見返りを求めてと言うわけでもなく、強いて言うなら、他にやることがなかったからだ。何かに情熱を燃やすでもなく、明確な夢や目的もなく、ただ漫然と周囲に望まれることをやっていた。
そんな自分を変えたのは、高校一年の夏、クラスメイトに借りた一本のゲームだった。
『え~ゲームやったことないの? 貸してあげるよ! これ超面白いんだよ!』
そう言って無邪気にソフトを貸してくれたあの同級生は、それが彼女の人生を変えることになるとは、思ってもみなかっただろう。
夏休みも中ほど、宿題をすべて終えた私は、借り物のソフトを弟のゲーム機を使ってプレイしてみた。
ゲームのあらすじはこうだ。
主人公はごく普通の女子高校生だったが、ある日奇妙な夢を見る。夢の中では銀髪で赤い瞳をした少女が悲痛な顔で語りかけてきた。千年の眠りを経て蘇った『破滅の黒龍』によって、世界が滅亡の危機にある。世界を救済するために力を貸してほしいと言われ、主人公は戸惑いながらも了承する。そして目が覚めると、そこは近世ヨーロッパに似た雰囲気の場所で、自身の姿は夢で見た少女そっくりになっていた。
主人公は混乱しながらも「目覚めし救世の聖女よ、どうか我々を救ってください」と請われるままに、『五人の勇士』と共に旅に出る。
主人公が目覚めた国の王子、弓使いのエドアルド。
その隣国の王子、剣士のアルベルト。
主人公の眠っていた伯爵家の傭兵、大楯使いのマテウス。
魔術書協会からの派遣司書、魔導師のジェウン
謎に包まれた吟遊詩人のガルーシア。
この五人と共に主人公は国の各地に現れた魔物を浄化し、彼らと交流を深め、最終的に『破滅の黒龍』を討伐し、この世界を救うというものだ。
その世界観とストーリー、キャラクター、すべてが私を魅了した。
ドハマりし私はその後、夏休み中の時間を使って全ルートを攻略し、新学期に入ってから同級生にソフトを返した後、両親にねだって自分用のソフトとゲーム機を買ってもらった。それから毎日のようにそのゲームをやりこんだ。
ゲームを貸してくれた同級生は、そんな様子を見て若干驚きつつも、公式情報が得られるSNSや二次創作を見られる場所を教えてくれた。
コミカライズやノベライズ、設定資料集、キャラグッズなど、今まで貯めていたお年玉やお小遣いでできる限り買い集めた。どうしても手の出ない遠方へのファンミーティングは校内テストで十位以内を取るという条件を与えてもらい、なんとか費用の工面と行く許可をもらった。
『制作会社の方に、ファンレターとか何通も送ってたよなぁ、あの時の私……』
それまで凪のように穏やかだった自身の人生に、突如として現れた嵐に心が振り回されて、とにかく手当たり次第に情熱をぶつける先を探していたとも言える。
とにかく、私の青春はそのゲームによって始まり、そしてある日突然、終わりを告げた。
バス事故だった。
学期末、翌日から春休みを迎えるため、早めの下校となったその日、私はいつものとは違うバスに乗っていた。ちょうどそのゲーム特集が組まれたアニメ雑誌が発売日で、それを購入するため大きな本屋に寄り、帰りのバスの中だった。
何があったのか、客観的なことは何もわからない。
大きな音、強い揺れ、人の叫び声。
私はとっさに隣に座っていた小学生くらいの女の子を抱きしめた。
次に覚えているのは、自分の体が何かに圧迫されていること、そして、髪を生温かい液体が濡らし、頬を伝う感触。目を開けることも、声を上げることもできず、私は次第に強烈な眠気に襲われた。それに、あらがうことはできなかった。
“私”としての意識は、それが最期だ。
それから、少し夢を見た。
夢の中で私は救世の聖女となり旅をし、ついに破滅の黒龍のいるシギラート山の麓にたどり着いていた。
魔物の巣窟になっている洞穴を奥へ進んでいくと、落石で塞がれた道を見つける。石を取り除いて先に進むと、古い朽ちた祭壇がある巨大な空洞に出た。
洞窟の中に入ると、不思議なことに共にいた仲間は姿を消し、私も救世の聖女の姿ではなく、元の自身の姿に戻っていた。何が何だかわからないまま祭壇の前まで足を進めると、そこに一人の少女が立っていた。
少女は赤い髪に黒いドレスと身にまとって、冷たいまなざしでこちらを見ていた。
彼女が、封印の要になっていた『黒い石』を割り、破滅の黒龍を復活させた張本人。
黒龍のひとつ前のボスとして登場する“悪役令嬢”。
その名前はマリーナ・ディ・ヴィスコンティ。
つまりは、“今の私”である。