略奪令嬢、マリーナ・ディ・ヴィスコンティ
ある王都の貴族街の一角。
その晩餐会は、つつがなく終わろうとしていた。
やんごとなき来賓があったわけでも、豪華な演出があったわけでもないが、それなりの子爵令嬢の誕生会として悪くないものだった。堅苦しい挨拶も終わり、今は解散の前に来賓客でそれぞれの集まり、歓談に勤しんでいる。
「本日は私のためにお集まりいただき、誠にありがとうございました」
主賓の子爵令嬢は同じ年頃の集まる女性たちに近寄り、恭しく礼をした。
「あら~! よろしくてよ! まぁあまりパッとしない……いえ、小ぢんまりとしたいい会でしたわ」
そう大きな声で返したのは、この子爵家が懇意にしている伯爵家の令嬢だ。彼女は自慢の宝石をこれでもかと身に着け、この中の誰よりも派手に着飾っていた。
「そうですわね。今夜は“あの方”もいらっしゃいませんし、のびのびできていいですわね」
「ええ、ええ、最近はどの会にも“あの方”が招かれていて、窮屈でしたもの」
「久しぶりに着飾った姿を見れて嬉しいですわ」
伯爵令嬢の取り巻きたちが口々に言い、彼女を囲んで話し出した。
「ふふふ、そう。今夜は“あの方”がいないので、特別なペンダントをしてきたの。見てくださる?」
伯爵令嬢はそう自慢げに胸元を指し示した。そこには柔らかな赤色のメノウに彫られた、女性の横顔のカメオが輝いていた。
「まぁ! 素晴らしいですわ!」
「本当に素敵なペンダントですわ。どこでお買いになられたの?」
「ふふふ、これは先日お父様からいただいたの。石自体はメノウなので大したことないけれど、なんでも、もうこの世にはいない職人の最後の作品なんで、とても貴重なものなんですって。たまには、こう言った変わり種もいいと思いません?」
伯爵令嬢は頬を紅潮させて話すのを見て、横で静かに笑っていた子爵令嬢はギュッと手を握った。
「どうぞ、もっと良くご覧になって?」
伯爵令嬢が取り巻きにそう言った時だった。
「あら、本当に素敵ね。私にもよく見せていただけます?」
少し離れたところから、良く通る声が響いてきた。
伯爵令嬢と取り巻きたちはその声にびくりと体を震わせ、恐る恐るそちらを見ると、そこには一人の女性が立っていた。
上品にウェーブした艶やかな赤髪、滑らかな白い肌、細くしまったコルセットから溢れそうに見える豊かな胸元。臙脂色の華やかなドレスは“彼女”と言う名画を惹き立てる最高の額縁のようだった。
“彼女”は薄く笑んだ形の良い唇を扇子で隠し、深い緑の瞳でまっすぐ前を見据えながら、伯爵令嬢へと歩み寄る。
「どうして……? 今夜はいらっしゃらない予定では?」
みるみる顔を青ざめさせた伯爵令嬢は、絞り出すようにしてそう言った。
「ええ。招待状をいただいてはいたのですが、あいにく他の晩餐会と被ってしまって……。けれど、皆様ご存じの通り、我がヴィスコンティ家は先代まで子爵だった身、その時にこちらのお家に大変お世話になっていたものですから、ご挨拶だけでもと思いまして……」
“彼女”はころころと笑いながら言い、子爵令嬢に目配せをする。子爵令嬢は恐縮するようにお辞儀を返した。
「それより、あなたの自慢のペンダント。どうぞよく見せて……」
「い、いえ、ご興味を持たれるほどのものでは……」
“彼女”に首元へ顔を寄せられ、伯爵令嬢は精一杯身をよじる。
嵐が過ぎるのを待つように、ギュッと目を閉じた。“彼女”が、あの言葉を言わないことを祈る。
「本当に素敵だこと。私、――欲しくなっちゃった」
その一言で、伯爵令嬢はヒュッと喉が締まるのを感じた。
「しかしその、これは、お父様からいただいたもので……」
「もちろん、何もなしに譲れとは言いませんわ。この指輪と交換で、いかがかしら?」
“彼女”は自身の指から指輪を一つはずし、伯爵令嬢の顔の前に差し出した。大きな宝石がはめられたそれは、金銭的価値で言えば、ペンダントよりも高級だろう。
「ですが……その……これは、一点物で……」
伯爵令嬢は消え入りそうな声でつぶやく。
“彼女”はそんな伯爵令嬢の目を見て言った。
「交換、してくだるかしら?」
その瞳の奥に輝く光に捕らわれてしまうと、断るための二の句が継げなくなった。
『彼女にこれを渡さないといけない』
そう言った感情が、ふつふつと湧いてくる。
「……はい、わかりましたわ」
伯爵令嬢は力なくつぶやくと、自身でペンダントを外し、“彼女”へ差し出した。
そして深く後悔した。
こんなことになるならペンダントを付けてこなかったのに。
“彼女”
『略奪令嬢、マリーナ・ディ・ヴィスコンティ』が来ると知っていたなら。