森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)8~エリスとの出会い
◇本文
或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。余は彼の燈火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太教徒の翁が戸前に佇(たゝず)みたる居酒屋、一つの梯は直ちに楼に達し、他の梯は窖住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
今この処を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被りし巾を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁ひを含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
彼は料らぬ深き歎きに遭ひて、前後を顧みる遑なく、こゝに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覚えず側に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人は、却りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆れたり。
彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が真率なる心や色に形れたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬を流れ落つ。
「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯へだになし。」
跡は欷歔の声のみ。我 眼はこのうつむきたる少女の顫ふ項にのみ注がれたり。
「君が家に送り行かんに、先づ心を鎮め玉へ。声をな人に聞かせ玉ひそ。こゝは往来なるに。」彼は物語するうちに、覚えず我肩に倚りしが、この時ふと頭かしらを擡げ、又始てわれを見たるが如く、恥ぢて我側を飛びのきつ。
(青空文庫より)
◇口語訳
ある日の夕暮れのことだが、私は動物公園を散歩し、ウンテル・デン・リンデンを通り過ぎ、モンビシュウ街の下宿に帰ろうと、クロステル道路の古い教会の前に来た。私はあの灯火の海を渡り、この狭く薄暗い道路に入り、建物の上の手すりに干してあるシーツや、肌着などをまだ取り入れていない人家や、頬髭が長いユダヤ教徒の老人がドアの前でたたずんでいる居酒屋や、一つの梯子は真っすぐに上階につながり、他の梯子は穴倉住まいの鍛冶屋につながる貸家などに向かって、凹字の形に引き込んで建てられた、この300年前の遺跡を眺めるごとに、心が恍惚となってしばらくたたずんだことが何度あったか知らない。
今ここを通り過ぎようとするときに、閉ざされた教会のドアに寄りかかり、声を殺して泣く一人の少女がいるのを見た。歳は16・7歳だろう。頭にかぶったスカーフから漏れ出る髪の色は薄い金色で、着ている服は垢がついたり汚れたりしているようにも見えない(が、粗末な服だ)。私の足音に驚かされて振り返った顔・表情は、私に詩人の才能がないのでそれをうまく表現することができない。この青く美しくもの問いたげに憂いを含んだ目が、半ば涙を乗せた長いまつげで覆われているのは、なぜひと目見ただけで、用心深い私の心の底まで貫いたのか。
彼女は思いがけない深い嘆きに出くわして、後先を考える余裕もなく、ここに立って泣くのだろうか。私の臆病な心は憐憫の情に打ち勝たれて、私は思わずそばに寄り、「どうして泣いていらっしゃるの? この場所につながりを持たない外国人(である私)は、かえって力を貸しやすいこともあるだろう」と話しかけたが、我ながら自分の大胆さに呆れた。
彼女は驚いて私の黄色い顔を見つめたが、私の真摯な気持ちが表情に現れたのだろうか、「あなたは善人に見える。彼のようにひどくはないだろう。また私の母のように。」 しばらく涸れていた涙の泉はまたあふれて、愛らしい頬を流れ落ちる。
「私をお救いください、あなた。私が恥知らずな人となろうとするのを。母は彼の言葉に従わなければならないと言って、私を叩いた。父は死んでしまった。明日は葬式を出さなければならないのに、家には一銭の貯えもない」
あとはすすり泣きの声ばかり。私の目はこのうつむいている少女の震えるうなじにだけ注がれた。
「あなたの家に送っていこうと思うから、まず心をお静めなさい。泣き声を人に聞かせてはなりません。ここは往来だから」 彼女は私が話すうちに、いつの間にか私の肩に寄りかかったが、この時ふと頭をもたげ、また初めて私を見たかのように、恥じらって私のそばから飛びのいた。
◇評論
「ある日の夕暮れなりしが」
芥川の「羅生門」もそうだが、「夕暮れ」から始まる物語には一つの型がある。暗闇に導くものと導かれるもの。闇や黒は、通常は悪の棲み処である。この物語においても、太田はエリスによって闇へと導かれる。そうしてそれは最終的にはふたりの破滅につながる。下人は「誰も知らない」世界に「駆け下りた」。太田は狂ったエリスを捨て、日本に戻る。
「獣苑」から「古寺」(クロステル教会やマリエ教会)までは、直線距離で3㎞ほどある。80mで1分とすると、40分ほどかかる計算だ。太田は往復80分の「漫歩」をしたことになる。
地図で見ると、ウンテル・デン・リンデンの通りを挟んだ付近は、道がマス目状に交差しており、都市計画を感じさせる。そこには、王立図書館、ベルリン大学、オペラハウスなどが整然と建ち並ぶ。これに対して太田の下宿があるモンビシュウ街やクロステル巷は、川の流れに沿って折れ曲がり、扇状を描いている。
「余は彼の燈火の海を渡り来て」以降は、クロステル巷の様子が、読点によって長々と続けて述べられる。それによって読者は、太田とともに古い街並みの中に取り込まれていくような不思議な感覚に襲われる。読者も、クロステル巷に入り込み、しばしたたずみ、狭い通りから上を眺める。そうして太田とともに、「心」が「恍惚」となるのだ。
「燈火の海」があるウンテル・デン・リンデンという晴れの場と、「狭く薄暗き巷」であるモンビシュウ街やクロステル巷という私的な場(肌着が干してある)が、対比的に描かれる。太田は歴史的雰囲気に包まれた下宿から、整然と区画された街へと出かけて仕事をし、学んでいるのだ。
太田の下宿がある町は、太田も含めた異邦人や鍛冶屋などが住む町で、私的な旧市街という雰囲気を感じさせる。
「今この処を過ぎんとするとき」という現在形の表記は、読者も一緒に現場に連れ込む。また、手記を書く太田自身もこの時のことをはっきりと思い出している。
「鎖したる寺門の扉に倚りて」からは、エリスが、自分の困難の解決を神にすがる様子が伺われる。
「年は十六七なるべし」
この時太田は25歳なので、これはちょうど、夏目漱石「こころ」の先生とお嬢さんと同じ年齢設定になる。偶然そうなったのか? 「舞姫」は1890(明治23)年発表。「こころ」は1914(大正3)年発表。いずれも、9歳という年齢差のある恋愛だ。
「我足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁ひを含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。」
出会っちゃったんだね。しかも相手は美少女。これだけ見ると、結構安易な設定の物語だ。何のラノベですかって感じ。
また、「余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず」と言いながら、「この青く清らにて物問ひたげに愁ひを含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか」という十分すぎる説明をしてくれる太田君、嫌いじゃないです。エリスの「目」に「心」が射抜かれた太田。
「物問ひたげに愁ひを含める目」って、何でしょう。こんな目で見つめられたら、男子全員ノックダウン間違いなし。しかも泣いているのです。女の涙は卑怯・罪です。「半ば露を宿せる長き睫毛」も、反則です。色っぽ過ぎます。そりゃあ、太田でなくても、「一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したる」ということになるよ。太田は悪くない。
上司からは疎まれ、同僚からは猜疑され、憂さ晴らしに動物園を散歩するかわいそうな(かわいい)太田。その帰り道で出会った涙にぬれる美少女。この設定で、恋に落ちないわけがない。後は太田が、この運命的な出会いをどうするのかということになるでしょう。
少し無粋な話題になるが、エリスは素人だったからよかったのだ。性産業のプロには食指が動かなかった太田だが、このような自然な出会いを、彼は待っていたとも言える。
(ただこの「素人」という説明には保留を付ける。これについては後ほど説明する)
これまで女性に対して心を閉ざしていたと言ってもよい状態だった太田だが、街角で泣く少女を見て「彼は料らぬ深き歎きに遭ひて~」のように推察をする。今、太田は、誰とも離れた一人ぼっちの状態だ。その孤独から、少女への憐憫の情が湧いたのだろう。
「わが臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覚えず側に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人は、却りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆れたり。」
太田の本性である「臆病」な心。この時それは、「憐憫の情」に「打ち勝」たれる。ここになぜ受身形が来るのだろう? ここは例えば、「憐憫の情はわが臆病なる心に打ち勝ち」ではダメなのか? これではまるで、「憐憫の情」という見慣れぬものに「わが臆病なるこころ」がやっつけられたように読める。そういう意味での表記か。そうすると、自分がそうしよう思って彼女に声をかけたのではなくて、「憐憫の情」がどこかからやって来て、それに自分本来の「臆病な心」が退治され、そしてそいつが勝手に彼女を助けようとしたということになる。
この太田の考え方は、何なのだろう。あくまでも自分の責任を回避しようとするこの態度。エリスに話しかけ、彼女を助けようとしたのは、見知らぬ「憐憫の情」であって、それは自分とは無関係だと言いたいのだ。自分が積極的に助けようと思って助けたのではないのだ、ということ。
「ところに繋累なき外人は、却りて力を借し易きこともあらん。」
ここを読むといつも感じるのだが、このような声の掛け方、人を助けるときにこのように表現する習慣が、西洋(英語、ドイツ語)にはあるのだろうか。それとも太田のオリジナル? オリジナルだとすると、やや無理やりな論理に思われる。「外人」の方がかえって力を貸しやすいなんてことある? 余計な気づかいが要らないってこと?
「我ながら自分の大胆さに呆れた。」
この感想は、当時も感じただろうし、現在も感じているだろう。何かわけがわからないが、いつの間にか自分はそうしてしまった。また、自分で自分が大胆だなと客観的に見る目をちゃんと持っていて、その目で見ると呆れるばかりだった、ということ。
これはまた、次のように考えることもできる。太田の心は、エリスの「目」の「一顧したるのみ」によって、完全に「心の底まで」射抜かれている。一目ぼれだ。従って、「ところに繋累なき外人は、却りて力を借し易きこともあらん」というセリフは、自分の本心を隠しているとまでは言わないまでも、自分の恋心をかなり抑えた言い方と内容になっている。「君に惚れたから助けるよ」というのが太田の本音だろう。だから太田は、ここでとてもカッコつけている。冷静を装っている。しかし心臓の動悸は激しくなっていただろう。だから、「我ながら自分の大胆さに呆れた」というのは、つい本音が漏れてしまった言葉だ。
一方で、黄色い顔をした東洋人に、突然ドイツ語で話しかけられたエリスは、「こいつはいったい何者?」と思わなかったのだろうか。年齢もだいぶ離れている。すぐに太田を信用・信頼してしまっているのがやや不審だ。
「彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが」
これは実際にエリスが太田の顔を見た時に東洋人だという反応を微かでもしたのだろう。だからその「驚き」を、わざわざこのように書き記したように思う。太田自身が「外人」であることを意識していたということもあるだろうが。
「我が真率なる心や色に形れたりけん。『君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又我母の如く。』」
この部分の構造は、「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又我母の如く。」というエリスの言葉から察すると、「我が真率なる心や色に形れたりけん」と思われたということ。先ほども述べたが、太田の心は完全にエリスにつかまれている。だからその「心」は、本当は「真率なる心」ではない。「真率なる」ふりをしているのだ。本当は、今すぐにでもエリスを抱きしめたいのだ。太田は「真率」な仮面を被っている。嘘の「真率なる心」だから、それが「色に形れ」ることはあり得ない。従ってここは、いかにも真面目な好青年のふりをした太田の演技に、エリスがだまされたということになる。
こう考えると、「憐憫の情」も怪しくなる。好きだからかわいそうだと思うのだ。その「好き」という感情を、太田は、表現としても抑えている。
ただ、ここは、エリスの方が一枚上手だったという可能性もある。これについては、後ほど述べる。
「君は善き人なりと見ゆ。」
初めて会った黄色い顔の東洋人を、その一瞬で信用・信頼してしまうエリス。いい人か悪い人かは、しばらく交流してみないと分からない。そんなことは、エリスももう知っているだろう。だからこの時彼女は、太田を根拠もなく善人だと認めなければならない状況だったとも言える。それがこれに続く、「彼の如く酷くはあらじ。又我母の如く。」になる。その詳細については、後にエリスから説明されるが、「彼」はエリスの雇い主であるビクトリア座の座長で、この時父親の葬儀の費用に困っていたことに乗じてエリスに言い寄っていた。また母親も、座長の言葉に従えと娘に迫っている。つまりこの時エリスは、貞操の危機にあった。そのような状態の自分に声をかけてくれた相手が、太田だった。だから彼女は、自分の身を守るために、たとえそれが外国人であっても、目の前の頼みの綱をつかもうとしたのだ。
極端な話、エリスにとっては、自分を助けてくれそうな人であれば、だれでもよかったのだ。自分の身体を求めずに、自分を助けてくれそうな人。だから「外人」である太田は、その意味で適任だと判断したのではないか。
従って、この後エリスがすべきことは、一つだ。
「暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬を流れ落つ。」
エリスは自分の窮状を初対面の外国人である太田に訴える。それは言葉だけではない。「涙」、「欷歔の声」、「顫ふ項」、「覚えず」太田の「肩に倚り」かかること、「ふと頭かしらを擡げ」初めて太田「を見たるが如く、恥ぢて」太田の「側を飛びの」くこと。これらはすべて、エリスの計算だと言っても過言ではないだろう。
一目見ただけで相手を好きになることはある。しかし、その相手が信頼に足る人であるかどうかは、分からない。16・7歳のエリスにも、それは分かっているはずだ。太田にしてみても、初対面の自分に金を貸してくれなどというのは、詐欺しか考えられないだろう。しかし太田の心はエリスに射抜かれてしまった。一方でこの時のエリスがどうだったかは、分からない。彼女はただ、金を貸してほしいがために太田にすがったと言えなくもない。
エリスから向けられた「善き人」という信頼を、太田は、自分への好意と感じている。自分は相手を好きになった。相手もそうなのではないか。と感じ、勘違いしている。
『こころ』もそうだが、先生もKも太田も、恋愛経験がゼロのようだ。初めて女性から向けられた「目」によって、簡単に恋に落ちてしまう。そうして、気持ちが舞い上がる。
女は自分の目的のためならば、「涙の泉」を「溢れ」させ、「愛らしき頬を流れ落」とす。そのくらいは朝飯前だ。
「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯へだになし。」
エリスは太田に救済を求める。それが無ければ、自分は、「恥なき人」になってしまう。母親も自分の敵だ。自分を叩き、座長の言葉に従えと強要する。このままでは、父親の葬儀が行えない。
エリスが置かれた窮境は、確かにとてもつらいものだ。父親の死。人生の重大場面なのに、葬儀すらできない貧困。その弱みに付け込み、からだを要求する座長。頼りの母親すら、座長の言うとおりにせよと折檻する。これではどうしようもない。行き場も居場所もない。寺門の前で泣いていたエリスは、そのような状態だった。太田が現れなければ、彼女は、座長の愛人となるしかなかった。貧困は我慢できるが、それだけは・その一線は越えたくなかったのが、エリスだった。
「跡は欷歔の声のみ。我 眼はこのうつむきたる少女の顫ふ項にのみ注がれたり。」
エリスは可憐な少女と捉えることもできる。しかしその一方で、唯一金が借りられそうな男を前に、渾身の演技をしたとも取れる。彼女はわざと「うつむき」、太田にわざと自分の「うなじ」を見せている。自分の魅力を十分に知っている少女なのだ。エリスは太田に賭けたのだ。
この後エリスは太田を母のいる自宅へ導く。それは、自分の貞操を太田からも守るためでもある。
「彼は物語するうちに、覚えず我肩に倚りしが、この時ふと頭かしらを擡げ、又始てわれを見たるが如く、恥ぢて我側を飛びのきつ。」
これは惚れますね。いかにも可憐で初々しい16・7歳くらいの少女。今どきこんな子はラノベの世界にもいません。
セイゴンの船の上で、当時のことを思い出しながら筆記する太田は、この時何を思っていただろう。彼女との出会いは、こんな偶然だった。彼女はとても可憐だった。それに自分の心は射抜かれた。それらは、今でもはっきりと覚えている。
それなのに今自分は狂ったエリスを捨てて日本へ向かっている。
太田は自分と自分の行動に、どう始末をつけようとするのか。