森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)7~太田の本性
◇本文
官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想を懐きて、人なみならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我地位を覆すに足らざりけんを、日比伯林の留学生の中にて、或る勢力ある一群と余との間に、面白からぬ関係ありて、彼人々は余を猜疑し、又 遂に余を讒誣するに至りぬ。されどこれとても其故なくてやは。
彼人々は余が倶に麦酒の杯をも挙げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに帰して、且は嘲り且は嫉みたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、怎か人に知らるべき。わが心はかの合歓といふ木の葉に似て、物 触れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、学びの道をたどりしも、仕への道をあゆみしも、皆な勇気ありて能くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一条にたどりしのみ。余所に心の乱れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇気ありしにあらず、唯ゞ外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有為の人物なることを疑はず、又我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も一時。舟の横浜を離るるまでは、天晴れ豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾を濡らしつるを我れ乍ら怪しと思ひしが、これぞなか/\に我本性なりける。此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。
彼の人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびんなる心を。
赤く白く面を塗りて、赫然たる色の衣を纏ひ、珈琲店に坐して客を延く女を見ては、往きてこれに就かん勇気なく、高き帽を戴き、眼鏡に鼻を挾ませて、普魯西にては貴族めきたる鼻音にて物言ふ「レエベマン」を見ては、往きてこれと遊ばん勇気なし。此等の勇気なければ、彼活溌なる同郷の人々と交らんやうもなし。この交際の疎きがために、彼人々は唯余を嘲り、余を嫉むのみならで、又余を猜疑することゝなりぬ。これぞ余が冤罪を身に負ひて、暫時の間に無量の艱難を閲し尽す媒なりける。 (青空文庫より)
◇口語訳
官長はもともと自分の意のままに利用することができる器械(のような存在として自分)を作ろう(しよう)としたのだろう。独立の思想を抱き、生意気な顔つきをしている男をどうして歓迎するだろうか、いや、しない。私の当時の地位は危ういものだった。しかしこれだけでは、まだ自分を失脚させるには条件が不足していたのだが、日本からのベルリンの留学生の中に、ある勢力を持つグループがあり、その者たちと私の間に、日ごろから不愉快な関係が生じており、その人々は私を猜疑し、また、ついに私を讒誣するに至った。しかしこれもその理由が無くてしたのだろうか、いや、理由はあったのだ。
例の人々は私が一緒にビールのグラスもあげず、ビリヤードのキュウも取らないのを、意固地な心と欲を抑制する力だと理由付け、嘲る一方で嫉妬したのだろう。しかし、これは私を知らないからだ。ああ、この理由は、自分自身でさえ気付かなかったのに、どうして他人に知られようか、いや、知られるはずがない。自分の心はあの合歓という木の葉と同じで、物が触ると縮んで避けようとする。自分の心は処女に似ている。私が幼いころから年長者の教えを守り、勉学に専念したのも、公務員の仕事に就いたのも、みな勇気があってうまくやったのではなく、我慢して勉強したのも、みな自分を欺き、他者をも欺いたからで、他者が導いた道を、ただその通りにたどっただけだ。他のことに心が惑わされなかったのは、自分を誘惑するものを拒絶するほどの勇気があったのではなく、ただ誘惑に惑わされることを恐れて自分で自分の手足を縛っただけだ。故郷を出立する前にも、自分が有為の人物であることを疑わず、また自分の心が忍耐強いことをも深く信じていた。ああ、あれもその時だけの感情だ。船が横浜を離れるまでは、「立派で豪傑だ」と思った自分の身も、こらえきれない涙でハンカチを濡らしたのを自分でも不思議だと思ったが、これこそがかえって自分の本性であった。この心は生まれつきのものだったのだろうか、または、早くに父を失い母の手で育てられたことによって生じたのだろうか。
例の人々が嘲るのはもっともだ。しかし嫉妬するのは愚かではないか。この弱く不憫な心を。
赤や白に化粧し、きらびやかな衣装をまとい、カフェに座って客を引く女(娼婦)を見ても、その相手をする勇気無く、高い帽子をかぶり、鼻眼鏡をかけて、プロシャでは貴族の使う鼻音で話すレエベマン(男娼)を見ても、彼らと遊ぶ勇気もない。これらの勇気がないので、例の活動的な同郷人たちと交際しようもない。この疎遠な関係によって、例の人たちはただ私を嘲り、私を嫉妬するだけでなく、さらに私を猜疑するようになった。これこそが私が冤罪を被り、わずかな間に計り知れない困難と苦悩を経験しつくす原因となった。
◇評論
「猜疑」…相手を信用する気になれず、何かしら自分に不利な事をするのではないかと疑うこと。(三省堂「新明解国語辞典」第6版)
「讒誣」…事実ではないことを言いたてて他人をそしること。(デジタル大辞泉)
太田は結局職を失うことになるが、その理由にあたるものがここで示される。
ひとつは、官長への反抗だ。それまで従順だった男が豹変したので、官長も驚いただろう。生意気な顔つきの部下から、「細かいことを気にするな」などと言われては、官長の面目は丸つぶれだ。そんな部下を歓迎するはずがない。
もう一つは、他の留学生たちとの距離だ。そのグループとの不仲の理由は、太田が一緒に飲みにもいかない堅物だったからというものだが、それに加えて、太田の素行の悪さを讒言されたことによる。この後の部分に示されるが、ふだん偉そうな態度をとっていた者が、実はバレリーナなどという卑賎な者が就く職業の女と交際しているという行動を責められた形だ。
手記をしたためる太田はこの頃のことを思い出し、自分の失脚にはちゃんと理由があったのだと認めている。「されどこれとても其故なくてやは」という反語表現で強調することによって、その事実を確認する。そうして、敵対グループの告げ口も、致し方ないものだったと、その正当性を認めているのだ。
太田の本性は、「合歓といふ木の葉に似て、物 触れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり。」というものだった、これが原因で、太田は、同輩たちと交流することができなかった。一緒に酒を飲んだり、ビリヤードに興じることができなかった。すべては、「唯ゞ外物に恐れて自らわが手足を縛せし」という状態だったからだ。
さらに太田は続ける。太田の「本性」は、「耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一条にたどりしのみ」であり、「余所に心の乱れざりしは」、「唯ゞ外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ」である。「舟の横浜を離るる」時に、「せきあへぬ涙に手巾を濡らしつる」というのが、「我本性」だ。「この弱くふびんなる心」こそが、本当の自分であると太田は振り返る。
「東に帰る今の我」は、「昔の我」を振り返りながら、手記をしたためている。そうして、「我本性」を認識する。
「所動的、器械的」。「合歓といふ木の葉に似て、物 触れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり」。「唯ゞ外物に恐れて自らわが手足を縛せし」。「人のたどらせたる道を、唯だ一条にたどりしのみ」。「唯ゞ外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ」。「せきあへぬ涙に手巾を濡らしつる」「弱くふびんなる心」。
これらは、すべての「外物に恐れ」るがゆえに、他者や誘惑に近づけなかったことを表す。また、「長者の教へ」・他者の導きに抗えない。太田は怖がる男なのだ。また、母親との別れに涙する感動屋なのだ。
人の導くままに、また相手の求めるもの・期待にできるだけ添おうとする態度は、自分を殺すことになる。また、失敗しても、他者のせいにすることができる無責任な態度だ。ともに、自分というものがない状態。太田はそのような人生を送って来、また、現在も同じであることに彼は思い至る。
ところで、この、「弱くふびんなる心」という表現は、まるで、誰かかわいそうな他者に対しての評言であるように聞こえる。自分に対して「ふびん」という語を使うだろうか? 「自分って、こんなにかわいそうな存在なんだ。だから、みんな、憐憫の情をもって、自分に接してね。多少の失敗は、大目に見てくれよ。だって、俺って、弱いからさ」とでも言いたいかのようだ。白旗をあげ、他者からの攻撃や叱責を回避する態度。このような相手に批判の言葉を向けると、いじめになってしまう。だから他者は、太田を批判しにくくなる。「俺って弱くてかわいそうなヤツなんだ」というのは、姑息な自己弁護だ。自分の考えや行動をしっかりと認識し、その責任を身に負うという態度が、太田にはない。
この考えを進めると、同輩たちから攻撃されたり、官長から苦い顔を向けられるのも、当然だし仕方がない。太田のような人間は、いじめの対象になりやすい。人のせいにして逃げる。ときどき妙な自信家になり、大口をたたく。あげくには自分の弱さで許してもらおうとする。簡単に言うと、卑怯な人間なのだ。
太田のこの態度は、エリスとの関係においても継続されるので、彼の言い訳・自己弁護を読まされる読者はだんだん嫌な気分になるのだった。
ところで、太田の説明する「勇気」についてなのだが、彼はその「勇気」のなさの説明として、娼婦や男娼と遊ぶ「勇気」を示す。自分の性的関心に素直に従うことができなかったという意味での「勇気」のようだが、彼を取り巻く者たちが感じていた太田の勇気・交流のなさは、そのようなものだけだったのだろうか。酒が入れば遊びたくなる気持ちも生じ、また実際にそのような場面もあっただろうが、同輩たちは、そもそも自分たちと一緒に飲みに行こうとしない太田に対して、堅物だと感じていたのではないか。酒の席で交流が深まることもあるだろう。太田はそのような場に出席すらしない。従って、周囲の者が太田を嫌う理由と、太田自身が考える理由が、かみ合っていないように思う。太田はやや極端なものの考え方をしている可能性がある。