森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)26~我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか
◇本文
人事を知る程になりしは数週の後なりき。熱劇しくて譫語のみ言ひしを、エリスが慇ろにみとる程に、或日相沢は尋ね来て、余がかれに隠したる顛末を審らに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕ひ置きしなり。余は始めて、病牀に侍するエリスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬落ちたり。相沢の助にて日々の生計には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。
後に聞けば彼は相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵れぬ。相沢は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髪をむしり、蒲団を噛みなどし、また遽に心づきたる様にて物を探り討めたり。母の取りて与ふるものをば悉(こと/″\)く抛ちしが、机の上なりし襁褓を与へたるとき、探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。 (青空文庫より)
◇口語訳
意識が戻ったのは(私が帰宅してそのまま倒れてから)数週間後のことだった。高熱を発しうわ言ばかり言う私を、エリスが手厚く看病していると、ある日相沢が訪ねて来て、私が彼に隠していたいきさつを詳しく知り、大臣には病気のことだけ報告し、うまく繕っておいてくれた。私は初めて病床に付き添うエリスを見て、その変わり果てた姿に驚いた。彼女はこの数週間でひどく瘦せ、目は血走り窪み、頬は灰色に削げ落ちていた。相沢の援助で日々の生計には困らなかったが、この恩人は彼女を精神的に殺したのだった。
後に聞くと、彼女は相沢に会った時、私が相沢とした約束を聞き、またあの夕方大臣に申し上げた承諾を知り、急に飛び上がり、まるで土のような顔色で、「我が(愛する)豊太郎さん、それほどまでに私を欺きなさったのか」と叫び、その場に倒れた。相沢は母を呼び、一緒に助けてベッドに寝かせたが、しばらくして目覚めた時は、視線はまっすぐ前を向いたままで、そばにいる人が誰かもわからず、私の名を呼んでひどく罵り、髪をむしり、布団を噛みなどし、また急に気が付いた様子で物を探り求めた。母が取って与えた物をことごとく投げ捨てたが、机の上にあった産着を与えた時は、手探りで顔に押し当て、涙を流して泣いた。
◇評論
エリスを「精神的に殺し」たのは、まぎれもなく太田だ。太田は自分の責任を相沢に転嫁し、責任逃れをしようとしている。相沢にしてみれば、とんだ濡れ衣ということになる。相沢は、太田がエリスに伝えるべき事柄を、いわば太田の代わりに言ってあげたのだ。その行為に対し、「殺した」などと言われる筋合いはない。太田のこの、自己責任をあくまでも回避しようとする態度が、すべての悲劇の元となる。説明もせず、責任も取らない人間は、子を儲けてはいけない。エリスは一方的な被害者だ。しかもその償いは、ごくわずかだった。
それにしてもこの、太田が人事不省の間に相沢が訪問するという設定は、でき過ぎの感がある。これはまるで、太田の責任をいくらかでも軽減する効果を持つように見える。しかしこれは、最後までよく見ていくと、決してそうではないことが分かる。意識が戻った後の太田には、エリスと子を捨てて帰国するのとは別の選択肢があったからだ。帰国の意思を翻し、心を病んだエリスとその子とともにドイツで生きていく道もあった。しかし彼はその選択肢を選ばなかった。つまり太田が、いずれにせよエリスを裏切り帰国したことに変わりはない。彼がもしドイツでの生活を選べば、エリスの心の病も癒えた可能性がある。その子を養育するという責任も果たすことができる。子まで儲けながら、自分を心から愛してくれている人を狂わせ、わずかな金を渡してそのまま帰国するという行動は、いかに明治時代の倫理観からしても、許されるものではないだろう。エリスとその子には、最悪の場合、死が待っている。そのことへの想像力が、太田にはない。人の道にはずれているのだ。
「余がかれに隠したる顛末」とは、太田がエリスに何も伝えておらず、また、エリスと別れていなかったことだ。エリスと別れると相沢に約束したにもかかわらず、太田はエリスに別れを伝えていなかった。また、天方大臣との帰国もエリスは知らなかった。これらをエリスに隠していたことを、相沢にも伝えていなかった。つまり太田は、エリスとその子の人生においてとても重要なことを、エリスにも言わず相沢にも言わなかったのだ。
この場面での、「よきやうに繕ひ置きしなり」という表現がとても引っかかる。自分の過失を相沢は「うまい具合にごまかしてくれた」という意味だからだ。卑怯者の感覚と表現だろう。
「相沢の助にて日々の生計には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり」について。
太田とエリスたちの生活は、本当に、相沢の援助が無ければ、太田が倒れた後の「数週」間の生計が成り立たないレベルの困窮具合だったのだろうか。このことは、書かれた通りに受け取るしかないかもしれないが、太田は帰国の場面で、「エリスが母に微なる生計を営むに足るほどの資本を与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ」ということをしている。つまり、慰謝料と養育費として、「微なる生計を営むに足るほどの資本を与へ」ることができている。従って、読者は相沢の援助をそのまますなおに受け取ることはできず、それが無ければエリスたちは生活していけないわけではなかったのであって、彼を「恩人」と呼ぶことには、別の理由・意味が添えられているということになる。相沢は、太田の代わりに物事を全部処理してくれたのだ。それは、この場面に限らない。太田は自分の「弱き心」を言い訳にして、何も言わずとも自分の思い通りに動いてくれた相沢を真に「恩人」と感じているのではないか。つまり、思わず本音が漏れ出てしまった表現が「恩人」だ。相沢は、自分の代わりにエリスを「殺し」てくれたのだ。
「後に聞けば」以降を訳している時、エリスが余りにかわいそうで、心が痛くなった。エリスを思うと涙があふれた。
一方、この部分の筆記の過程で、太田の目に涙は浮かばなかったのだろうか。彼は淡々とこの場面を筆記したのだろうか。心に痛みを感じなかったのだろうか。簡単に言うと、よく平気でこんなことを書けるなと思うのだ。セイゴンの港から引き返し、エリスとその子との人生をやり直そうと思わないのか。
「余が相沢に与へし約束」とは、具体的には、相沢に対して、エリスと別れると約束したこと。「かの夕べ大臣に聞え上げし一諾」とは、天方大臣に対して、帰国することを承知したことだ。
この二つの決断は、まったくエリスに伝えられていない。事前の相談もないし、決定事項だけが突然突き付けられた形だ。エリスにとっては、愛する人が自分との別れを承諾していたことと、またそれだけでなく、自分と子を捨てて遠く日本に帰ってしまうという、ダブルの強い衝撃を心に受けたことになる。エリスがパラノイアになるのも仕方がなかっただろう。
太田の「欺き」は、エリスの心を破壊する。「机の上なりし襁褓を与へたるとき、探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ」という場面がとても悲しい。太田は、自分のみならず、お腹の子までも「欺」いたのだ。
太田の後悔や懺悔は、具体的な形をとらない。いわば彼はただ自分の心を痛めるだけで、エリスとその子は捨てられたままだ。
※次回最終回と補足の評論は、noteをご覧下さい。




