森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)2
◇本文
嗚呼(あゝ)、ブリンヂイシイの港を出でゝより、早や二十日あまりを経ぬ。世の常ならば生面の客にさへ交りを結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習ひなるに、微恙にことよせて房の裡にのみ籠りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭のみ悩ましたればなり。此の恨は初め一抹の雲の如く我が心を掠めて、瑞西の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭ひ、身をはかなみて、腸日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳とのみなりたれど、文読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷せむ。若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴の来て電気線の鍵を捩るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。 (青空文庫より)
◇口語訳
ああ、イタリアの都市ブリンジイシイの港を出てから、早くも二十日余りが経った。ふつうであれば、初対面の客とも交際し、旅愁を慰め合うのが航海の習慣であるが、体調不良にかこつけて部屋の中にばかり籠り、同行の人々とも話すことが少ないのは、人が知らない恨みに頭を悩ましているからだ。この恨みは初め一筋の雲のように私の心を掠め、スイスの山の景色も見せず、イタリアの古跡にも心を留めさせず、途中では厭世や、この身の儚さや空しさを感じさせ、はらわたが毎日九回転するとも言うべき心の痛みや苦しみを自分に負わせ、現在は心の奥に凝り固まって、一点の影だけになったが、読書をするたびに、また物を見るたびに、鏡に映る影、声に応える響きのように、限りない懐旧の情を呼び起こして、何度となく我が心を苦しめる。ああ、どのようにしてこの恨みを消そう。(簡単に消せるとも思えない) もしほかの恨みであれば、詩や和歌に詠んだ後は気持ちがきっとすがすがしくもなるだろう。こればかりはあまりにも深く我が心に彫り付けられたのでそうすることはできまいと思うが、今宵はあたりに人もいないし、ボーイが来て明かりを消すにはまだ時間があるだろうから、では、その概略を文章に綴ってみよう。
◇評論
この部分は、「ああ」という嗟嘆の声で始まる。前段の、日記が書けない「別」の「故(理由)」が述べられず、いきなり「ああ」と嘆かれても、読者はとまどうばかりだ。イタリアを出発してセイゴンまでの船旅が二十数日間。この間、「余」は、ずっと何かを考え続けているようだ。長い船旅の憂さ晴らしとして、先にトランプが話題となっていたが、他の旅客との交渉はなく、仮病を使って自分の船室に籠り、同行者とも会話がない。「世の常ならば」とあるとおり、この時の「余」は、常ならぬ状態だ。「余」の嘆きは、同行者にも語ることができない内容だということもわかる。だから、「人知らぬ恨」となる。他者には理解されない、理解できない「恨」。彼の体調不良は、心から来ている。
ところで、ここにいきなり「恨」が出てくる。だから、誰に対するどのような「恨」なのかを、聞き手は考え、読者は読み解くことになる。
また、ここまで読んできた読者は、この「人知らぬ恨」が、日記の筆が進まない理由なのだろうと推測する。
後に、「ああ」と繰り返されるので、この「ああ」という嘆きは、ブリンジイシイの港を出てから、早くも二十日余りが経った時間の経過に対してではなく、その元は、「いかにしてか此恨を銷せむ」だということが分かる。
「文」については、書籍、手紙の両方が考えられる。今回は、長旅を慰めるための読書と解釈したが、手紙の場合は、その差出人と内容、なぜそれを今も持っているのか、何のためにそれを読み返すのかが問題となる。太田には留学中に母親から重要な手紙が届いた。それについては、後程述べる。
「人知らぬ恨」は、「文読むごとに、物見るごとに」、「幾度となく我心を苦む」。継続的な「恨み」が、少なくとも二十日余り続いている。自分の心を苦しめる人が知らない恨みは、本や物の向こう側に突然現れ、それはまるで、鏡を見るとその影が映り、聲を聞くとそれに應ずるかのように響き、非常なる懐旧の情を喚び起こす。
つまり、「人知らぬ恨」は、「限なき懐旧の情を喚び起」こし、「幾度となく我心を苦む」のだ。「懐旧の情(過去を懐かしむ気持ち)」を呼び起こすため、つらいと感じさせる「人知らぬ恨」。その説明がこの後に続く。
「此恨」は、「外の恨」と違い、「詩に詠じ歌によ」んでも、「心地すが/\しく」はならない。それほど「餘りに深く我心に彫りつけられ」ている。だから、「文に綴」っても、「心地すが/\しく」はならないとは思うが、「今宵はあたりに人も無」く、照明もまだ点けられたままだろうから、「いで(さあ・では)」、「其概略を文に綴」ってみるか。
「余」は、以上のように述べ、無駄な努力になる可能性が非常に高いのだが、「人知らぬ恨」を少しでも消すために、元気を出して・自分を勇気づけて、作文に取り掛かろうとする。重い腰を上げて、手記に取り掛かる「余」。
それにしてもしつこい「恨」だ。「フリンヂイシイの港を出でゝより、早や二十日あまりを經」ても、まだ、心の奥底にこびりついている。「頭」を「悩ま」せる。
「初め」は「心を掠め」る程度だった(それほど強いものではなかった)が、良い風景を見ても無感動にさせ、やがて厭世や生きていても無駄だと思わせ、「腸日ごとに九廻すともいふべき惨痛を」「負はせ」、「今は心の奧に凝り固まりて、一点の翳と」なっている。「文」を読んでも、「物」を見ても、「限なき懐旧の情を喚び起し」、「幾度となく」「心を苦む」。こうなっては、「嗚呼、いかにしてか此恨を銷せむ」と嘆くしかないだろう。「詩に詠じ歌に」詠んでも、「心地すが/\しく」はならないだろう、「餘りに深く」「心に彫りつけられ」た「人知らぬ恨」。
したがって、「今宵はあたりに人も無」く、「房奴の來て電氣線の鍵を捩るには猶程もある」機会をとらえて、「いで、其概略を文に綴りて見む」と意気込んで筆記したとしても、「人知らぬ恨」が消えることは無いだろう。それが自分でも十分にわかっているにもかかわらず、しかしそれ以外には方法がないという窮境に、「余」は陥っている。
ところで、この「人知らぬ恨」を、「誰かに対する復讐心」ととるか、「悔恨・後悔」ととるかで、読みが変わってくる。
「恨み」…恨むこと(心)。
「恨む」…①ひどい仕打ちをした人に対して機会有らば仕返しをしてやろうと思う気持ちを、いつまでも忘れずに持ち続ける。
②(望み通りにならなくて)残念に思う。(三省堂「新明解国語辞典」第6版)
このことについて、一つの考えを示す。この物語は、次のように終わる。
「ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得難かるべし。されど我が脳裏に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり」
ここに至るまでの物語の展開を飛ばして単純に考えると、「人知らぬ恨」とは、「彼(相沢謙吉)を憎む心」ということになる。「一点の翳」は「一点の彼を憎む心」に、「心の奧に凝り固まりて」は「今日までも残れりけり」に、それぞれ対応した表現だ。これは、上記の辞書的な意味の①に相当する。
このような単純な読み取りが可能なのかを探りながら、この後の本文を読んでいきたい。
◇補足
「良友」であり「憎む」相手でもあるという二面性を持つ相沢謙吉は、太田の今回の帰東の旅に同行している。そうであるならば、本当にこの手記を読ませたい相手は、相沢ということになる。しかしこの手記の読み手は、相沢ではない。(読み手が相沢であれば、「ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得難かるべし。されど我が脳裏に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり」という書き方はしない)
そうすると、この手記の読み手はいったい誰なのかという問題が、やはり残ることになる。
物語冒頭の「石炭をばはや積み果てつ」~「いで、その概略を文につづりてみん」の部分は、その後に続く手記の前口上になっている。この部分には、倒置法、係り結び、反語、疑問、打消し、詠嘆、比喩などの様々な修辞が用いられており、言い回しが独特で、まるで芝居が始まる前に舞台袖から出てきた口上役が、これから始まる物語の導入のための説明をしているかのようだ。だから誰が聞き手かはっきりしない。舞台下のたくさんの観客に向かって話している雰囲気だ。
また、これとは逆に、ただ一人の人に向かって話しかけている序文のようにも読めるのが、この冒頭部の不思議なところだ。
この部分をもう一度まとめたい。
「人知らぬ恨」は「余」の「頭のみ悩まし」、初めは「世を厭ひ、身をはかなみ」、途中では「惨痛をわれに負はせ」、「今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳とのみ」なったが、「文」を読んでも「物」を見ても、「限なき懐旧の情を喚び起」こさせ、「我心を苦」しめる。そうして、「此恨」を鎮める手立てがない。
つまり、この「人知らぬ恨」は、「限なき懐旧の情」と繋がっており、それによって自分の心が苦しめられているということだ。ドイツでの生活で、一体何があったのか、それがどうして恨みにつながったのか、ということを考えながら、読者はこの後を読むことになる。