森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)17~少女との関係は、縦令彼に誠ありとも、縦令情交は深くなりぬとも、意を決して断て
◇本文
余が車を下りしは「カイゼルホオフ」の入口なり。門者に秘書官相沢が室の番号を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階を登り、中央の柱に「プリユツシユ」を被へる「ゾフア」を据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。外套をばこゝにて脱ぎ、廊をつたひて室の前まで往きしが、余は少し踟蹰したり。同じく大学に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相沢が、けふは怎る面もちして出迎ふらん。室に入りて相対して見れば、形こそ旧に比ぶれば肥えて逞くなりたれ、依然たる快活の気象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。別後の情を細叙するにも遑あらず、引かれて大臣に謁し、委托せられしは独逸語にて記せる文書の急を要するを飜訳せよとの事なり。余が文書を受領して大臣の室を出でし時、相沢は跡より来て余と午餐を共にせんといひぬ。
食卓にては彼多く問ひて、我多く答へき。彼が生路は概ね平滑なりしに、轗軻数奇なるは我身の上なりければなり。
余が胸臆を開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれはしばしば驚きしが、なか/\に余を譴めんとはせず、却りて他の凡庸なる諸生輩を罵りき。されど物語の畢りしとき、彼は色を正して諫るやう、この一段のことは素生れながらなる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし。とはいへ、学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかゝづらひて、目的なき生活をなすべき。今は天方伯も唯だ独逸語を利用せんの心のみなり。おのれも亦伯が当時の免官の理由を知れるが故に、強ひて其成心を動かさんとはせず、伯が心中にて曲庇者なりなんど思はれんは、朋友に利なく、おのれに損あればなり。人を薦(すゝ)むるは先づ其能を示すに若しかず。これを示して伯の信用を求めよ。又彼少女との関係は、縦令彼に誠ありとも、縦令情交は深くなりぬとも、人材を知りてのこひにあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。意を決して断てと。是れその言のおほむねなりき。 (青空文庫より)
◇口語訳
私が馬車を下りたのは、ホテル・カイゼルホオフの入り口である。ドアマンに秘書官・相沢の部屋の番号を聞き、長い間踏み慣れない大理石の階段を上り、中央の柱にビロードで覆ったソファが据え付けられ、正面には鏡を立てたロビーに入った。コートをここで脱ぎ、廊下に沿って部屋の前まで進んだが、私は少し躊躇した。同じ大学に在学していた時、私が品行方正であることをほめたたえていた相沢が、今日はどのような顔つきで(私を)出迎えるだろう。部屋に入って対面すると、姿こそ昔に比べれば太ってたくましくなったが、明るく元気な性格は変わらず、私の失敗もそれほど気にしなかった様子だ。(彼と)別れた後の(私の)状況を詳しく説明する時間もなく、(彼に)連れられて大臣にお目にかかり、委託されたのは、ドイツ語で書かれた文書で、急いで処理しなければならないものを、翻訳せよとのことだった。私が文書を受け取り大臣の部屋を出た時、相沢は後から来て、一緒にランチを食べようと言った。
テーブルでは彼が多く質問し、(それに)私が多く答えた。彼の人生はほぼ順調であったのに、不運で波乱に満ちているのは私の境遇であったからだ。
私が心を開いて説明した不幸な経歴を聞き、彼はしばしば驚いたが、むしろ私を責めようとはせず、かえって他の平凡な同僚たちを非難した。しかし説明が終わった時、彼が表情を改めて忠告するには、「この一連の出来事は、もともと生まれつき持っていた弱い心から生じたもので、今さら何を言ってもどうしようもない。とはいえ、学識があり、才能もある者が、いつまで一少女の感情にとらわれて、目的のない生活をするべきだろうか。(いや、すべきではない) 今は天方伯もただ(お前の)ドイツ語(の能力)を利用しようという気持ちしかない。自分も同様に、伯が当時の(お前の)免官の理由を知っていたので、無理にその先入観を変えようとはしない。(それはなぜかというと)伯が心の中で事実を偽り無理にかばおうとするやつなどと思われるのは、友人(であるお前)に利益がないし、自分にとっても損なことだからだ。人物を推薦する時には、まず、その能力を(相手に)示すのが良い。これを示して、伯の信用を求めよ。また例の少女との関係は、たとえ彼女に真心があったとしても、たとえ深い関係になったとしても、(相手が自分にふさわしい)人物を理解した上での恋愛ではなく、(留学の間だけ交際する)慣習という一種の惰性から生じた交際だ。決意して別れろ」と。これがその言葉の概略だった。
◇評論
ホテル・カイザーホーフの画像を見ると、エリスと太田のつましい屋根裏部屋とは比べるまでもないホテルの威容に圧倒される。「門者」がおり、「大理石の階」、「プリユツシユ」を被へる「ゾフア」、大きな「鏡を立てたる前房」がある。これらはすべて、かつての太田がいた場所だった。本来こちらが太田の日常だったのだ。「久しく踏み慣れぬ」大理石の階段を一歩ずつ上るごとに、彼は、かつての栄光に再び回帰することをイメージしただろう。であるならば、その前に昇進の糸が垂らされれば、苦も無くそれを握りしめることは、誰にも批判できないかもしれない。しかしこの時太田には、既にエリスがいる。そうして彼女のお腹には、子供が宿っている。
太田への仕事の依頼内容は、「独逸語にて記せる文書の急を要するを飜訳せよとの事」だった。その「急」さは、相沢と太田が「別後の情を細叙するにも遑あらず」と説明される。太田は、相沢に「引かれて大臣に謁」する。相沢の役割の重要性が感じられる部分だ。相沢は、自分たちの世界へと太田を素早く導く。太田にも大臣にも、急用だから仕方がないという、有無を言わせぬ設定にしている。太田が任された「独逸語にて記せる文書の急を要するを飜訳」。このあたりの相沢の計略にも似た行動は、大学時代の友人を思ってのことだろう。有望な若者が、ドイツの海に沈もうとしていることが惜しいのだ。そうしてその相沢の期待は、太田によって十分にかなえられることとなる。実際に太田は、わずか一晩で、翻訳の作業を終えてしまう。この後大臣は、この太田の仕事ぶりを高く評価する。相沢の計画通りに物事は進む。
ここを再度考えると、外交の場面における通訳・翻訳の役割は非常に重要で、それなしには始まらないだろう。従って、今回の大臣の訪欧には、当然別の通訳が帯同しているはずだ。外交文書の翻訳にも、その人があたる場面だろう。しかしここでその重役を任されたのは太田だった。それは、太田が相沢の信頼を得ていることを表すと同時に、帯同しているはずの通訳よりも太田の方が語学力が高いことを表している。それを相沢は、実際に太田に仕事をさせることによって、大臣に示そうとしているのだ。太田は真に有能で、近代国家建設のためには、日本にとって必要な人材だということだ。
「余が胸臆を開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれはしばしば驚きしが、なか/\に余を譴めんとはせず、却りて他の凡庸なる諸生輩を罵りき。」
この場面の相沢は、友人との久闊を除した後に、寄り添うような形で太田に接する。まずは共感し受容する態度で太田の言葉を受けとめる。これは、カウンセリングの手法だ。いったんは、相手の言葉にうなづき、それに続いて自分の考え・アドバイスを相手に伝える。これもカウンセリングの手法だ。つまり、ここでの相沢は、まるでカウンセラーのような態度で、友人に接していることが分かる。相沢のそのような様子は、当然太田にも伝わることになるので、太田は相沢のアドバイスに従いやすくなるし、この後実際にそうなる。
相沢が太田に示した指針は、次のようなものだった。
①「この一段のことは素生れながらなる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし」
②「とはいへ、学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかゝづらひて、目的なき生活をなすべき」
①については、過去は変えようがないからそれについてあれこれ考えても仕方がない。過去と決別せよ、ということ。また、過去の失敗は、太田の「弱き心」から生じたものであると、その原因を太田の生来の性情に求めている。ここで太田は相沢から、「お前の本性は、『弱き心』だ」と規定された。これについては後述する。
②については、過去は過去として、これからについて考えを進めると、やはり太田は近代国家建設を目指す日本にとって有意義な存在であり、そのようなお前が、あんな少女の愛にとらわれていてはいけない。お前には為すべきことがある。という意味だ。友人の「学識」と「才能」を高く評価し、「一少女の情」と「目的」をどう比較衡量するのだ? という迫り方を、相沢はしている。
ところで、ここをもう一度よく見てみると、手記を書く太田は、自分のこの時の状態を、「失行」、「轗軻数奇なるは我身の上」、「不幸なる閲歴」と表現している。
「失行」…過失のある行ないをすること。不正の行ない。道徳や常識からはずれた行為。あやまち。失敗。
「轗軻」…世に志を得ないこと。世に入れられないこと。困窮すること。また、そのさま。不運。不遇。
(ともに、「日本国語大辞典」小学館より)
いずれも、何か運命のいたずらによって、自分は失敗し、不運に見舞われ、不幸になってしまった、という、被害者にも似た表現をしている。一時のささいな過ちによる不遇。自分には大きな過失はなかったのだと言わんばかりだ。これは、久しぶりに会う友人に対する自己の過失の過小評価でもあるだろうが、こんな言葉をもしエリスが聞いたら、ひどく驚くだろう。エリスは太田に誠をささげている。表面上太田はそれを受け入れているふりをして、実際は心の中でこんなことを考えている。エリスと太田の心の隔絶は、悲劇にしかつながらないだろう。
また、いつものことだが、この手記を書いている太田が後ろを振り返ると、そこには「哀れなる狂女」と、その「胎内に残しし子」(ともに後出)がいるのだ。だからこの太田の物言いは、言い訳にしか聞こえないし、自分の責任を回避する姿勢に怒りを感じる読者も多いだろう。
太田が相沢から示された、「素生れながらなる弱き心」について考える。これについては、これまで研究がなされており、私もそれに同感だ。それは、ここで相沢から示されたこの表現によって太田は、自分の本性を自覚したということ。そうしてこの「弱き心」をいわば手掛かりとして、自分の「不幸」を読み解こうとしているということだ。
前に、官長に疎まれ、同僚たちとのトラブルが生じた場面で、太田は述べている。「ああ、この故よしは、我が身だに知らざりし」と。太田は自覚していなかった。自分が「弱き心」の持ち主であることを。そうしてそれが、さまざまなトラブルの原因となっていたのだということを。「我が心は処女に似たり」、「我が本性」は「弱くふびんなる心」だ。
相沢は太田の本性を見抜き、それによってお前は失敗したのだと指摘した。それを受けて太田は、自分の本性をはじめて自覚し、自分の行動を振り返る。そうして、自分を見抜いた友人の言に従う。太田は、相沢の言葉と促しに引き寄せられていく。
ここまでの部分をまとめると次のようになる。
「お前の心は弱い。だから失敗をした。それはもうどうしようもない。しかし、いつまでも、目的のない生活をしていてはいけない。お前には、学識も才能もある。自分の才能を生かすべきだ。その相手が、天方伯だ」
相沢は、さらにアドバイスを続ける。
③「今は天方伯も唯だ独逸語を利用せんの心のみなり。おのれも亦伯が当時の免官の理由を知れるが故に、強ひて其成心を動かさんとはせず、伯が心中にて曲庇者なりなんど思はれんは、朋友に利なく、おのれに損あればなり」
この部分は、相沢が、客観的に冷静な状況判断をしていることを示す。現在はこういう状況であり、このようなやり方が得策だということだ。
④「又彼少女との関係は、縦令彼に誠ありとも、縦令情交は深くなりぬとも、人材を知りてのこひにあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。意を決して断て」
相沢は、エリスとの交際という核心について、このように述べる。
・エリスは真剣にお前を愛しているのかもしれない。また、ふたりの関係は、深いものになっているのかもしれない。
・たとえそうだとしても、別れを決断すべきだ。
・なぜなら、お前たちは釣り合わない。エリスはただの貧しく卑しいバレリーナ。お前は近代日本を背負う存在だ。互いに、相手がどういう人物かを知らずに始まった交際なのだろう?
・おまえ自身、旅先の一時の慰み相手と思っていたのが正直なところだろう?
以上の相沢の言葉は、まるで渇いた人が恵みの水を飲んだかのように、太田の全身にしみわたる。だから太田は次に、「大洋に舵を失ひし舟人が、はるかなる山を望むごときは、相沢が余に記したる前途の方針なり」と記すのだ。
それにしても、相沢の、「人材を知りてのこひにあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり」というのは、ずいぶんな言い方だ。エリスが聞いたら、怒髪天を衝く状態になるだろう。
始まりは確かに、相手がどのような人物かは知らなかった。しかしその関係はもう2年間続いている。
「慣習といふ一種の惰性」について。当時、留学生たちには、現地での交際相手(現地妻)がいたようだ。それが「慣習」となっていたということ。自分が帰国する時には、現地妻とは別れることも「慣習」だったようだ。留学先の女性と恋仲になり、そのまま彼女を連れて帰国し、正式に結婚した者もいたが、ごくまれだったようだ。また、そのような場合、相手は身分が高い女性だった。エリスは貧しいバレリーナであるから、当時の日本の留学生にとっては、捨て去っても心が痛まないという存在だったのだろう。
従って、このような「慣習」を是認する立場からすると、相沢の言葉と行動は、ごく当たり前のものだったということになる。イジワルやエリスを困らせようとしてしたのではない。一方のエリスにとっては、悲劇以外の何ものでもないのだが。
相沢にとっては「一少女の情」に過ぎないものかもしれないが、エリスにとっては、自分という全存在を掛けたまごころだ。彼女はそれを太田に捧げている。つまり、エリスの太田に対する愛の価値は、エリスと相沢・太田にとっては、まるで違っていた。エリスにとってこの時の「生活」は、「目的なき生活」などではない。どんなに貧困にあえぐようなものであっても、実体を持った、愛にあふれた、永遠に続くべき生活だ。相沢や、結果として太田には、エリスは簡単に捨て去るべき存在だった。ふたりは、ひとりの人間としてのエリスの存在を認めていない。
 




