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森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)12~舞姫・エリス

◇本文

 余とエリスとの交際は、この時までは余所目(よそめ)に見るより清白なりき。彼は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに応じて、この恥づかしき(わざ)を教へられ、「クルズス」果てゝ後、「ヰクトリア」座に出でゝ、今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハツクレンデルが当世の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にて繋がれ、昼の温習、夜の舞台と(きび)しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏へ、場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、親腹からを養ふものはその辛苦 奈何(いか)にぞや。されば彼等の仲間にて、(いや)しき限りなる業に()ちぬは(まれ)なりとぞいふなる。エリスがこれをのがれしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とに依りてなり。彼は幼き時より物読むことをば流石(さすが)に好みしかど、手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識(あひし)る頃より、余が借しつる書を読みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の(なま)りをも正し、いくほどもなく余に寄するふみにも誤字(あやまりじ)少なくなりぬ。かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失ひつ。余は彼が身の事に関りしを包み隠しぬれど、彼は余に向ひて母にはこれを秘め玉へと云ひぬ。こは母の余が学資を失ひしを知りて余を(うと)んぜんを恐れてなり。

 嗚呼、(くは)しくこゝに写さんも要なけれど、余が彼を(めづ)る心の(にはか)に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に(よこ)たはりて、(まこと)に危急存亡の(とき)なるに、この(おこな)ひありしをあやしみ、又た(そし)る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我 数奇(さくき)を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、(びん)の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何(いか)にせむ。 (青空文庫より)


◇口語訳

 私とエリスとの交際は、この時までは、他人が思うよりも清らかなものだった。彼女は父の貧しさゆえに十分な教育を受けられず、15歳の時にバレリーナに応募し、この恥ずかしい仕事を教えられ、レッスン終了後にビクトリア座に出演し、今は劇場内で第2位の地位を占めている。しかし詩人ハックレンデルが「現代の奴隷」と言ったように、かわいそうなのはバレリーナの境遇だ。わずかな給料で拘束され、昼はレッスン、夜は舞台と厳しく使われ、劇場でこそきれいに化粧をし、美しい衣装をまとうが、劇場外では自分一人分の生活費も不足しがちなので、(ましてやエリスのように)親や兄弟を養う者の辛苦は想像するに余りある。だから彼女たちの中には、卑賎な仕事(娼婦)に身を落とす者も珍しくないようだ。エリスがそうなることから逃れたのは、分別のある性格と、心が強く屈しない父の守護とによってである。彼女は幼いころから(貧しいながらも)やはり読書を好み、入手できるのは下賤なコルポルタアジユという貸本屋の小説だけだったが、私と知り合ったころから、私が貸した本を読んで学び、次第にその面白さを知るようになり、言葉の誤りも直し、ほどなく私に送る手紙にも誤字が少なくなった。このように、私たちふたりは、まず先生と生徒の関係だったのだ。私の突然の解雇を聞いた時、彼女は顔色を失った。私は彼女が解雇の理由に関わっていることを隠したが、彼女は私に向かって、「母にはこのことをお隠しください」と言った。これは私が給料を得ることができなくなったことを母が知ると、私を疎ましく思うだろうことを恐れてのことだった。

 ああ、詳しくここに書き記すのもばかばかしいが、彼女を愛する気持ちが急に強くなって、とうとう離れがたい仲になったのはこの時だった。我が重大事が目の前に横たわり、まさに危急存亡の秋なのに、この行為を不審に思い、また非難する人もきっといるだろうが、私がエリスを愛する気持ちは、彼女に初めて会った時から浅くはなく、今私の不幸を気の毒に思い、また私との別れを(想像して)悲しみ、うつむき沈んだ顔に、横髪が解けて掛かっている、その美しさ、いじらしい姿は、ひどい悲しみからいつもとは違う精神状態になった私の脳髄を貫き、夢見心地の間にこのような関係になったのをどうしようか、いや、どうしようもない。


◇評論

 「この恥づかしき(わざ)」からは、当時の社会では、バレリーナが卑賎な職業だと認識されていたことが分かる。

 エリスは16,7歳なので、「十五の時舞の師のつのりに応じて、この恥づかしき(わざ)を教へられ」てからわずか1年ほどで、「今は場中第二の地位を占めたり」ということになる。一般的に、バレーを身に付け、舞台で披露するまでには年数がかかるが、エリスにはその才能があり、また一方で、本格的なバレーではなく、それらしき舞踏が劇場で上演されたということだろう。

 その職は「当世の奴隷」と言われるほどで、「薄き給金にて繋がれ、昼の温習、夜の舞台と(きび)しく使はれ」る。はた目には派手な仕事に見えるが、「ひとり身の衣食も足らず勝」であり、「されば彼等の仲間にて、(いや)しき限りなる業に()ちぬは(まれ)なりとぞいふなる」という状態だ。「(いや)しき限りなる業」とは、体を売る商売のことで、しかもそのような状態に陥るバレリーナが多くいたことが述べられる。エリスがそうならなかったのは、「おとなしき性質」と、「剛気ある父の守護」があったからだった。また彼女は、「幼き時より物読むことを」「好」んでいた。親の守護と彼女自身の思慮のある性格や教養を求める姿勢が、彼女を貧困による堕落から救っていた。このようなエリスの様子に、太田は好感を抱いただろう。


 太田とエリスとの交際の「清白」さは、次のように説明される。

 太田が貸し与えた本をエリスが読み学び、次第にその面白さを理解し始め、言葉の誤りを直し、やがて文字遣いにも誤字が少なくなる。「かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき」とは、その通りだろう。東洋人の太田がドイツ人の少女にドイツ語を教えるというのは奇妙な感じがするが、太田の外国語能力の高さを示すエピソードでもある。太田が教え、エリスがそれを学ぶ姿は、先生と生徒であるとともに、ふたりの心には互いへの好意があふれている。だから太田は熱心に教え、エリスは素直に学ぶのだ。付き合い始めのふたりの、ほほえましい場面である。


 それに対し、次の場面は、これまでのふたりの関係とはやや状況を異にするように思う。

 太田の「不時の免官」を聞いた時、エリスは「色を失」うが、すぐに、「母にはこれを秘め玉へ」と言う。それは、「母の余が学資を失ひしを知りて余を(うと)んぜんを恐れ」たからだった。エリスは太田との生活の継続を考えている。太田が職を失い、給料がもらえなくなると聞いたら、母親は、娘との交際を反古にしようと思うかもしれない。どこの馬の骨とも知れぬ東洋人だ。生活も習慣も異なる相手が解雇されたとあっては、娘との交際に懐疑的になるのは、母親として当然の反応だろう。

 母親とエリスは、日々の生活に困窮している。太田はその二人を経済的に庇護する立場・役割であった。母親は現実を生きなければならない。それに対しエリスは、たとえ解雇され給料がもらえなくなっても、太田との関係を続けたいと考えているのだ。エリスはこの時すでに、太田とともに人生を歩む決断をしている。しかしそのことに太田は気づいていない。


 そのようなエリスに対し、太田はどうかというと、「余は彼が身の事に関りしを包み隠しぬれ」という状態だ。ふたりの交際の初めの場面で、太田はエリスに大事なことを隠して告げない。自分の解雇はエリスとの交際がとがめられたこと。バレリーナという職に就く女性は、日本の官僚の正式な交際・結婚相手としては認められないこと。まだ二人の交際が始まったばかりのこの時点・場面でそれをはっきりと伝えておけば、悲劇は幾分かでも免れたかもしれない。

 この場面で太田からエリスに対しそのような言葉が掛けられたとしたら、ふたりの交際が日本社会でどのように受けとめられるのかについてふたりで考え、話し合い、何らかの結論が導き出されたかもしれない。日本社会ではドイツのバレリーナと日本の官僚の交際は否定されることを前提として、太田とエリスはどのように判断するのかということ。それらの話し合いがもたれるべきだった。エリスは太田との交際の継続を求めるだろう。それに対して太田は、日本を取るのかエリスを取るのかの決断を、この時自ら下すべきだった。

 太田の解雇の理由の一つにエリスの存在があることを彼女に告げなかったことには、もし話したら、自分のせいだと思って彼女が傷つくだろうという思いやりからだろう。しかし、二人が自分たちの将来について真剣に話し合う機会が、太田が隠すことによって奪われてしまったとも言える。


 太田の解雇を母親には隠すという秘密の共有をした二人の結びつきは強くなる。エリスの太田への思いは強まる。しかし太田は、エリスに対しても秘密を持つ。


 二度の「ああ」という嗟嘆の後に記されるのは、エリスとの関係が深まる内容だ。

 前回の「ああ」は、出会ったばかりの美少女が自分の下宿を訪れ、窓のそばに座る姿を「一輪の名花」に喩えた場面だった。これをきっかけに、ふたりの交流は頻繁になっていく。そうしてそれを太田は、「なんらの悪因ぞ」と嘆いていた。バレリーナとの交際が、自分の解雇につながってしまったからだ。

 今回の「ああ」は、解雇の後、母の死に遭遇し、また、公使への返答の約束の期日が迫った時に、エリスと深い関係になってしまったことを嘆いたものだ。人生の重要な選択を冷静に判断しなければならないときに、エリスとのつながりがより強くなる行為をしてしまった太田は、自分で自分の首を絞めたようなものだ。問題がより複雑で抜き差しならないものになってしまったからだ。一時の感情が、太田の人生を変え、エリスを破滅へと導いてしまう。だからこの場面でのこの太田の行為は、当然、「怪しみ、またそしる人もある」だろうということになる。それは太田自身、分かっていることなのだが、この時を思いだしながら筆記する彼は、「余が彼を(めづ)る心の(にはか)に強くなりて」と述べ、また、「余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我 数奇(さくき)を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、(びん)の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びし」と長々と言い訳し、最後は、そうなってしまったことを「奈何(いか)にせむ」と反語表現で結び、そのような関係になってしまったのは、自分にはどうしようもなかったのだと、まるで自分には責任がないような言い方をしている。「その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びし」などは、まるでエリスが美しいばかりに、その美に眩惑されて自分は彼女を抱いてしまったかのようにとれる。

 このあたりが、太田の無責任さとして追及される部分で、エリスを破滅に陥らせた罪悪感を、本当にその身に負っているのかと疑われることになる。エリスとの関係が、師弟の関係から男女の関係に及んだことを、一生懸命言い訳しようとしている太田の見苦しさが見て取れる部分だ。


 ここで確認しておかなければならないのは、この場面のエリスには何の過誤も罪もないということだ。彼女はたくらみをもって太田を誘惑したわけではない。太田の方が一方的にその美に打たれ、エリスを抱いたのだ。25歳の若者が、好きな女性を前にして、そのような気持ちになることは当然だが、ここは衝動でそうしてはいけない場面だった。そのような愛し方は、必ず女性を傷つける。そうして現実的にそうなってしまった。


 今太田は、帰国の途上にある。過去を振り返り、認識の光を当てようとしている。その太田が、この時の自分を振り返るのに、このような言い訳ばかりをして、全く自責の念や反省が見られないというのは、一体どういうことなのだろう。これではあまりにエリスがかわいそうだ。狂ったエリスを前に、太田はこのような言葉を吐けるのだろうか。反省していないということは、肯定しているということだ。あの時自分はエリスを抱いた。それは仕方がなかったと思っているということだ。そうしてエリスを捨てて帰国するのも仕方がない。こんな言い訳を聞かされる読者は、たまったものではない。呆れるばかりである。

 つまりここで太田に求められることは、自分の取った行動に対する責任の自覚と、自己批判である。それなのに「いかにせん」という投げやりな態度。責任放棄。読者の方こそ、こんな男、「ああ」「いかにせん」と嘆きたい。


 さきほど、「日本を取るかエリスを取るか」と述べたが、この物語はそれを前提として作られている。それ以外の選択肢ははなから考慮されていない。たとえば、エリスが言うように、彼女を連れて日本へ帰るということが、なぜ太田の頭には全くうかばないのだろう。官職に就くことはできなくても、太田の語学力があれば、何らかの仕事はあったのではないか。そこでは、エリスの経歴が支障となるのだろうか。貧家の娘、しかもバレーまがいのダンスを踊る「舞姫」。太田の両親はもう亡くなっている。親類縁者もないようだ。ドイツの女性と結婚し、彼女を連れて帰国しても、誰にも何も言われないだろう。

 このように考えてくると、太田は、心の底ではエリスとの交際を、ドイツ留学している間だけのものと考えていたのではないだろうか。「現地妻」ということだ。

 こんな男と出会ってしまったエリスは、太田に翻弄され、まさに人生の「舞姫」となってしまった。

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