表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/28

森鷗外「舞姫」を読む1(本文、口語訳、評論)

森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)1


◇本文

 石炭をば()や積み果てつ。中等室の(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも(いたづら)なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。

 五年前(いつとせまへ)の事なりしが、平生(ひごろ)の望足りて、洋行の官命を(かうむ)り、このセイゴンの港まで()し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして(あら)たならぬはなく、筆に任せて書き記しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、(をさな)き思想、身の程ほど知らぬ放言、さらぬも尋常(よのつね)の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし冊子(さつし)もまだ白紙のまゝなるは、独逸(ドイツ)にて物学びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。

 げに(ひんがし)(かへ)る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ()ほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。 (青空文庫より)


◇口語訳

 蒸気船の燃料の石炭を積み込む音も途絶えた。中等室のテーブルの周りはいつもと違って静かで、白熱電灯のまぶしい光も無駄に感じられる。毎晩ここに集合するトランプ仲間も今夜は陸上のホテルに宿泊しており、船に残っているのは私一人だけだからだ。

 五年前のことだが、日頃抱いていた希望が叶い、西洋へ渡航せよとの官庁の命令が下り、このサイゴンの港まで来た頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、すべてが新鮮で、筆の運ぶままに書き記した紀行文は毎日何千語にもなり、当時の新聞に掲載されて、世間の人にもてはやされたが、今日になって思うと、幼い思想・身の程を知らぬ無責任な発言であり、珍しくもない動物・植物・鉱物だけでなく、あげくには異国の風俗などまで物珍しげに書き記したものを、良識ある人はきっと愚かだと思って見ていただろう。今回は帰国の旅の出発時に、日記を書こうと思って買ったノートもまだ白紙のままなのは、ドイツで学ぶ間に、一種の無感動の性格を養い育てたためだろうか、いや、これには別に理由がある。

 実に、東に帰る今の自分は、西に渡航した昔の自分ではない。学問はまだ満足できないところも多いが、この世の辛さも知り、人の心が信頼できないのは言うまでもなく、自分と自分の心さえも変わりやすいことも悟った。昨日肯定したことを今日は否定する自分の瞬間的感想を、書き留めて誰かに見せても仕方がない。これが日記を書かない理由だろうか、違う、これには別に理由がある。


◇評論

 この物語の主人公である太田豊太郎は、いま、洋行先のドイツから日本へ帰国する船の上にいる。船の燃料である石炭の積み込みは完了し、いつでも出航することができる状態だ。

 部屋は、太田の身分にふさわしい「中等室」。天方伯に随行する帰東の旅だ。いつもは共に無聊を慰めるためにここに集まるトランプ仲間も、今夜は不在。彼らは陸に上がっている。そうすると、ここは太田ひとりが、船に残っていることになる。彼だけが陸に上がろうとしない理由が、そこにはある。太田の心には、わだかまっているものがある。ここではそれをノートに書き記そうとしている。読者はそれは何なのかに関心を持ちつつこれ以降の手記を読むことになる。

 「骨牌(かるた)仲間」にとっては、長旅の無聊を慰める時間つぶしとしての遊戯だが、太田にとってのトランプ遊びには別の理由がある。それによって一時でも心の憂いを忘れたいのだ。


 「五年前のことなりしが」以降の文が、長々と述べられる。なかなか次の句点が来ないので、一息ではとても読み切れない。これは、「余」の心の中に様々な事柄や感情が渦巻くさまを表す。

 「五年前」については、この後の本文に、「明治二十一年の冬は来にけり」という表現があるので、太田の出立は、明治15・6年ごろということになる。本文からは、洋行を命ぜられたまだ若い官吏に、その途次の様子を書き記したものを「紀行文」として「新聞」に載せて公表する機会が与えられたことがわかる。明治のこの時期の歴史的背景を鑑みると、このようなことがあったのだろう。西洋の文物が雪崩をうって流入してきた当時の様子がうかがわれる。だから西洋の紹介は、読者の関心を呼んだのだ。

 「世の人にもてはやされしか」から、太田は、自分が急に流行作家になったかのような気分になっただろう。洋行の高揚と、将来の日本を背負う官吏としての自信・自負が、これによってさらに増したのだ。


 「セイゴン」は、東洋と西洋の境界・中間点を表すと言われる。しかし、実際に世界地図で見てみると、西洋はまだまだ遠い。これとは逆に、洋行帰りの日本人にとっては、いよいよ日本も近くなったと安堵する場所・地点になるだろう。ベトナムは当時フランスの植民下にあり、当然この街もフランスの影響を受けた。サイゴンは「東洋のパリ」 と呼ばれ、それは、現在も残る多くの西洋建築物からもうかがわれる。地図上ではまだまだ東洋の色が濃いが、洋行の折には、西洋の香りがし始める場所だっただろう。


 「平生(ひごろ)の望足りて、洋行の官命を蒙り」からは、太田が有為の青年官吏だったことが分かる。期待され、選ばれての洋行だ。東京大学を卒業し(ここにも東大生が出てくる)、将来の日本を背負う人物としての役割が、彼には期待されている。太田はそれに見事に応え、国費留学生としての洋行の権利を勝ち取った。その自負と立身出世の意欲は、彼の中でますます高まっただろう。将来の日本を動かす人物になる、という意気込みが、このあたりの文章からはうかがわれる。

 西洋に向かった時の心の高揚に対し、帰路の今はその当時の自分を批判する文言がこの後続く。

 「今日になりておもへば、(をさな)き思想、身の程知らぬ放言」とは、ずいぶん手厳しい自己批判だ。往路では、未体験の新しい文化に触れてアガってしまっていた自分を戒める言葉。今になって考えると、それらは大したことないありふれたものばかりだった。無知とは愚かなものだと考えている。しかもそれらを意気揚々と紹介したつまらぬ文章を、毎日、新聞に載せてしまった。当時の自分は、思慮ある人に笑われていただろうという後悔。


 だから今回の帰東の旅では、駄文を新聞に発表しても仕方がない。

「こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし册子もまだ白紙のまゝなるは」

 日記でも書こうかと思ってノートを買ったが、まだ一行も書き記すことができないでいる。その理由は、「獨逸にて物學びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の氣象を」身に付けたからではなく、「これには別に故あり」とする。ニル、アドミラリイのせいで日記が白紙なのかというと、「あらず(そうではない)」と強く打ち消す。これは、「別」の「故(理由)」の強調表現だ。「ニル、アドミラリイ」は日記が書けない理由に関与していない。別の理由こそが自分の筆記の手を止める犯人なのだと言いたいのだ。それは何なのだろうと思いながら、読者はこの後の説明をたどることになる。


 また、読者は、この「余」が、何かにとてもこだわっていることを強く感じる。何をそんなにこの人はこだわっているのかという、強い疑問がわく。

往路の雑文は無駄なものだった。今回帰東の途上に書こうと思っている文章は、それとは全く違うもの、「余」にとって書かねばならない必要なもの、という予測を、読者はするだろう。


 「自分は、洋行した成果としての「学問」に満足していない。人生を辛いと感じている。他者が信頼できないだけでなく、自分の心も容易に変化してしまうことも身に染みて感じている。わずか一日で、判断が180度変わってしまう。このような自分の感想を文字にして他者に見せてもしょうがない。これらが日記が書けない理由かというと、そうではない。」

 このような「余」の告白を聞いて、読者はまた思う。船による長旅の手慰みとして日記を書くことはありうることだろう。しかしこの「余」は、何か書きたいこと、書かなければならないことが、どうやらあるようだ。しかしそれが、実際の文字として表出することができないことにとても苦悩している。

 自分の心のうちを、文字として書き残しておかなければならないと、「余」は考えている。


 あらためてこの語り出しの部分の構造を見てみると、「余」が、誰かに向かってドイツでの出来事を話そうとしている。しかしその書きようは、まるで心の中で自分自身に問いかけているような、自分で自分につぶやいているようないないような、他者に聞いてもらうことを期待しているようないないような、微妙な語り口だ。語り手は「余」なのだが、誰に向かって語っているのか・語る相手が分からない。

 また、「日記」が書けない理由を述べようとしているのは分かるが、その語り口がとぐろを巻くようでまだるっこしい。素直な語り方ではない。一度聞いただけでは、何を言いたいのかが分かりにくい。

 つまり、何か別のことを言いたいのだが、なかなかそれを素直に語りづらいという雰囲気を感じる。言いづらいことを言うための前置きのようだ。「あらず、これには別に故あり」という否定形が分かりづらく、しかもそれが2回も続いている。聞き手は、「それなら結局どうなのよ」と言いたくなる。


 人は、何かの言い訳をしたいときに、このような語り口になることが多いだろう。「どうしようもなかった」、「今更変えようがない」、「こうなったことは大変残念だが、しかし方法がない」。そのような内容が後に続く予測がつく。

 言いたいことが素直に言えない人は、心に何かやましいものを持っている。自分の失敗や過誤、もう取り返しがつかないこと。それらを言い淀んでいる。


 はじめ「余」と自称していた彼は、すぐに「我」と言い替える。「余」は他者に対する呼称で、「我」はより自分に深く沈む感じがする。「我」を言い換えるならば、「自分」・「自己」・「自我」ということ。


 それにしても、そもそも、「余」が日記が書けないことに悩んでいることは、聞き手にとってはどうでもいいことだ。だからそれを繰り返されても、「あぁ、そうですか。大変ですね」と答えるしかない。やはり先の疑問が再び湧く。この人はいったい、誰に向かって話しているのだろう?


 この考えをさらに進めると、言い訳をする「余」は、この語りを聞いている誰かに、何かの迷惑・損失・危害を与えたということになる。それが直接的な被害を受けた相手への言い訳なのか、間接的に誰か他の人に向けての言い訳なのかもまだ分からない。

 「余」は、何かに悩んでいる。そしてそれは、日記が書けないことではない。日記に書くべきことについての苦悩だ。

 短くまとめるとこうなることを、あれこれ自分の苦悩のままに言葉にするので、聞き手・読者には非常にわかりにくい表現となっている。そこに、いい出しづらさや、まだ自分の中で未解決な様子が感じられる。


 繰り返しになるが、「あらず、これには別に故あり」がそれぞれの段落の文末で2回続けて示される。それまでの長い説明を聞かされてきた聞き手は、何とか理解しようと耳を傾けてきたそれ以前の部分が否定されるので、なにかはぐらかされたような、「結局何なの?」と言いたい気分になる。

 これは「余」が、自分の思考の過程をそのまま示しているとも言える。彼は一つ一つ確認しながら過去を振り返り、考えを述べようとしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ