かぜ
あわれあられ
「お早よう。」
「こんばんは。」
ふふ、と笑い合いわたし達は水あめを食べた。あの頃みたいだ。水を割り、口に溢す。あなたと言い、その筋を繰り返す。昨日の様で、今日の様。馬車にしかれて行く。しかられる、とはどんな字だったろう。学んだ方が良い字も、あるんだな。
着くのはきみの部屋だ。香りがし、わたしはほほ笑む。
「アネッテ。」と呼ぶとお馬がひづめを掛けた気がする。お茶を出してくれる。なんて言うお茶だろう、とふけると夕日が角部屋に明るむ。きみはひそかに笑い、わたし達の名を呼ぶ。
道中、わたしはわたしを観る。鏡があるのだ。そこには父の顔がある。風になびくのは母のもみあげ。わたしは部屋に着き、きみに言う。「ただいま、アネッテ。」
手記とは面白いもので、誰が書いているのか判らないのだ。その顔も、しわも、眼の色さえ判らない。故にわたしだと判るのだろう。
今日に思い出すのは鏡の前のほうきである。きちんと立て掛けただろうか。きちんとはらっただろうか。お母様は泣いていないだろうか。お父様は、泣いていないだろうか。ミネは、泣いていないだろうか。
メガネをかける。字がはっきり観える。これらはわたしの字だろうか。幸せのかけらがない。家族の愛情しかない。アネッテは、泣いていないだろうか。
家を出ればおばあ様のついたての前を征く。かすかにほほ笑んでいて、わたしへ向けてしわを閉じている様に思える。
家へ帰れば羽毛がバッグの様に舞い、花弁をかくす。それの何とはかないもので、その一片〃の前に立つアネッテの、何とはかないものでしょう。
「ただいま、アネッテ。」
「おかえり、エラ。」
あられあわれ