表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

氏政の咒

作者: じん九朗

関東の雄、北条氏は豊田秀吉の大軍の前に滅びようとしていた。日の国一の堅城よと歌われた小田原城も二十万の軍勢に雪がちらつく頃から蝉が鳴く頃まで何ヵ月も囲まれては浜に打ち上げられたサザエの如く喰われるのを待つしかない。


「……口惜しや」

前当主北条氏政は、盃を煽りながら絞り出すように言った。秀吉の軍師、黒田官兵衛が「和議」の道理を説いて帰った夜のことである。


氏政は官兵衛との交渉の場には出たことがない。次の間で様子は伺っているだけである。この度は、関八州を差し出し氏政が腹を切れば、将兵らは助命し、息子の氏直も高野山での蟄居とする、と官兵衛は約して帰った。


襖の間から覗いた官兵衛の賢らしげな顔がちらついて寝れず、夜半に酒を用意させた。寝間まで酒を運んできた年増の目付きまで早う腹を切らぬかと言うているようで、氏政は結局ひとり飲んでいた。


寝屋の障子は閉めたまま。開けると秀吉が一夜で築いた石垣山城が我が小田原城を見下ろしているのが嫌でも目に入る。


秀吉はその石垣山城にいる。大阪から側室らを呼び寄せて昼に夜に騒ぎ、今も忌々しい笛や鼓の音が聞こえてくる。


官兵衛め、伊丹の城で守将の荒木某に騙されて不具にされた男が賢らしげによう言いよったわ。脚萎えで馬にも乗れぬ身にされた阿呆が、何が一日でも早う下った方が秀吉様もお慈悲の掛けようがあろうじゃと?ほざきよるわ。


氏政は首を垂れた。若き頃、たかが飯に二度汁を掛けたぐらいで父氏康から暗愚よと、北条の家は自分の代で終わりよと嘆かれたことを思い出さぬ日はない。まさか真になるとは、いや真にしてしまうとは夢だに思わなんだ。


この北条の所領は徳川めが受け取ることになると氏政は知っていた。北条にも風魔という乱破者らがいて、城外からの矢文で秀吉と家康は小田原城に向かって立ち小便をしながらその約定を交わしたと知らせてきていた。


口惜しい……が、今の氏政には酒を飲むことぐらいしかできぬ。杯を煽り、また酒を注いだ。障子を透かして月の光が射し込んでくる。杯の中に氏政の顔が浮かんだ。


手が震えたか酒が揺らいで氏政の顔が歪んだ。傷が一面に走り、ついには顔に負うた向う疵のことを家中で「氏康傷」とまで言う様になった父氏康の顔を思い出す。


あの世で合間見えた時には、やはりため息を突かれるのであろな。氏政は酒が静まるまで待った。


「向う傷か……」

氏政の目がすっと細くなり、満面の笑みになった。


黒田官兵衛が再び小田原城を訪れたのは三日後のことであった。北条の方から会いたいと使者があったのには驚いた。これまでは官兵衛を拒みはせぬが、歓迎もせぬ、来ぬなら来ぬで良い、という態度を崩さなんだ。


何度となく訪れた一間に見知らぬ男が座っていた。


「黒田殿、相模守氏政でこざる」

と男は名乗った。


「おお、これは……」

とうとう我が調略成ったかとさすがの官兵衛も声が上ずった。この巨城、力攻めにするなら幾万の兵を死なせても足りぬであろうし、せぬのであれば数万の女子供まで飢え殺しにせねばならぬのは必定。是が非でも我が舌先三寸を以て落さねばと思い定めていた。


氏政は官兵衛のこれ迄の苦労を感謝し、されば城兵の為、この腹切る覚悟はあるのだがと述べた。

「ただ、もうふたつ、関白様にお願いしとう義がござる」と言って用意していた文を取り出す。


「拝見つか奉る」

官兵衛は苛立ちを抑えながらその場で文を広げた。兵はおろか、主だった将も撫で斬りにしないという約定だけでも大幅な譲歩。この上何を開城の条件に加えろというのか。


文を一読した官兵衛は息を飲んだ。まるで伏兵に会うた気がした。平伏している氏政を盗み見た。関八州の太守であった男が這いつくばって官兵衛の言葉を待っている、と他人は見るかも知れぬ。が、官兵衛の目には一人(いちにん)の武将が槍を構えているが如くに映っていた。


「一切承知つか奉った。この文を関白様にご被見し、ご裁可を仰ぎ申そう」

伊丹城で荒木村重に痛い目に遭わされても我に比肩する知恵者などそう居らぬと自負する官兵衛だが、この文には参った。


(流石は梟雄北条早雲が末よ)

先々代の氏康からは数段落ちる暗愚よと心中侮っておった官兵衛は心より頭を下げた。


官兵衛が秀吉の本陣石垣山城に帰陣したのは、夕涼みの宴が始まる頃であった。宴に参じた武将達の上座に秀吉がもう座ってはしゃいでいた。傍らには淀君が座り、秀吉の駄洒落などに適当に合わせて微笑んでいる。


織田の血を引き、母親お市の方に生き写しとはいえ、その父も母も兄弟までも手に掛けておるのによく秀吉は抱く気になるものと、官兵衛はいつも感嘆していた。


秀吉は官兵衛が小田原城からまだ戻らぬことに気が付いているはずであった。知っておっても知らぬ振りをするのが得意な男だし、播州攻めの折より秀吉と官兵衛は多くを語らずともお互いが考えていることはわかる。官兵衛が今宵この時他の武将が多くいる時を選んで参上したのにはなんぞ意味があるであろうと、推し量るはずであった。


「おお、官兵衛!今、戻ったのか!これはしたり!」

広間に入って来た官兵衛を目敏く見つけ、相変わらずの大音声で秀吉が官兵衛を呼び寄せた。北条との折衝の苦労を労う。宴の席にいる者全ての注目が集まった。


「大義であった官兵衛!して首尾は如何に!」

「この度は氏政めにも会え申した」


ほほぅ、と秀吉は言った。

「それは執着!あやつめ、隠居の身でありながら、この天下の大騒動を引き起こした張本人じゃ!やっと顔を出しよったか!」


「は、ついては、関白様にと文を預かっておりまする」

「ほう、文とな?」

秀吉は官兵衛が恭しく差し出した文を手に取った。ギロリと目を光らせて読む。そして、突然叫んだ!


「こ、これはなんとした、官兵衛ェェ!」

秀吉は立ち上がった。

「これは真に氏政「殿」が申したことかや!」

「はい、真にございまする」


ううむ、と秀吉は唸る。そして、文を掲げると、皆にも聞こえるように大音声で読み上げた。


「北条の初代より、年貢は公三分、私七分との法あり。関東の民百姓はその他の年貢は知らず。何卒温情を以て、年貢の法を据え置き下されますよう、お願い申し上げる。さすればこの北条氏政、息子氏直共々明日にでも腹を召しましょう……」


読み上げると秀吉は、官兵衛に念を押した。


「官兵衛!北条方には氏直殿の首は要らぬと伝えておろうな?その上でのこの申し出か?息子の命より、民の年貢を据え置けと言うたのじゃな?」

「は!間違いございませぬ」

「天晴れじゃ!天晴れじゃ、氏政殿ォォォ」


秀吉は腰に指していた扇をサッと広げると、ひとさし舞いを舞い始めた。氏政の心意気に感動した呈である。


秀吉の舞いはこの頃漸く見れるようになってきたが、秀吉がかつての主君信長の真似をしても猿真似でしかない。が、勿論誰も笑う者はいない。そして、口々に氏政のことを褒めちぎった。関ハ州を受け取ることになっている家康もである。


秀吉にしてみれば、関ハ州を家康にやるのは良いが、それで家康に力をつけられたら困るのである。秀吉がこのように公認した年貢の比率を家康は変えられぬ。これでは関ハ州ではなく、実質関六州、いや、関五州かも知れぬ。


それを察した者どもが、チラチラと家康の顔を盗み見ていた。


(これで約定の氏直の蟄居を反古にはできぬようしよったか。氏政め…)

家康は腸が煮え繰り反る思いを隠して微笑するしかなかった。


その後、秀吉が唐入りなどと言い出した時に、家康は逆に年貢の比率を利用して断ることができた。結果、家康が秀吉の子、秀頼を大阪城で攻め殺すことになる。


家康は天下が収まったところで年貢の比率を変えることを考えたが、実行に移す前に鯛の天ぷらに中って死んだ。


神君家康公が定めた年貢の法は江戸幕府の最後まで残った。改革じゃ改革じゃと言っても神君家康公の法は変えられなかったのである。いよいよ幕府の土台が危うくなってせめて公四に変えようと幕閣が密議をしたのが漏洩し、幕府は内部で大きく揺れることになる。


笛と太鼓の音に合わせて官軍が江戸に行軍していた。途中、箱根の峠を越え、小田原城下を通り過ぎて行った。氏政が文に託した咒は三百年経って成就したのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ