義妹を溺愛するヤンデレ公爵令息は、ハニートラップに引っかかり義妹を傷つけたアホ王子を許さない・短編
桃色のふわふわした髪の愛らしい顔立ちの美少女が、珊瑚色の瞳を濡らし俺にすがりついてくる。
「アルウィン様、聞いてください。
わたし今日もソフィア様に意地悪されたんです。
ソフィア様ったら掃除をしていたわたしを突き飛ばし、私の頭からバケツの水をかけたのですよ」
よく見ればクロリスの髪とメイド服がかすかに濡れていた。
濡れた髪とメイド服はクロリスの愛らしさをいっそう際立たせていた。
服の下が透けて見えないかな……というすけべ心をなんとか理性で抑え、俺は彼女の話に耳を傾けた。
「この間はソフィア様に『男爵令嬢のくせに生意気よ』と言われて熱い紅茶をかけられましたし、
その前は『品のないアクセサリーね。目ざわりだわ』と罵られ、母の形見のブローチを目の前で壊されました」
「なんて酷いことを!
人間のすることではないな」
「アルウィン様はこの国の第一王子。
そのアルウィン様の婚約者候補であらせられるソフィア様は公爵家の一人娘。
対してわたしはしがない男爵家の娘で王宮に仕えるメイド。
きっとソフィア様は身分の低いわたしを視界にすら入れたくないんです。
だからわたしにいじわるをするんです」
クロリスは声を上げて泣き出した。
「よしよし大丈夫だよ。クロリス」
俺はクロリスを宥め、ハンカチで彼女の涙を拭った。
「ソフィア・バウムガルトナーめ、絶対に許さん!
俺の婚約者候補でしかないくせに王太子妃にでもなったつもりか!
王家の使用人は王族が決める!
奴が筆頭公爵家の令嬢だろうが、宰相の娘だろうが、僕の婚約者候補だろうが、王家の使用人の雇用に関してまで口を挟む権利はない!
王太子付きのメイドであるクロリスを蔑ろにするということは、王太子である俺を蔑ろにするにも等しい行為だ!」
ソフィア・バウムガルトナー、公爵家の一人娘で俺と同じ十五歳。
彼女はその年で既に天文学、古文、算術と幾何学を究めていると言われている。
ソフィアは金髪に青い目の絶世の美少女という噂だが、どのお茶会にも参加しないところを見ると噂がひとり歩きしているだけだろう。
クロリスに嫌がらせをするために城に来ておきながら、婚約者候補である俺に挨拶に来ないのがその証拠だ。
きっと実物のソフィアはものすごい不細工なんだ。
そもそも俺の愛する、クロリスより美しい女なんているはずがない!
「待っていろクロリス!
あいつを俺の婚約者候補から外してやる!」
俺はクロリスの手を取り、彼女の瞳を見つめ、そう誓った。
「クロリス、必ず君を俺の婚約者候補に……いや婚約者にしてみせるよ!」
「まあ、素敵!
わたし王子妃になれるのね!」
「そうさ、そしていずれ王妃になるんだよ!」
「素敵だわ!
綺麗なドレスを身にまとい、ダイヤモンドやサファイアのアクセサリーを身に着け、沢山の人にかしずかれて暮らすのね!
アルウィン様、今の言葉を絶対に忘れないでくださいね!」
そう言ってクロリスが俺に抱きついてきた。
クロリスは十五歳にしては身体の成長……特に胸の成長が早い。
胸の大きな美少女に抱き着かれて、嫌な気分になる男はいないだろう。
「もちろんだとも!」
俺はそう言い切ってクロリスの頬に口づけを落とした。
☆☆☆☆☆
俺は母親の名前を使い手紙を書き、ソフィア・バウムガルトナーを王宮に呼び出した。
母上の名を使ってあの女を呼び出したのは、王太子である俺の呼び出しより、王妃である母親からの呼び出しの方が断るのが難しいと思ったからだ。
ソフィアは呼び出しに応じて必ず登城する。
そのとき奴を婚約者候補から外し大恥をかかせてやる。
城の門番に金を渡し、ソフィアが登城したら俺の指定した応接室に案内するように指示しておいた。
手紙を送った翌日。
手紙を偽物だと疑うことなくソフィアは王宮にやってきた。
俺は指定した時間より早く応接室に行った。
ソフィアを早く泣かせてやりたくて部屋でじっとしていられなかったのだ。
応接室の扉を開けると、地味な色のドレスの女がソファーに腰掛けていた。
女は俺に気づくとソファーから立ち上がりカーテシーをした。
ソフィア・バウムガルトナーは黄金色の髪に青い瞳の絶世の美少女だと聞いていたが……実物はくすんだ金髪に灰色の瞳のぱっとしない顔立ちの女だった。
噂などのあてにならないな。
やはり俺のクロリスが世界一美しい!
「俺の名前はアルウィン・ドレクスラー。
この国の王太子でお前の婚約者候補だ。
知っているな?」
「王太子殿下お初にお目にかかります。
私は……」
「お前の自己紹介など聞きたくない!」
俺は女の言葉を遮った。
「単刀直入に言う!
俺はお前が嫌いだ!
俺がお前を嫌う理由はわかるな?
お前が王太子付きのメイドであるクロリス・ペトリに対し嫉妬し数々の嫌がらせをしたからだ。
あるときは掃除をしていたクロリスを故意に突き飛ばし彼女の頭の上からバケツの水をかけ、
またある時はクロリスに『男爵令嬢風情が生意気よ』と罵り熱々の紅茶をかけ危うく火傷させかけメイド服を汚し、
またあるときはクロリスが大切にしていた母親の形見のブローチを彼女の目の前で壊した!
そんな心の醜い女は王太子である俺の婚約者候補にふさわしくない!
よってお前をたった今王太子の権限を以て、婚約者候補から外す!」
俺は一気に言い切った。
「そして俺は真実の愛で結ばれたクロリス・ペトリと婚約する!」
王太子である俺にこれだけ言われたのだ、ソフィアは泣いているに違いない。
野暮ったい女の不細工な泣き顔を拝んでやろう。
きっと奴は、
「殿下お許しください! これからは心を入れ替えます! だから捨てないでください!」
と言って俺に泣いてすがりついてくるはずだ。
なにせ俺を好きすぎて、俺の想い人であるクロリスに嫌がらせするぐらいだからな。
そしたらもっと酷い言葉を浴びせ、奴のプライドをズタズタに引き裂いてやる。
こいつはクロリスに酷いことをしたんだから、これぐらいされて当然だ。
そんなことを考えていたらにやけが止まらなかった。
横目でソフィアの様子を窺うと、奴は泣くどころか眉一筋動かさず無表情で突っ立っていた。
なぜだ? なぜ泣かないんだ?
好きな男にあんな酷いことを言われたら、普通の令嬢なら号泣するところだろう?
こいつには人の血が通ってないのか??
呆然とソフィアの顔を眺めていると、奴は感情のこもらない声で、
「お言葉承りました。
殿下のお言葉はそのままソフィアお嬢様にお伝えいたします」
と言った。
「えっ?」
今たしかに目の前にいる女は「ソフィアお嬢様」と言った?
こいつがソフィア・バウムガルトナーではなかったのか?
「お、お前は誰だ……?!
ソフィアではないのか!?」
「申し遅れました。
私はバウムガルトナー公爵家で、ソフィアお嬢様の家庭教師をしておりますルーリー・フートと申します」
ルーリーと名乗った女はその場でカーテシーをした。
カーテシーの見本のような美しいお辞儀だった。
「家庭教師だと……?
では本物のソフィアはどこにいる?」
「はい王妃様とのお約束の時刻には少し時間がありましたので、お嬢様は父親であるバウムガルトナー公爵に呼ばれ、宰相閣下の執務室に参っております」
「宰相の部屋だと……?」
母上の名前を騙って手紙を出したことが宰相にばれるとまずい。
「ならさっさと呼んでこい、もうすぐ母上との約束の刻限だろ!」
俺がソフィアの家庭教師を名乗る女を怒鳴りつけたとき、応接室の扉が外から開いた。
「その必要はございません殿下。
娘のソフィアならここにおります」
扉の向こうに立っていたのは鬼の形相をした宰相と、宰相の補佐をしているソフィアの義理の兄フォンゼル・バウムガルトナー公爵令息だった。
宰相は金髪碧眼の長身の美丈夫。公爵家の養子であるフォンゼルは銀髪紫眼の美青年。
二人とも美しい顔を歪ませ、人を殺せるほど殺気の籠もった目で俺を見据えている。
俺はおしっこをちびりそうになったが、王太子としての矜持でなんとかこらえた。
二人の後ろから金色の長い髪をたなびかせ、美しい少女が現れた。
よく手入れされた腰まで届く黄金色のストレートヘア、
湖面のようにきらきらと輝くサファイアブルーの瞳、
白磁のようにきめの細かい白い肌……今まで見たどんな貴族の令嬢よりも愛らしい顔立ちをした少女は、
俺の前に進み出ると優雅にカーテシーをした。
「お初にお目にかかります。
ソフィア・バウムガルトナーと申します。
第一王子殿下にあらせられましてはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じ上げ奉ります」
小鳥のさえずりのような美しい声、優雅な所作、鼻筋の通った優美な顔立ち。
彼女の周りは神々しい光に満ちていて、俺は天使が空から舞い降りてきたのかと錯覚した。
そして次の瞬間には彼女に恋していた。
一目惚れというのは本当にあるのだな。
彼女に比べたらクロリスなど白鳥の横に立つ鶏にすぎない。
ダイヤモンドとガラス玉、純金と銅、銀の皿と欠けた陶器の皿、そのくらいソフィアとクロリスには差があった。
「失礼だとは思いながら、殿下とルーリー先生のお話をドアの前で聞かせていただきました」
ソフィアが申し訳無さそうに言った。
「あ、いや……あれは」
ソフィアの家庭教師に、彼女を婚約者候補から外すと言ったことを本人に聞かれていた。
急いで撤回しないと……!
「殿下は私と同じ年であらせられるのに、もう真実の愛で結ばれた方を見つけられたのですね。
羨ましいですわ。
ぜひその方と添い遂げてください。私、陰ながら殿下の恋を応援しております」
そう言ってソフィアはニッコリとほほ笑んだ。
彼女の眩しいほど輝いている笑顔に俺の心臓は撃ち抜かれた。
な、なんとかソフィアを婚約者候補に戻さなくては! いや婚約者候補から婚約者にしなくては!
「違うんだソフィア……! あれは……」
ソフィアに一歩近づこうとしたら、公爵とフォンゼルが彼女の前に立ちはだかった。
「殿下、僕も殿下の身分違いの恋を応援しております」
フォンゼルはそう言ってニコリと笑う。
「聞いてくれフォンゼル……!
あれはだな……!」
「わしは殿下がソフィアを婚約者候補から外すとおっしゃったことをしかとこの耳で聞きました。
バウムガルトナー公爵家の当主として殿下のご意思を尊重いたします」
宰相が俺に顔を近づけてほほ笑んだ。
公爵もフォンゼルも口角は上がっているのに目は全然笑っていなくて、雪よりも冷たい視線に背筋が寒くなった。
「もう娘は殿下の婚約者候補ではありません。
今後は娘を名前で呼ぶことはお控えください。
それから娘は本日初めて登城いたしました。
よってペトリ男爵令嬢に嫌がらせをしたのは娘ではありません」
「えっ?」
ソフィアは登城したことがない?
ではだれがクロリスに嫌がらせをしていたというんだ?
「この件は公爵家の名誉に関わりますので、徹底的に調べさせていただきます」
公爵の言葉は丁寧だが、彼の発する言葉は冷たかった。
「ああ、そうしてくれ」
俺はそう返した。
誰がソフィアを悪女に仕立てようとしていたのか単純に気になった。
そいつが余計なことをしなければ、ソフィアは今も俺の婚約者候補のままで、いずれは彼女と正式に婚約できたのに。
「それにしても王妃殿下は遅いですね。
もう約束の刻限を過ぎていますよ」
フォンゼルが置き時計をちらりと見た。
「何者かが王妃殿下の名を騙り娘を呼び出したのかもしれん。
そちらも調査することにしよう」
公爵の言葉に俺の心臓がどきりと音を立てた。
「王妃殿下の名を騙り公爵家を欺いたのです、王家から然るべき罰を受けるでしょう。
バウムガルトナー公爵家を欺いた者をわしも許すことはできません。
必ずやバウムガルトナー公爵家を敵に回したことを後悔させてやります」
「それがいいですね、お義父様」
公爵とフォンゼルが氷のように冷たい目つきで俺を見据えた。
「ひっ……!」
二人の殺気に気圧され、俺はその場で尻もちをついてしまった。
ばっ、バレてる?
俺が母上の名を騙ってソフィアを呼び出したのがバレているのか??
「大丈夫ですか? 殿下?
お顔の色が優れないようですが」
宰相が俺に手を差し出す。
「へ、平気だ……」
だが俺は怖くてその手を掴むことができなかった。
☆☆☆☆☆
二日後。
俺は父上と母上にある部屋に呼び出されていた。
扉を開けると父上と母上の他に宰相と宰相の息子のフォンゼルがいた。
俺は父にソファーに座るように促され、一人がけのソファーに腰を下ろした。
父に記録玉に録画されたある映像を見るように言われた。
青い髪の少年と桃色の髪の少女が映し出される。二人のことを俺はよく知っていた。
『クロリス計画はうまく行ってるかい?』
『ええ、あの間抜け……じゃなかった殿下ったら私の言いなりよ。
わたしのついた嘘にすっかり騙されてソフィア・バウムガルトナーを悪女だと思いこんでいるわ』
『殿下が愚かで助かったよ。
目障りなバウムガルトナー公爵令嬢には殿下の婚約者候補から外れてもらう。
そうなれば殿下の婚約者は妹のロベアタに決まったも同然』
『ハーディー様ぁ〜〜!
計画がうまく行ったらわたしをハーディー様のお嫁さんにしてくれるって約束を忘れないでね。
その約束を信じてアホ殿下からのセクハラに耐えてきたんだからぁ』
『もちろんだよクロリス。
君の功績には必ず報いるよ』
『やったぁ~!
じゃあご褒美にアクセサリー買って!
中心の大きなダイヤモンドがついていて、その周りをたくさんのサファイアで覆ったネックレスが欲しいの〜〜!』
『それは殿下に買ってもらうといいよ。
殿下からは今のうちに搾り取れるだけ絞り取っておこう』
『そうね。
殿下ならちょっと甘えればダイヤモンドでもサファイアでもアクアマリンでもエメラルドでも好きな宝石を買ってくれそうだものね。
でもそれじゃあハーディー様からのご褒美は?
ハーディー様はわたしに何をくれるんですか?』
『ボクからはこれだよ』
青い髪の少年が桃色の髪の少女に口付けを落とした。
宰相が記録玉の映像を切った。
「ここから先は未成年やご婦人には刺激が強すぎるので、ここまでにしておきましょう」
二人があのあと何をしていたかなんか想像したくない。
「記録玉に映し出されていた青い髪の少年はヴァイグル侯爵家の長男、ハーディー・ヴァイグル、十六歳。
桃色の髪の少女はペトリ男爵家の長女で第一王子付きのメイドのクロリス・ペトリ、十五歳」
宰相が冷徹な声で告げる。
「どうやらヴァイグル侯爵の命を受けたハーディーが、クロリスを使い殿下にハニートラップをしかけていたようですね」
「俺は……二人に騙されていたのか……」
怒りとやるせなさが同時に去来した。
「国王陛下、ご英断を」
「自分の娘を第一王子の婚約者にするために、婚約者候補のバウムガルトナー公爵令嬢を貶めたヴァイグル侯爵の行いは誠に許しがたい」
父上も母上もヴァイグル侯爵に対して怒りを覚えているようだ。
「ヴァイグル侯爵には当主の座を降りてもらう。
ヴァイグル元侯爵夫妻、ハーディー、ロベアタは貴族籍から除名。
ヴァイグル元侯爵夫妻とハーディーとロベアタには炭鉱で生涯労働してもらう。
その上でヴァイグル侯爵家は二階級降爵とする」
ヴァイグル元侯爵家には重い罰がくだされた。
「ペトリ男爵家は取り潰し。
男爵の三親等以内の親族には生涯炭鉱で労働に従事してもらう」
王太子である俺を騙していた性悪女とその実家への罰だ。それぐらい厳しくなくては困る。
「そしてアルウィン、お前にも罰を受けてもらうぞ」
「なぜですか父上!?
俺はだまされたんです!
被害者です!」
「だまりなさい。
お前は王妃の名を騙りバウムガルトナー公爵令嬢を呼び出し、彼女に冤罪をかけ婚約者候補から外すと言ったそうだな?
息子であっても王妃の名を騙ることは許されていない。
バウムガルトナー公爵令嬢は余がお前の婚約者候補に決めた相手だ。
国王である余の決めた婚約者候補を、勝手に候補から外してただで済むと思っているのか?」
「そ、それは……」
父上に俺の仕出かしたことが全てバレていた。
「公爵家に届いた書状はお前の筆跡だった。
先日王宮の応接室でお前がバウムガルトナー公爵家の家庭教師に言ったことも全て記録玉に記録されている。
言い逃れはできんぞ」
あのときの言動がすべて記録されていたなんて……!
俺の体から冷たい汗が流れた。
「その上お前は立太子もされていないのに、王太子を名乗っていたそうだな?」
「だって俺は第一王子で弟は幼いし、俺が次の王太子に決まりだってみんなが言うから……」
「その皆とは誰のことだ?」
「それは……」
俺は記憶を辿った。
俺が王太子にふさわしいと言っていたのは四人。
「……ヴァイグル元侯爵夫妻とハーディーとロベアタです」
俺はヴァイグル侯爵家に担がれていたのだ。
「やっと事態を呑み込めたようだな」
「……はい」
「アルウィン、お前は王位継承権を剥奪し幽閉処分とする」
予想していた以上に重い罰に、俺の心臓が縮み上がる。
「……そんな!
あんまりです父上!
これから心を入れ替えます!
悪い縁も断ち切ります!
王太子になれなくても構いません!
だからソフィアと……バウムガルトナー公爵令嬢と婚約させてください!」
俺がそう言った瞬間、宰相とフォンゼルから部屋が凍るほどの冷気が吹き出し、二人に殺気のこもった目で睨まれた。
そういえば二人は吹雪系の魔法の使い手だった。
俺は恐怖でお漏らしをしてしまった。
「自分からバウムガルトナー公爵令嬢との縁を切っておいて何を今更都合のいいことを言っている!
余がバウムガルトナー公爵令嬢をお前の婚約者候補に立てるために、どれだけ手を尽くしたと思っているのだ!」
父上が声を荒げた。父上がこんなに激昂したのを見るのは初めてだ。
「お前への罰は幽閉でも生ぬるい。
しかしバウムガルトナー公爵令嬢から、アルウィンとクロリスの減刑を求められている」
「ソフィアから……!」
もしかしてソフィアも俺のことを……!
「『真実の愛を見つけられたアルウィン様とクロリス様にはいつまでも仲睦まじく暮らしてほしい』……それがバウムガルトナー公爵令嬢の望みだ」
かすかに灯った俺の希望は粉々に打ち砕かれた。
「違う……!
俺が好きなのはソフィアだ!
クロリスじゃない!
俺はクロリスには騙されていただけだ……!
公爵、フォンゼル!
ソフィアに俺の想いを伝えてくれ……!」
しかし二人は俺に蔑みの眼差しを向けるだけで微動だにしない。
二人の放つ冷気が強まり、椅子が凍りついた。
「愚か者めもう遅いのだ、何もかもな……。
衛兵、アルウィンを北の塔に連れて行け!」
衛兵が扉を開けて入ってきて、座っていた俺を椅子ごと拘束した。
おしっこが凍りついて椅子から離れられなくなってしまったのだ。
「寂しがることはないぞアルウィン。
追ってお前の愛しいクロリスも同じ所に送ってやるからな。
もっとも一人用の牢なので家具などは一人分しか用意されてないがな。
食事も一人分しか届かないと思った方が良いだろう。
仲良く半分にするようにな」
父上が、冷めた表情で言った。
「陛下その心配には及びませんよ。
殿下とクロリスはなにせ真実の愛を誓い合った仲なのですから」
「そうだな、心配はいらぬな」
「ええ、少ない食料を巡り争うなど真実の愛で結ばれた二人の間には起こり得ぬことです」
少ない食料を巡って争う……?
今までの人生で経験したことのない出来事に、未来への絶望が増した。
執務室から連れ出される俺を、父上も母上も公爵も無言で見送る。
「父上、聞いてください!
俺は騙されただけなんです!
愛しているのはソフィアなんだ!」
俺の叫びは誰にも届くことはなく、虚しく廊下に響いた。
☆☆☆☆☆
【フォンゼル視点】
僕の名前はフォンゼル。
バウムガルトナー公爵家の養子で元はアルニウム伯爵家の三男だった。
僕が公爵家に養子に出されたのは十四歳の時。
公爵家には女子しかおらず、女子では家督を継ぐことができないため親戚の伯爵家の三男である僕が養子にもらわれたのだ。
僕が公爵家に来た時ソフィアはまだ七歳だった。
七歳のソフィアは金色のサラサラしたボブカット、湖面のように青く輝く大きな瞳、きめ細かな白い肌、あどけない笑顔が似合う天真爛漫な美少女だった。
恥ずかしい話、僕は七歳のソフィアに一目惚れした。
だけど僕は義理の兄妹の関係を壊すのが怖くて告白する勇気が持てなかった。
ソフィアのことを異性として愛していることが義父にバレたら、養子縁組を解消され、伯爵家に送り返され二度と彼女に会わせてもらえないかもしれない……。
告白して「お義兄様を恋愛対象としては見られません」ソフィアにそう言われ拒絶されたら……そう思うと怖くて想いを告げられなかった。
僕は義理の兄としてソフィアのそばにいて、彼女の成長を見守ることしかできなかった。
本来なら貴族の令嬢は他家の貴族との繋がりを作るために八歳ぐらいからお茶会に参加させる。
だが一人娘のソフィアを溺愛している義父はどの家からお茶会の招待状が届いても、決してソフィアをお茶会に参加させなかった。
公爵家で行われる誕生会などの行事にも、身内以外は呼ばなかった。
それでも日に日に美しさを増していくソフィアの評判は、義父や僕がどんなに隠しても隠しきれるものでもなく、どこかしらから漏れたのか義妹のことが貴族の間で噂されるようになった。
「バウムガルトナー公爵令嬢は天使のような容姿だ」……
「ソフィア嬢は絶世の美少女だ」……
「バウムガルトナー公爵令嬢に見つめられた男は漏れなく恋に落ちる」……
噂は広がり続け、ついには王族の知るところになった。
国王はソフィアの容姿とバウムガルトナー公爵家の後ろ盾欲しさに、愚鈍なことで有名な第一王子をソフィアの婚約者に指名してきた。
その時点で国王は第二王子を立太子させると決めていた。
公爵家は養子の僕が継ぐのに、国王はソフィアと第一王子を婚約させてどうする気なんだ?
ソフィアを王子妃として王宮で飼い殺しにする気なのだろうか?
それとも跡継ぎである僕を排除し、第一王子に公爵家を継がせる気なのか?
どちらにしても国王が公爵家の婚姻から跡継ぎに至るまで、自分の意のままにできると思っているところが気に入らない。
義父はのらりくらりと国王の要望を躱し続け、第一王子の【婚約者候補の一人にする】という条件を付けて王家からの縁談を受けた。
顔と身分以外何の取り柄もない第一王子がソフィアの婚約者候補になるなんて……なんとも腹立たしいことだ。それは同じ気持ちだったらしい。
凡骨を押し付けてきた国王も、婚約者候補になったのにソフィアに贈り物一つして来ない第一王子もどちらも気に入らない。
いつか必ず二人を排除し、幼い第二王子をバウムガルトナー公爵家のあやつり人形にしてやる。
どうやって第一王子を失脚させ、ソフィアの名に傷をつけることなく、義妹を第一王子の婚約者候補から外せるだろうか……毎日義父と一緒に考えた。
そんなときヴァイグル侯爵がクロリスという男爵令嬢を使い、アルウィンにハニートラップを仕掛けているという情報を掴んだ。
上手くいけばソフィアを第一王子の婚約者候補から外せる上に、何かと公爵家を目の敵にしてくるヴァイグル侯爵家を失脚させることができる。
愚かな第一王子はクロリスのハニートラップにまんまと引っかかり、クロリスの言うことなら何でも信じるようになっていた。
第一王子はソフィアがクロリスに嫉妬し、意地悪をしているのだと本気で信じていた。
公爵家もクロリスをただ泳がせて置いたわけではない。
クロリスが自らバケツの水をかぶったり、自分のメイド服に紅茶をかけてわざと染みを作ったり、母親の形見(と本人が言ってるだけの安物)のブローチを壊している瞬間を記録玉に記録していた。
それからクロリスがヴァイグル侯爵令息から密命を受けているところと、情事を交わしているところもしっかり記録しておいた。
そろそろ何か仕掛けて来る頃かなと思っていたとき、王妃からソフィア宛の手紙が届いた。
手紙の内容はソフィアを王宮でのお茶会に招待したいというものだった。
王妃の筆跡ではないのはすぐにわかった。
第一王子が王妃の名を騙って出した手紙だ。手紙は第一王子を失脚させる証拠の一つだ。
第一王子がアホだとは聞いていたが、ここまで愚か者とは思わなかった。
母親とはいえ王妃の名を騙って公爵家を欺いて、ただで済むはずがない。
第一王子に騙されたふりをしてソフィアを王宮に向かわせた。
ソフィアの身に万が一のことがあっては困るので、護衛兼記録係としてソフィアの家庭教師のルーリー先生を義妹と一緒に王宮に行かせた。
ルーリー先生はソフィアの語学教師として隣国から呼び寄せた、伯爵令嬢だ。彼女は護身術の心得もあるので頼りになる。
先生の年は二十歳だが彼女は童顔なので、義妹と同じ歳ぐらいに見える。
ソフィアが王城に着いたら知らせるように部下に指示しておいた。
招待状に記されていたお茶会の時間にはまだ時間があったので、ソフィアを宰相の執務室に呼び出した。
ソフィアは金色の髪に青いリボンを結び、アクアマリン色のドレスを身にまとっていた。
ソフィアは初めての登城とこれから王妃のお茶会に参加することに緊張しているのか、普段より落ち着きがなかった。
そわそわしているソフィアも生まれたての仔猫のようで何とも可愛らしい。
こんな愛らしい義妹を第一王子のいる部屋に送り出すなんて無理だ。
色々と仕掛けはしてあるがやはり心配だ。
ルーリー先生が同席するとはいえ絶世の美少女である義妹を、第一王子が見たらどんな凶行に及ぶか分からない。
僕と義父は応接室の扉の外で控え、ソフィアの様子を見守ることにした。
応接室に向かうためにソフィアを連れて廊下を歩いているとき、すれ違う文官や武官がソフィアのことをジロジロと見ては顔を真っ赤に染めていた。
僕はそのたびに義妹を自身の背に庇い、すれ違った男全員を睨みつけた。
ソフィアのことを不躾に見つめてきた男どもの顔は全員覚えた! 奴らは絶対に出世させん! このロリコンどもめ!
応接室にたどり着き義父が扉を軽く開けた時、中から第一王子の声が聞こえた。
約束の時間にはだいぶ早かったが、第一王子はすでに応接室に来ているようだった。
☆☆☆☆☆
「単刀直入に言う!
ソフィア・バウムガルトナー、俺はお前が嫌いだ!
俺がお前を嫌う理由はわかるな?
お前が王太子付きのメイドであるクロリス・ペトリに嫉妬し数々の嫌がらせをしたからだ。
あるときは掃除をしていたクロリスを故意に突き飛ばし彼女の頭の上からバケツの水をかけ、
またある時はクロリスに『男爵令嬢風情が生意気よ』と罵り熱々の紅茶をかけ、
またあるときはクロリスの母親の形見のブローチを彼女の目の前で壊した!
そんな心の醜い女は王太子である俺の婚約者候補にふさわしくない!
よってお前をたった今王太子の権限を以て、婚約者候補から外す!」
第一王子をぶっ殺してやろうかと思った。
義父の顔を見れば彼も第一王子の言動には憤っているようで、義父は悪魔もビビって逃げ出すような恐ろしい形相をしていた。
ソフィアは……彼女は今どんな表情をしているだろう?
ソフィアを第一王子の婚約者候補から外すためとはいえ、彼女に酷い言葉を聞かせてしまった。
婚約者候補である第一王子の言葉に義妹が傷ついていたとしたら……。
僕らはソフィアにとても残酷なことをしてしまったのではないだろうか……?
「お父様、お義兄様……」
「どうしたんだいソフィア?」
ソフィアが室内に聞こえないように小声で話す。
「王子殿下のお言葉なのですが……」
「すまなかったねソフィア、お前にひどい言葉を聞かせてしまった」
「いいえお父様、私殿下のお言葉に感動いたしました!」
ソフィアはそう言って瞳をきらきらと輝かせた。
「「えっ??」」
ソフィアの言葉に義父も僕も虚を衝かれた。
もしかして義妹はだめ男が好きなのか?
己のことを全く顧みないクズみたいな男が彼女の好みなのか??
僕は義妹の将来が心配になった。
ソフィアが第一王子との結婚を強く望んだらどうしよう……僕がそんな不安にかられたとき。
「お父様、殿下は私と同い年であらせられるのにすでに真実の愛のお相手を見つけているのですよ。
しかも男爵令嬢との身分違いの恋だなんて……素敵ですわ。
まるでおとぎ話の中のヒーローとヒロインのようですね」
ソフィアはうっとりとした表情でそう言った。
まさか義妹がそういう反応をするとは思わなかった。
「お父様、お義兄様、私は決めました。
殿下とクロリス様の恋を全力で応援したいと思います!」
決意に満ちた表情で義妹はそう宣言した。
「ですからお父様、私は殿下の意を汲み殿下の婚約者候補を辞退したいと思います。
公爵家と王家を繋ぐ縁談を壊すことをお許しください」
ソフィアが申し訳無さそうに義父に頭を下げた。
「気にしなくても大丈夫だよ、ソフィア」
義父が穏やかな顔でほほ笑んだ。
ソフィアが第一王子の婚約者候補から外れることを望んでいることに、義父も安堵しているようだ。
「お義父様のおっしゃる通りだよソフィア。
君は今の段階では殿下の【婚約者候補】でしかないのだから。
縁談が白紙に戻ることだってある、だから気にすることはないんだよ」
僕もソフィアを慰めた。
義父も僕も、もとより第一王子とソフィアの縁談を白紙に戻すつもりだったとは口が裂けても言えなかった。
「ありがとうございます。
お父様、お義兄様」
ソフィアが花が綻ぶように笑った。
義父と僕は義妹の無邪気な笑顔に癒やされていた。
そうこうしている間に応接室でも話が進みだしたようだ。
「承知いたしました。
殿下のお言葉はそのままソフィアお嬢様にお伝えいたします」
「えっ?」
ルーリー先生の言葉に王子は驚いた顔をしている。
「お、お前は誰だ……?!
ソフィアではないのか!?」
「申し遅れました。
私はバウムガルトナー公爵家で、ソフィアお嬢様の家庭教師をしておりますルーリー・フートと申します」
ルーリー先生は自己紹介をし綺麗なカーテシーをした。
「家庭教師だと……?
では本物のソフィアはどこにいるんだ?」
第一王子は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
「はい王妃様とのお約束の時刻には少し時間がありましたので、お嬢様は父親であるバウムガルトナー公爵に呼ばれ、宰相閣下の執務室に参りました」
「宰相の部屋だと……?」
王子は困惑しているようだった。
「ならさっさと呼んでこい、もうすぐ母上との約束の刻限だろ!」
王子がルーリー先生を怒鳴りつける。
頃合いを見計らって義父が応接室の扉を開けた。
「その必要はございません殿下。
娘のソフィアならここにおります」
隣に立つ義父をちらりと見ると氷のように冷たい目をしていた。
おそらく僕も義父と同じような目をしていたと思う。
ソフィアを第一王子の婚約者候補から外すことはこちらが望んでいたことだ。だがこの王子の義妹に対する横柄な態度は我慢ならない。
殺気の籠もった目で王子を睨むと、彼はブルブルと体を震わせていた。
奴は今にもお漏らししそうだった。義妹の前で失禁するのはやめろ。お前の大事なものを潰すぞ。
僕がそんなことを考えていたとき、王子の瞳が僕の後ろにいる義妹を映した。
ソフィアは金色に輝くロングストレートヘア、サファイアブルーの瞳、白磁のような白い肌の美少女だ。
奴が義妹の容姿と、彼女の優雅な所作に見惚れるのはわかる。
予想していたことだ。だが実際に奴が義妹に惚れる瞬間を目の当たりにするのは気分が悪い。
王子の視線に気付いた義妹が、彼の前に進み優雅にカーテシーをした。
「お初にお目にかかります。
ソフィア・バウムガルトナーと申します。
第一王子殿下にあらせられましてはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じ上げ奉ります」
ソフィアの小鳥のさえずりのような美しい声に王子が聞き惚れているのがわかる。
彼女を映す王子の両の瞳はハートを描いていた。
僕のイライラは先程よりも増していた。
一刻も早くソフィアをこの部屋から連れ出し、よその男の視界に入らないところに閉じ込めてしまいたかった。
ポンコツ王子、逃した魚の価値に今頃気づいても遅いんだよ。
ソフィアを必ず王子の婚約者候補から外す。そのためなら僕はなんだってする。
「失礼だとは思いながら、殿下とルーリー先生のお話をドアの前で聞かせていただきました」
ソフィアが申し訳無さそうに言った。
「あ、いや……あれは」
ソフィアにすべてを聞かれていたとわかり、王子の顔が青ざめた。
愚かな奴め、今さら後悔しても遅いのだ。
王子のこの部屋での言動はすべてルーリー先生が記録玉に録画している。
「殿下は私と同じ年であらせられるのに、すでに真実の愛のお相手を見つけられているのですね。
羨ましいですわ。
ぜひその方と添い遂げてください。 私、陰ながら殿下の恋を応援しております」
そう言ってソフィアは天使のように朗らかにほほ笑んだ。
王子がソフィアのほほ笑みに見とれているのが分かる。僕は奴の目を潰してやりたい衝動にかられた。
男爵令嬢のクロリスに言われた言葉を何の疑いもなく信じ、裏も取らずにソフィアに冤罪をかけたお前に、彼女の笑顔を拝む資格はない。
家に帰ったら知らない人に笑顔を振りまかないように、ソフィアにはそれとなく注意しておこう。
義妹の笑顔は国宝より価値がある。誰にでも見せていいものではないことを彼女に自覚させなくては。
「違うんだソフィア……! あれは……」
王子が見苦しく言い訳しようとする。
大事なことだが婚約者でもないのに義妹を呼び捨てにするな。聞いていて気分が悪い。
「殿下、及ばずながら我がバウムガルトナー公爵家も殿下の身分違いの恋を応援しております」
義父が王子の言い訳を遮る。
ソフィアに一歩近づこうとした王子を、義父と二人がかりで止めた。
「聞いてくれフォンゼル……!
あれはだな……!」
それから僕はお前に、僕の名前を呼ぶ許可を出した覚えはない。
「わしは殿下がソフィアを婚約者候補から外すとおっしゃったことをしかとこの耳で聞きました。
バウムガルトナー公爵家の当主として殿下のご意思を尊重いたします」
義父が王子に顔を近づけて口角を上げた。
義父は口元は笑っているのに、目は全然笑っていなかった。
義父は氷のように冷たい眼差しで王子を睨めつけている。
多分僕も義父と同じような表情をしていると思う。
「もう娘は殿下の婚約者候補ではありません。
今後は娘を名前で呼ぶことはお控えください。
それから娘は本日初めて登城いたしました。
よってペトリ男爵令嬢に嫌がらせをしたのは娘ではありません」
義父が僕の言いたかったことを言ってくれた。
「えっ?」
義父の言葉に王子は驚いた顔をしていた。
裏も取らずにメイドの言葉を信じるからこういう目に遭うんですよ、殿下。
こちらとしては罠にはめやすくて助かりましたが。
「この件は公爵家の名誉に関わりますので、徹底的に調べさせていただきます」
そう言って王子を見据える義父の目は、そこらの暗殺者より鋭かった。
「ああ、そうしてくれ」
王子が生気のない顔でそう答えた。
「それにしても王妃殿下は遅いですね。
もう約束の刻限を過ぎていますよ」
僕はわざとらしく義父に問いかける。
「何者かが王妃殿下の名を騙り娘を呼び出したのかもしれん。
そちらも調査することにしよう」
義父も僕に話を合わせてくれた。
僕も義父も王子が王妃殿下の名を騙りソフィアを城に呼び出したことを知っている。
「王妃殿下の名を騙り公爵家を欺いたのです、王家から然るべき罰を受けるでしょう。
バウムガルトナー公爵家を欺いた者をわしも許すことはできません。
必ずやバウムガルトナー公爵家を敵に回したことを後悔させてやります」
義父は瞳から氷魔法が出るんじゃないかというくらい、殺気の籠もった冷たい視線を王子に向けていた。
「それがいいですね、お義父様」
実際義父も僕も目から氷魔法が出せる。しかしソフィアの前なので今は魔法を使わずにいた。
「ひっ……!」
義父の殺気に気圧され、王子はその場で尻もちをついた。
「大丈夫ですか? 殿下?
お顔の色が優れないようですが」
「へ、平気だ……」
義父が心配したふりをして王子に手を差し伸べる。
だが王子は青い顔でガタガタと身体を震わせるだけで、義父の手を掴むことはなかった。
☆☆☆☆☆
僕と義父はあの後、事前に集めておいた証拠を王家に提出した。
ヴァイグル侯爵が一人娘のロベアタを王子妃にするために男爵家のクロリス・ペトリを使い、第一王子を誑かしソフィアに冤罪をかけた証拠を事前に用意していた。
なので彼らの罪を追求するのは簡単だった。
義父は第一王子を廃嫡しないなら派閥の貴族全員で登城を拒否すると、国王に軽く脅しをかけることを忘れなかった。
もちろんヴァイグル侯爵家とペトリ男爵家に対する厳罰を求めた。
その甲斐があってヴァイグル侯爵とその家族は鉱山で生涯強制労働に従事することが決まり、ヴァイグル侯爵家は二階級降爵となり親戚筋の者が家督を継ぐことになった。
ペトリ男爵家はお取り潰し、一族は一人を除いて鉱山での強制労働に生涯従事することとなった。
第一王子には教えなかったが、ロベアタ・ヴァイグルは執事見習いの少年と逢瀬を交わしていた。
ロベアタは汚れた身でありながら王子妃の座を欲し、無垢なソフィアを貶めたのだ。あの女の行いは万死に値する。
ペトリ男爵家はヴァイグル侯爵家の命令でかなりの悪事に手を染め、見返りに多額の金銭を得ていた。
あの家も潰されて当然、同情の余地はない。
この件で死人が出るとソフィアが傷つくので今は鉱山送りで済ませるが、ほとぼりが冷めたら全員消す。
第一王子の息の根を止めてやりたかったが被害者のソフィアから、
「真実の愛で結ばれた殿下とクロリス様を添い遂げさせてほしい」との嘆願があったのでやめた。
第一王子は王位継承権を剥奪され、クロリスと共に北の塔に幽閉されることが決まった。
北の塔に幽閉されるときは普通は一人部屋が与えられる。
当然部屋には一人分の家具しか用意されておらず、食事も一人分しか提供されない。
真実の愛で結ばれた二人なら、きっと一つのものを仲良く二人で分け合って、末永く仲睦まじく暮らすことだろう。
アルウィン、クロリス、塔の住み心地はどうだい?
真実の愛で結ばれた君たちのことだから食料も家具も仲良く分け合い助け合い、楽しく暮らしていることだろう。
間違っても少ない食料を奪い合って殺し合いなんてしてないよね?
それから陛下、笑っていられるのも今のうちですよ。
ソフィアをあのくずの婚約者候補にしたことを義父も僕も許していない。
バウムガルトナー公爵家を敵に回したことをいつか後悔させてやる。
アルウィンとクロリスが使っていた部屋に、次に入ることになるのはあなたかもしれませんね。
☆☆☆☆☆
一カ月後。
僕は自宅の応接室で暖炉に紙をくべていた。
「お義兄様、何を燃やしているのですか?」
そこにソフィアがやってきて、無垢な顔で尋ねてきた。
「お義父様に頼まれて、ソフィアに届いた釣書を燃やしているんだよ。
送り返しても送り返しても、次から次に送られてくるからね。
面倒だから焼却処分することにした」
先月、王家はソフィアが第一王子の婚約者候補を辞退したと発表した。
アルウィンは表向き王位継承を捨て、真実の愛で結ばれた下位貴族の令嬢と結ばれることになっている。
あくまでも表向きはね。今頃は二人で仲良く一つのパンを巡って血みどろの争いを繰り広げていることだろう。
良かったね、どちらかが死ぬまで仲良くケンカができて。
ちなみにソフィアはアルウィンの恋を応援して自ら身を引いたことになっている。
王家からソフィアが第一王子の婚約者候補を辞退したと発表した翌日。
義妹が王宮に登城したとき廊下ですれ違った文官や武官から、釣書が送られてきた。
奴らがソフィアの容姿についての噂を広めたので、国中の貴族から釣書が送られてくるようになった。
ソフィアは美人で礼儀正しく聡明だ。その上彼女と結婚すればバウムガルトナー公爵家の後ろ盾が得られる。
国中の貴族の令息がソフィアを放っておくはずがない。
最近では送られてくる手紙の中に、他国の貴族からの釣書も含まれるように
なった。全く頭の痛いことだ。
「お義兄様ったらそのようなご冗談を。
王子殿下の婚約者候補を外され傷物同然の私に、そのように沢山の釣書が送られてくるはずがありませんわ」
ソフィアはそう言って眉根を下げた。
義妹は本気で言ってるのだからタチが悪い。
もうちょっと自分の価値を理解して危機感を持って欲しいものだ。
美人だが奢らず、公爵令嬢なのにふわふわとした考えを持っているところが義妹の良いところで、僕も義父もそんな彼女だからこそ大切にしているのだが。
「その件は置いといて、僕に何か用かな?」
「はい。
あの……お義兄様に折り入ってお話が……」
ソフィアは顔を赤く染め、指を交差させながらもじもじと話しだした。
「言いにくいことなのかな?」
義妹の様子から推測するに、恋バナだろうか?
ソフィアの口から「好きな人ができました」……なんて報告を聞きたくない。
怒りに任せて相手の男をこの世から消してしまいそうだから。
僕の心の中に闇が溜まっていく。
「私にはずっと好きな人がいたんです。
でも私は勇気がなくて……。
今の関係が壊れてしまうのが怖くて……その方に気持ちを伝えることができませんでした……」
彼女の顔が耳まで朱色に染まっていく。
ソフィアに好きな男がいる……表情には出さないようにしたが僕の胸中は穏やかではなかった。
誰だ? 誰が彼女の心を奪った?
殺したい、始末したい、その相手をこの世からもソフィアの心からも消してしまいたい。
心の底にどす黒い感情が溜まっていく。
「ソフィアの意中の相手は誰かな?
僕の知ってる人かい?」
僕は平静を装いそう尋ねた。
彼女は無言でコクリと頷いた。
僕はソフィアとの共通の知り合いで独身の男を頭の中に描いていく。
どうやってそいつらを秘密裏に消せるだろうか……?
誰だかわからないならいっそ全員を消して…………。
「ですが先日王宮にお招きいただいた時、殿下……アルウィン様が男爵令嬢のクロリス様と身分違いの恋をしていることを知り、
アルウィン様がその恋を成就させようと懸命に努力されているお姿を見て、
私はお二人から勇気をいただいたのです」
第一王子め余計なことを……!
やっぱりあいつはこの手で息の根を止めておくべきだった。
胸中にどす黒い感情が渦巻いていく。
この清楚で可憐な義妹を誰にも渡したくない。
他の男の目に触れさせたくない。
いっそ今すぐ義妹をさらってどこかに閉じ込めてしまおうか……?
僕がそんな邪な感情に支配されかけたとき……。
「私……ずっと前から、お義兄様のことが好きでした……!」
天使のささやきが僕の邪悪な心を祓ってくれた。
ソフィアの顔は真紅に染まり、祈るときのように胸の前で組まれた指は小刻みに震えていた。
ソフィアが勇気を振り絞って告白してくれたのだと瞬時に理解した。
「………………へっ?」
義妹の気持ちに気づけなかった間抜けな僕は、そんなアホみたいな声を出すのがやっとだった。
ソフィアが僕のことが好き……?
本当に??
いつからなんだ??
僕たち両思いだったのか??
ソフィアの告白はとても意外だったし、それ以上にとても嬉しかった。
ソフィアも僕のことが好きだったなんて……!
僕の心臓がバクバクと音を立て、自身の顔に熱が集まっていくのを感じた。
「当家に初めてお義兄様が来たとき、私はとても胸がドキドキしたんです。
あとでそれが恋だとわかりました。
でも今の関係が壊れるのが怖くて……ずっと言えませんでした。
そうしている間に私はアルウィン様の婚約者候補に決まってしまい、一生この気持ちをお伝えできないのだと思っておりました。
ですがアルウィン様のご配慮で婚約者候補から外れることができました。今しか告白する機会はないと思ったのです。
ですが私は勇気がなくて……告白するまでに一カ月もかかってしまい……。
第一王子殿下の婚約者候補から外れたとはいえ、王族との婚約を辞退した私は傷物同然。
公爵家の後継ぎであるお義兄様にはふさわしくないですし、第一お義兄様にとっては私は義理とはいえ妹。
お義兄様が七つも年下の私を恋愛対象として見られないことはわかっています。
ですが私は、この気持ちをお伝えせずにはいられなかったのです」
ソフィアの天色の瞳は涙で濡れていた。
どうして僕は今までソフィアの気持ちに気づかなかったんだろう……?
義父はソフィアを年頃の男に近づけなかった。それは彼女をほとんどこの家から出さないほどの徹底ぶりだった。
ソフィアが異性と認識できる人間は限られていたのに……。
どうして今までソフィアの気持ちに気づかなかったんだろう。
「ご迷惑ですよね……こんなことを言われても。
私は明日修道院に参ります。
この家にいてお義兄様が他の女性と結婚し仲睦まじく暮らす様子を見るのは辛いですから……」
「えっ……?」
ソフィアが修道院に入るなんて聞いてないぞ!
というよりなんで僕がソフィア以外の女性と結婚して仲睦まじく暮らさなくてはいけないんだ?!
「家令が当家に沢山の釣書が届いていると教えてくれました。
傷物同然の私に釣書が届くわけありませんから、お義兄様宛に届いた釣書だと思ったのです。
お義兄様は当家の跡取りで、紳士的で聡明で優しくてとても素敵な方です。
その上宰相補佐としてお父様の側について働いておられます。
そんなお義兄様に今まで婚約者がいなかったのが不思議なのに……私はお義兄様が結婚相手を探している現実に耐えられないのです」
ソフィアはそう言って顔を伏せた。ソフィアの頬は涙で濡れ彼女の体は小刻みに震えていた。
か弱い乙女に先に告白をさせ、泣かせてしまうなんて僕は男として最低だな。
「さようなら……!」
「待ってくれ!」
僕は椅子から立ち上がり、ソフィアを抱き寄せ僕の腕の中に閉じ込めた
「あの、お義兄様……!」
ソフィアは顔を茜色に染め困惑している。
ソフィアの心臓の鼓動が伝わってくる。
愛しい、愛しい、僕のソフィア。
誰にも渡さないよ。
これからはずっと僕の物だ。
「僕も初めて会ったときからずっとソフィアを義理の妹としてではなく一人の女性として見ていた。
僕もソフィアのことが大好きだよ。
妹としてではなく異性として愛している」
少し体を離しソフィアの目を見て伝えると、ソフィアの顔がりんごのように朱色に染まっていく。
僕はソフィアの涙をハンカチで拭い、彼女の頬に手を添え唇に優しく口づけを落とした。
僕の唇がソフィアの唇に触れた瞬間、彼女の体がピクンと震えた。
その反応が可愛くて、どうしようもなく愛しくて、僕は触れるだけの口づけを何度も落とした。
唇を離すとソフィアが潤んだ瞳で僕を見上げてきた。
ああ……可愛い! 好きだ! 放したくない!
キスだけでは我慢できない!
両思いになったばかりだが、ソフィアを僕の寝室に連れ込みたい!
僕の脳がそんな邪な思いに支配されたとき、背後から尋常でない殺気と研ぎ澄まされた冷気を感じた。
恐る恐る振り返ると……そこには鬼の形相をした、いや本物の鬼でも裸足で逃げ出すほど恐ろしい顔をした義父が仁王立ちしていた。
恐怖で心臓が止まるかと思った。
その後僕はソフィアから引き剥がされ、義父に長い長いお説教を食らうことになる。
それでもめげずに義父に「ソフィアと婚約したいです」と告げると、義父に般若の形相で睨まれた。
その時はもののたとえではなく心臓が一瞬停止した気がする。お花畑のある河原の向こう岸に幼い時に亡くなったお祖母様を見た。
義父は数々の難題を僕に与え、その課題をクリアしたら結婚してもいいと告げた。
これは義母とソフィアの助言があって叶ったことだ。
義母はソフィアの実母だけあって聖女のように心が広く優しい人だった。
これは後で知ったことだが、僕に婚約者を決めなかったのも、ソフィアを外に出さなかったのも、僕たちが互いに惹かれ合っていることに気づいた義母の配慮だった。
義母はずっと僕たちのもどかしい関係を見守っていてくれたのだ。
義母には一生頭が上がらないな。
義父の出した課題を全てクリアして、ソフィアとの婚約に取り付けるのは二年後のこと。
ソフィアと結婚するのはさらにその一年後のことだ。
さらにその一年後には俺たちの間にソフィアそっくりの女の子が生まれ、
その十数年後「お嬢様を僕にください!」と言いに来た男を僕が抹殺しようとしてソフィアと義母に止められ、
あの日の義父の気持ちが痛いほどわかった僕が、
娘の結婚式の夜に思い出を肴に義父と酒を酌み交わすことになるのは……遥か未来の話。
――終わり――
読んで下さりありがとうございます。
少しでも面白いと思っていただけたら、広告の下にある【☆☆☆☆☆】で評価してもらえると嬉しいです。執筆の励みになります。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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婚約破棄ものです!