独り立ちした弟弟子の幸せを願っていたら、いつの間にか彼に溺愛されることになりました
「ララ、俺は王都へ行くことにした」
この日成人したリックは、私にそう告げた。
私と、リックことリチャードが出会ったのは、今から七年前のこと。
魔導師である父トムの仕事で王都へ行ったとき、路地裏に倒れていた少年を発見したのは私だった。
ガリガリに痩せ身寄りのない彼を父は村へ連れて帰り、リチャードと名付け自分の弟子として面倒をみることにした。
元々、素質があったのだろう。父の指導で魔法の才能を開花させたリックは、兄弟弟子になる私をも上回る立派な魔導師になった。
半年前に父が亡くなったあとは私が指導をしてきたが、もうこれ以上リックに教えることは何もない。成人を機に、こんな田舎の村ではなく王都で彼の実力に見合った仕事を探すよう勧めた。
最初はかなり渋っていたリックだが、ようやく決心がついたようだ。
「俺は一年後に必ずララを迎えにいく。それまで、待っていてくれる?」
「リックはもう一人前の魔導師だもん。これからは、自分の好きな道を歩んでいけばいいんだよ」
リックは私たち親子に恩義を感じていて、事あるごとに「恩返しがしたい」と言っていた。でも、未来ある彼には、私たちに縛られず自由に生きてほしい。
しかし、私の返事にリックは納得しなかった。私に半ば無理やり「待っている」と約束をさせ彼は旅立つ。
私が二十二歳、リック十七歳のときだった。
◇
リックが王都へ旅立ってから半年。私はいつものように村近郊の森へ薬草の採取に来ていた。
私の仕事は様々なポーションを作ることだ。この地域は低ランクの魔物しかおらず、ケガの治療用よりも病気治癒用のポーションの方が需要が高い。
なるべく安価でポーションを提供できるよう、森へ入るときに護衛は雇わず、魔物に遭遇したときは自分で対処していた。
それで問題はない……はずだった。
「……ララ、起きなさい! 目を覚ますんだ!!」
体を揺さぶられる感覚に、パッと目を開ける。
視界に飛び込んできたのは、青空と茂り合う森の木々と、そして懐かしい顔だった。
「……タージンおじ様?」
「ああ、良かった。このまま目を覚まさなかったら、どうしようかと思ったぞ」
安堵の笑みを浮かべていたのは、父の古くからの友人であるタージン。彼は父と同じ魔導師だが、暇さえあれば気ままに国内を旅している自由人だ。
「おじ様が、どうしてここに?」
「トムの墓参りに来たら、おまえさんが森で倒れておった」
「えっ?」
「おそらく、毒草にでも刺されたんだろう。儂が発見してポーションを飲ませていなければ、おまえさんも今ごろトムのもとへ行っておったぞ……」
「!?」
タージンおじ様によると、最近毒草の変異種が国内で相次いで発見され、問題となっているらしい。
国の機関が原因を調査中とのことだが、瘴気が関係しているのではないかとおじ様は睨んでいるようだ。
「おじ様のおかげで命拾いしました。ありがとうございました」
私が深々と頭を下げると、おじ様は少し困ったように目を泳がせた。
「その、ララの命は助かったんだが……」
「?」
「……試作品しか手持ちがなくてな。飲ませたポーションで、ララが……」
私は、ここでようやく自分の体の異変に気がついた。
「すまん! ララが子供になってしまった……」
「……えっ?」
おじ様が作った試作品のポーションは、回復の効果を高めようと新陳代謝を活性化させる作用を付加した物だった。どうやら、それが効果を発揮しすぎたらしい。
おじ様の計算ではせいぜい一~二歳程度だったはずが、今の私はどう見ても十歳は若返っている。
中身は大人でも、幼い容姿では仕事をすることができない。もし、このことをリックが知れば、無理をしてでも私の面倒をみようとするだろう。
彼の足手まといにはなりたくない私は、それだけは避けたかった。
おじ様の勧めに従い、成長し外見が仕事に就くことができる十五歳くらいの見た目になるまでお世話になることにした。
リックが心配しないよう手紙を書いたが、彼の居所がわからないため家のテーブルに置いてきた。
訳あって旅に出ることになったこと。彼との約束を破ったことへの謝罪と、私のことは気にせず、これからは自分の好きなように生きてほしいと希望を書いておいた。
◇
あの日から三年。
私はタージンおじ様の姪『ララナ』として、王都で生活をしていた。
「ララナ、明日は入団式だが準備は万端か? 何か足りないものはないか?」
「はい、大丈夫です。おじ様、ここまで私をご指導くださってありがとうございました」
いつまでも、タージンおじ様のお世話になっているわけにはいかない。
私は一念発起して、父やおじ様も所属していた宮廷魔導師団への入団を目指した。
父と同じように一流の魔導師であるおじ様に師事し、見事職を得ることができたのだ。
◇
翌日、入団式に臨んだ私は息をのむ。師団長の隣に立つ男性に目が釘付けだった。
三年前より顔つきは精悍になり、背も伸びて大きくなっているが、変わらないダークグレーの髪に紫の瞳……間違いなくリックだ。
彼は、びっくりするほどカッコいい大人の男性になっていた。しかも、副師団長だという。
周囲の女の子たちが彼の噂話をしている声が聞こえるので、さぞかし人気があるのだろう。
二十歳になっているリックは、結婚はしていないのだろうか。彼が温かい家庭を築いてくれていたら、それだけで感無量なのだけれど。
私がじっとリックを見つめている間もずっと師団長の訓示は続いているが、女の子たちのひそひそ話は終わらない。
突然、リックが左手の掌を開いたり閉じたりし始めた。彼がイライラしているときによくしていた癖だ。
「そこ、静かにしなさい!」
リックの一喝で、ようやく静かになった。
昔とちっとも変わっていないリックに思わず笑みがこぼれる。……と、彼と目が合った。私を怪訝な表情で見ている。
これは、マズイかもしれない。ニヤニヤしながら、彼を凝視しすぎてしまった。
さりげなく目を逸らし、神妙な顔つきに戻す。
今の私は見た目十五歳くらい……王都で初めてリックと出会ったころの姿だ。
もう十年も前のことだし、リックもそんな昔のことは覚えていないとは思うけど。
◇
入団式が終わり、新人の私たちは今日はこれで終わりだ。
明日には所属先が決まり、本格的に仕事が始まる。
私はこれまで培ってきた知識を活かし、ポーション製作に携われる第二師団に行きたい。そこで後方支援担当として社会に貢献したいのだ。
しかし、どこに配属されるかは明日にならないとわからない。望みが叶うよう祈るだけだ。
――早く家に帰って、英気を養おう……
本物の若者たちに交じって仕事をするには、中身二十五歳の私では若さが足りないと自覚しているが、こればかりはどうしようもない。
「そこの君、ちょっといいか?」
後ろから声が聞こえ、周りの子たちが一斉に振り返る。……が、明日からのことを考えていた私の耳には一切届いていなかった。
周囲が立ち止まっていることにも気づかず、一人すたすたと出入口へ向かって歩いていたら、腕をグッと掴まれた。
「私が話しかけているのに無視とは、新人のくせにいい度胸だな」
「……えっ?」
ようやく振り返った私を、リックがひんやりした笑顔で見据えている。
そのまま引きずられるように副師団長室に連行された私は、執務机の椅子に座り眉間に皺を寄せ不機嫌そうなリックと対峙することになった。
「先ほどは、大変失礼いたしました。少し考え事をしておりまして、その……全く気づきませんでした」
これは、昔からの私の悪い癖。思考状態になってしまうと周囲の音が完全に遮断され、周りの状況が見えなくなる。
父からは、よく注意を受けていた。
「…………」
リックが目を見開いたまま、私をじっと見ている。
「あの……?」
「ああ、何でもない」
私から目を逸らしリックが口元に手を当て何かぶつぶつと呟いているが、これも彼の癖だ。
自分の思考を整理しているので、このときは黙ってじっと待つのが正解。もし話しかけたとしても、私と同様反応は返ってこない。
『そういうところは、兄弟みたいにそっくりなんだな……』
ふいに呆れた様子の父の顔が思い浮かび、思わず目頭が熱くなる。
自分の死後一年足らずで後を追いそうになった頼りない娘を、父は天からハラハラしながら見ているのだろうか。
「君の名は、何と言う?」
今は上司であるリックと話をしている最中だというのに、また他事を考えてしまう悪い癖が出ていた。
背筋を伸ばし、改めて気を引き締める。
「私は、ララナと申します」
「ララ……ナ」
タージンおじ様から「名はどうする?」と問われ、とっさに出たのがこの『ララナ』だった。
さすがにそのままララと名乗ることは止めたが、それに近い名にしたのには理由がある。
万が一、幼少の頃の私を知っている人に出会って「ララ」と話しかけられても、周囲をごまかすことができるからだ。
「君の得意分野は、何だ?」
「ポーション製作です」
「ポーション……」
その後も、リックから幾つか質問を受けた。年齢・出身地・家族構成などかなり詳細に。
おじ様との事前の話し合いで設定は決めていたので、すらすらと淀みなく答えていく。
年齢は十五歳。両親と死に別れ他に身寄りがないので、遠縁の叔父を頼って三年前に王都に来たと。
「三年前?」
リックは過敏に反応したが、彼はそれ以上何も言わず、私はようやく解放された。
家に帰ると、タージンおじ様は商会から依頼されたポーション製作の真っ最中だった。
宮廷魔導師団を辞めたあと、彼は各地へ放浪の旅に出ながら、たまに王都へ戻ってきては依頼されたポーション製作をする……そんな生活をしていた。
おじ様のポーションはとても性能が良いので、高値で売れるそうだ。
ちなみに、私をこんな姿にしてしまったあのポーションは、おじ様の判断でお蔵入りになった。
――若い子はともかく、年配の女性なら十も若返りできるポーションは喉から手が出るほど欲しいと思うけどな……
休憩時間になって、お茶を飲みながらおじ様へリックと再会したことを報告した。
父の生前、我が家へ何度か遊びに来ていたおじ様は、リックのこともよく知っている。
副師団長になっていたと伝えたら、「リックの実力なら、当然だな」と納得していた。
◇
翌日、宮廷魔導師団内で、私は羨望と嫉妬の視線が突き刺さる渦中にいた。
昨日、入団式が行われた一階の広間に、今日は新人たちの配属先が張り出されている。
部署を確認しようと入室した私を見て、「ほら、あの桃髪の子よ」という声が聞こえた。
私の髪色は、本来は落ち着いた暗めのチェリーピンクだったのだが、ポーションの影響なのか明るい色に変化してしまい、エメラルドグリーンの瞳と相まってかなり目立っていた。
『桃髪』という言い方が私を貶しているのはわかったが、中身二十五歳の私は十も年下の子たちとやり合う気は毛頭ない。
大人の対応で聞こえなかったふりをして、自分の名を探した。
『ララナ <副師団長室付秘書 兼 助手>』
――えっ? なんで、リック直属の部下になっているの?
希望の第二師団ではないことにショックを受け呆然としている私の頭を、ポンと軽く叩いてきた人物がいる。
周りの女の子たちから、キャーと悲鳴に近い声が上がった。
「おい……ララナ、副師団長室に早く来い。仕事だ」
「あの……なぜ、私が副師団長付きになったのでしょうか? 秘書の仕事なんて、したことはありませんし」
「……私付きになったことが、不満なのか?」
愁いを帯びた悲しげな瞳で私を見つめるリックの姿は、王都で出会ったころの彼を彷彿とさせた。
「ち、違います! ただ、素朴な疑問というか……」
慌てて取り繕った私を満足そうに眺めているリックに、先ほどまでの愁いの表情はない。
それどころか、どこか楽しそうにも見える。
――もしかして、からかわれた?
昔、いたずらをしたリックを咎めるときにしていたように、つい癖で、少し目を細めて彼の顔を覗き込んでしまった。
「…………」
しまった!と思い視線を逸らした私を、無言のままリックが手を掴み広間から連れ出す。
手を繋いだ状態で廊下を歩く私たちを皆が驚いた顔で凝視しているが、リックは全く気にしていないようだ。
どこへ行くにも私と手を繋ぎたがった甘えん坊のリックが、今は私の手を引き先導して歩いている。
三年前より身長も手も大きくなっているリックの背中を感慨深げに眺めていると、彼が私の方を向いた。
「……秘書といっても、そんなに難しく考える必要はない。書類の整理とか、お茶を出してもらうくらいだ」
「わかりました」
それくらいなら、私でも務まりそうだ。
ホッと安堵の息を吐いた私へ鋭い視線を送る人物がいたことに、私は気づかなかった。
昨日は緊張のあまり気づかなかったが、副師団長室は物が溢れ雑然としていた。
リックは、魔法の才能があっても日々の努力を怠らない真面目な少年だったが、それ以外のことに関しては昔から無頓着だったのだ。
散らかり放題だった彼の部屋を思い出し変わらないなあと懐かしく思いながら、許可を取った私はさっそく片付けを始める。
書類は、未処理分は期日の早い順に上に積み執務机の上へ。処理済は、後から探しやすいよう日付順に棚へ収納していく。
これは父の書類の手伝いをしていた頃のやり方だが、リックからは整理の仕方は任せると言われたので遠慮なく片付けていく。
机の上にどんどん積みあがっていく書類にリックは目を丸くしていたが、ペンを持ち作業を始めた。その間にも、私は部屋のあちこちから見つかる未処理のものを、優先順位をつけて並べ替えていく。
粗方書類の整理が終わり多少は整然としてきた部屋を、私は満足げに眺める。
本当は仕事関係以外の物も整理したかったのだが、あえて手は付けなかった。リックが他人に触られるのを嫌うことを知っているからだ。
部屋に埋もれていた給茶用の道具を持つと、隣の小部屋に向かう。
長らく使用されていなかったとみえる小部屋も掃除し、必要な物を担当部署へ貰いに行って休憩用のコーヒーを入れた。
私が再び部屋に戻ってもリックの作業は続いていたので、邪魔にならないよう机の隅に置く。
書類に視線を向けたままコーヒーを一口飲んだリックが、驚いたように顔を上げた。
「これは……君が淹れたのか?」
「そうですが、もしかしてお口に合いませんでしたか?」
「いや……美味しい。ありがとう」
良かった……と微笑む私を、リックが複雑な表情で見つめていた。
◇
「ララナ、一緒にお昼を食べよう!」
私と同期のエバが、今日も声を掛けてきた。
「エバ、声を掛けてくれるのは嬉しいけど……私と一緒にいたら、あなたまで目を付けられちゃうかもよ」
「アハハ! そんなこと気にしないで。私は、別にあの人たちに気に入られようとは思ってないからね」
私がリックの直属の部下になったことで、一部の女性魔導師たちから妬みをかったようだ。
新人のくせに生意気だと言わんばかりに、何かと難癖を付けられるようになった。
「服装がだらしない」「平民だから、きちんとした挨拶もできない」「男に媚を売っている」などなど、顔を合わせる度に数え切れないほどの嫌味を言われる。
私がもし本当の十五歳であったなら深く傷ついたかもしれないが、残念ながら中身は二十五歳。
年下の子たちからの子供っぽい嫌がらせ行為に、何も感じることはないのだ。
エバは、そんな状況の私に味方をしてくれる数少ない一人。だから、彼女に被害が及ばないように距離を置こうとしたのだが。
構わず隣で食事を始めたエバに苦笑しつつ、私も手が止まっていた食事を再開した。
「今日は、午後からララナも第二師団に来るんでしょう?」
「うん。リッ…リチャード副師団長が直接指導する日だから、私もお供するんだよ」
「ララナは、秘書としての仕事が板についてきたもんね!」
私が副師団長室付になってからリックの仕事が捗るようになったと、師団長をはじめとした周囲の人たちからは概ね好意的に受け止められていた。
私としてもリックの手助けができることは嬉しいのだが、入団する前からの希望は捨てきれずにいた。
「私も、たまにはポーション製作をしたいな……」
「ホッホッホッ…それでしたら、わたくしが力になりましょう!」
突然、私たちの会話に割り込んできたのは、長いブロンドの髪を豪奢に流した女性。彼女は高笑いをしながら去っていった。
誰だろう?と首をかしげている私に、エバが隣からこそっと耳打ちをする。
「あの人は伯爵家の一人娘で、副師団長と同期のサンドラ様よ。以前から、彼を自分の婿にとしつこく言い寄っているらしいんだけど、全然相手にされていないみたい……」
「副師団長って、まだ結婚されていないの?」
「ふふふ……ララナでも、そこは気になっちゃうんだ」
もちろん気になっていた。
リックが幸せになっているか、それだけが唯一の気掛かりだったのだから。
「平民が貴族の家に婿入りするのは、名誉なことなのよね?」
「世間的にはそう見られるけど、相手があのサンドラ様ではね……」
エバの話では、彼女はかなり性格に難のある御方なのだそうだ。
――良縁だと思ったけど、全然そうではないのね……
リックはリックでなかなか気難しい性格をしているから、彼に合う相手を探すのは大変かもしれない。
食後のお茶を飲みながら、私はため息を吐いた。
◇
今日は、毒草の国内一斉駆除の日だ。
私がこんな姿に変えられる原因となった変異種の発生源が、王都の森の奥に空いた瘴気の穴であることを国の機関が特定し、つい先日、神殿が浄化させたのだという。
あとは各地に残っている変異種の毒草を殲滅させるだけ……ということで、宮廷魔導師団は国内最大の生息地となっている王都の森を任されたのだ。
師団長を筆頭に、魔導師たちが火魔法、もしくは氷魔法で毒草を駆除していく。
根まで残さず焼いたり壊死させれば、もう二度と生えてくることはない。私も自分の敵を討つ気持ちで、慎重に作業を進める。
予定通り作業は進み、お昼過ぎに全ての駆除が完了した。
今は森の中に広がる草地で、王城より派遣された宮廷料理人の手によって作られた美味しい昼食を取りながら、皆が思い思いに休憩をしているところだ。
私は、いつものようにエバと食事をしている。
「ララナ、師団長はもちろんだけど、副師団長の術もすごかったね!」
「うん。あれだけ威力のある火炎を周囲に延焼させずに目標にだけ照射させるのは、魔力操作がかなり難しいと思う」
改めてリックの凄さを目の当たりにし、私ももっと精進しなければと痛感してしまった。
エバと、どうすれば魔力操作が上手になれるか意見交換をしているときだった。
「どうして!」
悲鳴に近いような声が聞こえ、辺りにいた団員が一斉に注目する。
声の主はサンドラ様で、隣にはリックがいた。
「何度も申し上げますが、私はサンドラ様と結婚する気はありません。それに、ララナを異動させることも承諾しておりません」
「わたくしと結婚をすれば、リックが国の要職に就くことを後押しできるのよ! 今よりもっと上の地位にだって……」
「…………」
「ねえ……リック、お願い! 考え直して!!」
「……私のことを『リック』と呼んでいいのは、この世界でたった二人だけだ。今はもう一人になってしまったが、あなたには呼ばれたくない!」
リックはぴしゃりと言い放った。
彼の言う二人とは、父と私のことだ。父に名を付けてもらったとき、私たちから初めて愛称で呼ばれたときのリックの嬉しそうな顔を、今でもはっきりと覚えている。
「そのもう一人が、彼女ってことなのね。ねえ……どうして、あの子だけ親しげに呼び捨てなの? そんなに彼女は特別?」
リックが私の方を向いた。それに釣られるように、皆の視線がこちらに集中する。
「……エバ、私だけ呼び捨てってどういうこと?」
「やっぱり、ララナは気づいていなかったか。副師団長が皆の名を呼ぶときは、『様』『くん』『さん』が必ず付いているんだよ。私は『エバさん』としか呼ばれたことないし」
エバに言われよくよく思い返してみると、部下を指導しているとき、リックはたしかにそう呼んでいた。
自分が呼び捨てにされても何も思わなかったのは、昔からそう呼ばれ慣れていたからだ。
「まあ、何でもいいわ。わたくしの邪魔になるものは、排除するだけだから……」
「何をするつもりだ?」
「あの子には、宮廷魔導師団を辞めてもらうわ。これくらい、お父様に言えば簡単なことですもの」
周囲はざわざわし始めたが、誰も異論は唱えない。
サンドラ様の家は伯爵家だが、父親は侯爵家に匹敵するくらいの権力を持っているらしい。
やはりエバの言う通り、かなり性格に難のあるお嬢様だった。
「サンドラ! これ以上の横暴は我が身どころか、伯爵家まで滅ぼすことになるぞ!!」
別の場所にいた師団長が、知らせを聞いて慌てて駆けつけてきた。
「発言を撤回し、すぐさま謝罪しろ! 今ならまだ間に合う!!」
「あら、師団長こそ、わたくしにそのような発言をして、後悔しても知りませんわよ……ホッホッホッ」
あの時のように高笑いをしているサンドラ様を険しい顔で睨んでいたリックだが、フッと表情を緩めるとニコリとした。
「師団長、やはり私が魔導師団にいるのは皆のためになりません。保留にされている退団届の受理を、即刻お願い致します」
「「「……えっ!?」」」
思いも寄らないリックの発言にサンドラ様をはじめ皆が驚き固まっているのを尻目に、リックは私の前に進み出ると跪いた。
「ララナ……いや、ララ。俺と結婚してください。二人でこの国を出て、静かに暮らそう」
「!?」
「師匠とも約束をしたんだ。俺が、ララを一生守るって……」
「ど、どうして…な、何で……」
びっくりしすぎて、言葉が出てこない。
リックから結婚を申し込まれたこともだが、なぜ彼が私の正体を知っているのか。
「どうして結婚を申し込んだのかって? それは三年前から決めていたから。何で正体を知っているのかは、タージンおじさんに聞いたからさ」
軽くパニック状態の私の手を取ったリックは、懐から指輪を出すと勝手に嵌め満足そうに頷く。
「うん、サイズもぴったりだな」
「リック……その強引なところも、ちっとも変ってないね」
「だって、こうでもしないと、ララは受け取ってくれないでしょう?」
してやったりと私を見つめるリックの顔は、いたずらが成功して喜んでいたときと同じ。昔と何も変わっていない。
「ちょ、ちょっと! 二人で盛り上がっているけど、優秀な魔導師であるリックを辞めさせるわけないでしょう!! あんただけ、国外追放処分にしてもらうわ」
「構わないぞ。俺もララに付いて行くからな」
「リック、ダメだよ! せっかく副師団長にまでなったのに……」
これまで築き上げてきたリックの努力が無駄になってしまう。
それが阻止できるのであれば、私は甘んじて国外追放でも何でも受け入れるつもりだ。
「俺がこれまで頑張ってきたのは、ララに苦労をさせたくなかったから。ララが一緒なら、どこでもいいんだ。いくつか誘いを受けているから、ララの気に入った国で仕事に就くつもりさ」
「待て、リチャード早まるな!! おまえは……」
「師団長、すみません。俺も我慢の限界なんで、さっき王城に封書を飛ばしてしまいました」
「ああ……遅かったか」
ガクッと膝から崩れ落ちる師団長を、団員たちが不思議そうに眺めていた。
◇
後日、国から今回の処分が下った。
国外追放処分になったのは、一名……サンドラ様だった。
伯爵家は降格処分を免れるために、一人娘である彼女を切り捨てたようだ。遠縁の子供を養子にして、これから跡取り教育を施すとのこと。
それでもこの一件の影響は大きく、父親はこれまでのように権力を振りかざすことはできなくなったと聞いている。
◇
三年前、王都へ行ったリックは宮廷魔導師団へ入団すると、すぐに頭角を現す。
彼を平民だと見下していた貴族たちも、その実力を認めないわけにはいかなかった。
お金を貯め結婚の準備を整えたリックは、村で私からの手紙を読み自暴自棄になる。
魔導師団を退団しようとまで思い詰めたリックを踏みとどまらせたのは、当時の副師団長……今の師団長だった。
彼から話を聞いた師団長は「せっかくここまで導いてくださった師匠に、おまえは顔向けできるのか? もし彼女と再会したときに無職だったら、結婚もできないぞ!」と発破をかけた。
その言葉にすっかり頭の冷えたリックは、再び精進を重ねる。
副師団長に抜擢された頃には各方面から見合い話が殺到して大変だったそうだが、それを蹴散らしたのが同期であるサンドラ様だった。
父親の権力を笠に着て、彼女はあの手この手でライバルたちを次々と排除していく。私が一部の女性魔導師たちから受けた嫌がらせ行為も、全てサンドラ様の差し金だったのだ。
見苦しい女の争いに嫌気が差したリックが二度目の退団届を提出したのは、ちょうどこの頃だったそう。
副師団長になって一年後、私が入団した。
入団式で目が合ったときから、リックは疑いを持ったらしい。しかし、見た目が自分よりも若く、年齢も違う私に確証がつかめず、自分の直属の部下にして様子を窺うことにした。
私を観察していると表情や仕草がララと共通することが多く、さらに決定的だったのはコーヒーの淹れ方とのこと。
「俺の好みが『濃い目に淹れたコーヒーに多めのミルクと砂糖を二つ』なんて、指定されない限り普通はわからないよな……」
たしかに言われてみればそうなのだが、つい無意識で淹れてしまったのだ。
これで確信を持ったリックは、私の留守中に家まで押しかけタージンおじ様と再会を果たす。そして、真相を聞き出した。
おじ様には結婚の許可と口止めをし、彼は速やかに次の行動に移す。
三度目の退団届を手に、今度は宰相様まで巻き込んで「このままでは最愛の人が害されてしまうので、手遅れにならないうちに一刻も早く国外へ逃れたい」と訴えたのだ。
師団長以上に慌てたのは宰相様だった。有能な宮廷魔導師がいなくなれば、国の損失は計り知れない。
それに、サンドラ様の横暴に女性魔導師の離職が増え、看過できない事態となっていた。
国王陛下へ進言し、伯爵家へ苦言を呈してもらうこと。それでも改善されない場合は、こちらで厳正に対処するとリックへ約束した……連絡用に、宰相様へ直に届く魔法の封書を添えて。
◇
休日の今日、リックが王都で借りている家に、私は初めてお邪魔している。
一人で住むには広すぎる家を見て、リックは本当に私と結婚するつもりだったのだと改めて認識してしまった。
「あ~あ、俺が国外追放処分になると思っていたのに……」
私が淹れたコーヒーを飲みながら、リックはさも残念そうに呟いている。
「何を言ってるの? こんな優秀な人材を、国が手放すわけないでしょう」
「師団長なんて、処分が発表されたら『良かった!』って、ニコニコしちゃってさ……」
師団長は、リックがいくら優秀な魔導師とはいえ平民だから追放処分になるのではとハラハラしていたのだとか。彼は私のこともリックから聞いていて、私たちが婚約したことを自分のことのように喜んでくれた。
そう、あれからすぐに私たちは婚約した……というか、させられたのだ。
「ねえ……私が結婚できるまで、まだ二年もあるんだから、慌てて婚約しなくてもよかったと思うんだけど」
見た目が未成年の私は、十七歳の成人まで結婚ができない。
私としては、それまでにリックにもっとお似合いの女性が現れる可能性を考えていたのだが、彼は頑として聞き入れなかった。
「すぐにそういうことを言うから、急いで婚約したんだ。ララは、いつまでも俺の保護者気分が抜けなくて困る。どうすれば、変えられるか……」
リックがまた口元に手を当て、何かぶつぶつと呟いている。
私はそんなリックを眺めながら、お茶菓子のクッキーを口に運ぶ。エバから美味しいと聞いていたお店のお菓子を、リックが買ってくれたのだ。
「よし、この作戦でいこう!」
彼の考えがまとまったらしい。
にこやかな笑みを浮かべたリックが場所を移動し、私の隣に座った……と思ったら、いきなり抱きしめてきた。
立派な体格のリックに力で敵うわけもなく、私はされるがままだ。
「ちょっとリック、離してくれないとクッキーが食べられないよ……」
「じゃあ、俺が食べさせてあげる」
リックが嬉しそうにクッキーを一枚摘まみ、私の口元に持ってきた。
「はい、ララ、口を開けて……あ~ん」
「…………」
「あれ、お気に召さなかった?」
私はリックの手からクッキーを取り上げると、代わりに彼の前に差し出した。
「はい、リック、口を開けて……」
あ~んと言う前に、リックはパクっとクッキーを口にいれた。しかも、私の指ごと。
大胆不敵な彼の行動に、私の方が慌てた。
「も、もう!」
軽く叩こうと拳を振り上げた私の手を握りしめると、リックは目を閉じため息を吐く。
「これでも、ダメか……」
目を開けると、リックの表情がガラリと変わった。さっきまでのにこやかな笑顔は消え、真剣なまなざしで私を見つめている。
「……ララが悪いんだよ」
そう呟くと、リックは私の肩を軽くポンと押す。不意打ちをくらいソファーへ仰向けに倒れた私の上に彼は覆い被さってきた。
「俺たちはもう婚約しているから……いいよね?」
リックの紫の瞳があまりにも真剣で、「『いいよね?』って、何が?」と聞く勇気が出なかった。
心臓がバクバクし、息が苦しい。
五歳も年下のリックは、私の中ではいつまでも弟であり子供だった。それが、今日初めて『男の人』なんだと実感してしまった。
両手を抑え込まれたまま、リックの顔が近づいてくる。
私は思わずギュッと目を瞑った。
「ララ、目を開けて俺を見て。じゃないと……本当に口付けしちゃうよ」
「…………」
「じゃあ、遠慮なく……」
「だ、ダメ!」
目を開けた私を、リックが楽し気に眺めている。
「ララの、そんな顔が見たかったんだ」
「……私を、からかったの?」
「どう、少しは俺を異性として意識してくれた?」
「リックのバカ! 意地悪!!」
恥ずかしさで、自分の顔が真っ赤になっているのがわかる。
それを隠すように身をよじって暴れる私をリックはようやく離してくれたが、再び抱きしめられた。
「ララ……愛してる。王都で俺の目の前に現れたときは、空から天使が舞い降りてきたのかと思ったんだ。それから、ずっと好きだった」
「…うん」
「師匠のような立派な魔導師になって、俺がララを幸せにするって決めていたんだ」
「……うん」
「『うん』じゃなくて、他に言うことがあるでしょう?」
「私も、リックのことは嫌いじゃないよ。たぶん……好きだと思う」
「ハハッ、仕方ない……」
リックは苦笑いを浮かべながら、私から離れた。
「俺とララの『好き』には大きな違いがあるけど、今日はこれくらいで勘弁してあげる。でも、これから俺のことをもっと好きになってもらうから……ララ、覚悟しろよ!」
私の顔を覗き込むようにして挑戦的に笑うリックは、私の知らない『男』の顔だった。
優しく額に口付けをされ、トクンと心臓が跳ねる。
それでも、この時の私はまだわかっていなかった。
リックの「覚悟しろよ!」の意味を。
彼の本気度を。
次の日から結婚するまで……いや、結婚後も続く溺愛の日々の始まりだったことを。