幸せは続かない
篤志家からの差し入れというお菓子は見たことはあっても食べたことの無い物で、きれいで甘くて、おいしかった。
きれいなお菓子は、私以外の物だったから。
誕生日にホールのケーキが出てきても、四分の一ずつ、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、弟で食べてた。
私のお誕生日にはケーキは無かった。
自分でチラシの裏紙にケーキを書いてハサミで切ってみたこともあるけど、なんだか悲しい気持ちになったから一度だけでやめた。
そこは、ご飯は出るけど、共同生活でストレスが溜まるって言う子達がいっぱい居て、職員さんも手が足りてなくて、いつもいつも大変そうだった。
私は、小さい頃からお母さんがお手伝いを教えてくれて、
「紗菜が将来困らないように教えるわ。」
なんて言って、少しずつやれることも増えて、最後には家の事全部やってたくらいだから、施設に連れてこられてから暇になっちゃって、「ぼーっとしてないで、自分のできることを探してやりなさい。指示を待ってないで自分で探すのよ。」ってお母さん達に言われてたことが身についちゃってたから、できる事を手伝った。
すると、皆褒めてくれた。
家ではやってもやっても、最近は褒められないこと、当然になったことが感謝される。
笑顔を向けてくれる。
それが私には嬉しかった。
だから、人の世話を焼くのが好きになった。
私を認めてくれるから。
今までになく幸せな気持ちで、中学を卒業して、高校も、家事をしなくて良くなったら勉強に集中できるようになって、高校卒業後の進路も複数選ぶことができた。
私は働きながら資格も取れるからって介護施設で働くようになった。
大変な仕事だったし、嫌な事もいっぱいあったけど、今まで家でやってた事と似てた所もあったし、何よりも存在を認識してもらえる。
学校にも通って、資格を取って、介護福祉士になって、モブなりに充実した生活を送れて、私を気にして家から連れ出してくれた近所の人達にも感謝を覚えるようになった。
家に帰れなくて寂しく思ったこともあったけど、振り返ってみれば、こうなって良かったのかもしれない。
だって、あの家に未練のあるものなんてほとんど無かった。
道具や服、下着に至るまで全部姉のお下がりだった。
私は成長が悪かったせいで服はほとんど足りた。
ちょっと小さいのから、大きくてぶかぶかのまで着回してたから数だけはあった。
でも食生活が悪かったから仕方がない。
食べれる時と食べられない時があったから。
社会人になって、給食じゃないのに、満足するくらい三食ちゃんと食べれて、お菓子まで買えて、更に好きな物を買えるなんて嬉しくて仕方がなかった。
その内にラノベとかゲームとかにはまって、ちまちま買って、集めて、宝物に囲まれる生活に更に幸せ感が増していった。
思えばこの頃が私の人生で一番幸せだったのかもしれない。
いや、そうでも無かったかな。
何か、やっぱり良いように使われてた気がするけど、今となってはどうでも良いことだ。
そう、今となっては、本当にどうでも良いこと。
だって、私、死んだから。
とっても頑張ってる最中に死んでしまった。
数年働くと行き詰まり感が出て、当初の幸せ感が薄れていった。
介護士は一番身近な存在だけど、やれることには制限がある。
他の職種からの当たりもきつかった。
いい人も、もちろんいたけど。
これも、”お母さん”と、一緒だった。
色んな”看護師さん””お医者さん””事務員さん”がいる。
一方的に言われて、聞かれてもちゃんと答えられる、経験と知識が私には無かった。
そもそも私には経験値が圧倒的に足らない。
ずっと、家で家事ばかりやっていたからだ。
このままではいけないんじゃないか。
だけど、どうして良いかわからない。
そう思っていたら、同僚の先輩介護士が看護学校に合格したと言う話を聞いた。
そんな事が可能なのか聞いてみたら、そういう人が結構いるらしい。
看護師さんの中にも医者を目指す人もいるんだって聞いてびっくりした。
自分は今まで流されてここまで来た。
自分の意思で自分の人生を切り開くのは素敵かもしれない。
そう考えて、看護師を目指してみることにした。
一年目は不合格。
二年目でようやく合格した。
年下の子達の中で頑張って勉強して、生活費は今までの貯金と土日や、学校後に介護士のバイトをしてまかなった。
けれど、二年生になり、実習が始まるとだんだんしんどくなってきた。
課題の多さに倒れそうになる。
だけど、やらなければ学校が卒業できない。
国家試験も受けれない。
その上生活もあるからバイトも止められなかったから本当にしんどかった。
三年生になって、実習もあと少し、だけど、国試対策も始まってってなって疲労が貯まりすぎた私は風邪を引いて、こじらせて、そこから記憶がない。
だから、死因は肺炎とかじゃないかな。
熱に浮かされて、天井を見上げて、
”私の人生何にもなかったな。生まれ変われるなら、逆の満たされた人生が送りたいな。”
って、思っていたのだけは凄く覚えている・・・って言うか思い出してきた。