辛くないって思い込んでた事が辛い
小さいときから知っていた。
私は、主役じゃない。
私は、脇役だ。
それも、脇役の中の脇役。
群衆の一人。
物心ついた時からそれが普通。
それが基本。
毎日、毎日少しずつ私は、モブであることをすり込まれてた。
誰って。
他でもない親に。
兄弟に。
友達に。
先生に。
そして、自分に。
例えば修学旅行。
ジャンケンで負けてなった班長は先生に覆された。
例えばチーム発表会。
押しつけられて作った私の発表原稿は、皆の前で発表する力が無いと判断され他の子が発表した。
古風に手紙をもらえば、「私じゃない子へ渡してお願い。」だったり、親からのプレゼントも、明らかに差があった。
そりゃ子供の目から見てもわかるんだから、今思っても明らかな差だろう。
多分私のは何かのおまけ。
あれだ。ファストフードとかのセットについてくるようなのとか。
おまけじゃなければ、ノート・辞書とかの必要物品だった。
それ、学校指定の物で皆持ってますけど。
みたいなのだった。
だからといって完全に存在が忘れられる訳じゃなく、都合悪い時はむしろ積極的に名前を呼ばれる摩訶不思議。
私は、小学校の頃から帰宅部と言う名の家政婦もどきをさせられていた。
お手伝いをすると、その時だけは褒めて貰えるから健気な子供は頑張った。
頑張ると、また褒めて貰える。また頑張る。
素敵な上昇スパイラル。
家事限定。
家に帰ったら、天気によるが洗濯物を取り込み、次にシンクに残っている朝食時の食器を洗い片付ける。台所が作業できる状態になったら食材の下ごしらえ。肉を切って漬け込んだりとか、下ゆでしたりとか、煮込みの準備とか。ある程度仕込みをしたら掃除、風呂がすぐ入れられるよう準備。ゴミを纏めるなど名も無き家事をやりつつ、合間に洗濯物をたたんで片付ける。
ある程度家事にめどが立ったら、合間の作業を宿題とかに変えて、それでも休む間無く、あっち、こっち動きまわる。時間を見て夕食作りの仕上げ。そして皆が帰ってきたのに併せて配膳。配膳の時は「なんだよ。俺カレーが食べたかったのに。」なんて攻撃をモロに食らい「本当、紗菜は気が利かないんだから。」なんて波状攻撃をも食らう。
食らいまくりの攻撃に対して、私は無装備の標的だ。
的は大きい。
外れることはない。
なんだかんだと文句をつけつつ、全部食べて家族の団欒が始まる。
私は横目に立ったまま適当に余り物をかっ込む。
夕飯の後片付けしながら朝食の仕込をして、皆が風呂入り終わった後に冷め気味のお風呂を頂く。温まるどころか冷えるので長湯はできない。でも、成長したら寒いのもある程度平気になる。その残り湯で洗濯して、夜空を見ながら洗濯物を干す。夏は良いけど冬は極寒です。お陰で一番検索する情報は天気予報です。
だって、雨に洗濯物が濡れるとやり直しだから。
だけど、これって違うらしい。
そう気づいたのは小学生中学年頃。
小学生って何でも競って話しがち。
特に私たちの学年は幼い傾向にあったのか、何でも競っていた。
目玉焼きにかけるのは醤油?ソース?マヨネーズ?
そんなくだらないこと、振り返ってみればどうでも良いことなんだけど、「それはおかしいよ。」なんて言い合うのが楽しい訳で、話題は多岐に更にくだらなく広がっていくわけです。夕ご飯は何時?とか、使ってるシャンプーはとか・・・。
本当にくだらない。
中でも一番くだらなかったのは、”洗濯はいつするのか。”だ。
家庭科の授業で洗濯の話が出た後の放課後はそんな話題一色になってた。
今思ってみても本当にくだらない。
私は、馬鹿正直に「洗濯は、夜干し派」って言った。
モブの意見に「変なの!変なの!」の大合唱。
その内一人、「新婚共働き夫婦みたい。」って、言う子がいた。
ちょっとませたクラスメートの咲ちゃん。
テレビで新婚共働き世代おすすめ洗濯洗剤なんてコーナーがやってたんだって。
夜干ししても室内干しでも匂い気にならない。
みたいなのがトップ3入りしてたんだって。
何それ、ちょっと知りたいって思ったけど、テレビ自体まともに見たことないし、流れているテレビでちょっと気になるって思って見入ろうとすると、ザッピングって言うの?パって画面変えられちゃうからテレビに執着しないようにしてた。
だから、トップ3は結局わからないままだ。
咲ちゃんのお母さんは専業主婦で、「夜干しなんて、とんでも無い」なんて言ってたらしい。少し胸張って言ってた咲ちゃん。
お母さんが本当に好きなんだな、って思ったよ。
咲ちゃんの家は、帰ったら手作りのおやつがあるんだって。
朝ご飯のトーストはお母さん自らバターを塗ってくれるんだって。
へぇ。そんな事してくれるんだ。お母さんって。
驚きのあまりポロリと口から出た言葉は
「ウチは私がお母さんに塗ってるよ。」
だった。
咲ちゃんは、にっこり笑って、
「塗りっこしてるんだ。仲いいね。」
なんて言ってくるから、「違うよ。お母さんは何もしないよ。」って返事はしちゃいけないんだな。って何となく思って何も言えずヘラヘラ笑ってごまかした。
ヘラヘラ笑ったら何でも良いような気持ちがした。
咲ちゃん。
咲ちゃんのお母さんと、私のお母さんは、きっと同じお母さんでは無いんじゃないかな。
ホラ、先生にも怒りんぼだけど問題解けるまで付き合ってくれる先生とか、優しいけど、適当な先生とか色んな人がいるみたいに。
お母さんにも色々あるんだと思う。
お隣さんも、右隣と左隣で違うでしょ。
きっと、そうだ。
きっと、きっと。
そうでなければ、私の”お母さん”は、何だろう。
考えついた答えは、
私以外には”お母さん”なんだろう。
だって、考えてみるとお母さんは他の家族には家事をお願いしていないんだ。




