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三国志  作者: 大田牛二
第三章 弱肉強食

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濮陽の戦い

 曹操そうそうは進軍して呂布りょふを攻めた。呂布も兵を出して戦い、まず騎兵で青州兵を侵した。


 呂布の騎兵は相当強く、青州兵は破れた。それにより曹操の陣は混乱した。曹操は馬を馳せて火を突破し、脱出したが、落馬して左の手掌を火傷した。


 司馬・楼異ろういが曹操を抱えて馬に乗せ、撤退した。


 再び、曹操は呂布を攻めた。


 呂布の別の部隊が濮陽西に駐屯していたが、曹操が夜襲して破った。


 しかし曹操が兵を還す前に呂布が到着した。


「かかれぇ」


 呂布自ら格闘して早朝から夕方に至るまで数十合戦い、双方とも激しくぶつかり合った。


「呂布の剛勇は聞いていたが、これほどか」


 呂布が加わったことで明らかに相手の強さが増した。


「だが、退くわけにはいかない」


 曹操は人を募って呂布の陣を破ることにした。司馬・典韋てんいは真っ先に参加を表明した。


 彼は堂々とした体格で怪力の持ち主であり、さらに固い節義と男気を有してるとして評判な男であった


 若い頃、襄邑の劉氏のために彼の仇であった李永を討つ事にした。李永は以前富春県長を務めていたため、厳重な警備をつけていたが、典韋は懐に匕首を忍ばせ、表面上は普通の客を装った。門を開かせるとたちまち李永を刺し殺し、ついでにその妻をも殺してみせた。


 近所に市場があったため大騒ぎとなったが、しばらく誰も典韋に近づく者はおらず、遠巻きにして後をつけるのみであった。やがて典韋は敵の仲間に出くわしたものの、あちこちで戦って脱出に成功してみせた。この一件で豪傑として知られるようになった。


 張邈ちょうぱくが挙兵すると、その司馬の趙寵ちょうちょうに兵士として仕えた。その際、誰も持ち上げられなかった牙門の旗を片手で持ちあげたため、趙寵に一目おかれるようになった。後に曹操軍の夏侯惇かこうとんお配下となり、何度か戦功を挙げ、司馬となった男である。

 

 典韋は応募した者を率いて進み、敵陣に当った。


 全員、衣服に二枚の鎧をき込み、盾を捨て、ただ長い矛のみを持って彼らは挑んだ。呂布の陣から多くの矢が放たれた。それはまるで雨のようであった。そのため近づくことが難しかった。そこで典韋は塹壕を掘り進み、隠れながら進むことにした。そして、一番、目の良い配下にこう命じた。


「虜(敵)まであと十歩というところまで来たらそういえ」


 暫く進んでから配下が言った。


「十歩です」


 典韋がまた言った、


「五歩になったら言え」


 等人は懼れて早口で、


「虜の近くに至りました」


 と叫んだ。その瞬間、典韋は戟を持って大呼し、起ちあがり、突撃を仕掛けた。典韋に刃向かって倒されなかった者はなく、呂布の陣を崩した。


 ちょうど日が暮れ、曹操もやっと引き上げることができた。


 曹操はこの戦いで活躍した典韋を都尉に任命し、常に親兵数百人を指揮させて、大帳の周りに侍らせるようになった。


 




 



 曹操が濮陽を包囲しつつも中々攻略できない中、濮陽の豪族・田氏が東門を開けて、内応すると伝えてきた。これで落とせると思った曹操は彼の助けを借りて、城の中に侵入した。


 そこで彼は侵入した東門を焼いて引き返す意思がないことを示した。しかし城内の呂布の配下・張遼ちょうりょうはこれに気づくと呂布にすぐさま報告し、迎撃に当たった。


 呂布軍の配下・高順こうじゅんも張遼の元に合流し、曹操軍を撃破していった。その際、その兵が曹操を捕らえた。


 ここまでと思い、覚悟を決める曹操であったが、ここで幸運が訪れる。その兵士が曹操の顔を知らなかったのである。そのためその兵士は曹操にこう言った。


「曹操はどこだ?」


 曹操は顔を少し隠しながら指差して言った。


「あそこで黄馬に乗って逃走している者がそうです」


 呂布の騎兵は曹操を放って黄馬の者を追った。


 門の火がまだ燃え盛っていましたが、曹操は火を突破して城外に出た。やけどを負いながら彼は本陣に戻った。


 曹操が本陣に到着する前、諸将が曹操と会えなかったため、皆怖れを抱いていた。


 そこで本陣に戻った曹操は自ら将兵を慰労し、軍中に命じて急いで攻城の道具を作らせた。


(こういう時に暗くなっては戦いには勝てない)


 曹操は無敗の将でもなければ、常勝の将でもない。それでも彼が英雄足りえたのは、敗北してもそこから立ち直る強さを持っていたからである。


 曹操軍が再び進軍して城を攻めた。しかし陥落させることはできず、曹操は一旦、後退した。呂布は追撃をかけた。曹操は呂布軍の攻撃をいなしながら更に後退した。そして互いに陣を構えるとそのまま対峙して百余日が経った。


「苦しいな……」


 呂布との戦いでの勝利の絵が中々描くことができない。そう思い、曹操は空を見上げると遠くから暗い雲が近づくのが見えた。いや。それは雲ではなかった。大量の蝗の集団であった。


 この大量の蝗によって、あたり一面の作物は食い荒らされ、百姓は大餓に苦しむことになった。それにより、曹操と呂布の糧食は尽きることになった。


 それにより双方撤退することになった。


 九月、曹操が鄄城に還った


 呂布は乗氏に至ったところで、食料を確保しようとすると県人の李進りしんがこの地の食料と民衆の命を守るため、呂布軍を打ち破ってみせた。それにより、呂布は東に向かって山陽に駐屯した。


 十月、曹操が東阿に至った。


「疲れた……」


 呂布相手に勝ちきれず、軍は疲弊している。未だに苦しい状況にあった。


 そこに袁紹えんしょうから使者がやってきた。その内容は曹操の家族を鄴(袁紹の拠点)に送って住ませては如何だろうかというものであった。


 曹操は送れば、人質という扱いになるだろうと思った。しかしながら兗州の大部分を失っており、軍糧も尽きていたため、これに同意しようとした。そして、支援を受けようと思ったのである。しかしこれに程昱ていいくが反対した。


「将軍は事に臨んで懼れておられるようです。そうでなければどうしてこのように思慮が深くないのでしょうか。袁紹には天下を併合する心がありますが、彼の智では成功できません。将軍は自らを量るに、彼の下になることができますか。将軍は龍虎の威をもって彼の韓・彭(韓信・彭越)になることができますか。今、兗州は破壊されましたが、まだ三城があり、戦える兵士も万人を下りません。将軍の神武をもって、文若(荀彧じゅんいくの字)、私らと共に残った者を収めてこれを用いれば、霸王の業を成すことができます。将軍の再考を願います」


(そもそも袁紹の意地の悪さが見える)


 袁紹は曹操の家族を預かると言いつつも助けることは名言していない。それにも関わらず、家族を与ろうとすることは人質にして曹操を好き勝手に使おうと思っているに過ぎない。この発送は袁術えんじゅつが孫堅を使っていたものと同じである。実に似たもの同士と言えるだろう。


 曹操は考えを改めた。


(袁紹は私に哀れみを込めたつもりであろうが、その実は見下したいがための行為だ)


 袁紹と本当の意味で手を取り合うことは無いだろうと曹操は思った。



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