田楷
194年
再び曹操が徐州へ侵攻を仕掛けてきた。
前年に曹操の攻撃を受けてみて、明らかに曹操軍の強さが尋常のものではないと思った徐州牧・陶謙は己の自尊心を押し殺して、青州刺史・田楷に使者を送り、急を告げた。
彼は第三勢力を関東の地に作ろうとしたが、ここではその空想は無理であると思い、袁術派である公孫瓚に好を通じることにしたのである。
田楷にはある程度の自由が認められているのか。陶謙の要請に対して、平原相・劉備に命じて、徐州を救いに行かせることにした。
この時、劉備自身には千余人の兵および幽州の烏丸・雑胡(各種民族)の騎兵がおり、また、飢民数千人を掠め取っていた。
このことに田楷が何かしらの抗議をしたというのは記録には無いが、それは後世の配慮と思われ、恐らくは抗議は受けているはずである。その抗議に右から左へと劉備は流していた。そもそも田楷があまり兵を寄越してもらえないためであるというのが劉備の認識であろう。
「あの……」
徐州へ出発する前、劉備に対して田豫が話しかけてきた。
「君の母上のことだね」
「はい……」
田豫には年老いた母がいるのである。
「君と共に大事を成せないのは惜しいけど、構わないよ」
と劉備はそう言って彼が公孫瓚の元に残ることを認めた。認めた背景には必要以上に兵を持っていくことへの劉備なりの公孫瓚への謝罪なのかもしれない。
田豫は少し複雑な表情をしつつも頭を下げて劉備の元から去っていった。
「よろしいのですかい旦那?」
劉備は簡雍にそう言った。
「あっしには田豫は止めて欲しかったように見えましたけどね」
劉備は無言のまま徐州へ出発した。
劉備が徐州に到着すると、陶謙は更に丹陽兵四千を与えて、劉備のことを優遇し始めた。陶謙は劉備を一目見て気に入ったようである。
こうして劉備が加わった徐州軍は曹操軍とぶつかった。
「劉備?」
曹操は聞かない名だと思いながらもいつもどおり指揮を取った。明らかに兵としての強さは徐州軍よりも曹操の軍の方が上である。ほぼ圧倒した。徐州軍が退却し始めたため、曹操は追撃を仕掛けた。
しかし、そこで追撃の勢いが弱まった。
「援軍と思われる軍が殿を努め、その軍にとても強い将がいます」
その報告を聞いて曹操はその将の名を問うた。
「劉備配下の関羽、張飛と申す者です」
「関羽……張飛……」
曹操はそう呟き、追撃をそこそこにするように命じた。
「はっ退却していくぜ」
張飛は自分たちに恐れたのだろうと思い、笑う。
「引き際がしっかりしている相手ですね」
「そうだね」
劉備と関羽は冷静に曹操軍が被害を最小限にするために退いたのだと思った。
「それにしても強い軍だ。強い軍っていうのはああいうものを言うのだろうね」
劉備は関羽にそう言った。
「その強い軍相手に私たちはよく戦った方でしょう」
「徐州の連中はだらしないからな」
張飛は徐州の軍の弱さにそう言った。関羽はそんな彼の言葉を無視して劉備に言った。
「この機に田楷から離れましょう」
「なぜ?」
関羽が田楷から離れることを勧めることに対して、劉備は問いかける。
「曹操は民への虐殺の様から決して徐州を得ることを諦めはしないでしょう。しかしながら田楷は公孫瓚の配下であるため、そう長くは留まれないでしょう。徐州の民を救うためにも……」
「民を救うか……」
劉備は首を降った。
「それは詭弁だ。徐州の民を救うのであれば、陶謙殿の首を切り落として、曹操に頭を下げることの方が民は救えると思うよ」
関羽は無言になる。
「曹操の方が正義があると君は思っているんだろう?」
ここでも関羽はそれに答えずこう言った。
「少なくとも田楷の元にいてもあなたの志を得ることはできないでしょう」
「その方が正直だよね」
劉備は苦笑しながらそう言った。
「公孫伯圭殿は良い人だった」
「そうでしょうか?」
関羽はそうは思わない。
「良い人だった。私のような者によく話しかけてくれたしね」
彼は目を細めながら共に盧植の元で学んだ時のことを思い出す。
「そうでしたか……」
関羽からすると公孫瓚が良い人という認識は全く無い。
「それでも、あの人はだいぶ変わってしまったなあ、残念だなあ」
劉備は哀れみを込めつつそう呟き、田楷から去って陶謙に帰順した。
そこで陶謙が上表して劉備を豫州刺史に任命し、小沛に駐屯させた。
この後、劉備は「劉豫州」と呼ばれるようになる。豫州刺史の治所は譙であるが、劉備は小沛に駐屯した。当時は劉備の他に豫州刺史・郭貢がいたためである。既に朝命が行われず、各地で勝手に刺史が置かれるようになっていた状態故のものである。
曹操は軍食(軍糧)が尽きたため、兵を率いて徐州から還ることにした。
明らかに曹操は徐州討伐のための準備が足りない状態で出陣しているための状況である。
その頃、馬騰は私事を李傕に依頼していましたが、満足できなかったため激怒し、兵を挙げて攻撃しようとした。
献帝が使者を送って和解させようとしても従わなかった。
韓遂も兵を率いて馬騰と李傕を和解させに行ったが、逆に馬騰と連合してしまった。彼自身も李傕への反感は持っていたというのもあるが、韓遂が馬騰に協力することにしたのは馬騰から長安で内応する者がいると聞いたためである。
諫議大夫・种卲、侍中・馬宇、左中郎将・劉範が計謀を練り、馬騰に長安を襲わせ、自ら内応になって李傕らを誅殺しようと考えていたのである。
更にこの策謀には劉焉も関わっており、劉範を通じて、彼に兵を率いさせて、馬騰に就かせていた。
この策謀に力を入れていたのは种劭である。彼は太常・种拂の子で、种拂は李傕に殺されたため、仇に報いたいと思っていたのである。
馬騰と韓遂が兵を率いて長平観に駐屯した。そして、さあ長安を攻めようと動き出したところで李傕の軍が迫ってきた。
种卲らの謀はすぐに漏れたのである。賈詡が彼らを既に探っていたのである。种卲らは槐里に出奔した。
李傕は強襲を受ける前に樊稠、郭汜および李傕の兄の子・李利に命じて逆に強襲させたのである。
予想以上に早い反撃に馬騰と韓遂は破れ、涼州に逃げ還った。
「涼州の連中を追うよりも裏切り者だ」
樊稠らは更に槐里を攻めた。种卲、劉範らは全て戦死した。
「涼州の連中を下手に刺激し続けるよりも寛容さを見せるべきです」
賈詡の言葉を受けて、李傕は献帝に詔を出させて、馬騰等を赦した。
四月、馬騰を安狄将軍に、韓遂を安降将軍に任命した。
ここで賈詡は李傕にあることを囁いた。
「本当か?」
「ええ、疑われるのであれば、李利様にお聞きください」
「わかった」
賈詡は彼の元から離れたあと、こう呟いた。
「さて、どれぐらい食わせ合わせられるか……」




