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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する
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政変

 梁冀りょうきが政権を握って二十年近く経った。


 梁冀の威権が内外に行われているため、桓帝かんていは拱手(手出しができない様子)するだけで自ら政事に関わることができず、不平を抱いていた。


 前年、陳授が殺されてから、桓帝の怒りはますます増大していていた。


 和帝の皇后の鄧氏の従兄の子に当たる郎中・鄧香とうか(鄧禹の曾孫)はせんという妻を娶り、もうという娘ができた。鄧香の死後、妻・宣は改めて梁紀りょうきという者に嫁いだ。梁紀は孫寿そんじゅ(梁冀の妻)の舅(母の兄弟)に当たる。


 鄧猛は要望がとても良かったことから孫寿は掖庭(後宮)に入れた。鄧猛は桓帝の貴人になった。


 梁冀は鄧猛を自分の娘にしたいと思い、姓を梁に変えさせようとした。しかし鄧猛の姉壻である議郎・邴尊へいそんがそれを邪魔しようとしたため、客を送って邴尊を刺殺した。


 更に宣も殺そうと使者を出した。


 宣の家は中常侍・袁赦えんしゃの家の隣だったため、梁冀の客が袁赦の家の屋根に登って宣の家に入ろうとした。しかし袁赦はそれを発見した。袁赦は太鼓を鳴らして人を集め、宣に危険を告げた。


 それによって気づいた宣は走って入宮し、桓帝にこのことを報告した。


 宣の話を聞いた桓帝は激怒した。


「もはや我慢ならん」


 桓帝は厠に入った機会に単独で小黄門史・唐衡とうこうを呼び、こう問うた。


「左右の者(宦官)で外舍(外戚)と関係が良くないのは誰か」


(陛下は梁冀を討伐しようとされているのだ)


 唐衡は震える思いで答えた。


「中常侍・単超ぜんちょう、小黄門史・左悺さかん梁不疑りょうふぎの間には隙(対立)があります。また、中常侍・徐璜じょこう、黄門令・具瑗ぐえんはいつも外舍の放横(放縦・横暴)に対して秘かに忿疾(憤懣憎悪)しており、口に出せないだけです」


 桓帝は単超と左悺を招いて入室させ、こう言った。


「梁将軍兄弟が朝政を専断し、内外を迫脅(脅迫)しているため、公卿以下がその風旨(意思)に従っている。今、これを誅したいと欲するが、常侍の意は如何か?」


 単超は答えた。


「梁氏は誠に国の姦賊であり、早くから誅殺すべきでした。しかしながら我々は弱劣です。聖意がどのようであるかがまだ分からないだけです」


「その通りであるならば、常侍は秘かにこれを図れ」


「図るのは難しくございません。ただ陛下が腹中で狐疑(躊躇)するのを恐れるだけです」


 梁冀暗殺という重大事を成すためにも桓帝にも覚悟をもってもらわなければならない。


 桓帝はそれに対してこう言った。


「姦臣が国を脅かしており、その罪に伏すべきである。なぜ躊躇するというのか」


 続いて桓帝は徐璜と具瑗も招いて五人で計を定めた。桓帝が単超の臂(腕)を噛み、その血で盟を結んだ。


 単超らが言った。


「今、計が既に決しましたので、陛下は二度とこの事を話さないでください。人に疑われることを恐れます」


 一方、梁冀は心中で単超らを疑った。彼らが桓帝に呼ばされたと聞いたためである。


 梁冀は中黄門・張惲ちょうこんを禁中に入れて宿直させ、変事に備えさせた。


 本来であればこの行為は上旨(皇帝の指示)がないとできない行為である。梁冀の威が宮省(宮中の官署)に行き届いていたことがわかる。


 この動きに、


(先手必勝)


 とばかりに具瑗が官吏に命じて、


「勝手に外から入宮し、不軌(謀反)を図ろうと欲した」


 という理由で、張惲を逮捕させた。


 桓帝が前殿に登って詔を発した。


 諸尚書を招いてから張惲の件を公開し、尚書令・尹勳いんくんに符節を持って丞・郎以下の官員を指揮させた。官員はそれぞれ武器を持って省閤を守り、諸符節を集めて省中(宮中)に届けさせ、全ての符節を桓帝自ら管理した。


 また、具瑗に左右厩騶、虎賁・羽林・都候の剣戟士、合計千余人を指揮させ、司隸校尉・張彪ちょうひょうと共に梁冀の邸宅を包囲させた。


 同時に光禄勳・袁盱えんくを派遣し、符節を持って梁冀から大将軍の印綬を回収させ、比景都郷侯に改封する詔を届けさせた。


 梁冀と妻の孫寿は即日自殺した。


 国家の支配者であった男はあまりにも呆気なく世を去った。


 梁不疑と梁蒙りょうもうはこれ以前に死んでいた。


 桓帝は梁氏、孫氏の中外(朝廷と地方)の宗親を全て逮捕して詔獄(皇帝が管理する獄)に送り、長幼に関係なく皆、棄市に処した。その他にも関連した公卿、列校、刺史、二千石の死者が数十人に上った。


 太尉・胡広ここう、司徒・韓縯かんえん、司空・孫朗そんろうは梁冀に阿附して皇宮を守らず、長寿亭に留まったという罪(恐らく政変の際、門外の長寿亭で様子を窺ったのだと思われる)に坐し、死一等は減らされたものの、免官のうえ庶人にされた。


 その他、梁冀の故吏や賓客で免黜(罷免・排斥)された者は三百余人もおり、朝廷が空になった。


 当時、宮中から突然政変が発動されたため、使者が慌てて行き交い、公卿が度(常態)を失い、官府も市里も鼎沸(鼎が沸騰すること。混乱、喧噪の様子)して、数日後にやっと安定した。


 このことを知った百姓で慶祝しない者はいなかったという。


 梁冀の財貨を没収して県官に売り出させたところ、合計三十余万万(億)に上った。それによって王府(国庫)の費用が充たされたため、桓帝は天下の税租の半分を減らした。


 また梁冀の苑囿を分けて、窮民に業(本業。農業)を行わせた。


 桓帝は梁貴人(鄧猛。梁氏に改められた)を皇后に立てた。彼は梁氏を憎んだため、皇后の姓を薄氏に改めた。久しくして皇后が鄧香の娘だと知ったため、鄧氏に戻した。


 王朝の支配者を排除したことで誰もが王朝は再び、復興し天下は休まるだろうと思った。


 しかしながら天下の乱れは止まるどころか桓帝によって加速していくのである。




 

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