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三国志  作者: 大田牛二
第二章 群雄割拠

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混沌とする情勢

 袁紹えんしょうが冀州を得たと知った鮑信ほうしん曹操そうそうの元に出向き、こう言った。


「袁紹は盟主になりましたが、権によって利を専らにしており、自ら乱を生むことでしょう。これはもう一人の董卓とうたくが現れるのと同じことです。しかしもしこれを抑えるとしても、我々の力では制すことができず、ただ敵対する勢力を作るだけです。暫くは大河の南を占拠して変化を待つべきです」


 曹操はこの意見を称賛した。


 ちょうど黒山賊の于毒うどく白繞はくぎょう眭固すいこら十余万の衆が魏郡と東郡を侵した。


 東郡太守・王肱おうこうでは防げなかったため、曹操が兵を率いて東郡に入った。恐らく袁紹の指示もあっただろうが、その指示を出させるために鮑信が動いたのだろう。


 曹操は濮陽で白繞らを撃って破った。


 袁紹はこの功績をもって、上表を行い、曹操を東郡太守に任命した。東郡の治所は東武陽に置かれた。


「ここから私の志という翼は広がるのだ」


 曹操はそう夏侯惇かこうとんに言った。


 南単于・於扶羅おぶら張楊ちょうようを脅迫して袁紹に背反させ、黎陽に駐屯した。


 董卓はこれを知ると張楊を建義将軍・河内太守に任命した。袁紹勢力を切り崩すために行った一手である。


 九月、蚩尤旗が角、亢に現れた。「蚩尤旗」とは彗星の一種である。後ろの広がった部分が曲がっており、旗のように見えるため旗の文字を彗星に使われる。この星が現れると王者が四方を征伐すると言われていた。


 角と亢は蒼龍(二十八宿の東方七宿)に属す星のことである。


 太史がそのような天象・雲気を観測して、


「大臣で殺戮に遭う者がいるはずです」


 と言った。この言葉を聞いて誰もが思い浮かべたのは董卓のことだろう。董卓自身もそう思ったに違いない。そこで董卓は人を使って、


「衛尉・張温ちょうおん袁術えんじゅつと交流している」


 と誣告させた。不吉な予言を交わすために恨みのある存在をこの機に始末しようというのがこれである。


 十月、張温を市で笞殺して予言に応じた。


 胡三省は、


「張温は西征の時に董卓を斬ることができず、逆に董卓の手によって死んでしまった。哀れなことである」


 と述べている。


 十一月、青州の黄巾は泰山を侵したが、泰山太守・応劭おうしょうがこれを撃破した。


 青洲の黄巾は転じて勃海を侵し、衆三十万になると、黒山賊と合流しようとした。


 そこに公孫瓉こうそんさんが歩騎二万人を率いて東光の南で迎撃し、大破して三万余級を斬首した。


 青洲の黄巾は輜重を棄て、逃走して河を渡ろうとして河を半分渡った時に公孫瓚が逼迫し、再び大勝した。賊の死者は数万に上り、流血によって河が赤く染まった。


 公孫瓉は捕虜七万余人を獲た。奪った車甲(車や甲冑)・財物は数え切れず、威名が天下に轟いた。








 劉虞りゅうぐの子・劉和りゅうわは侍中として献帝けんていに仕えていた。


 献帝は東に帰りたいと思っていたため、劉和を董卓から逃れさせ、秘かに武関を出て劉虞を訪ねさせた。劉虞に兵を率いて迎えに来させようとしたのである。


 劉和が南陽に至った時、袁術が劉虞を味方にすれば利益になると考えた。袁紹への嫌がらせにもなる。袁術は劉和を南陽に留め、劉虞の兵が到着したら共に西に向かうことを約束した。袁術は劉和に書信を書かせて劉虞に送った。


 書を得た劉虞は数千騎を派遣して劉和に合流させることにした。


 この時、公孫瓉が袁術の異志を知って劉虞を止めたが、劉虞は聞き入れなかった。


 公孫瓉は袁術がこれを聞けば、自分を怨むのではないかと恐れた。今は袁紹と自分は冀州の件で利用されたことで対立していることから袁術との関係を悪くすると孤立することになる。それを避けなければならないため彼は従弟・公孫越こうそんえつに千騎を率いて袁術を訪ねさせることにした。


 秘かに袁術に示唆し、劉和を捕えてその兵を奪わせた。


 それを知った劉虞と公孫瓉の対立はますます深くなるようになる。


 劉和は袁術から逃げて北に向かったが、また袁紹に留められた。




 袁術が孫堅そんけんを派遣して董卓を攻撃させ、孫堅がまだ還らなかったため、袁紹は会稽の人・周昂しゅうこうを豫州刺史に任命し、孫堅の陽城を襲って奪わせた。


 孫堅はこれ以前に袁術によって豫州刺史に任命されていたことから二重の豫州刺史ができたことになる。


 この状況に孫堅そんけんは嘆いた。


「共に義兵を挙げて社稷を救おうとし、逆賊がもうすぐ破られようとしているのに、それぞれがこのようである。私は誰と尽力すればいいのか」


 孫堅は兵を率いて周昂を撃ち、打ち破った。


 袁術も公孫越を派遣して孫堅を助け、周昂を攻めたが、公孫越は流矢に中って死んでしまった。それを知った公孫瓉は激怒し、


「私の弟が死んだ。禍は袁紹から起きたのだ」


 公孫瓉は兵を出して磐河に駐軍し、上書して袁紹の罪悪を譴責してから、進軍して袁紹を攻めた。冀州諸城の多くが袁紹に叛して公孫瓉に従った。このことからこの時はまだ、袁紹は冀州を制圧しきれていなかったことがわかる。


 懼れた袁紹は自分が佩していた勃海太守の印綬を公孫瓉の従弟・公孫範こうそんはんに授けて勃海郡に派遣した。


 ところが公孫範も袁紹に背き、勃海の兵を率いて公孫瓉を助け始めた。


 公孫瓉は自分の将である厳綱げんこうを冀州刺史に、田楷でんかいを青州刺史に、単経ぜんけいを兗州刺史に任命し、郡県の守令を改めて全て置きなおした。


 この中の田楷の下に劉備りゅうびがいた。


 彼は関羽かんう張飛ちょうひらと共に黄巾の乱を生き抜いた後、公孫瓚に頼っていた。


「公孫瓚はあなたのことをそこまで尊重はしていませんが、いつまでここにいますか?」


 関羽は劉備に問いかけた。


「さあ、時が来るまでかな」


「そうですか……」


 今に至るまで関羽はまだ劉備という人を掴みきれてはいない。


 その頃、常山の人・趙雲ちょううんが冀州に推挙されたが、彼は吏兵を率いて公孫瓉を訪ねていた。


 公孫瓉は奇妙に思いこう言った。


「汝の州の人は皆、袁氏に従うことを願っていると聞いたが、君はなぜ独り迷って反すことができたのか?」


 趙雲は毅然として答えた。


「天下は訩訩(喧噪、混乱の様子)としており、誰が正しいのか分かりません。民には倒縣の厄(転倒、覆滅の災難)があるため、我が州は論議して仁政が存在している所に従うことにしました。袁公を軽視して将軍に親しもうとしたのではありません。あなた様にも仁政がなければ去るつもりです」


 初対面でよくもまあここまで言えたものである。自分が正しいと思った者に従うとここまで堂々と言えるその豪胆さは見事である。


 公孫瓚はこの時の言葉を聞いてそこまで趙雲を優遇しようとは思わなかった。公孫瓚は今まで褒めた称えられることが多く、諫言を受け慣れていない。甘い言葉を好むところがある。


 ある意味、疎まれた部分がある趙雲に近づいたのは劉備である。彼は趙雲に会うと趙雲の資質を認め、尊重した。その態度に趙雲も劉備を慕うようになり、劉備が平原相となるとこれに従い、同行した。




 

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