連合
相国となった董卓はここまで好き勝手にやっているのだが、当の本人はそこまで好き勝手やれていないという思いがあった。
「まだ、私に従おうとしない者たちがいる」
彼は国家の甲兵・珍宝を占有し、大臣たちを威圧していった。そこまでいってもまだ満足しない董卓は賓客にこう言った。
「私の相(人相)はこれ以上ない尊貴なものだとは思わないか?」
『資治通鑑』の注釈を行った胡三省は、
「董卓)自ら人臣の相ではないと言っている。その悖逆(道理に反すること。叛心)は正にこのとおりであった」
という皮肉を述べている。
侍御史・擾龍宗が董卓を訪ねてある事を報告した時、剣を解かなかった。董卓は即座に檛殺(棍棒や鞭で殴打して殺すこと)した。
洛陽の貴戚が室第(邸宅)を並べており、各家が金帛・財産を充積していた。
董卓は兵士を放ってそれらの廬舍(家。部屋)に突入させ、資産・財宝を略奪し、婦女を奪い、貴戚を避けなかった。
そのため人心が恐れて崩壊し、日々の生活が保障できないほど不安定になっていった。
ほんの少しの我慢ができず、己の欲望に忠実過ぎるのが彼の欠点であると言える。ある意味では彼は大きなことを成し遂げたいという欲望はあっても、具体性はなく、理想もなかった。志が無いのである。
劉邦は志があったからこそ、秦の都を占領しても樊噲の諫言を聞き、己の欲望を抑えることはできた。
董卓には国を、己が世界をどのように創造していくのかという創造力という志に欠けている。
段々と暴走しつつある董卓は賞金を懸けて一度は見逃した袁紹を求め始めた。
すると周毖と伍瓊が董卓に言った。
「廃立の大事は、凡人が理解できることではありません。袁紹は大局に達することなく、恐懼して出奔しました。他の志があるのではありません。今、急いで懸賞によって彼を求めれば、必ずうあ変事を招く事態になりましょう。袁氏は四世にわたって恩徳を立ててきましたので、門生・故吏(旧部下)が天下に遍いています。もし袁紹が豪傑を懐柔することによって徒衆を集めれば、英雄(各地の豪傑)がこれを機に起ちあがり、そうなれば、山東はあなたの所有するものではなくなってしまいます。彼を赦して一郡守に拝すべきです。袁紹は免罪されたことに喜び、必ず患がなくなるでしょう」
董卓はこれに納得し、すぐに袁紹を勃海太守に任命して邟郷侯に封じた。
また、袁術を後将軍に、曹操を驍騎校尉に任命した。ところが袁術は董卓を畏れて南陽に出奔してしまった。
「袁術は逃げたか」
曹操はそう呟いた。恐らく董卓は自分も疑うだろう。まだ、この時の曹操は董卓への具体的な評価を持っていない。ただ、もう少し上手くやれば良いのにという思いはある。
もし自分が董卓の立場だとすれば、どんなことをするだろうか。そのことを思うと董卓の立場が羨ましくある。
(やりたいことがたくさんある)
それを成し遂げることを考えると董卓の世がこのまま訪れてそれを成し遂げることはできるだろうか。
『その終わりがもし醜いものであるというのであれば、せめてその終わりを良き終わりとしてもらいたい……』
「良き終わりを董卓がもたらせるとは思えない」
曹操は決めた。董卓と対立する道を、彼は姓名を変えて間道から東へ向かった。
関を出て中牟を通った時、そこの亭長に疑われ、捕まって県に送られそうになったが、邑中に秘かに曹操を知っている者がおり、命乞いしたため、曹操は釈放された。
「感謝します」
命乞いをしてくれた老人に曹操は頭を下げた。
「いやいや、あなたの祖父様にはお世話になったことがあったからのう。それだけじゃわい」
「そうでしたか……」
きっと祖父の最後の言葉に背かない行為を行おうとしているからこそ、こうして祖父の徳に助けられている。
「私は……私なりのやり方でお祖父様の願いを叶えられるようにやってみます」
曹操は陳留に至ってから家財を投じて義兵を糾合することにした。陳留の孝廉・衛茲を曹操は頼った。彼は温厚な人柄でかつ、義を重んじる人であるとして評判な男である。彼は曹操に会うと、
「この人こそ、天下を担う人物だ」
と思い、自らの家財を使って曹操を支援し、挙兵に力を貸した。曹操は五千人の衆を擁した。曹操はこの時の恩義を一生忘れなかった。
当時、豪傑の多くが兵を挙げて董卓を討とうと欲しており、冀州は人民が富裕で、兵糧が充足していたため、袁紹が勃海に入ると、冀州牧・韓馥は袁紹が兵を興すことを恐れた。そこで韓馥は数人の部従事を派遣して袁紹を守らせるという名目で監視させ、袁紹が行動できないようにした。
部従事とは州が管轄する郡に送る従事のことである。勃海一郡に数人の部従事を派遣したことから、袁紹に対する強い警戒心がうかがえる。
東郡太守・橋瑁が、京師の三公が州郡に送った書信を偽造し、董卓の罪悪を述べた。そこにはこう書かれていた。
「逼迫を見ながら自らを救う術がない。義兵が国の患難を解くことを望む」
書を得た韓馥は諸従事を招いて意見を求め、こう問うた。
「今は袁氏を助けるべきだろうか。董氏を助けるべきだろうか?」
治中従事・劉子恵が言った。
「今、兵を興すのは国のためです。なぜ袁・董を語る必要性がありましょうか?」
韓馥は自分の発言の誤りを知って慚愧の色を表した。
劉子恵がまた言った。
「兵とは凶事ですので、率先するべきではありません。今は他州を見渡し、発動する者がいれば、その後に和すべきです。冀州が他州よりも弱いということはないため、我々が後から動いても、冀州より大きな功績を立てられる者はいません」
韓馥はこの意見に納得し、書信を書いて袁紹に送った。董卓の悪行を述べて袁紹の挙兵に賛同の意を示した。
各地で、同じように反董卓の軍が立ち上がり、彼らは反董卓連合を結成した。




