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三国志  作者: 大田牛二
第一章 数多の戦旗

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朱儁

 黄巾賊の大将であった張角ちょうかくが死んだ後も黄巾賊は王朝に牙を剥き続けた。そのことが今までの反乱と違うところであるとも言えなくはない。


 張曼成の余党が改めて趙弘ちょうこうを大将に立てて集まった。勢いのまま十余万に拡大して宛城を拠点にした。


 これを受け、朱儁しゅしゅんが荊州刺史・徐璆じゅぼくらと兵を合わせて包囲したが、六月から八月になっても攻略できないでいた。


 そこで官員が朱儁を召還するように上奏し始めた。


 これに対して司空・張温ちょうおんが上書した。


「昔、秦は白起を用い、燕は楽毅を用いましたが、どちらも長年を経歴してやっと敵に勝つことができました。朱儁は潁川を討って既に成果があり、軍を率いて南を目指して方略が既に設けられています。軍に臨んで出征して将を換えるのは兵家が嫌うことです。時間を与えて成功させるべきです」


 これにより霊帝れいていは呼び戻すのを止めた。


 やがて朱儁が趙弘を撃って斬ることに成功した。しかしながら韓忠かんちゅうがすぐさま残党を集めて、また宛を占拠して朱儁に対抗した。


 ここで朱儁は珍しく策を用いた。


 朱儁が戦鼓を鳴らして西南を攻めた。そのため賊の兵は全て西南に赴いた。そこで朱儁は自ら精卒を指揮し、東北を襲った。兵がいないところを突いたことにより、城壁に登って進入することに成功した。


 韓忠は退いて小城(宛城との位置関係は不明)を守り、懼れ慌てて投降を乞うた。


 諸将が皆、投降を受け入れようと欲したが、朱儁はこう言った。


「戦とは、状況が同じでも趨勢が異なることがあるものである。昔、秦と項羽の時代は民に定主がなかったため、帰順した者を賞すことで投降するように勧めた。しかし今は海内が一統になり、ただ黄巾だけが造反している。投降した者を受け入れても善を勧めることはできないが、これを討てば悪を懲らしめるに足りる。今もしこれを受け入れれば、更に逆意を開き、賊は利があれば進んで戦い、鈍ったら投降を乞うようになる。敵を自由にさせて賊を増長させるのは良計ではない」


 朱儁は降伏を許さずに戦った。しかしながら連戦しても勝利することはできなかった。


 皆がほれ、見たことかと思っている中、朱儁は土山に登って韓忠の陣を望み、顧みて司馬・張超ちょうちょうに言った。


「状況が分かった。賊は今、外の包囲が堅固で内営が逼迫しており、投降を乞うても受け入れられず、出ようと欲しても出られないため、死戦しているのだ。万人でも一心になれば、敵対できないのに、十万もいたらなおさらだ。小城の包囲を解いて兵を宛城に入れる方が良いだろう。韓忠は包囲が解かれるのを見たら必ず自ら城を出る。自ら出れば、心が一つではなくなる。これが敵を破る道である」


 朱儁が包囲を解くと、果たして韓忠が出陣した。


 朱儁はこれを機に攻撃し、大破して一万余級を斬首した。


 大敗した韓忠らは朱儁に降った、しかしながら秦頡しんきつは韓忠に対して怨みを積もらせていたため、彼が朱儁の前に行く前に殺してしまった。これにより、韓忠の配下たちは懼れて不安になり、再び孫夏そんかを大将に立てて、宛中に還って駐屯した。


「またか……」


 朱儁は殺すつもりであったが、配下の者たちも完全に捕らえてから行おうと思っていた。秦頡は本来であれば自分の前に送るべきなのに勝手なことをしたものである。


「まあ良い……」


 黄巾の賊も度重なる大敗に疲弊している。また、勝てば良いのである。


 朱儁は宛を急攻し、司馬・孫堅そんけんが衆を率いて真っ先に城壁に登った。


「江東の虎とは私のことだ」


 孫堅は城壁の上でそう叫ぶ。


「兄上……また、無茶を……」


 孫静そんせいは盾を構え矢を防ぎながらも孫堅の次に城壁の上へ登った。そして、太鼓を叩く。


「上がれぇ、上がれぇ」


 兵を鼓舞しながら兄の後を負う。


「孫文台殿の弟君も勇気のある方よ」


「全くだ」


 程普ていふ韓当かんとうはそう言いながら城壁を登っていく。彼らの活躍もあり、宛城は陥落して孫夏は逃走した。


「逃がすものか」


 頭から血を流しながらも孫堅は追撃に加わる。


「皆、行きますよ」


 それに負けずに孫静もついて行く。


「孫文台殿は元気ですなあ」


 程普はへとへとになりながらそう言う。


「これぐらい普通ですよ、兄上はあまり鎧を着込みませんし」


 孫静は鎧はしっかりと着込んで、孫堅を追いかける。


「弟君は体力だけならば兄を超えておられる」


 韓当はそう言って笑った。


 朱儁は孫夏を西鄂精山まで追撃して再びこれを破り、一万余級を斬った。


 他の州郡でも黄巾が誅殺され、一郡で数千人に上っていた。


 豫州刺史・王允おういんも黄巾を破っていた。その際、宦官・張譲ちょうじょうの賓客が黄巾と交流していた書信を得たため、朝廷に提出した。


 霊帝が怒って張譲を譴責した。張譲は叩頭して謝罪を行った。これに同情したのか霊帝は張譲の罪を裁かなかった。


 この一件があったため、張譲は理由を探して王允を中傷し、逮捕して獄に下した。


 ちょうど大赦があったため、王允は刺史に戻された。


 しかし十日の間にまた他の罪で逮捕されることになった。


「十日で、獄に戻るような男は私ぐらいだろう」


 王允は笑いながら承知した。


 楊賜ようしは王允に楚辱(拷問による苦辱)を受けさせたくないと思ったため、客を送ってこう伝えた。


「君は張譲の事があったため、一月に二回逮捕された。凶慝(凶悪な人)とは量り難いものである。深く計ることを望む」


 つまり自害せよということである。


 諸従事で気決(果敢、気概)を好む者も共に涙を流して王允に薬を進めた。


 しかし王允は厳しい口調でこう言った。


「私は人臣となったのだから、君から罪を獲たら死刑に伏して天下に謝すべきである。どうして薬を飲んで死を求めることができるか」


 王允は杯を投げ捨てて起ちあがり、外に出て檻車に乗った。


(私は死なぬ)


 彼にはそう言う思いがある。なぜならかつて彼は郭泰かくたいから「王允は一日に千里を走り、王佐の才である」と評価されていた。


(こう評価されてこのまま死ぬことは天が許さぬはず)


 まだ、王佐の才としての仕事はしていないという思いが彼にはあるのである。


 王允が廷尉に至ると、大将軍・何進かしんと楊賜、袁隗えんかいが共に上書して命乞いをした。


 そのおかげで死罪から刑を減らされることになった。


「まだまだ私の仕事は残っているということだ」


 王允はそう呟いた。




 



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