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三国志  作者: 大田牛二
第一章 数多の戦旗

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髠鉗

 178年


 この頃、王朝周辺で奇妙な出来事が起きていた。


 侍中寺(侍中の官署)で雌雞が雄になり、得体のしれない白衣の者が徳陽門に入ろうとして、


「私は梁伯夏だ。私を上殿させて天子にしろ」


 と言った。


 中黄門・桓賢かんけんらが門吏僕射を呼んでこの者を捕えようとしたが、官吏が到着する前に白衣の者は突然走って引き返していった。桓賢らは白衣の者を探しても見つけることができず、姓名も分からなかった。


 霊帝れいていが温徳殿東庭に足を運んだ際にはそこに黒気が降り、長さは十余丈で、龍のようなものが現れた。


 玉堂後殿の庭の中では、青虹が現れた。


 霊帝が詔を発して光禄大夫・楊賜ようしらを召し、金商門に集めて災異と消復の術(変異を消して正常に戻す方法)について問うた。


 楊賜が答えた。


「『春秋讖』はこう言っています。『天が蜺を投じれば、天下が怨んで海内が乱れる』加えて四百の期にももうすぐ及びます。今は妾媵・閹尹(妃嬪や宦官)の徒が共に国朝を専らにしており、日月(天子。または天下)を欺瞞しています。また、鴻都門下に群小を召集してから、彼らは賦説(賦辞)を作って時の寵を受け、互いに推薦し合い、旬月(十日から一月)の間にそれぞれ並んで抜擢されています。楽松がくしょうが常伯(侍中)に位置し、任芝じんしが納言(尚書)に居り、郤倹(げきけん、梁鵠りょうこくがそれぞれ豊爵(高爵)と不次の寵(破格の寵愛)を受けているにも関わらず、搢紳の徒(紳士、士人)を畎畮(田野)に委伏(埋没)させており、彼らは口で堯・舜の言をそらんじ、身は世俗を超越した行いを実践しているのに、溝壑(山谷)に棄てられて恩寵や任用が及んでいません。このように冠と履物を逆転して使い、山と谷を入れ換えている状態ですが、幸いにも皇天が天象を垂らして譴告しました。『周書(逸周書)』はこう言っています。『天子が怪を見れば徳を修め、諸侯が怪を見れば政を修め、卿大夫が怪を見れば職を修め、士庶民が怪を見れば身を修める』陛下が佞巧の臣を斥遠(排斥して遠ざけること)し、速く鶴鳴の士(隠居している賢者)を徴し、尺一(一尺一寸。詔書)を断絶して槃游(遊楽)を抑止することを願います。こうすれば上天が威を還す望みがあり、衆変(各種の変異)を止めることができましょう」


 彼の四百の期というのは漢の寿命のことである。『春秋演孔図』にこう書かれている。


「劉氏の漢が四百年を経た時、漢王の輔佐を称賛・奨励しようとも、漢の寿命は四百年と決まっているため、名声がある者も漢を輔佐しない」


 議郎・蔡邕さいようが霊帝の問いに答えて言った。


「私が伏して思うに、諸異(異変)は皆、亡国の怪はございますが、天の漢に対する情義が尽きていないので、しばしば祅変(妖変)を現して譴責に当て、人君に感悟させて危(危機)を安(安寧)に改めようと欲しているのです。今回の蜺墮・雞化(蜺が現れたことと、雌鶏が雄になったこと)は皆、婦人の干政(政治干渉)がもたらしたのです。以前は乳母・趙嬈が天下に貴重され、讒言と阿諛を繰り返し、驕慢放縦でした。続いては永楽門史(永楽門史は董太后とうたいごうの宮官)・霍玉かくぎょくが後ろ盾に頼ってまた姦邪を為しました。今は道路が紛紛(議論、喧噪の様子)としており、また、こう言っています。『程大人(『宮中で名望がある老齢者を中大人という)という者がいて、その風声(消息。噂)を察するに将来、国患になる』高く隄防を作り、明らかな禁令を設け、深く趙・霍の事を考えて至戒(深刻な誡め)とするべきです。今の太尉・張顥ちょうこうは霍玉によって進められ、光禄勳・偉璋いしょうには貪濁の名があります。また、長水校尉・趙玹ちょうげん、屯騎校尉・蓋升がいしょうは並んで時の寵信を受けており、栄華富貴が充足しています。小人が位にいる咎(害禍)を念じ、身を引いて賢人に道を譲る福を省みて思うべきです」


 楊賜の言葉と彼の言葉の違いは漢の寿命に関しての部分で楊賜は終わりを感じており、蔡邕はまだなんとかなると考えていることがわかる。


「伏して見るに、廷尉・郭禧かくきは純厚老成、光禄大夫・橋玄きょうげんは聡達方直、元太尉・劉寵りゅうちょうは忠実守正な人材ですので、共に謀主にして頻繁に意見を求めるべきです。宰相大臣とは君の四体であり、彼らに委任して事を成させるものです。優劣がはっきりしたら、小吏の意見を採用して大臣を罪に陥れてはなりません。また、尚方工技の作(宮廷の工匠による制作。「尚方」は手工を管理し、皇帝の刀剣や各種の玩具器物を作る)や鴻都篇賦の文(鴻都門下で作られる賦辞)は暫く停止し、そうすることで陛下が憂いを思っていることを示すべきです」


「宰府の孝廉や士の高選(成績が優秀な者を選ぶこと)に関して、今までは人材の招聘が相応しくないことを三公の責任としてきましたが、今はそれを改善するどころか、逆にわずかな文才を基準にして小人を抜擢しています。衆心は不服ですが敢えて発言する者がいません。私は陛下が忍んでこれを絶ち、万機(諸政務)を思惟(思念。考慮)して天望に答えることを願います。聖朝(天子)が既に自ら約厲(制限して勉励すること)すれば、左右の近臣もまた従化(感化)するはずです。人々が自らを抑損(制限)することで咎戒(天災による警告)を塞げば、天道が満ちた者を削り、鬼神が謙遜な者に福を与えます。君臣が秘密を守らなければ、上には漏言の戒(訓戒、批難)があり、下には失身の禍があります。私の上表を公表せず、尽忠の吏(蔡邕を指す)に怨恨・姦仇(姦人の報復)を受けさせないことを願います」


 霊帝は上奏文を読んで嘆息した。


 その後、起ちあがって更衣に行った。「更衣」は着替え、または厠の意味である。


 この時、曹節そうせつが後ろから上奏文を覗き見ており、全ての内容を左右の者に公言した。そのため上奏した内容が漏洩してしまった。


 蔡邕に裁黜(排斥)された者は怒って報復を図った。


 蔡邕と大鴻臚・劉郃りゅうこうはかねてから仲が悪く、叔父の衛尉・蔡質さいしつも将作大匠・陽球ようきゅうと対立していた。陽球は中常侍・程璜ていこうの娘(恐らく養女)の夫である。


 程璜が人を使って飛章(緊急の上書、または匿名の上書)を提出した。


「蔡邕と蔡質はしばしば私事を劉郃に請託しましたが、劉郃が聴かなかったため、蔡邕は隠切(怨恨)を含み、中傷しようという意志を持ったのです」


 霊帝はあっさりこれを信じ、詔によってこの件を尚書に下し、蔡邕を召して状況を詰問させた。


 蔡邕が上書した。


「私は実に愚直であったため後の害を顧みませんでした。陛下は忠臣の直言を考慮せず、本来は保護を加えるべきなのに、誹謗が突然至るとすぐ私を疑いました。私は年が四十六になり、孤特(孤独。または孤高で突出していること)の一身ですが、忠臣の名を借りることができましたので、死んでも栄誉に余りがあります。陛下がこの後、再び至言を聞けなくなることを恐れます」


 先の上書は霊帝を信じて出したものである。それを見た上でのこの態度は彼からすれば裏切られたという思いが強かった。


 霊帝は蔡邕と蔡質を雒陽獄に下した。


「奉公(公事を行う大臣)を仇怨(怨恨)して大臣を害すことを議した。大不敬であり、棄市に値する」


 と弾劾された。


 官員の上奏が行われると、中常侍・呂強りょきょうが無罪の蔡邕に同情し、力を尽くして朝廷に命乞いをした。


 霊帝も改めて蔡邕の上奏文を思い、詔を発してこう言った。


「死一等を減らし、家属と共に髠鉗(髪を剃って刑具をつけること)して朔方に遷す。赦令によって刑を除いてはならない」


 こうして追放されることになったが処刑されずに済んだ蔡邕であったが、それでも危機はあった。


 陽球が客を送って蔡邕を追わせ、道中で刺殺しようとしたのである。酷吏の割には法を度外視した手を使うものである。しかし客が蔡邕の義に感動したため、陽球のために実行する者はいなかった。


 それでも陽球は諦めず、部主(州牧や郡守)に賄賂を贈って毒害(禍害)を加えさせようとした。ところが賄賂を贈られた者が逆にこの状況を蔡邕に教えて警戒させたため、蔡邕は禍から逃れることができた。



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