名将の姿は既に無く
ある人が朱雀闕にこう書いた。
「天下が大乱し、曹節、王甫が太后を幽殺した。公卿は皆、何もせず俸禄を貪るだけで、忠言の者がいない」
因みに『後漢書』では文中の中に「常侍・侯覧が多くの党人を殺した」という一文があるが当時、侯覧は既に死んでいたため、『資治通鑑』は省略している。
『後漢書』は宦官の悪逆を強調したいがために付け加え、『資治通鑑』は必要性が無いと考え、省いたと思われる。
霊帝が詔を発して司隸校尉・劉猛に犯人の逮捕を命じ、十日ごとに報告させた。もちろん詔を出すように唆したのは宦官である。
しかし劉猛は誹謗の文書が言直であると考え、急いで逮捕しようとしなかった。そのため、一月余りしても犯人の名を報告できなかった。
その結果、劉猛は罪に坐して諫議大夫に左遷され、御史中丞・段熲が代わりに司隸校尉になった。
段熲は四方に人を送って追及させ、太学の游生(遊学している学生)で繋がれた者が千余人に上った。
曹節らは更に段熲を使って他の事を理由に劉猛を弾劾させた。段熲の上奏によって劉猛は左校で労役する刑に処された。
以前、宦官で司隸校尉・王寓は自らの宦官の勢力に頼って、太常・張奐に自分を推挙するように求めた。
しかし張奐が王寓の要求を拒否したため、王寓は張奐を陥れ、党罪(党人の罪)を理由に禁錮に処した。
張奐はかつて段熲と羌討伐に関して争ったことがあり、対立していた。
段熲は司隸校尉になってから、張奐を駆逐して敦煌に帰らせ、殺害しようとした(張奐は敦煌から弘農に戸籍を遷している)。しかし張奐が文書を送って段熲に命乞いしたため、禍から逃れることができた。
しかしながら二人の因縁は続く。
以前、魏郡の人・李暠が司隸校尉になり、旧怨によって扶風の人・蘇謙を殺した。
蘇謙の子・蘇不韋は父の死体を簡単に埋めるだけで正式な埋葬はせず、姓名を変え、賓客と結んで仇に報いることにした。
李暠が大司農になると、蘇不韋は廥(草料の倉庫)の中に隠れ、地を掘って李暠の寝室の傍まで至り、李暠の妾と小児を殺した。
李暠は大いに懼れて板を地面に敷き詰め、一晩に九回居場所を変えた。
蘇不韋は李暠の父の冢(墓)を掘り、その頭を斬って市に掲げた。
李暠は蘇不韋を逮捕したくても捕まえられず、憤恚(憤懣・怨恨)のため血を吐いて死んだ。
後に蘇不韋は大赦に遇って家に帰り、正式に父を埋葬して葬礼を行った。
張奐はかねてから蘇氏と仲が良く、段熲は李暠と仲が良かったため、段熲が敢えて蘇不韋を招いて司隸従事に任命しようとした。蘇不韋は懼れて病と称し、出向こうとしない。
段熲は怒って従事・張賢を派遣し、蘇不韋を家の中で殺させた。この時、段熲が鴆(毒)を張賢の父に与えてこう言った。
「もし賢が不韋を得られなければ、これを飲まなければならない」
張賢は蘇不韋を逮捕し、一門六十余人とともに全て誅殺した。
勃海王・劉悝(桓帝の弟)が癭陶王に落とされた時、中常侍・王甫に復国を求め、謝礼として銭五千万を与えると約束した。ところが、桓帝が遺詔(死ぬ直前の詔)によって劉悝の国を戻してから、劉悝は王甫の功ではないと知ったため、謝礼の銭を贈ろうとしなかった。
当時、中常侍・鄭颯、中黄門・董騰はしばしば劉悝と交流していた。そこで王甫は秘かに司察(督察)して段熲にこれを報告した。
十月、段熲は鄭颯を逮捕して北寺獄に送った。
また、王甫は尚書令・廉忠に鄭颯らを誣告する上奏をさせた。
「鄭颯らは劉悝を迎えて擁立することを謀っています。大逆不道です」
という内容である。
霊帝は冀州刺史に詔を発して劉悝を逮捕・審問させた。劉悝を厳しく譴責してついには自殺に追い込んだ。
妃妾十一人、子女七十人、伎女二十四人も皆、獄中で死に、傅・相以下の官員も全て誅に伏した。
王甫ら十二人は皆、この功績によって列侯に封じられた。
宦官の言うことに従い、実行する段熲に誰もが失望した。
尊敬すべき名将の今の姿がこれである。
173年
陳相・師遷が陳愍王・劉寵を誣罔(誣告)した罪に坐し、獄に下されて死んだ。
劉寵は陳孝王・劉承の子で、明帝の子孫である。
なぜこのようなことになったのかという経緯について述べる。
陳の国相・師遷が、
「以前の陳相・魏愔と劉寵が共に天神を祭り、抱くべきではない帝位を望んで、罪が不道に至っています」
と追奏(過去にさかのぼって上奏すること)した。
有司(官員)が使者を送って事件を調査するように上奏した。
しかし当時は勃海王・劉悝が誅殺されたばかりだったため、霊帝は陳王に法を加えるのが忍びず、詔を発して檻車で魏愔と師遷を運び、北寺詔獄に送った。
中常侍・王甫と尚書令、侍御史に共同で審問させた。
魏愔は、
「王と共に黄老君を祭って長生の福を求めただけであり、他の冀幸(望み)はございません」
と証言した。
そこで王甫らは、
「魏愔の職は王を正すことが職責なのに、行いが不端(不当。不誠実)でした。師遷は自分の王を誣告し、不道として偽りました」
と上奏した。
二人とも誅殺された。喧嘩両成敗というやつである。
しかし劉寵は詔によって赦され、追及を受けなかった。
「かつての名将の名は地に伏し、己の我欲のみに動く者たちは相変わらずその毒を撒いている」
黄色い服の男は笑いながら呟く。
「全く、人というものは中々進歩しないものだ」
「ああ、そうだな……」
仮面の男がその後ろで同意する。
すると黄色い服の男が指差す。
「だが、久しぶりに良い輝きの一片を見ることができるぞ」
彼が指さした先には赤い頭巾を被り、軽快に笑う男の姿があった。




