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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する

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張倹

本日は二話更新です。

 郭泰かくたいは第二次党錮の禁での人々の死を聞いて秘かに慟哭し、こう言った。


「『詩(大雅‧瞻卬)』はこう言っている『人才を失えば、国が困窮する』漢室は滅ぶだろう。ただ烏が誰の屋根に止まるのかを知らないだけである」


 最後の一節は『烏がここに止まるのが見える。誰の屋根においてか』という『詩経‧小雅‧正月』の一句が元である。


 烏は王業を象徴している。郭泰は、


「漢室はもうすぐ滅ぶ。王業が次にどこに行くかが分からないだけだ」


 と言っているのである。


 郭泰は人才の評価を好んだが、厳しいほど直接的で詳細な言論をしなかったため、濁世(汚濁した世の中)に身を置くことができて、怨禍が及ぶことはなかった。


 言動には日々気をつけることとはこのことである。


 さて、侯覧こうらんに憎まれ、ある意味では第二次党錮の禁が起きた原因になったというべき張倹は逃げに逃げ回っていた。


 彼は人の家を見つけるごとに宿泊を請うた。


 張倹の名行(名声と徳行)を尊重しない者はなく、皆、家を危険にさらしてでも張倹を受け入れた。


 後に転々として東莱に至り、李篤りしつの家に泊まった時、黄県令・毛欽もうきんが武器を持って門前に来た。


 李篤は毛欽を招き入れて席に着かせるとこう言った。


「張倹は罪を負って亡命しています。私がどうして彼を隠せるでしょう。たとえ本当にここに居るとしても、この人は名士です。明廷(明府。県令)はどうして彼を捕えるべきなのでしょうか」


 毛欽は立ちあがって李篤を軽く肩等を叩いて、こう言った。


「蘧伯玉は独りで君子でいることを恥とした。あなたはどうして独りで仁義を得ようとするのか」


 李篤がこう答えた。


「今、これを分けようと欲しています。あなたが仁義の半分を負うことになると信じています」


 毛欽は嘆息して去った。


 李篤は張倹を案内して北海の戲子然の家を経由し、漁陽に入ってから塞外に出た。張倹が通った場所で死刑に伏した者は十人を数え、連座して逮捕・審問に遭った者は天下に遍いた。彼らの宗親も全て殄滅(誅滅)され、郡県がこのために残破(破滅。崩壊)するほどであった。


 張倹は魯国の人・孔襃こうほうと旧交があったため、亡命中に孔襃の家を訪ねたが、会えなかった。この時、代わりに彼と応対したのが、孔襃の弟である孔融こうゆうである。この時、十六歳であったが、張倹を匿った。


 孔融はあの李膺との逸話が知られている。


 まだ十歳あまりの時、当時非常に名声の高かった李膺に面会しようとした。李膺は当代の優れた人物か、先祖代々からの交際のある家柄の人間としか合わなかったため、まだ天下にも知られていない彼にはどうやってもできないはずであった。


 しかしながら孔融は門番に、


「私が家は李君と昔からの通家でございます」


 と伝えた。門番は若い少年の彼に訝かしく思いながらも李膺に伝えた。李膺ははてと思いながらも通した。


 ちょうど宴の最中で多くの人々がそこにいたところに名も知れぬ少年がやってきたため、周りは大いに驚いた。李膺は孔融を見て問うた。


「あなたは我が家と昔からの通家とお聞きしたが、いつからの付き合いですかな?」


 すると孔融はこう答えた。


「私の先祖の孔子はあなたの先祖の李老君(老子)と徳を同じくし、師友の間柄でした」


 李膺は感嘆した。


「なるほど、正しくそのとおりですな」


 彼は孔融を大いにもてなした。彼を認めたことを意味する行為であり、人々は大いに驚いた。その時、遅れて陳煒という高官がやってきた。見慣れない少年に皆が驚いていたため、何があったかを聞くとこう言った。


「子供の時にどんなに頭が良くとも、大人になってから頭が良いとは限らないものだ」しかし、孔融は平然と反論した。


「では貴方は子供の時はとても頭がよかったのですね」


 それを聞いて李膺は大笑いし、


「成長すれば、あなたはきっと立派な人物となられるでしょう」


 と、孔融を評価した。


 後に張倹を匿っていることが漏れた。張倹は逃走できたが、魯の国相が孔襃と孔融を逮捕して獄に送った。


 しかし国相はどちらを罰するべきか判断できなかった。


 そこで孔融が言った。


「受け入れて匿ったのは私です。私が罪に坐すべきです」


 孔襃が言った。


「彼は私に救いを求めに来ました。弟の過ちではありません」


 兄弟で庇い合うため困った吏が二人の母に問うと、母はこう言った。


「家の事は長に任せるものです。私がその辜(罪)に当たります」


 一門が死を争ったため、郡県の官員は躊躇して決断できず、朝廷に報告して判決を請うた。


 その結果、霊帝は詔書を発して孔襃の罪とし、処刑した。


 このように多くの者に匿われたため、張倹は逃げ切り、後に党禁が解かれると張倹はやっと郷里に還ることができた。


 建安年間初期、張倹が朝廷に召されて衛尉に任命された。張倹はやむなく起ちあがったが、曹氏が台頭し始めていたため、門を閉じて車を高く掲げ、政事に関与しなかった。一年余後に許で死んだ。八十四歳であったという。


 長き苦難の逃走劇を演じながら最後は家に死ぬことができたのだから彼は幸運であったと言えるだろう。


 しかしながら彼を批難した者がいる。夏馥かふくである。


 彼は張倹の亡命について聞くと、嘆息してこう言った。


「孽(害悪。罪)を自分で作りながら、空しく良善の者を汚している。一人が死から逃げて、禍が万家に及んでいるではないか。そうまでして生きる必要があるのか」


 夏馥は自ら髭を切って外貌を変え、林慮山の中に入り、姓名を隠して冶家(金属を鋳造する家)の傭人になった。自ら煙炭(煙火)で炙り、容貌が毀瘁(憔悴)したため、二、三年も経つと知る人がいなくなった。


 夏馥の弟・夏静かせいが車に縑帛(絹)を載せて夏馥を追い求め、それらを贈ろうとしたが、夏馥は受け取らずに、


「弟はなぜ禍を車に載せて贈りに来るのか」


 と叱りつけた。


 夏馥は党禁が解ける前に死んだ。



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