青蛇
169年
四月、青蛇が御坐(玉座)の上に現れた。
更に大風が吹き、雹が降り、大きな雷が鳴り響き、百余の大木が抜き倒された。
これに異常さを感じた霊帝は詔を発して公卿以下の官員にそれぞれ封事を提出させた。
大司農・張奐が上書した。
「昔、周公の葬が礼に合わなかったため、天が怒って威を振るわせました」
周公旦が死んだ時、周の成王が成周に埋葬しようとした歳、天が雷を落として風を起こし、禾(稲)が全て倒れて大木が抜き倒されたため、国人が大いに恐れた。そこで成王は周公を畢に埋葬した。畢には文王と武王の墓があった。これをもって成王は周公旦を臣下とみなさないという意思を示したという故事である。
「今、竇武と陳蕃は忠貞でありながらまだ明宥(公けの寛恕)を被っていません。妖眚(災異)が来たのは全てこのためでございます。急いで彼らを收葬し、家属を遷し還らせ、従坐(連座)による禁錮を一律免除するべきです。また、皇太后(竇氏)が南宮に居ますが、恩礼が行き届いておらず、朝臣は何も言えず、遠近が失望しています。顧復(養育の恩)に報いる大義を思うべきです」
霊帝は張奐の言を深く称賛して諸常侍に意見を求めた。しかし左右の者は皆、これを嫌った。もちろんのことである。左右にいるのは宦官で彼らを全滅させようとした者を称えなければならないなど虫酸が走ることであろう。
結局、霊帝は自分の判断に従うことができなかった。
張奐はまた尚書・劉猛らと共に王暢や李膺を推挙し、彼らは三公の選に加えることができると進言した。
曹節らはますます張奐の発言を嫌い、ついに霊帝に詔を下させて厳しく譴責した。
張奐らは皆、自ら廷尉を訪ねて獄に繋がれ、数日後にやっと釈放されたが、それぞれ三カ月の俸禄で贖罪することになった。
郎中・謝弼が封事を提出して言った。
「私が聞くに、『虺(毒蛇の一種)や蛇は女子の祥である(『詩経・小雅・斯干』の一句)』といいます。伏して思うに、皇太后が宮闥(宮中)で策を定め、陛下を援立されました。『書』はこう申しています。『父子や兄弟には互いに罪が及ぶことはない』(『春秋左氏伝』に同じような言葉があるが、それの引用が『尚書・康誥』からとされているものの現在の『尚書‧康誥』にはこの言葉がない)竇氏の誅において、どうしてその咎が太后に及ぶべきなのでしょうか。太后は空宮に幽閉され、天心を愁感させています。もしも霧露の疾(寒暑による病)があれば、陛下は何の面目があって天下に見えようとしているのでしょうか」
「和帝は竇氏の恩を絶たなかったため、前世がこれを美談としました。『礼』においては、人の後嗣になったらその人の子になります。今、陛下は桓帝を父としたのに、どうして太后を母としないでいられるのでしょうか。陛下が有虞(舜)による蒸蒸の化(孝順の教化)と『凱風(詩経・邶風)』による慰母の念(母に感謝して慰労する気持ち)を仰慕(敬慕)することを願います」
「私はまたこう聞いたことがあります。『国を開いて家を継ぐのに小人を用いてはならない(封国を建てたり後継者を立てる時は小人を用いてはならない)』今は功臣が久しく外におり、まだ爵秩を蒙っていないのに、阿母(乳母)が寵私(個人的な恩寵)によって大封を享受しております。これも大風・雨雹(雹が降ること)の原因です。また、元太傅・陳蕃は王室のためにその身を勤労辛苦させたのに、群邪に陥れられて一旦にして誅滅されました。その様子は酷濫(残刻で限度がないこと)であり、天下を駭動(震撼・驚動)させています。しかも門生・故吏がそろって徙錮(流刑・禁錮)に遭うことになりました。陳蕃の身は既に去り、百人の命と換えても償えません。その家属を還らせて禁網(禁令)を解除なさるべきです。台宰(宰相の地位)は重器であり、国命が繋がっていますが、今の四公では司空・劉寵だけが断断(確実、誠心誠意な様子)と善を守っており、残りは皆、徳が無いのに俸禄を貪り、賊(害)を招くような人たちばかりなので、必ずや折足覆餗の凶(鼎の足が折れて中身がこぼれるような凶事。能力がない者が職に就いているために招く災難)があります。今ならば、災異を理由に併せて罷黜(罷免排斥)を加えることができます。元司空・王暢と長楽少府・李膺を召して共に政事に居させれば、災変を消して国祚(国運)を永くすることもできるでしょう」
霊帝の左右の者はこの進言を嫌い、謝弼を朝廷から出して広陵府丞にした。
謝弼は官を去って家に帰った。
ところが、曹節の従子(従兄弟の子。または甥)・曹紹が東郡太守を勤めており、罪を探して謝弼を逮捕した。謝弼は拷問に遭って獄死した。
後の191年に司隸校尉・趙謙が謝弼の忠節を訴えたため、曹紹は逮捕されて斬られることになる。
霊帝が蛇妖のことを光禄勳・楊賜に問うた。楊賜は楊秉の子で楊震の孫である。
楊賜が封事を提出した。
「善とは妄りに来るものではなく、災とは理由なく発せられるものではありません。王者の心に想うことがあれば、まだ顔色を形成していなくても、五星がこれによって推移し、陰陽がそのために度(程度)を変化するものです。皇極(帝王が天下を治める基準)が建たなければ、龍蛇の孽(凶事)があります。『詩』においてこう書かれています。『虺や蛇は女子の祥である』陛下が乾剛(陽剛)の道を思い、内と外における道義を分別し、皇甫の権を抑え、豔妻(艶妻)の愛を割くことを願います。そうすれば蛇変を消すことができ、禎祥(吉祥)がすぐに応じるでしょう」
「皇甫」は「皇父」とも書き、周の幽王時代の卿士で、幽王の寵臣であった者のこという。「豔妻」は幽王の后として国を傾けた褒姒のことである。『詩経・小雅・十月之交』から引用した言葉である。
しかしながら霊帝はこの言葉にも従わなかった。左右の者に反対されたからである。
以前ほど清流派を名乗る者たちへの宦官たちの反発心は強くなっていた。相手が宦官と見れば、誰であろうと始末するつもりであったからである。
「連中は清流派と宣っていますが、その性根はまさに獣のようだ」
それが宦官たちの思いであろう。
「そうは思いませんかな。曹騰殿?」
曹騰に対し、曹節と侯覧がそう言った。
「そうだな……」
曹騰はこの時、既に引退して隠居している身であった。宦官として権力を握りながらも静かに余生を過ごしている貴重な人物である。
二人の突然の来訪により、曹騰は息子の曹嵩ら家族は外出させていた。孫の曹操に彼ら宦官と合わせてく無いという思いがあったためである。
「この王朝は歴代の王朝で最も優しい王朝だ。我ら宦官に人としての立場を保証してくださった。そのことを理解していない者たちの多いことよ」
「そのとおりですなあ」
「だからこそ汝らもそれを忘れることが無いようにな……」
「わかっておりますとも……」
二人とて、この曹騰相手には傲慢な振る舞いはできない。
「それで……汝らは何の用だ?」
わざわざ自分のような老骨に好きで会いに来たわけではないだろう。
「実はですな……今、我々宦官の中であれをもう一度やろうと考えているのです。それをお告げになりに参りました……」
「ほう……貴様らはこの私を疑うと?」
「いえいえ、そのようなことは……あなたは宦官として尊敬できる方だ。できれば、敵対の道は歩みたくは無い。故の忠告なのでございます」
二人は笑う。
「わかっている……私は余計な手出しも手助けもせん……信じるかどうかはお前たち次第だ……」
「そんな信じますとも……あなたは我ら宦官の憧れなのですから」
そう言って二人は去っていった。
「宦官は……人なのだ……どこまでも人なのだろう……」
善人も悪人もいる。それだけのことである。
「私は……後世においてはどう思われるだろうか……」
ふとそこまで考えてから彼はそう呟いた。
「宦官のくせに……そんなことを考えるのか……私は……」




