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三国志  作者: 大田牛二
第五章 三国鼎立
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漢中争奪戦

なぜカードゲームって新パックの度にぶっ壊れが出てくるのか。復讐、機械ヴャンプにひき殺されながらマグナジャイアントを相棒に挑み続ける今日この頃。文明降臨っ

 三月、夏侯淵の戦死を受け、魏王・曹操そうそうは衆を挙げて南征を開始した。長安を出発して斜谷を出た。斜谷の道が険しいため、曹操は劉備りゅうびに邀撃されることを恐れ、先に軍を派遣して要地を守って劉備軍が通れないようにし、その後、本営を進めて漢中に臨んだ。


 劉備は曹操の到来を知るとこう言った。


「曹公が来たが何も為すことができない。私が必ず漢川を有すことになる」


 曹操相手にそこまで言えるほどの自信を劉備が身につけ始めていた。


 曹操が陽平に至ったが、劉備は兵を集めて険阻な地で曹操軍を拒み、一向に交戦しようとはしなかった。


 そんな中、曹操軍が北山の下で米を運んでいた。


 この情報を受けて劉備の本陣から離れたところに駐屯していた黄忠こうちゅうはこの米を奪おうとして、兵を率いて出撃しようとした。


「お待ちください。ここは慎重に行くべきです」


 黄忠の元にいた黄権こうけんがそう言ったが黄忠は聞かず、出撃した。


趙雲ちょううん殿、ここの守りはお願いします。数刻後までには戻ります」


「承知した」


 黄権は翊軍将軍・趙雲ちょううんに守りを任せて黄忠の後を追った。


 しかしながら約束した時間になっても黄忠も黄権も戻ってこないため、趙雲は様子を探るために数十騎を率いて営を出た。


 曹操はこの時、大軍を挙げて出撃させた。黄忠の元に知らされた北山での米の輸送路は偽の情報であった。劉備の本陣を攻撃すると共に黄忠の駐屯地も攻略し、奇襲される危険性とその駐屯地からの劉備本陣への圧力を高めるための一手である。


 そのため曹休そうきゅうに一軍を任せて、黄忠と趙雲の営を襲わせた。その一軍に数十騎で出ていた趙雲が遭遇したのである。


「どうなさいますか?」


 趙雲の副将・陳到ちんとうが聞くと、


「先ずは一撃を与える」


 そう言うと趙雲は、前に進んで敵陣に突撃し、曹休軍の先頭のいる兵を一撃によって刺し殺すとすぐさま二人目、三人目も同じように殺していった。その趙雲の強さに曹休軍の先鋒が弱腰になると趙雲は退却を始めた。曹休軍はそれを追うが趙雲は彼らを切り捨てながら退却していった。


 曹休軍は趙雲の強さに一回は散開したもののまた集合し、趙雲を追って営下に至った。


 趙雲は営に入ると門を更に大きく開き、旗を倒して戦鼓を止めさせた。


「なんだ、罠か?」


 曹休は趙雲が伏兵を置いていると疑って引き還して軍を整えることにした。先ほどの趙雲の武勇に怯えている兵も多いというのもあった。


 すると趙雲が戦鼓を打って天を震わせ、強弩だけを使って曹休軍の後ろから射た。


 魏兵は驚愕して互いに押しあい踏みあい、漢水に堕ちて死んだ者が非常に大勢いたという。戦いが終わった翌早朝、劉備が自ら趙雲の営を訪ね、前日戦った場所を視てこう言った。


「子龍(趙雲の字)は一身全て胆であるな」


 時を戻し、曹操軍が全軍をあげて劉備の本陣を攻めていた。張飛ちょうひの営を張郃ちょうこう郭淮かくわいが攻め、馬超ばちょうの営は朱霊しゅれいが攻め、劉備本陣は曹真そうしん徐晃じょこうが攻めた。


「くそったれ、もう少し前かがみに攻めてくれば良いものを」


 張飛は劉備の本陣への救援を邪魔する相手に苛立つ。


「張飛を劉備の本陣への救援に行かせなければ良い」


「ええ、そうですね」


 張郃、郭淮は慎重に張飛を邪魔していく。


 一方、朱霊は馬超の営を想像絶するほどに苛烈に攻め込んでいた。


「馬超、死すべし。馬超、死すべし」


「殺せ、殺せ」


 朱霊の軍は敵対する勢力に恨みを持つ者によって構成されている。


「今まで以上に編成が楽だった」


 朱霊は編成時、そう言うほど馬超を恨んでいる者は多かった。なにせ馬超は関中での戦いであまりにも、あまりにも人を殺しすぎた。


 ある者は父を、ある者は母を、ある者は夫を、ある者は妻を、ある者は子を、ある者は孫を、ある者は兄弟を馬超に殺された。


 そんな者たちを集め、軍を編成した。中には十代に至ったばかりの子供さえ軍の中に混じっている。


 彼らの強さは尋常ではなく、馬超は終始圧倒され続けた。


「兄上の仇っ」


「五月蝿い」


「妻の仇っ」


「五月蝿い」


 馬超は迫ってきた敵兵を次々と斬り殺していく。


「父上の仇っ」


 そう言って後ろから叫びながら襲いかかったのは十代に満たない若者であった。


「黙れっ」


 馬超はそんな若者を一瞬で斬り捨て、次の敵兵に備える。しかし、その若者は即死してなかった。若者は馬超の足元にゆっくりと這って近づくと小刀を馬超の足に突き刺した。


「やっと、やっと届いた」


 刺されて倒れこむ馬超を尻目にその若者は息を引き取った。


「孟起様」


 倒れ込んだ馬超を見て、彼の従弟の馬岱ばたいが馬超を担ぎ上げて退却を指示して脱出した。この負傷により、馬超は病に犯されるようになる。


 馬超の営を打ち破った朱霊は曹操からの指示により、そのまま劉備の本陣に攻めかかった。


「攻めるのは構いませんが、対馬超で編成した軍ですので期待はなさらず」


 曹操の指示に朱霊はそう述べたことを知った曹操はため息をつく。


「相変わらず、ああいうところが好かん」


 以前、劉備を攻める際に朱霊を先鋒にしようとしたことがあった。その際、朱霊は曹操に、


『劉備はあなた様と違い、憎む者が少ないため編成が難しいので期待なさらないで下さい」


 と言ったことがある。


 さて、劉備本陣を守っている高翔こうしょう魏延ぎえんは曹操軍の曹真と徐晃の攻撃になんとか耐えていたが、ここに朱霊の軍が加わったため、一気に不利になった。


「報告します。高翔将軍が負傷しました」


 高翔が曹真の一矢によって肩を射抜かれたことにより、落馬して負傷してしまった。


「魏延に前線の指揮権を統一。兵を増強して耐えるように」


 劉備の傍に控える法正ほうせいがそう指示を出す。


 一方、有利に進めている曹真と徐晃であったが、曹休が想定通り、黄忠と趙雲の営を突破できていないため別の一手を打たねばならなかった。


王平おうへい


「はっ」


 王平は字を子均といい、元々張魯ちょうろに従っていた人物である。


 文字が書けず、無口であまり人当たりは良い印象を受けない人物であるが慎重さをもった武人である。


「一隊を率いて劉備本陣に奇襲をかけよ」


「承知」


 王平は一隊を率いて少し迂回して劉備本陣の側面を襲った。


 この奇襲により、劉備近くにまで矢が雨のように降り注ぐようになった。魏延は後方を気にし、前進を躊躇し、後退して劉備を守りにいきたかったが、劉備は後退を許さなかった。


 劉備の傍にいる者たちは後退すべきと思う者が多かったが、劉備は断固として後退しないという意思を示し続けたため進言を躊躇した。


 そんな中、法正は矢が雨のように降る中、劉備の前に立った。


「法正、矢に当たってしまう」


 劉備は法正に矢を避けるようにと命じたが法正はこう言った。


「あなた様が矢や石の飛び交う中におられるというのに、どうして私ごときが避けられましょうか」


 劉備は法正の言葉を受けて、後退することを決めた。


「よし、劉備が後退し始めたぞ」


 徐晃はそう言うと曹真、朱霊と共に一気に追撃をかけようとした。だが、そこに側面から戦鼓が鳴り響いた。


 黄忠は報告にあった場所がもぬけの殻であったため、偽報であったことに気づいた。


「しまった。騙されたか」


 黄忠は急ぎ、自身の営に戻ろうとしたが黄権が止めた。


「お待ちください。既に曹操軍は我々の営と本陣へ軍を動かしていることでしょう。今から営に戻っても本陣の危機は変わりません。ならば、我々は別の行動をするべきです。趙雲将軍ほどの方ならば営を守り時間稼ぎを行うことができましょう。そこで我々は迂回し本陣の救援を行うべきです」


 黄権の進言により黄忠は迂回して、徐晃らの軍に襲いかかったのである。更に曹休を退けた趙雲も救援にかけつけ、馬超を安全な場所へ送った馬岱は兵を集めて張飛の元へ合流した。


「兵が増えれば、こちらのものよ」


 張飛は張郃、郭淮に対して反撃に出て打ち破った。そしてそのまま本陣の救援へ向かった。


「これでは包囲されてしまう」


 徐晃はそう言うと撤退を決めた。


 劉備本陣の側面を一隊のみで襲撃していた王平は孤立してしまったため、彼は劉備に降伏した。劉備は彼のことを信頼し、王平を牙門将・裨将軍に任命した。


「打ち破るまでいけなかったか」


 曹操は悔しそうにそう言った。


 その後、両軍が対峙して月を重ねた。曹操軍は疲弊し、逃亡兵も出始めていた。


 この時、曹操は帰還しようと欲し、軍令を出して「雞肋(鶏肋)」と言った。


 誰も意味が分からなかったが、主簿・楊脩ようしゅうはすぐに帰還の準備を始めて荷物をまとめ始めた。


 ある人が驚いて楊脩に問うた。


「なぜ撤兵を知ったのですか?」


 楊脩はこう答えた。


「雞肋とは、棄てるのは惜しいが食べようとしても得る(食べる)ところがないという意味です。王は漢中の比喩として「雞肋」と言ったのであり、そこから私は王が帰還を欲していると知ったのだ」


 五月、曹操は漢中諸軍を全て率いて撤退し、長安に還った。


 こうして劉備が漢中を占有した。


 曹操は劉備が更に北進して武都を取り、関中を逼迫することを恐れた。


 曹操が雍州刺史・張既ちょうきに意見を求めると、張既はこう言った。


「氐人に北に出て食糧を求めるように勧めれば、賊を避けられましょう。先に至った者に対してその賞賜を厚くすれば、率先した者が利を知り、後の者が必ず羨みます」


 曹操はこれに従い、張既を武都に向かわせた。氐の五万余落を出して扶風と天水の界内に住ませた。


 武威の顔俊がんしゅん、張掖の和鸞わおう、酒泉の黄華こうか、西平の麴演きくえんらがそれぞれの郡で割拠し、自ら将軍を号して互いに攻撃し合った。


 顔俊が使者を派遣し、母と子を曹操に送って人質にすることで救援を求めた。


 曹操が張既に意見を求めると、張既はこう言った。


「顔俊らは外は国威(朝廷の権威)を借りながら内では傲悖(驕慢叛逆)を生んでおり、もし勢力が強大になったら、その後、すぐに反しましょう。今はまさに蜀平定に従事しているので、暫くは彼らの勢力を並存して闘わせ、卞荘子が虎を刺したように、坐してその疲弊した獲物を収めるべきです」


 曹操はそれに従った。


 一年余り経ってから、和鸞が顔俊を殺し、武威の王祕がまた和鸞を殺した。


 卞荘子の故事は『戦国策』に見られる。


 卞荘子が虎を刺し殺そうとしたが、ある人が、


「二頭の虎がちょうど牛を食べようとしており、必ず争うことになるので待つべきです」


 と言った。果たして虎は牛を争って闘い、一頭が死んでもう一頭も怪我を負った。卞荘子は怪我をした虎を刺して二頭とも得たというものである。


 劉備が宜都太守・孟達もうたつを派遣し、秭帰から北に向かって房陵を攻めさせた。孟達は房陵太守・蒯祺を殺した。


 劉備はまた養子の副軍中郎将・劉封りゅうほうを派遣し、漢中から沔水を下らせ、孟達軍を統領させることにした。


 劉封が孟達と合流してから上庸を攻めると、上庸太守・申耽しんきは郡を挙げて降った。


 劉備は申耽に征北将軍を加えて上庸太守を兼任させ、申耽の弟・申儀しんぎを建信将軍・西城太守にした。


 因みに劉封は羅侯(地名)・寇氏の子で、長沙・劉氏(名は不明)の甥であったが、劉備が荊州に入った時、まだ後嗣がいなかったため、養子にした人物である。


次回は劉備サイド。

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