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三国志  作者: 大田牛二
第五章 三国鼎立
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崔琰

 216年


 曹操そうそうが鄴に帰還すると献帝けんていより詔が与えられ、魏公から魏王へ爵位が上げられた。曹操は形式通り三度辞退した後、これを受け入れた。


 以前、中尉・崔琰さいえんが鉅鹿の人・楊訓ようくんを曹操に推薦した。曹操は礼を用いて楊訓を招聘した。


 曹操が爵位を王に進めると、楊訓が表を上表して曹操の功徳を讃頌した。


 すると、ある人が楊訓の希世浮偽(「希世」は「世俗に迎合すること」、「浮偽」は「虚偽」「誠意がないこと」)を笑い、崔琰の推挙を失敗とみなした。


 崔琰は楊訓から表草(上書の下書き)を得て中身を見ると、楊訓に書を送ってこう伝えた。


「表(上書)を確認した。事は佳である(素晴らしい事だ)。時よ、時よ。変時(変化を生む時)があるのは当然だ」


 崔琰としては、論者が批判を好むだけで情理(世情や道理)に則っていないことを謗るというのが本意であった。


 ところが以前から崔琰と不和であった丁儀ていぎが、


「崔琰は傲慢で世の人々を見下しており、怨恨を抱いて誹謗しております。その心意は不遜であると言えましょう」


 と報告した。


 丁儀は弟と共に曹植そうしょくに仕えた男で、丁儀は文才に優れていることから曹操からもその才能を評価され、信任されている男である。


 曹操が彼に清河長公主(曹昂の同母妹)を嫁がせようとしたことがあった。しかしこれに反対した者がいた。曹丕そうひである。彼は、


「丁儀の容貌は斜視(眇=すがめ、片目が小さいこと)ですので、そのような醜い男の妻になっても姉上がお気の毒です。この際、姉上には子林(夏侯楙かこうぼう夏侯惇かこうとんの長男))に嫁いでいただくのがよろしいでしょう」


 と言った。このため曹操も頷き、丁儀と娘の縁談を破談にした。


 だが曹操は、後に丁儀が改めて有能だと分かると、


「やはり娘を丁儀に嫁がせるべきであった」


 と、大いに後悔したという。このことを知った丁儀は曹丕を憎むようになり、曹操の後継者を曹丕から曹植にしようと画策しようとしていた。


 崔琰の姪は曹植に嫁いでいたにも関わらず、彼自身は曹丕を後継者にするべきと主張していた。また、彼は朝廷において信望のある人であることから影響力も強い。そのことから丁儀は彼を排除したいと考えてこのような報告を行ったのである。


 報告を受けた曹操は怒ってこう言った。


「諺(民間でよく使われる言葉)に『生女耳(娘が生まれたに過ぎない)』とある。『耳』は佳語(良い言葉)ではない。『会当有変時(変時があるのは当然だ)』という言葉の心意は不遜である」


 崔琰は『事は佳である』と言った。これを元の漢文にすると「事佳耳」となる。この「耳」は肯定を表す助詞として使われているが、「耳」には「~に過ぎない」という意味もあり、充分ではないことを表す。


 曹操が引用した「生女耳」は「息子が欲しかったのに願いがかなわなかった。娘が生まれたに過ぎない」という不満・不足を表している。


 曹操は崔琰の「事佳耳」を「曹操の事業に対する不満」と曲解したのである。


 怒った曹操は崔琰を逮捕して獄に繋げ、髠刑(髪を剃る刑)のうえ徒隷(労役を科された囚人)にした。


 すると丁儀がまたこう報告した。


「崔琰は刑徒になってから、賓客に対して髭を捲いて直視しており、憤怒するところがあるようです」


 曹操は崔琰に自殺を命じた。


 曹操が処罰した者の中で崔琰は確実に無実であると陳寿ちんじゅは述べている。


 尚書僕射・毛玠もうかいは崔琰の無罪に悲傷し、心中で悦なかった。彼も曹丕派であることから丁儀は、


「毛玠が怨謗している」


 と報告した。曹操は毛玠も逮捕して獄に下した。侍中・桓階かんかい和洽わこうが毛玠のために道理を述べましたが、曹操は聴かなかった。


 桓階が事実を調査するように求めると、曹操はこう言った。


「告発した者が言うには、毛玠は私を謗っただけでなく、更に崔琰のために怨恨した。これは君臣の恩義を捨てて妄りに死んだ友のために怨歎することだ。正式に調査したら恐らく容認できることではない」


 和洽が言った。


「告発した者の言の通りならば、確かに毛玠の罪過は深くて重いため、天地が許容できることではありません。私は毛玠のために理を曲げて大倫を損なおうとしているのではありません。毛玠は年を経て長く寵を蒙り、剛直・忠公(忠誠・公平)で、衆人に畏れられているので、そのようなことはあるはずがありません。しかし人情とは保つのが難しく、審査して双方(毛玠と告発者)から事実を検証なさるべきです。今、聖恩はこれを理(法官)に至らすのが忍びませんが(大臣が法によって裁かれるのは不名誉なこととされていた)、そのためにますます曲直の分を不明にしています」


 曹操が言った。


「追及しないのは毛玠と告発した者の双方を保全したいからだ」


 和洽はこう返した。


「もし毛玠に実際に謗主の言があったのならば、処刑して市朝(市場と朝廷)に曝すべきです。もし毛玠にその言がなかったのなら、告発した者は大臣に讒言を加えて主の耳を誤らせたのです。審査を加えなければ、私は心中で不安を抱きます」


 結局、曹操は追及しなかった。


 毛玠は罷免され、後に家で死んだ。


 このように丁儀によって二人の名臣が失脚したことから群下は畏れて側目(横目で見ること。正視できないこと)するようになった。


 しかし尚書僕射・何夔かしょうと東曹属・徐奕じょえきだけは丁儀に従わなかった。


 丁儀は徐奕を讒言し、朝廷から出して魏郡太守にしようとしたが、桓階の助けがあったため徐奕は免れることができた。


 尚書・傅選ふせんが何夔に言った。


「丁儀は既に毛玠を害した。あなたも少し下になるべきだ」


 何夔はこう答えた。


「不義を為せば、まさに自分の身を害すのに足りるものだ。どうして人を害せるだろうか。そもそも姦佞の心を抱いて明朝に立ちながら、久しくいられるだろうか?」


 崔琰の従弟・崔林さいりんはかつて陳羣と共に冀州の人士について論じた時、崔琰を称えて筆頭にした。しかし陳羣は崔琰の才智が自分の身を守ることができないと判断して軽視した。


 すると崔林が言った。


「大丈夫とは邂逅(出会い)があるかどうかだ。諸人と同じようで、貴(貴人。尊敬されるべき人)とするに足りるのか」

次回は曹操と孫権サイド

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