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三国志  作者: 大田牛二
第五章 三国鼎立
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趙儼

何度も何度もデータが吹っ飛んでいて心が折れかかっていました。

 九月、巴・賨の夷帥(少数民族の首領)・朴胡ぼくこ杜濩とかく任約じんやくがそれぞれ巴夷や賨民を挙げて曹操そうそうに帰順した。


 曹操は巴郡を分けて朴胡を巴東太守に、杜濩を巴西太守に、任約を巴郡太守に任命し、全て列侯に封じた。


 十一月、張魯ちょうろは家属や余衆を率いて巴中から出て、曹操に投降した。


 曹操は張魯を出迎えて鎮南将軍に任命し、客礼で遇して閬中侯に封じた。邑は一万戸である。張魯の五子および閻圃えんほらも皆、列侯に封じられた。


 程銀ていぎん侯選こうせん龐徳ほうとくも張魯に従って曹操に降った。


 程銀と侯選は関中の一勢力で、龐徳は馬超ばちょうの将である。渭南・冀城の敗戦後、皆、張魯に奔っていた。曹操は程銀と侯選の官爵を元に戻し、龐徳を立義将軍に任命しました。


 張魯が巴中に走った時、黄権こうけん劉備りゅうびに進言していた。


「もし漢中を失ったら三巴(巴東・巴西・巴郡)が振るわなくなります。これは蜀の四肢を割くことになります」


 そこで劉備は黄権を護軍に任命し、諸将を率いて張魯を迎えさせようとした。しかし張魯が既に曹操に降ったため、黄権は朴胡、杜濩、任約を撃って破った。


 これにより劉備は三巴(巴東・巴西・巴郡)に勢力を拡大した。


 魏公・曹操は張郃ちょうこうに諸軍を監督させ、三巴を攻略してその民を漢中に遷そうとした。張郃は宕渠に進軍した。


 張郃がしばしば巴界を侵犯したため、劉備は張郃を防ぐため、巴西太守・張飛ちょうひに命じて宕渠に兵を進めさせた。


 張飛は五十余日対峙した。ここで張飛は一部隊を張郃軍の後ろに回して襲撃させることで、張郃軍を瓦口で大破してみせた。


 敗走した張郃は兵を集めて南鄭に還った。


 江州にいた劉備も成都に還った。


 曹操が韓遂、馬超らの旧兵五千余人を遷して平難将軍・殷署いんしょらに督領(監督・統領)させ、扶風太守・趙儼ちょうせんを関中護軍に任命して諸軍を統率させた。


 羌人がしばしば侵略に来たため、趙儼は殷署らを率いて新平まで追撃し、大破した。


 屯田客(屯田のために集められた農民)・呂並りょなみが将軍を自称し、党人を集めて陳倉を占拠したが、趙儼がまた殷署らを率いて攻撃したことで呂並はすぐに破滅した。


 やがて、曹操が趙儼に命じ、千二百人の兵を動員して漢中の守備を助けさせた。殷署が兵を監督して漢中に護送した。


 しかし行者(動員された兵)は突然、家族と別れることになったため、皆、憂色を浮かべて楽しまなかった。


 趙儼は殷署が出発して一日経ってから、変事の発生を憂慮した。そこで自ら後を追って斜谷口に至り、趙儼は一人一人を慰労し、また深く殷署を戒めてから、還って雍州刺史・張既ちょうきの舍に泊まった。


 殷署の軍はそれから四十里進んだところで、果たして兵が叛乱し、殷署の生死が分からなくなった。


 趙儼に随行する歩騎百五十人は全て叛者と同じ部曲の親党で、ある者は婚姻関係にあったため、情報を得ると皆驚いた。甲冑を身につけて武器を持ったまま不安になった。


 趙儼が張既の舍から営に還ろうとすると、張既らがこう言った。


「今、本営の党が既に擾乱(攪乱、騒乱)しており、一身で赴いても益がない。定問(確実な情報)を待つべきです」


 しかし趙儼はこう答えた。


「確かに本営と叛者が同謀しており、行者(動員された兵)が叛乱したと聞いたら変事を発する疑いがある。しかし善を欲しながら自分では決定できない者もいる。彼らの躊躇に乗じて速く慰撫して安んじるべきだ。そもそも元帥になりながら安定させることができず、この身が禍難を受けるのならば、天命である」


 趙儼は張既の舍を去り、三十里進んだ所で止まった。馬を放って休ませ、従っている者を全て呼び、成敗(成功と失敗の道理)を諭して懇切に慰勵(慰労激励)した。


 随行していた者は皆、慷慨(激昂。意気を盛んにすること)し、


「死ぬにしても活きるにしても護軍に従います。敢えて二心を抱くことはありません」


 と言った。


 趙儼は前に進んで諸営に至り、それぞれに叛者と結んだ姦悪な者達を集めて調査させ、八百余人を原野に分散させた。謀反の筆頭になった者だけを捕えて罪を裁き、それ以外の者は一切不問にした。


 郡県が逮捕して送って来た者も全て釈放したため、反乱した者達は次々に戻って降った。


 趙儼が秘かに曹操に報告した。


「大営(曹操の営)に関中の兵を送るべきです。旧兵(古くから曹操に仕える兵)に関中を鎮守させることを請います」


 曹操は将軍・劉柱りゅうけいに二千人を率いて関中に向かわせ、劉柱が到着するのを待って趙儼の兵を出発させることにした。


 ところがこの事(関中の兵を大営に移す計画)が露見したため、諸営が大いに驚き恐れ、安諭(慰撫・説得)できなくなった。


 趙儼が諸将に言った。


「旧兵が少ないうえに東兵がまだ到着していない。だからこそ諸営が邪謀を為そうと図っているのだ。もしも変事が発生したら、測り知れない困難をもたらすだろう。懐疑に乗じて速く解決するべきだ」


 そこで趙儼は、


「新兵で温厚な者千人を選んで留め、関中を鎮守させる。その他の者は全て東に送る」


 と宣言した。


 趙儼は主者(兵を管理する官員)に会って諸営の名簿を提出させ、書類を積み重ね、すぐに東に送る兵を選別した。


 留まることになった者は意(心)が安定して趙儼と同心になり、去ることになった者も敢えて動けなくなった。


 趙儼は選ばれた者を一日で全て送り出して道に就かせた。同時に留まることになった千人も軍中の各所に分布させた。


 やがて東兵が至ると、趙儼は脅喩(強制的な説得)して留まった千人も送り出した。先行した部隊について共に東に向かわせた。


 最終的に東に遷された者は合計二万余口に上ったという。


次回も曹操サイド

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