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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する

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寇栄

 荊州刺史・度尚どしょうが諸蛮夷を募って艾県の賊を撃ち、大破した。投降した者は数万人に上った。


 桂陽の宿賊(長期存在する賊)・卜陽、潘鴻らは逃走して深山に入った。度尚は数百里にわたって追撃し、三屯を破って多数の珍宝を獲た。


 しかし卜陽と潘鴻の党衆はまだ強盛であった。度尚がこれを撃とうとしたが、士卒は驕富(驕慢かつ富裕。戦利品を獲て富裕)になったため闘志がなかった。


 度尚は進攻を緩めれば、討伐できず、兵に出撃を強要すれば必ず逃亡することになると考え、こう宣言した。


「卜陽と潘鴻は賊を為して十年になり、攻守に習熟している。今は兵が寡少であるため、まだ容易に進むことができない。諸郡が発した兵がことごとく至るのを待ってから、力を併せてこれを攻めるべきだろう」


 度尚は軍中に申令(号令。命令)して自由に射猟をさせた。


 兵士は喜悦して高官から士卒まで陣を出た。


 度尚は秘かに親しい賓客を使って自軍の営に火を放った。珍積(蓄積した珍宝)が全て焼き尽くされた。


 狩猟に行った者達は皆、営に帰ると驚き、涕泣した。


 度尚は一人一人慰労して失火の責任は自分にあるとし、こう言った。


「卜陽らの財宝は数世を富ませるに足りる。諸卿が力を併せないから卜陽等の財宝を奪えないのだ。失った物は少ない。何を意に介すに足ろうか」


 兵達は皆、憤踴(奮起)した。


 そこで度尚は兵達に命じて馬に餌を与えて早朝に食事をさせ、明旦(翌朝。日が昇る頃)、直接、卜陽らが駐屯している地に向かった。


 卜陽、潘鴻らは深山の中で堅固に守られていると考えていたため、防備を設けていなかった。


 度尚の吏士は鋭気に乗じて卜陽らを破り、乱を鎮圧した。


 こうして度尚が荊州刺史になって出兵してから足掛け三年で郡寇が全て平定された。


 朝廷はこの功績を称え、度尚を右郷侯に封じた。








 十月、桓帝かんていは南巡して、章陵を行幸した。旧宅を祀ってから園廟で祭祀を行い、守令(太守・県令)以下にそれぞれ差をつけて賞賜を与えた。


 十一月、雲夢を行幸し、漢水に臨んで、還って新野を訪ねた。


 湖陽・新野公主、魯哀王、寿張敬侯廟を祀った。


 当時は公卿・貴戚の車騎が万を数え、費役(民力を費やす労役。または費用や労役)の徴発に際限があった。


 そこで護駕従事・胡騰ことうが上書した。


「天子には外がなく、乗輿(皇帝の車)が行幸した場所は全て京師になります。私は荊州刺史を司隸校尉に比し、私自身を都官従事と同じくすることを請います」


 荊州刺史を司隸校尉とみなして、胡騰自身も中央の従事と同格になることを請うということである。


 桓帝はこれを許可した。


 この後、桓帝に従う者達は皆、粛然とし、妄りに郡県を侵すことがなくなった。


 荊州刺史は管轄の郡県において姦悪な者を察挙(監察・検挙)することはできたが、扈従の臣(皇帝に従う臣)を察挙する権限はなかった。そこで、荊州刺史を司隸校尉とみなすことで、胡騰が司隸の官員と同格になり、中央から来た公卿・貴戚を察挙する権限を得たということである。


 桓帝が南陽に入る時、左右の者がそろって姦利(法から外れた利益)を求めたため、詔書を発して多くの者を郎に任命した。


 太尉・楊秉ようじょうが上書した。


「太微には星が集まっており、この名を郎位と言います。郎とは宮中に入れば、宿衛を担当し、地方に出たら百姓を管理するものです。近臣に対する拒否しがたい恩恵を割くことにより、求欲の路(欲を求める路)を断つべきです」


 桓帝は朗に任命する詔の発布を止めた。


 中常侍・汝陽侯・唐衡と武原侯・徐璜が死んだ。


 唐衡には単超と同じように車騎将軍が贈られ、徐璜には銭布と冢塋(墳墓)の地が下賜された。










 侍中・寇栄こえいは寇恂の曾孫で、性格が矜潔(誇り高く廉潔なこと)で人との交流が少なかったため、権寵の者から嫌われていた。


 寇栄の従兄の子は桓帝の妹・益陽長公主を娶り、桓帝も寇栄の従孫女(兄弟姉妹の孫娘)を後宮に入れていた。


 しかし桓帝の左右の者がますます寇栄に嫉妬し、ついに共同して罪に陥れたために寇栄と宗族は罷免されて故郡に帰された。


 寇栄が帰郷してからも、官吏が権重な者の意思に迎合して寇栄を侵犯したため、寇栄は禍から逃れられなくなることを恐れ、宮闕を訪ねて自ら冤罪を訴えることにした。しかしながら寇栄が到着する前に、幽州刺史・張敬ちょうけいが、


「勝手に辺郡から離れた」


 という罪で寇栄を弾劾した。


 桓帝は詔を発して寇栄の逮捕を命じ、寇栄は逃走した。


 数年が経過して大赦があったが、寇栄の罪は除かれなかった。


 窮困が積もった寇栄はついに亡命しながら上書した。


「陛下は天下の万物を治めており、民の父母となり、生歯以上の者(「生歯」は歯が生えることで男児は八カ月、女児は七カ月を指す)が皆、徳沢を蒙っていますが、私の兄弟だけは無辜(無罪)なのに専権の臣に批扺(誹謗排斥)され、青蠅の人(汚れた者。小人)が共に計を用いて陥れることするところとなり、陛下に慈母の仁を無くさせ、投杼の怒(孔子の弟子・曾参の母は自分の子が人を殺したという噂を信じたため、杼(機織の機具)を投げ捨てて駆け出した。「投杼の怒」は噂や謡言を信じて抱いた怒りのこと)を発しております。しかも残諂の吏(暴虐で阿諛追従している官吏)が機網(禽獣を捕まえる罠や網)を張り、共に駆けて先を争い、その様子は仇敵を追いかけるようで、刑罰は死没した者にも及んで墳墓を髠剔しており(受刑者の髪や髭を剃るように墓の樹木まで伐採しており)、厳朝(厳しい朝廷)から必ず濫罰(限度がない刑罰)を加えさせようと欲しております。そのため私は天威に触突(衝突)することができず、自ら山林に逃走して、陛下が神聖な耳で聴き、誹謗に左右されない自分の正しい視線を開き、可済の人(救いがある人)を救い、没溺の命(水没した命)を援けるのを待っていました」


「ところが計らずも積もった怒りが春夏によって止むことはなく、淹恚(積もった怨み)も歳時によって緩むことがなかったため、陛下は使者を郵駅の間に駆けさせ、遠近に布告し、その厳文は尅剝(酷薄。苛酷)で霜雪よりも痛く(厳しく)、私を逐う者が人迹を窮め、私を追う者が車軌を極めており(あらゆる地域に車輪の跡を残しており)、楚が伍員(伍子胥)に賞金をかけて、漢が季布を求めた時でも、これを越えなかったでしょう」


「私が罰に遭って以来、三赦再贖(三回の大赦と二回の贖罪の機会)があったため、無験の罪(証拠がない罪)は蠲除(免除)されるに足りています。しかし陛下はますます私を憎み、官員はますます私を糾弾する力を強めました。私は止まったら掃滅に遭い、行動すれば亡虜(逃亡する罪人)になり、とりあえず生きたとしても窮人になり、極まって死ねば、冤鬼になります。天は広いにも関わらず、私を覆うことができず、地は厚いのに私を載せることができず、陸土を踏んでも沈淪(沈没)の憂があり、巖牆(岩の壁)から遠く離れていても鎮圧(圧迫)の患があります。もしも私が元悪大憝(「元悪」も「大憝」も「大悪」の意味)を犯したというのであれば、刑具を準備して私の死体を原野に曝すべきです。陛下は私が坐したところ(罪)を班布(公開)して衆論の疑を解くべきです」


「私は国門(京師の門)に入り、肺石の上に坐り、三槐九棘に私の罪を評議・審理させたいと思いました。しかし閶闔(皇宮の門)は九重で一歩ごとに陥穽が設けられており、足を挙げれば、罘罝(網)に触れ、行動したら羅網(網)に掛かってしまうため、万乗(皇帝)の前に至る縁(術)がなく、永く見信の期(信用される時、機会)がありませんでした。悲しいことです。今後、久しく生きたとしても何に頼ればいいのでしょうか」


「忠臣とは殺身(身を殺すこと)によって君怒を解き、孝子とは殞命(命を落とすこと)によって親怨を収めるものです。だからこそ舜は塗廩(倉庫の壁塗り、修築)と浚井(井戸掘り)の難を避けず、申生は姫氏の讒邪の謗を辞しませんでした。私がこの義(道理)を忘れ、自斃(自殺)せずに明朝の忿(怒り)を解かないでいられるでしょうか。この身をもって譴責を塞ぐことを乞い、陛下が兄弟の死命を赦し、私の一門に少なからず後嗣を残させ、そうすることで陛下の寛饒の恵(寛恕・寛大な恩恵)を崇める(充たす。増長させる)ことを願います。死に先立って陳情し、章(上奏文)に臨んで血涙を流します」


 桓帝は上奏文を読んでますます怒り、寇栄を誅殺した。かつての功臣の一族であった寇氏はここから衰廃することになった。

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