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三国志  作者: 大田牛二
第五章 三国鼎立
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上計、中計、下計

 葭萌でゆっくりと過ごしている劉備りゅうびの元に孫権そんけんから使者が来た。


 曹操そうそうが侵攻してきたため、救援を求めるものである。


 これが諸葛亮しょかつりょうを間に挟んだ上でのものなのかは不明であるが、諸葛亮を間に挟んでいないというのであれば、明らかに孫権の意図としては劉備を益州から離したいというものであろう。


 孫権のこの要請を受けて劉備は劉璋りゅうしょうに書を送った。


「曹操が呉を征し、呉が危急を憂いています。孫氏と私は元々脣歯を為しており、また、楽進がくしんが青泥で関羽かんうと対峙しているので、今、関羽を救いに行かなければ、楽進が必ずや大勝し、転じて州界を侵し、その憂いは張魯ちょうろより甚だしくなってしまいます。張魯は自守の賊ですので、憂いるに足らないでしょう」


 更に劉備は一万の兵と資糧を増やすように劉璋に求めた。


 これに劉璋は不快になった。当たり前である。張魯と戦ってもらうために呼んだにも関わらず、劉備はろくに戦うことなく無為な時間を益州で過ごしていただけである。それにも関わらず、勝手に帰る上、兵と物資を寄越せとはどういうことか。


 けっきょく劉璋は四千の兵だけを与えることに同意し、その他の物資等も全て要求の半数しか与えなかった。


(まあ当然であろう……)


 龐統ほうとうとしては劉璋の反応は普通である。だが、ここから劉備の反応が予想外になる。


 劉備は劉璋が要求通りに寄越さなかったと聞くと、激怒したのである。


「私は益州のために強敵を征し、軍隊が勤瘁(勤労辛苦)しているのに、劉璋は財を積んで賞を惜しんだ。これでどうして士大夫に死戦させることができようか」


(なんなのだこの方は……)


 龐統は劉備がいきなり激怒したことに驚く。更にこの時、ある報告がきた。


 劉備が帰還すると述べてきたことに張松ちょうしょうが驚き、劉備と法正ほうせいに書を送った。


「今、大事がすぐに立つのに、なぜそれを棄てて去ろうとしているのですか?」


 張松の兄に当たる広漢太守・張粛ちょうしゅくは禍が自分に及ぶことを恐れ、張松の陰謀を告発した。


 劉璋は激怒して張松を逮捕して斬った。


 張松が殺されたことを知った劉備は大いに悲しんだ。


「ああ、張松殿……」


 涙を流し、悲しむ劉備の姿に龐統は更に困惑する。そんな彼に劉備は言った。


「張松殿の無念を晴らさなければならない。龐統よ。劉璋を倒す策を述べて欲しい」


(一体、この方の本性とはなんなのか)


 張松を殺されたことに悲しむのはわかるが、張松の死を招いたのは劉備の行動である。だとすれば、張松を殺したのは劉備であるとも言えなくはない。


(張松のことを殺したかったのか?)


 確かに張松の力を借りて劉璋を倒した場合、張松の処遇は難しくなる。かつて晋の文公は里克の誘いに乗らなかったのと似ている。


(それを考えた上でのことだというのか)


 だとすれば劉備の腹黒さは相当である。その彼が自分に策を聞いている。


「今、秘かに精兵を選び、昼夜兼行して直接成都を襲えば、劉璋は勇武がなく普段からの備えもないため、大軍を突然至らせ、一挙して平定できましょう。これが上計です。楊懐ようかい高沛こうはいは劉璋の名将で、それぞれ強兵を擁して白水関を拠守しています。聞くところによりますと、彼らはしばしば書信によって劉璋を諫め、将軍を荊州に送り還らせようとしています。将軍が人を送って彼らに連絡し、荊州に急があるため、還ってそれを救いたいと説明して、同時に装束(荷物をまとめること。ここでは帰還の準備)して外見は帰る姿を作れば、この二人は将軍の英名に服しており、また、将軍が去ることを喜ぶので、計るに、必ず軽騎に乗って将軍に会いに来ましょう。それを利用して彼らを捕え、進んでその兵を取り、それから成都に向かう、これが中計です。退いて白帝城に還り、荊州の兵を連ねて引き入れ、ゆっくり西に戻って図る。これが下計です。もし躊躇してここを去らなければ、やがて大困を招きます。これ以上、躊躇してはなりません」


 龐統は三つの計略を提示した。瞬時にこの三つの方法を提示できるところに彼の凄さがある。しかもどれもが成功する可能性をしっかりとある。


「上計は危険性が高い、下計は悠長すぎる。中計でいこう」


 劉備は龐統の三つの計略のうち、中計を選んだ。


 劉璋は関戍(関所や営塞)の諸将に文書で命令を発して、今後、劉備との連絡を全て絶たせるように動いていたが、劉備は先んじて劉璋の白水軍督・楊懐と高沛を招き、無礼を譴責してこれを斬った。


 黄忠こうちゅう卓膺たくようを先鋒とし、兵を率いて劉璋に向かわせた。


 劉備自身は直接、白水関に入り、その兵を吸収して諸将や士卒の妻子を人質にした。その後、兵を率いて黄忠、卓膺らと共に進軍し、涪に至って城を占拠した。


 劉備による益州侵攻がこうして始まったのである。



次回は曹操VS孫権

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