張松
曹操が荊州を制圧した時、益州牧・劉璋はこちらに侵攻することを恐れて曹操の元へ使者として張松を送った。
張松は字を子喬といい、劉璋の元で別駕まで昇進した人である。彼が曹操の元へ行くと曹操はすぐに彼と会おうとせず、扱いもあまり良いものではなかった。
この時の曹操は棚からぼた餅の如く、荊州が制圧できてしまったためそのような対応になってしまったのだろう。この時の曹操の元には荀彧といった代わりに対応できる人物が傍にいなかったのも痛かった。
(曹操は我々益州の者を下に見ている)
張松は自分が馬鹿にされたというよりは益州のことを馬鹿にされたという受け止め方が強かった。彼は故郷のことを誰よりも愛していた。この愛しい故郷のために尽力することに喜びをもって取り組んできた。
曹操の天下統一の過程で益州が荒らされないためにこうして使者としてやってきたにも関わらず、益州から来た使者を無下に扱う。
(これでは曹操の元では益州はよく扱われない)
そう考えた張松は曹操の元には付かないべきだという考えになった。
やがて赤壁の戦いで曹操が破れたことで張松は曹操には天命が無いと思った。そう考えれば、天命を受けている別の者がいることになる。少なくとも劉璋では無いことは確かである。
劉璋では益州をまとめきれないと考えている。ならば誰がまとめられるのか。そう考えて目をつけたのは、劉備であった。彼は皇室の者であり、これから勢力を伸ばしていく勢いがある。その彼に益州を任せたい。
あとはそのために劉璋と劉備を結びつけることと、その役割を担う人物を制定しなければならない。
扶風の人・法正は飢饉を避けて同郷の孟達と共に益州に逃れて、益州牧・劉璋の元で、軍議校尉になった。しかし劉璋は法正を用いることができなかった。
また、法正は孟達以外の同郷の出身で共に益州に客居している者から軽視されていたため、邑邑(楽しめない様子)として志を得られなかった。
そんな中、張松は法正との関係が善かった。また、自分の才能に自信がある法正は劉璋では共に事を為すには足らないと常に隠れて嘆息していた。
(よし彼に行ってもらおう)
張松は劉璋に進言して劉備と結ぶように勧めた。劉璋が、
「誰を使者にできるか?」
と聞くと張松は法正を挙げた。
劉璋はこの意見を採用して法正を派遣することにした。法正は辞退してから、やむを得ないふりをして出発した。そして劉備に会った。
(この方が劉玄徳か……)
要望は奇異であるが、それをそこまで感じさせない人で、不思議な魅力のある人であった。
(この方の元ならば……)
自分の才能を天下に示すことができる。そう思った法正は還ってから張松に劉備には雄略があることを語った。二人は劉備を奉戴して州主に立てることを密謀し始めた。
ちょうど曹操が鍾繇らを派遣して漢中に向かわせようとした。
それを遠く益州で聞いた劉璋は内心恐懼を抱いた。
張松がこれを機に劉璋に言った。
「曹操は兵が強く、天下に敵がいません。もし張魯の資を利用して蜀土を取ろうとすれば、誰がこれを防げるでしょうか?」
劉璋は頷き、
「私もかねてからそれを憂いていたが、どうすれば良いのかわからない」
と言ったため張松は言った。
「劉備はあなたの宗室であり、しかも曹操の深讎で、用兵を善くします。もし彼に張魯を討たせれば、張魯は必ず破れます。張魯が破ることができれば、益州は強くなりますので、たとえ曹操が来ても何もできません。今、州の諸将・龐羲、李異らは功に恃んで驕慢放縦で、外に附きたいと思っています。劉備の助けを得なければ、敵が外を攻めて民が内を攻めますので、必敗の道となりましょう」
劉璋はこの意見に納得し、法正に四千人を率いて劉備を迎え入れさせることにした。
これを知って主簿・黄権が諫めた。
「劉備は確かに驍名(勇武の名声)があります。今、請い招いたとして、部曲として遇しようと欲せば、劉備は不満を覚えることでしょう。しかし賓客の礼で接待しようと欲しても、一国が二君を容れることはできないため、もし客に安全で安心できる状態があったら、主に累卵の危(卵を重ねたような危険)が生まれます。境界を閉じて時勢が平穏になるのを待つべきです」
劉璋はこの意見を採用せず、黄権を外に出して広漢長にした。
従事・王累も自ら州門(州城の門)に逆さ吊りになって諫めたが、劉璋はやはり聞き入れなかった。
こうやって思うと劉璋の元には忠義心のある者が多い。しかし彼らを用いれないのが劉璋であった。
法正が荊州に到着してから、この機会を利用して秘かに劉備に献策した。
「明将軍の英才をもってして劉牧の懦弱に乗じ、州の重臣である張松が内応すれば、益州を取るのは掌を返すように容易でございます」
このように法正が益州を取る策を述べたが、劉備の反応は微妙であった。
この辺り、劉備という人はわかりづらいと思いながら龐統は劉備に言った。
「荊州は荒廃して人も物も空虚になり、東には孫権がいて北には曹操がいますので、志を得るのは困難です。今、益州の戸口は百万を数え、土地が肥沃で財が富んでいますので、もしこれを得て資本にできたら、大業を成すことができましょう」
劉備はこう言った。
「今、私と水火の関係にある者を指すならば、それは曹操である。曹操が急をもってすれば、私は寛をもってし、曹操が暴をもってしたら私は仁をもってし、曹操が詐術をもってしたら私は忠をもつ。いつも曹操の反対を行っているから、事が成してきた。今、小利によって天下に信義を失ったらどうしようというのか」
この辺り、劉備の本音の部分がある。曹操がいるからこそ自分が存在できているという認識をしっかりと彼は持っている。
しかしながらそのままでは志を広げることができないと考えるのが龐統である。
「乱離の時とは、元より一つの方法によって定められるのではありません。そもそも、弱者を兼併して愚昧を攻め、主君に逆らって天下を取ってから道義に従ってそれを治めるのは、古人が貴んだことです。事が定まった後に劉璋を大国に封じれば、どうして信に背くことになりましょう。今日取らなければ、最後は人の利(他人の利益)となってしまいます」
「ふむ……」
劉備はちらりと諸葛亮を見る。口を挟むつもりは更々なかった諸葛亮はため息をついて言った。
「あなた様を頼りにやってきた者たちがおります。彼らを助けると思えばよろしいのでは?」
「そうだね」
劉備はついに納得した。それを面白くなさそうに龐統は見ていた。
次回、今度こそ劉備は蜀へ