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三国志  作者: 大田牛二
第四章 天下の命運
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天人

目立つ予定の人よりも目立つ人が出てくるのが私の作品あるある。

 十二月、曹操そうそうは譙に帰還した。


 すると廬江の人・陳蘭ちんらん梅成ばいせいが灊と六を拠点にして叛した。


「連中こそが恩知らずというのだ」


 彼らは劉馥に従っていた者たちである。それが劉馥が死んだ途端これである。彼らに比べれば、雷緒らいしょがいくらかマシに見える。


 曹操は盪寇将軍・張遼ちょうりょう于禁うきん臧覇ぞうはらに討伐を行わせることにした。


 張遼は張郃ちょうこう牛蓋ぎゅうがいを率いて陳蘭の攻略を担当し。于禁と臧覇が梅成を担当した。梅成は早々に降伏したが、それを許された後に、再び反乱を起こした。再び于禁と臧覇が攻撃すると陳蘭と合流するため灊山に入った。


 灊山も陳蘭が篭る天柱山も要害で、険しい道しか存在しない難所であった。張遼は山の下に陣営を置いたが、攻撃しようとするとそこに報告がきた。


 孫権そんけんが部下の反対を押し切って陳蘭を救援しようしたのである。一度、引き上げるべきという意見が出る中、臧覇が言った。


「私が孫権軍と対峙しよう」


 臧覇は孫権軍が到着する前にその途上にある皖城に入城し進路を塞いだ。更にそれを奪取しようと動いてきた孫権軍の将・韓当かんとうを逢龍・夾石で撃破し、引き返して舒県に駐屯した。


 この結果を受けて、孫権は万人を船に乗せて、舒口に駐屯させ陳蘭を救援しようとしたが、またしても臧覇が舒で守りを固めたため、孫権軍は退却した。臧覇は追撃をかけるとともに、別働隊を迂回させ、退却する孫権軍を前後から挟撃し散々に打ち破り、溺死者を続出させた。


 張遼の陳蘭・梅成の攻撃は難所のため苦戦していたが、于禁がそれを支援し続けたためついに張遼は陳蘭・梅成の首を斬り、その軍勢を降伏させた。


 曹操はこの結果を大いに喜んだ。そして、これを機に張遼および楽進がくしん李典りてんらを派遣し、七千余人を率いて合肥に駐屯させた。







 前年から周瑜しゅうゆは江陵を守る曹仁そうじんと戦い続けていた。


 周瑜はこの戦いの中、自ら陣頭指揮を取っていたが、その間に右のわき腹に流れ矢を受けて重傷を負ってしまった。それを見た曹仁は牛金ぎゅうきんに三百の兵を与え、突撃をかけさせた。


 これに呂蒙りょもうが周瑜の救援に動いたため、周瑜はなんとか退いた。その間に呂蒙の他、諸将が救援にかけつけたため、牛金は包囲されてしまった。これを見た江陵城の長吏・陳矯ちんきょうらが青ざめる中、曹仁は助けに行こうとした。


「お、お待ちください」


 陳矯が制止するが、曹仁は振り切って直属の勇士数十騎を率いて出城した。陳矯は以前にも同じような光景を見たことがあると思った。彼は以前、陳登と共に篭城戦を行ったことがある。その時にも危険な陳登の出陣を静止したことがあった。しかし、陳登はそれを振り切って見事に結果を出した。


(ならば、今回も……)


 陳矯がそう思う中、曹仁は堀を渡ってそのまま敵陣に突入した。


 曹仁は馬に乗り、槍を奮って敵兵を蹴散らしていき、包囲されていた牛金を救助した。そのまま退却しようとした時、


「将軍っ」


 まだ包囲の中に取り残された兵の声が聞こえてきた。それを受けてすぐさま曹仁は再び敵陣に突入して救出した。敵軍は後退し、陳矯らは帰還してきた曹仁の勇敢さを、


「将軍は真に天人也」


 と、曹仁を天上の人の如き人であると称賛し、心服した。これによりますます城内は一気団結したため、周瑜は曹仁の守る江陵城を落とせないまま 一年余りが経つことになったのである。


 打開策がないまま対峙し続けることになってしまった周瑜が苛立つ中、限界がきたのは曹仁側であった。


 ここまでの戦いで曹仁の軍で、殺傷された者が甚だ多かったため、これ以上戦うのは難しいとして曹仁は城を棄てることを決断し、撤退した。


 その撤退を受けて周瑜は追撃を開始し、ちょうどやってきた劉備軍も共にした。追撃を受けて曹仁軍に被害が出る中、劉備軍の先鋒を勤めている関羽かんうの部隊に向かってある部隊が横槍を入れた。


「助けにきたぞ」


 李通りつうである。


 彼は曹仁が退却していると聞くや少数の兵のみで救援に向かったのである。さて、実は李通は猛将・呂布相手にも勝ったことのある男である。そのため彼の部隊は尋常な強さではなく、李通は関羽の部隊を撃破してみせた。


 戦場の中、矢が李通の頬を掠めた。


「ふっ」


 李通は微笑み、近くにいた兵に言った。


「最高だ。いつ死ぬかわからない場所にいるとは」


 更に前進し、その他の追撃部隊を撃破してまわった。獅子奮迅とはこのことである。


 彼の活躍によって曹仁は退却に成功した。だが、この戦いで相当無茶をしたらしく李通は体に不調をきたしてしまい、床に伏すことになった。そしてそのまま世を去ってしまった。享年は四十二歳であった。


 最後の言葉はこのようなものであった。


「私は義務を果たした。されど、まだまだ戦場に立ちたかった」


 李通の諡は剛侯で、彼の忠誠心は賞賛され続けたため、子孫は晋の時代においても栄達したという。








次回は江陵を得た後の処理の話。

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