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三国志  作者: 大田牛二
第四章 天下の命運
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同盟に向けて

 劉備りゅうびは進路を変えて漢津に向かい、蒼梧を目指して南下していたが、そこに魯粛ろしゅくがやってきた。


 劉表の死を聞いた魯粛は、劉表の二子を弔問し、その機に荊州の状況を実際に見るべきだと考え、孫権そんけんにこう言った。


「荊州は我が国と鄰接しており、江山が険固で、沃野が万里にわたり、士民が裕福ですので、もしも占拠して領有すれば、帝王の資本となります。今、劉表が亡くなったばかりで、二子は和睦せず、軍中の諸将がそれぞれに分かれています。劉備は天下の梟雄であり、曹操との間に対立があり、劉表に寄寓(頼って居住すること)しましたが、劉表はその能力を嫌って用いることができませんでした。もし劉備と彼(劉表の子)が同心になり、上下が一つになっていたら、按撫して盟好を結ぶべきです。もし劉備と劉表の子に対立があったら、別にこれを図って大事を為すべきです。私は命を奉じて劉表の二子を弔い、併せて軍中の権力を持つ者を慰労することを請います。同時に劉備を説得し、劉表の衆を按撫して心を一つにさせ、共に曹操に対処させれば、劉備は必ず喜んで命に従います。もしこれに成功すれば、天下を定めることができましょう。今、速やかに行かなかったら、恐らく曹操に先を越されます」


 孫権はすぐに魯粛を派遣して劉表の二子を弔わせ、同時に劉備と結ぶように命じた。


 そんな魯粛が夏口に到着した時、曹操が既に荊州に迫っており、漢水を渡ったと聞いた。


(思ったよりも事態が早く動いている)


 事態があまりにも早く動いていることを理解した魯粛は朝から夜まで兼行して南郡に至った。その時には劉琮りゅうそうが既に衆人を挙げて投降しており、劉備は長江を渡ろうと欲して南に走っていた。


「ここまで軟弱だったとは……」


 魯粛は劉表の子供には気骨が無いなと思いながらも直接、劉備を迎えに行き、長坂で劉備と遭遇して会見した。


(異様の人だ)


 背格好だけでなく人としての雰囲気からしても見たことの無い人である。正直、この人が天下から慕われている理由は全くわからないが、それでも不思議と憎めないところがある。


 魯粛は劉備に孫権の意旨を告げ、天下の事勢を論じて成敗の道理を述べ、殷勤(懇切丁寧なこと)の意を示した。これには劉備はだいぶ彼に好印象を抱いた。


 魯粛が劉備に問うた。


「豫州(劉備。かつて豫州牧であった)は今、どこに至ろうと欲していますか?」


 劉備はこう答えた。


「蒼梧太守・呉巨ごきょと旧知なので、彼に投じたいと思います」


 呉巨は交州刺史・張津ちょうしと蒼梧太守・史璜しこうが異民族の叛乱により殺されてしまったため、劉表は頼恭らいきょうと共に派遣して交州に至らせ、張津と史璜の後任とした人物である。


 劉備と旧知というがどこで旧知となったのかは不明な人である。


 頼恭は荊州の名族出身の人で、交阯太守の後任として派遣されたが、既に士燮ししょうが事実上の後任の刺史となっていたため、頼恭は交州の州治交阯郡に赴くことができず、仕方なく呉巨の元に留まることとなった。しかし呉巨と反目し、頼恭は零陵に逃走した。その後に劉備に仕えることになる。


 魯粛は劉備にこう言った。


「孫討虜(討虜将軍・孫権)は聡明仁恵で、賢才を敬って士人を礼遇しているので、江表の英豪が全て帰附しています。また、既に六郡を拠有し、兵は精鋭で食糧も多く、事を立てるに足ります。今、あなたのために計るならば、腹心を派遣して自ら東と結び、連和の好を重視し、共に当世の大事を完成させた方がいいでしょう。それなのに呉巨に投じたいと申されました。呉巨は凡人で、遠郡の僻地におり、間もなく人に併合されることになります。どうして身を託すに足りましょう」


 劉備は大いに悦び納得した。これにより劉備は東に進路を変えた。ちょうど関羽かんうの船と合流して、漢水を渡り、江夏太守・劉琦りゅうきの兵一万余人と遇い、共に夏口に至った。


 ここまで劉備と同行していった魯粛は劉備の頭脳になっている人物が諸葛亮しょかつりょうであることが理解した。そのため魯粛は諸葛亮にこう言った。


「私は子瑜の友人です」


 子瑜は諸葛亮の兄・諸葛瑾しょかつきんの字である。現在、孫権の長史になっている。


 諸葛亮はすぐに魯粛と友人としての交わりを結んだ。天下三分の計の考えをもつ諸葛亮と天下二分の計を考える二人がこうして話しているだけでも歴史的である。


(孫権との窓口ができた。兄上はこういう時に手を貸す人ではなかっただけに魯粛殿と関われたのは良かった)


 兄である諸葛瑾はそう言う人である。自他ともに厳しく。私情を決して物事に関わらせることは無い。だからこそ兄を頼れないと考えていただけに、好意的に来てくれた魯粛の存在はありたがった。


 ともかく天下三分を進めると同時に現在の状況を打開するためにもどうしても孫権と好を結ばないといけない。


 劉備と共に鄂県の樊口に進んで駐軍した時、曹操が江陵から長江に沿って東下してきたという情報がきた。


 曹操は一気に勝負を仕掛けつつあると考えた諸葛亮は劉備に言った。


「事は急を要します。命を奉じて孫将軍に救いを求めることを請います」


 劉備は魯粛と諸葛亮の言に従って孫権と同盟の誓いを結ぶことにした。諸葛亮を派遣し、魯粛に従って孫権を訪ねさせた。


(ここが勝負だ)


 孫権としても劉備との好を結ぶことは問題は無いはずだ。しかし孫権からの好とは劉備を己の下に置くものであるはずだ。


(それをどれだけ対等なものにするか)


 それが今回の自分の役割である。


 諸葛亮はそう言い聞かせながら魯粛と共に孫権の元へ向かった。


次回は孫権サイドの話。

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