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三国志  作者: 大田牛二
第四章 天下の命運
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荊州の人材

 曹操そうそうは江陵に進軍した。そこで荊州の吏民に令を下し、共に新しい統治を始めることを宣言した。


 その後、荊州が服従した功を論じ、劉琮りゅうそうを青州刺史に任命して列侯に封じた。蒯越かいえつらも功が認められ、合わせて十五人が封侯された。


 曹操は荊州の名士・韓嵩かんすう鄧義とうぎらを用いた。


 この時まで幽囚されていた韓嵩に対しては釈放して交友の礼で遇し、荊州人の優劣を條品(品評。評価)させて、優秀な者は全て抜擢・任用した。


 この後、韓嵩は大鴻臚に、蒯越は光禄勳に、劉先りゅうせんは尚書に、鄧羲は侍中になった。


 荊州の大将・文聘ぶんぺいは別に兵を率いて外に駐屯していた。劉琮は曹操に投降する時、文聘を呼んで共に降ろうとした。


 しかし文聘は、


「私は全州を全うすることができなかったので、刑罰を待つだけです」


 と言った。


 曹操が沔水を渡ってから、文聘が曹操を訪ねてきた。曹操は問うた。


「なぜ来るのが遅かったのだ?」


 文聘はこう答えた。


「以前は劉荊州を輔佐して朝廷を奉じることができませんでした。その後、劉荊州が没しましたが、常に漢川を拠守して土境を保全することを願っていました。生きて孤弱(劉表の後継者)を裏切ることがなければ、死んでも地下で(劉表の前で)慚愧する必要がないからです。しかし計は私の力ではどうすることもできず、ここに至ってしまいました。実に悲哀慚愧を抱きましたので、早く会いに来る面目がなかったのです」


 文聘は涙を流してむせび泣いた。


 曹操は愴然(悲傷の様子)として文聘の字を呼び(親愛や敬意を表す)、こう言った。


「仲業よ、あなたは真の忠臣である」


 曹操は文聘を厚く礼遇し、元の兵を統率させて江夏太守に任命した。


 以前、袁紹が冀州にいた時、劉表は使者を送って汝南の士大夫を迎え入れたことがあった。


 その中で和洽わこうは、冀州の土地は平坦で民が強く、英傑が狙う地なので、土地が険しくて民が弱い荊州の方が依倚(身を寄せて頼ること)しやすいと判断し、劉表に従った。劉表は上客として和洽を遇した。


 しかし和洽は、


「本初(袁紹の字)に従わなかったのは争地を避けるためだった。昏世の主とは、慣れ親しんではならない。久しくしても去らなかったら誹謗讒言が興ることになる」


 と言って、襄陽から南の武陵に移った。


 劉表が南陽の人・劉望之りゅうぼうしを招聘して従事にした。しかしその友人二人が讒言によって劉表に誅殺され、劉望之も正諫が劉表と合わなかったため、任官の符信を投げ捨てて帰った。


 劉望之の弟・劉廙りゅうりんが言った。


「趙が鳴犢を殺したため、仲尼(孔子)は車輪を返しました」


 春秋時代、孔子が晋に向った際、趙簡子が賢才・鳴犢を殺した。そのことを知った孔子は引き返したという故事のことである。


「今、兄上は、内において柳下恵(春秋時代の賢人)の和光同塵(周囲の環境と一体化すること。能力を隠して世俗と交わること)に法ることができないのならば、外において范蠡の遷化(変化。応変)を模倣するべきです。坐して自滅を待つのは、相応しくないでしょう」


 劉望之はこれに従わず、暫くして害された。


 劉廙は揚州に奔った。


 南陽の人・韓曁かんきは袁術の命を避けて山都山に移住した。後に劉表が韓曁を招いたが、韓曁は遁走して孱陵に住んだ。


 しかし劉表が深く韓曁を恨んだため、韓曁は懼れて命に応じ、宜城長に任命された。因みに彼は韓王信の子孫である。


 河東の人・裴潜はいせんも劉表に礼重されまた。しかし裴潜は秘かに王暢の孫・王粲おうさんおよび河内の人・司馬芝しばしにこう言った。


「劉牧は霸王の才ではないのに、周の文王を自任しようと欲している。その失敗は近い」


 裴潜は南の長沙に向かった。


 曹操は荊州を占領してから、韓曁を丞相士曹属に、裴潜を参丞相軍事に、和洽、劉廙、王粲を掾属に、司馬芝を菅令に任命して、人望に従った。


 裴潜は劉備と交流したことがあり、劉備に対してこのような評価を下している。


「中原にいたならば、人を乱すことはできても治めることはできません。しかし隙を突いて要害を守れば、一地方の主となるだけのものは持っています」


 見事な視点である。また、この人の弟の子孫が『三国志』への注をつけた裴松之である。


 司馬芝は司馬懿しばいら司馬一族の一人である。ほぼ無名であったが、楊俊ようしゅんだけには評価された人物である。内政官として優れた手腕を発揮することになる人物である。


 王粲は後に建安の七子に数えられる文学者である。名門の出であるが、父が何進に嫌われたため、名門としての地位はもたず、父が幼い頃に死んでしまったため貧しい暮らしを余儀なくされた。


 董卓の遷都により、王粲は長安に移住した。彼は幼くて容姿も貧弱だったが、大学者として有名だった蔡邕さいようからは非常に目をかけられ、彼の蔵書を預かることとなった。


 十七歳で司徒に招かれ、黄門侍郎にも任命されたが、どちらにも就任せず、戦乱打ち続く長安を離れ、流浪の末に荊州の劉表を頼った。しかし劉表は風采の上がらない王粲を尊重しなかったという。


 昔、上谷の人・王次仲おうじちゅうは隷書を得意とし、始めて楷書を為した。


 霊帝の時代になると、霊帝が書を好んだため、世に書法の能力がある者が増えた。その中で師宜官しせんかんが最も優れており、その能力を甚だ誇っていた。


 師宜官はいつも書を為す度に、書法を盗まれないために版を削ったり焼き捨てていた。


 そこで梁鵠りょうこくは版の数を増やしてから師宜官に酒を飲ませ、酔うのを待って版を盗んだ。その後、梁鵠は勤勉に書法を身につけ、ついに官位が選部尚書に至った。


 かつて曹操は洛陽令になりたいと思っており、しかし梁鵠は曹操を北部尉にした。


 後に梁鵠は劉表を頼った。


 曹操によって荊州が平定されると、曹操は梁鵠を募求(奨金を懸けて探すこと)した。懼れた梁鵠は自ら自分を縛って門を訪ねた。


 すると曹操は梁鵠を軍の假司馬に配属して秘書の職務に就かせ、書に勤めることで尽力させた。


 曹操はいつも梁鵠の書を帳中に懸け、また、壁に釘打って賞玩し、師宜官より勝っていると評価した。文章をこの時代、評価する習慣はあったが、文字の形を評価する習慣は霊帝から始まり、曹操が広めたと言っていいだろう。


 魏の宮殿の題署(額等に書かれた文字)は全て梁鵠の書である。


 汝南の人・王儁おうしゅんは字を子文といい、若い頃、范滂や許章に知られ、南陽の人・岑晊と親しくなった。


 曹操は布衣(庶民)だった頃、特に王儁を愛し、王儁も曹操には治世の才能があると称していた。


 袁紹と弟の袁術が母を喪い、汝南に帰って葬儀を行った時、王儁と曹操も参加した。集まった者は三万人に上った。


 曹操が外に出て秘かに王儁に言った。


「天下はもうすぐ乱れます。乱の先駆けとなるのは必ずこの二人(袁紹と袁術)です。天下を救済して百姓を延命させたいと欲するのに、先にこの二子を誅さなければ、今すぐ乱が起きるでしょう」


 王儁が言った。


「あなたの言の通りなら、天下を救済するのはあなたを捨てて誰がいましょうか?」


 二人は向かい合って笑った。


 王儁の為人は、外見は静かで内面は聡明であった。州郡三府の命に応じず、公車(政府が賢才を招くために送る馬車)が招いても到らず、禍を避けて武陵に移住した。王儁に帰した者は百余家もあった。


 帝が許を都にした時、王儁を招いて尚書にしようとしたが、王儁はやはり就任しなかった。


 劉表は袁紹の強盛な様子を見て、秘かに袁紹と通じた。王儁が劉表に、


「曹公は天下の雄であり、必ず霸道を興して桓・文(斉の桓公と晋の文公)の功を継ぐことができる者です。今、近くを捨てて遠くに就こうとされていますが、もし一朝の急があったとして、遥かに漠北の救いを望んでも難しいのではありませんか?」


 と言ったが、劉表は従わなかった。


 王儁は六十四歳の時、武陵で天寿を全うした。曹操はそれを聞いて哀傷した。


 荊州を平定してから、曹操は自ら江に臨んで(長江まで行って)喪(霊柩)を迎え、江陵に改葬して先賢として表彰した。


 このように曹操は荊州の統治体制を確立していったといっていいだろう。



次回は劉備サイドと孫権サイドの話。

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