隆中対
劉備という不可思議な男が自分に曹操と戦うにはどうするべきなのかと問いかけてきている。
(そもそもここまであなたは曹操と戦ってきたではないか)
それを継続していけば良いだけのことである。わざわざ自分に聞いてくる必要は無いはずである。
「あなたはここまで曹操と対峙し続けてきました。それを継続なされれば良いのではありませんか?」
「まあ私は戦い続けるけどね。でも、曹操自身と直接戦うのが段々と難しくなっているんだ」
(曹操と直接戦いたい……)
よくわからない人である。
「つまり曹操の臣下如きとは戦いたくなく、曹操自身と戦いたいと?」
「うん」
「そうなりますと少なくとも袁紹ほどの勢力が無ければ、難しいでしょうね」
曹操は天下を運営するという立場になっている。その彼が自ら動いてまで戦うのはよほどの強敵との戦いにおいてでなければならない。では、今の劉備がそれほどの強敵であるという認識が曹操にあるのかと言えば、確かに無いだろう。
「勢力という部分であなたには曹操を警戒させるほどのものが無い以上、彼の臣下による討伐が主になるでしょうね」
「それが嫌なんだ」
(わがままな……)
諸葛亮は呆れる思いである。
「なぜ、そこまで曹操と戦うことに固執するのですか?」
曹操の天下統一の勢いを止めるのは難しい。そんな彼と直接戦い続けるよりも降った方が出世もできるのではないか。実際、劉備は劉表に信頼されないまま、新野で駐屯して曹操への盾に使われているだけではないか。
「自分が自分らしくあるために曹操とは直接戦い続けなければならないんだよね」
(自分が自分らしく……)
何を言っているのか諸葛亮にはわからない。
(曹操と対峙し続けることで自分は天下の支持を受け続けることができるということだろうか?)
そういうことであれば、わからなくは無い。だが、そのことに固執する人には見えない。それ以外で考えることができるとすれば、漢王朝のために戦うということであるがこの劉備という人が漢王朝のために戦うという溢れんばかりの忠義心をもった人にも見えない。
「私は大樹になりたいと思いながらここまで来た。その大樹になるためには曹操という暴風に耐え続けないといけないんだ」
ますますわからない。一体、劉備という人は何を言いたいのか。
「曹操にとって今のあなたは特に足らない相手であると思います」
それでも諸葛亮は劉備の言葉からなんとか噛み砕いて彼の問いかけに答えようとした。
「それはなぜか。それはあなたに袁紹のような警戒するべき勢力も理想も思想も志も無いと曹操が考えているからです」
警戒するほどの危険人物かと言われれば、今の劉備にはそういった危険だと思わせるものが無い。
「もしあなたがこうであれば違うかもしれません。漢室が衰敗したことに漬け込んで曹操という姦臣が専制していることにあなたが憤り、自分の徳も力も量らず、天下に大義を伸ばしたいと欲したということであれば、勢力の大小関係なく、曹操は警戒することはあると思います」
「漢室のためか……そういう思いは無いよ」
劉備としては献帝やその周りの漢王朝の臣下たちのために戦うというつもりは無い。あくまで自分が自分らしくあるために戦っているのである。
「そのような面もなく、勢力としての驚異も無い以上、曹操があなたを必要以上に警戒する理由はありません。これではあなたが直接、曹操と戦うことは難しいでしょう」
「そう私には無いものばかりなんだよね。それを埋めるためにどうすれば考えれるほどの知恵が不足しているために、ここまで失敗して今日に至ったんだ。それでも止まるわけにはいかない。どのような計を用いれば良いのかそれをあなたに聞きたくなったんだ」
「そもそも今、曹操は既に百万の衆を擁しており、天子を利用して諸侯に号令しているため、今段階で曹操とは戦うべきでは無いのです」
劉備はどうも心理的に自分が曹操と対等にあると思っている節がある。しかし曹操からすれば劉備は対等であるという認識は無いはずである。
(この人は良くも悪くも自分中心的なところがあるようだ)
ここまで話してみてそう思った諸葛亮は続けてこう言った。
「今、孫権は江東を占拠して既に三世を経歴し、国土は険阻で民が帰順しており、賢能の者を用いています。この孫権と同盟して援け合うことはできても、その地を狙うことはできません。荊州は北は漢・沔に拠り、南海の物資や収入を全て荊州の利益としており、東は呉と会稽に連なり、西は巴・蜀に通じています。ここは用武の国ですが、その主は守ることができない状況にあります。これは恐らく天が将軍に与えた場所です」
諸葛亮は現在の天下の状況を述べて、今ここ荊州が危うい状況にあるという認識を劉備に持たせることに考えた。ここまで劉備は曹操ばかり見ていてそれ以外を見てこなかった。その見ていなかったものを見せることが大切だと考えたのである。
「益州は険阻な地形で四方が囲まれており、沃野が千里におよぶ天府の地です。しかしそこを治める劉璋は闇弱で、張魯が北におり、民は豊かで国が富んでいても愛惜を知らず、智能の士は明君を得たいと思っています。将軍は帝室の後裔であり、信義が四海に知られているので、もし荊・益を跨いで有し、その険阻な地を保ち、戎・越を撫和し、孫権と好を結び、内は政治を修め、外は時の変化を観れば、霸業を成すことができ、漢室を興すこともできるという状況を作り出すことができます」
北の曹操という勢力に対して、孫権の勢力と結び対峙する。勢力的な驚異も思想的な部分でも足りない劉備に勢力均衡の形をもって曹操と対峙させるという策である。後世における天下三分の計と呼ばれるものでもある。
かつて韓信に蒯徹が天下三分の計を勧めたことがあるが、微妙に意図が違うところがある。蒯徹の天下三分は劉邦と項羽の対立の中で上手いこと漁夫の利を取ろうという意図があるに対して諸葛亮の天下三分は曹操という強敵と対峙させる上で曹操の天下統一の勢いを均衡状態を作り出すことで弱めるという意図がある。
「なるほど、でも私は漢室を興すって思いは無いよ」
劉備はなんとなく諸葛亮を描く天下の形を思い浮かべつつも首を傾げる。
「あなたは自分が自分らしくあるために戦うのでしょう。そのことに他者がどう思うと関係無いでしょう?」
漢王朝のために戦うと思わせておけば良いのである。それだけで力を貸してくれるなら儲け物ではないか。
「まあそうだね」
劉備は理想論の人では無い。諸葛亮の言いたいことは理解できた。
「ここで大切なのは、この状況をもって一旦、曹操の勢いを弱め、その間にあなたは曹操と戦うための力を蓄えるのです」
このまま曹操と戦い続けることに固執し続けると消耗し続けるだけである。
(そうか曹操と戦うことばかり考えていたけど、しっかりと戦う状況を整えることも大切か)
まともに戦える状態で曹操と戦うということはほとんどなかった。そのため納得いくまで曹操と戦うということができないでいた。
「なるほど、わかった」
劉備は笑顔で頷くと立ち上がった。
「教え感謝します。では、失礼しますね」
そう言って劉備は諸葛亮の元から去ろうとした。
(えっ)
まさか本当に聞くためだけにこの人は来たのか。諸葛亮は驚いた。
劉備は諸葛亮の才能が欲しいということではなく、ただただ曹操とどう戦えば良いのかを聞きたかっただけでなのだ。
「私を招くということではなく、本当に聞きたいだけだったのですか?」
「そうだよ?」
劉備は諸葛亮の言葉に首を傾げる。
「だって、君はここから出たいと思っていないでしょ?」
「それは……」
諸葛亮は彼の言葉に言いよどんだ。
自分の才能に自信があると言うとまるで自分に酔っているように聞こえるだろう。しかしながら事実としてそのような思いがあるのである。だからこそ自分の才能を発揮できない状況になることを恐れている。
劉表は臣下の才覚を活かせる人ではなく、孫権には兄が仕えているため兄の力を借りれば才能を発揮できる官位につけることも可能だろうが、その上で才能を発揮することに意味を見出すこともできないと考えている。
「君は曹操と戦い続けるという私の言葉に対して、こう思ったはずだよ。曹操に降った方が良いのにとかね」
諸葛亮は彼の言葉に驚く。確かに思ったからである。
「そんな君自身はなんで曹操に仕えようとは思わないの?」
曹操の天下統一の勢いに同調することの方が良いと思っているにも関わらず。諸葛亮自身はそれを選ばない。
「それは……」
「故郷の徐州を曹操が虐殺したことがあるから。いや、違うよね。それにこだわるような人には見えない」
劉備は諸葛亮の心を見透かすようにいう。
「君は埋没することを恐れているんでしょ?」
諸葛亮がここでまるで隠者のような暮らしに満足しているような生活をしているのは、自己防衛によるものだというのである。
(違うと言えない……)
諸葛亮は劉備の言葉に反論しなかった。事実であるという認識がしっかりと持っていたためである。自分の才能に自信はある。しかしその才能を活かせない、その才能を活かせたとしても諸葛亮という名よりも曹操の臣下、誰かの臣下としての部分が強く出されるだけではないか。
そのことに諸葛亮は怖いと考えていると同時にそんな自分の自己承認欲求という醜い部分に直視することを恐れていたのである。
「だから私は君を招きたいとは言わない」
劉備は優しくそう言った。
「自分を大切にすることはとても良いことだと私は思ってるよ。だって自分が自分のために戦っているのだからね」
(この人は本当に自分のためだけに戦っているのだ。自分が自分らしくあるために戦う。そのことに全く偽りが無いのだ)
強い人である。ここで初めて諸葛亮はなぜ、人々が劉備の元に集まるのかに気づいた。この人のこの独特な強さに皆は惹かれているのである。
(自分が自分らしくあるために……)
人は他者と社会の中で暮らす上で、自己の四分の三を捨てていると未来の西方の哲学者が述べているが、劉備は捨てていたとしても四分の一ぐらいであろう。
そんな劉備が羨ましいと思う者もいるだろう。諸葛亮もどこか彼が羨ましかった。
(自分が自分らしく、なら自分が自分らしくあるというのはどういうことなのだろうか)
そんなことを諸葛亮は考えていると劉備は屋敷を出ようとしていた。
「お待ちください」
諸葛亮はそんな彼を止めた。
「ふう」
息を吐く諸葛亮に対して、劉備がこちらを見ながら言った。
「緊張するよね」
(この人はどこまでも人というものを見透かしている)
「ええ、全くです」
諸葛亮は立ち上がり、一歩前に出た。
「ふう、一歩踏み出すことにこれほど勇気がいることだとは思いませんでした」
彼はそう言いながら劉備の隣に立った。
「来てくれるんだね」
「ええ、あなたがあなたらしくあるために歩みを止めないように、私も……私らしくあるためにと思いましてね」
「そっか、なら行こうか」
二人は一緒に屋敷を出た。
諸葛亮は屋敷を見る。
(もうここには戻るまい)
劉備の方に向きなおし彼の後を追う。
劉備と歩むこの道は茨の道であろう。歩く度に茨によって血を流し、苦しみ続けることになるかもしれない。それでもその道を歩む自分こそが自分なのだ。
「ねぇ孔明」
諸葛亮に劉備は微笑む。
「君ってどこか私に似ているよね」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
この後、劉備は諸葛亮のことを主に字で呼び、日に日にその関係は密になった。
関羽と張飛はこれを悦ばなかったため、劉備はこう言った。
「私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものなんだ。君たちはこれ以上何も言わないでほしい」
関羽と張飛は不満を述べなくなった。
この故事から「水魚の交わり」という言葉ができた。
次回は孫権サイドの話。